よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

倉敷そぞろ歩き

2006年11月23日 | 講演放浪記
観光を目的とした旅ならば倉敷はいいところだ。こじんまりとした情緒を湛える小さな美観地区をそぞろに歩き、しっとりとした瓦屋根と白壁が織り成す風情にしばし身を置くのもよいだろう。

観光ではなく、サービスサイエンスをテーマとするコンサルティングで倉敷中央病院へ。クリニカルラダーや目標管理といった制度系システムを導入してきた倉敷中央病院だが、各種制度系システムは人の認知や表現といった活動による運用がポイントとなる。

制度系システムは、ソフトウェアにおける業務アプリケーションのようなもので、直接ヒトと接するレイヤーに位置する。だから、システムを運用するヒトの側に対するトレーニングが重要となってくる。

多くの場合、クリニカルラダーや目標管理の運用はマネージャのマネジメント行動をサポートするものである。そしてマネージャのマネジメント行動とは、煎じ詰めれば、機能組織の運用を通して成果を生み出すことに焦点を当てる必要がある。人間のマネジメント行動のプロセスがリーダーシップといってよい。もうちょっと正確に言えば、リーダーシップとはリーダーの特性、フォロワーの特性、そして状況の関数でもある。つまり、

Leadership= f (l,f,s)

l: leader
f: follower
s: situation

だから、クリニカルラダーや目標管理といった制度系システムをまっとうに機能させるにはリーダーシップのあり方が重要になる。サービスサイエンスのひとつのテーマとしてリーダーシップ開発に重点がおかれるのは、そんな背景からだ。

世界初!オープンソースCRMの資格研修スタート

2006年10月31日 | 講演放浪記
SugarCRMのコミュニティ・エディションとコマーシャル・エディションを題材にしたCRMの導入とカスタマイズの実機研修をはじめます。かねてから関係者より、ご要望が多数寄せられてきました。

もちろん題材はPHPで記述されているSugarCRMそのもの、です。ソースコードをまるごと手元におきながら、トレーニングを受けるということは、トレーニングの成果物を確実に身につけ、活用できるということです。オープンソースならではの、よく身につくトレーニングとなることでしょう。ソフトウェア・トレーニングというサービスにおいてもイノベーションを目指したいと思います。

日本代理店のケアブレインズは来年よりオープンソース業務アプリケーションの(Certificate Accreditation)各種資格認定を提供させていただきますが、今回提供するコースは、認定取得のための必須講座となります。

詳細・お申込みこちらです。

PHPでここまで出来るのか!という現実を、ハイレベルな業務アプリケーションを題材に、ぜひ存分に味わいつつ、今後のシステム導入や構築サービスに活かしてみませんか。


札幌にて講演

2006年08月06日 | 講演放浪記
2週連続で北海道。金曜日に羽田を立ち、土曜日は札幌コンベンションセンターにて講演。今回は、クリニカルラダーを骨子として、医療サービスをサービスサイエンスとヒューマンサービスの視点から眺めて縦横無尽に語り尽くすという企画。

翌日、支笏湖の美笛の森を訪れる。キャンパーは皆、湖のほとりへと押し寄せるが、湖畔以外にも、このエリア一帯の自然美は満ち溢れている。

たとえば、原生林。なんと美笛の森には、見たこともないような巨木が所々立っているののだ。しかも、厳しい風雪に耐えてきたためであろう、幹や枝はとてつもなく力強く、強烈な造形を体現している。

図太い枝が喘いで空に手を伸ばしている。
ちからいっぱい枝を伸ばし、なにかをつかもうとしている。
古木はなにを掴もうとしているのか。
適者生存の確率か。
宇宙から降り注ぐ大いなるエネルギーか。

この季節、その原生林の中を巡る風はほのかに甘い芳醇な香をたたえている。この森の林冠には、時間の流れがやわらかに渦巻き、夏のひと時の淡い空間が緑色の物語りに覆われている。

湯けむり、済生会山口病院

2006年05月28日 | 講演放浪記
仕事をさくさくこなして海浜幕張から羽田へ車で飛ばす。
羽田から山口宇部空港へ。
そこからバスを二本、乗りついてやっと山口へ。
移動中の時間はすべて読書。
その間、携帯が鳴ること数回、会社とヤリトリをしながら、それでも本ありき。

