よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

福島県看護協会

2005年10月13日 | 講演放浪記
朝新幹線に乗って福島へ。看護管理者セカンドレベル向けの看護経営について講演。

車中、文藝春秋11月号を読みふける。半藤一利、保坂正康、中西輝政、福田和也、加藤陽子、戸高一成ら堂々たる論陣による「日本破れたり~あの戦争になぜ負けたのか~」が秀逸にして面白い。場当たり的な対米戦略立案、実施の過程が克明に議論されている。

国運を賭けて大作戦をやるか否か、という極めて高度で冷徹な判断を迫られる場においてすらも軍令部においては、合理性の議論ではなく仲間内の立場を守り、情に訴える「お友達の議論」中心に展開された状況を中西は徹底追及している。言うなれば、機能組織の最たる海軍組織が、共同体原理で運用されてしまったということだ。

戦争、戦闘という場面でこそ、技術が最大限に発揮されなければならない。米国でMOT(Management of Technology、技術経営)が発展してきた背景には、産業政策もさることながら、第1次、2時世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東紛争、アフガニスタン、イラクなどへの直接的、間接的な軍事力行使への関与がある。

太平洋戦争における帝国海軍のひとつの致命的欠陥は、ロジスティックス(兵站)、情報通信を含め戦時MOTの欠如、戦争技術戦略のビックピクチャーに、共同体原理が跳梁跋扈し機能力を弱めたことである。その結果、戦時MOTを戦争を通して進化させることができなかったと仮説することはできまいか?




戦艦三笠と横須賀講演

2005年10月08日 | 講演放浪記
横須賀には縁あって講演で過去3回訪れている。さて今年は日本海海戦100周年という記念すべき年だ。講演が始まる前の時間帯を使って、長年の課題であった戦艦三笠が保存されている記念館みかさを訪れた。

バルチック艦隊と東郷平八郎率いる連合艦隊が接近遭遇し、バルチック艦隊の進路をT字のように押さえつつも、あの左に大きく回る敵前のターンを中心とした戦況が時間帯の推移とともに双方の艦隊行動を再現している展示が圧巻だ。「坂の上の雲」やその他の資料を読み漁っても、なかなかわからなかったことだけに、何回も動く展示を見て唸ることしきり。

日露戦争は、ロシアの極東侵略によって国家存亡の危機に立たされた日本が、国力の限りを尽くして戦い抜いた防衛戦争である。日本のパーフェクトゲームで終止符を打ち、海戦史を塗り替えた日本海海戦の勝利は作戦戦略、軍事戦略的にも突出する。また国家間の地政学的大戦略、その後の世界史に与えた歴史的影響力においても隔絶する。

当時の極東の有色人種の弱小国が、圧倒的大国である白色人種国ロシアを打倒した世界史の一大金字塔である、というテーマが一貫して流れる展示は、濃度の高い空気を艦内に充満させている。

市内のウエルシティでの講演会には300人くらいの方々にお集まり頂いた。「みなさん、みかさに行