飛行機や新幹線での移動がいいのは、まとまった時間がたっぷりとれること。
しかも到着の時刻の目安がつけれることか。

忙しさにかまけて本から離れるのは、そもそも怠惰への始まり。
文字通り、心が亡くなる状態が忙しい、と書く。
どんなに仕事が詰まっていても、
やっぱ、活字がないと生きてはいけない。
活字を追ってさえいれば、純粋な意味空間、創造空間、
仮想の空間に身を置くことができる。
書くのもいいが、純粋に楽しむ読書が贅沢の極地か。

湯田温泉の旅館ではフグの料理が美味しかった。
温泉につかっていると、萎えていた体にジワジワと
エネルギーがこもってくる。

このエネルギーが活字にまた向かう。
湯田温泉は中原中也が足しげく通ったという。
中也に限らず、文人には温泉を好む輩が多いのは、
温泉から活字への衝動にも似たエネルギーを
得るためか。

翌朝、山口済生会病院へ。玄関のところで江藤京子さんと出会い、
雑談をしながら会場へ。

クリニカルラダー、ヒューマン・サービスマネジメント、MBOなど
いろいろな切り口からお話する。




倉敷から広島へ ~団塊世代との邂逅~

2006年03月26日 | 講演放浪記
倉敷から広島への仕事旅は、団塊の世代に属する方々との交流でもあった。

木曜日から倉敷中央病院へ。看護部長の江尻さん、副看護部長の樫原さん、黒瀬さんらとたっぷり人間の認知行動について語らう。臨床現場の経験に裏打ちされた看護実践者である彼女たちの目線は鋭い。

問題、課題の立て方は、とどのつまり、世界をどうのように眺めるのか、どう関わるのかといった「構え」を避けて通れない。そして、認知する側のものの見方や構え方が対象の姿、見え方をいかようにも変えてしまうということに気づいておきたい。参与的観察者の強みでもあり、また限界でもある。

看護の「看」という字は意味深い。手をかざして目でみる姿は、対象に手を介入させながら観察するとう「構え」を象徴している。たんなる「見る」「眺める」ではなく、構えが文字のなかに暗黙的に組み込まれている。

さて「主観を排して、客観的に問題をとらえましょう」というようなもの言いは、曖昧な根拠を下敷きにしたうつろな欺瞞にしかすぎない。認知の枠組みは、そのまま主観の枠組みとなり、主観の枠組みが、また認知のありかたを方向づける。そして、その方向の地平に、看るという構えが生じるのだろう。

さて、問題をどうとらえる?課題をどう立てる?問題解決としてそのやりかたはいいのか?こんなテーマで、翌金曜日はまる一日倉敷中央病院にてコンサルティングと講演。

夕方広島に移動。リーガロイヤルで日総研出版の小島社長と落ち合い、そのまま会食。団塊の世代に属する小島さんのものの見方は、御本人曰く団塊的なるものが色濃い。あの世代独特のボキャブラリーがちりばめられたとりとめのない会話は、ほのかなセピア色の郷愁ばかりではなく、団塊の世代が今後世の中にまた巻き起こすであろう団塊定年問題に対するぼんやりとした予感にも満ちている。

実は団塊の世代には、「遅れてきた青年」じゃないが、なにか屈折した情念をずっと持ってきた。もう少し早く生まれていれば俺もデモの先頭に立ち、投石のかぎりをつくし、アジ演説をまくしたて暴れまくっていたのに!中学、高校の窓から見る団塊の世代は強烈に反体制の勢いに満ちていた。ところが、とある上場企業へ入ってみてそこで出会った団塊の世代には絶望した。時代に対する反抗の精神が抜かれ去勢されたカイシャインしかいなかったのだ。

それやこれやで、ミスター団塊の世代を前にして、瀬戸内の肴をつまみながら、饒舌の限りを尽くして語らうことになった。

全学連。学園紛争。第4インター。ロックアウト。デモ。年功序列。企業社会。高度成長。都市化。競争。大阪万博。アメリカ帝国主義。日帝。原爆投下。社会党。共産党。修正主義。保守合同。秋田明大。樺美智子。安保条約反対。反体制運動。全学連反主流派と労組。警官隊。維新行動隊。実力排除。総括。自己批判。社学同、革共同関西派。社青同。全自連。全学連第17回大会。ピケ。角材ゲバルト。ブント。北小路敏。マル学同。中核派。反マル学同連合の三派連合。

こんな古い時代の左翼系用語ばかりが踊った宴席はめずらしいか。

土曜日一日は、小島さんのコーディネーションで日総研セミナーにて話す。ただし、団塊の世代の左系語彙ではなく、ニュートラルなマネジメントサイエンス系の用語が中心。講演をしたあとはひたすら活字が欲しくなる。帰りの新幹線では、昨夜の左系語彙中心の語らいの反動もあり、たっぷり文藝春秋に浸る。



北九州市病院局にて「格差」再考

2006年02月11日 | 講演放浪記
北九州市病院局主催の講演会にて、ヒューマンリソースマネジメントとクリニカルラダーの講演をする。北九州市病院局は、北九市立医療センター、門司病院、若松病院、八幡病院、戸畑病院などの市立病院を取りまとめている行政組織。

人間コマーシャル・オープンソースを自称している以上、なるべく講演依頼にはこたえるようにしている。この日はコマーシャル・オープンソースCRMについてのクライアント先の仕事を終えてから、夜の便で羽田から福岡へ飛ぶ。

さて最近の講演の中では、よく「格差」について言及する。1億総中流といわれた高度成長期中期から後期までの時代は終焉を迎え、長いバブル経済後の調整期を経て、景気が上昇基調に転じている昨今、所得水準の上下格差が以前に比べると分かれてくる時代になって来ている。

「下流社会」は、所得が低いだけではなく、生活能力や働く意欲、学ぶ意欲に欠け、「だらだら歩き、だらだら生きている」ような階層集団が「下流社会」を形成しつつあると論じる。その一方で、富裕層は、子の教育に大金を注ぎ込む傾向があるという。その結果、富は親から子へと受け継がれ、貧しさもまた相続される。所得格差が教育や学歴の格差を生み、それがさらなる格差拡大と階層化を助長するというのだ。

ではいったい格差社会化現象は医療サービスにどのような影響を与えつつあるのか?一言で言えば、国民が受ける医療サービスの質に今後大きな差が生じてくる。ここに公的病院の苦悩がある。圧倒的多数の公的病院は、医療サービスを提供する相手のパブリック=公衆を均質的な中流と想定してきた。ところが、今後は自己負担分の負担に耐えない層や、潤沢な自己負担をしてまでも良質なアメニティで高度な医療サービスを求める層などが混在することになる。

公的病院は赤字ならば構造上、税金から補填されて資金繰りがつき倒産しない。よって長期慢性疾患のような赤字病院が全国に散らばっている。ところが、その税収が不振なゆえに、独立採算のもとで黒字経営へ転換することへのプレッシャーは近年とみに高まっている。したがって、採算にシビアな経営をすればするほど採算がとりづらい医療サービスは継続しにくくなり、医療費の支払い能力のない患者は受け入れがたくなってくる。

国民皆保険制度は、長きにわたって中流社会のゲートキーパーの役割を果たし、公的病院は、医療サービスのゲートとしてパブリックヘルスの大きな担い手だった。公的医療が「格差」を是認するとき、この国の階層分化はぬきさしならない状況になるだろう。







忠臣蔵の故郷、赤穂浪士の義はほのぼのと...

2005年11月27日 | 講演放浪記
赤穂市立病院にて講演。

街の中心部は忠臣蔵、赤穂浪士の一色で染まっている。すごい街だ。講演の始まるちょっと前大石神社に立ち寄ってみた。

播州赤穂は言わずと知れた忠臣蔵、赤穂浪士の故郷。大石神社は明治天皇の宣旨を受けて明治33年、神社創立が許され、全国から集められた浄財で創建の堵についた神社。なんと大正11年には、四十七義士を祭る神社となる。主神は、ずばり、大石蔵助良雄(よしたか)以下四十七義士と烈士萱野三平命。かの地では「神」なのだ。いや、かの地を超越して日本人一般からしてみても神か。

経典宗教の規範の中の一神教的絶対神(God)ではなく、柔軟、融通無碍に山紫水明、一草一木、山川、岩石、のなかにさえ「カミ」をみつけ、多様かつ特異なカミサマとしてあがめることができる心的な構えを持つ日本民族からしてみれば、たしかに大石蔵助良雄と四十七義士は、神的な存在であり続けている。

なぜ忠臣蔵はそんなにまでウケるのか?

第一に、「君辱めらるれば臣死す」「君父の讐は倶に天を戴かず」「義を見て為ざるは勇なきなり」と一身を省みることなく主君の仇をかえし、恩義に酬いた行為は武士道の真髄を体現しているという見方が圧倒しているからだ。忠臣蔵は文化的なアイデンティティとしての「義」が分かりやすく直裁に脈々と息づくストーリーなのだ。良識ある日本人にとって、文化的なアイデンティティの重要な一部である「義」を思い出させてくれる元型が忠臣蔵にはある。

第二に、この物語には日本人が好む要素が満載だからだ。この企てに参画する浪人にはそれぞれのっぴきならない事情があった。それぞれの悲運、逆境にもめげず、隠密裏に討ち入り計画を立て、綿密に実行するプロセスはスリルとサスペンス、義理と人情の連続だ。個人主義的な自由を捨て、大義につくす。一連の行動のゴールはなにか?吉良上野介の首、ひとつなり。

第三として、議論を呼ぶ矛盾に満ちた入子構造があるからだ。元禄時代の民衆は美談として忠臣蔵に熱狂したし、現在でもこの熱狂は継承されている。江戸の庶民は、生類憐みの令や貨幣改鋳で、反幕府的センチメントが濃厚になっていた。将軍の独裁体制、幕藩体制の秩序に一矢報いた赤穂浪士だが、実は、徳川武家政権の精神的基礎であったはずの武士の「義」を体現したという入子構造のような側面があった。だから、この事件の解釈はもめにもめた。たとえば、湯島聖堂の大学頭林信篤、室鳩巣、伊藤東涯、三宅観瀾、浅見絅斎などの儒学者は、大石内蔵助らの行動を、武家諸法度(天和令)に照らして、忠義の士と讃美、賛嘆した。その一方で、荻生徂徠、太宰春台、佐藤直方などは、法治主義、幕藩体制維持の立場から厳罰を主張した。文字通り、国論を二分したのだ。結局、元禄16年(1703年)年、将軍徳川綱吉は、荻生徂徠らの意見を容れて、大石内蔵助らに獄門でなく、切腹を命じたわけだが、いまだにその判断の妥当性には議論が続いている。

最後に、忠臣蔵には外部世界には希な「ほのぼのさ」加減があるからだ。元禄事件は、たしかに、天下泰平の江戸時代に起こった前代未聞、隔絶されたテロリズム事件ではあった。しかし、その衝突は、今にしてみれば、文明対文明というほどのものではなく、義という共通項を共有する文化内の局地的な衝突だった。その衝突には、一神教同志の先鋭な二項対立、善悪、白か黒かの絶対的判断はそこにはない。元禄事件は、イラク戦争、フランス、ベルギーなどでのアフリカ・ムスリム系移民の暴動など、文明vs文明の衝突を予兆させる文明史的深刻さはとはほど遠い。適度に、ほのぼのとしているのだ。

忠臣蔵に今日的意味があるとしたら、この「ほのぼのさ」加減への郷愁と尊重をあげたいものだ。









市立加西病院にて医療サービス・サイエンスの講演

2005年10月30日 | 講演放浪記
兵庫県の市立加西病院を中心とした地域の複数医療医療機関の講演会に呼ばれる。暗くなった姫路城を長めながらタクシーで40分くらいのところに加西市がある。

さて、医療をサービス・サイエンスの視点でとらえることがぜひとも必要だ。医療でも看護でも「ヒト」が「ヒト」にたいして様々な医療技術を駆使してサービスを提供することが基本となる。

医療・看護サービスには有形のカタチはない。サービスそのものは瞬時にして消え去る。患者と医療提供者の間には質量ともに圧倒的な情報の非対称性が存在する。サービスそのものは人間と人間とのインターフェイスで生み出されるのでヒューマン・サービスの側面が濃厚だ。時々刻々と共有されては消え去るサービスをカルテや看護記録といった媒体に構造的に「記録」することが求められる。かたや、医療サービスそのものには、新薬、新医療機器、新しい手術方式の導入、テイラーメード医療、再生医療などのイノベーションがつぎつぎと起こりつつある。

このような医療・看護の性質を考慮すれば、従来、職務とヒトのあるべき姿を標準化したり文書化したりする動きが希薄だったことはサービスサイエンス的アプローチが希薄だったためか。変化に対応しつつ、職務とヒトのあるべき姿を設定するクリニカルラダーのアプローチが待たれているゆえんだ。




泉佐野から札幌へロード生活

2005年10月23日 | 講演放浪記
先週は羽田から関空へ飛んで泉佐野病院で講演。翌朝、関空から帰って幕張新都市へ。いろいろな会議やたまった仕事を片付けて、また土曜日羽田へ。そして札幌へ。

千歳から札幌までの紅葉が目に沁みる。恵庭から北広島の丘陵地帯のナナカマドも赤くなり、イチョウも黄金の色を青い空にたたえている。赤と黄色が空に舞っている、原色の風景のなか、秋の風景のなかを流れる幸せを感じる。

札幌鉄道病院での講演は楽しかった。フリートーキングの時に、「マツシタ先生、ちょっと太ったかしら」とか「なにか元気ないみたい」とか言われたとか。いやー、どうもスミマセン。

講演が終わってから、すすき野へ皆さんと繰り出す。いやー、美味しかったです、お寿司。ボタンエビ最高!キレイな師長さん、主任さんにかこまれて、そのあとのなんとかというワンショットバーか居酒屋?

いろんなおしゃべり、たのしかったです。セレンディピティとシンクロニシティで随分盛り上がった。

宇宙はときめきに満ちている。札幌の夜もときめきに満ちている。

伊勢原協同病院にて

2005年10月16日 | 講演放浪記
講演のため伊勢原協同病院に呼ばれる。西に進む小田急線とともに大きくなる丹沢の山々の稜線が目に沁みた。

伊勢原協同病院は1968年に神奈川県厚生農業協同組合連合会が伊勢原町から町立病院の移管を受けて発展してきた病院である。以降、さまざまな経営改善と設備改善の途上にある病院だ。

さて、日本的人事なるものの中核を占めるという年功主義人事は長年、医療看護の世界では当たり前のもの、デファクト・スタンダードを占めてきた。講演で訪れた農業と公的病院という二つの背景を持つ、伊勢原協同病院には顕著に年功価値観が強い。

なぜか?いくつかの理由、説がある。

(1)職務習熟度向上説
就業年数や勤務経験とともに強い相関性をもって職務習熟度が向上し、それにともない仕事の成果も向上してきた。ゆえに、年功を機軸に人事管理を行うことが、間接的に能力、成果管理ともなりえた。だから、年功主義人事は、間接的な能力主義、成果主義ともいえる。

(2)診療報酬制度の員数中心説
看護者の賃金の源泉は診療報酬制度のなかの看護料金である。法定の看護料金はケアユニット内の看護者(看護補助者も含む)の員数と患者数の比率で定められている。看護料金には看護者の能力、成果、看護介入の質的側面は反映されていない。看護師の人件費の源泉を占める看護料金が、能力や成果を無視して設定されているがゆえに、看護師の人事管理においても能力、成果は除外されてきた。

(3)消極的人事マネジメント説
そもそも非営利性原則が中心を占め、さまざまな規制や保護ルールが混在し、競争原理が希薄な病院という業態そして看護部門には、マネジメントが発達してこなかった。ゆえに、マネジメントの一部門を占めるヒューマン・リソース・メネジメントも未発達の状態で推移してきた。だから年功主義人事が長年用いられることとなった。

いずれにせよ、協同病院がクリニカルラダーを導入しようとする意図は、人事管理の機軸を、上記諸説を説明してきた諸要因によってもたらされてきた年功から個別の役割、能力、成果に置き換えようという動きから生じてきたのは明らかである。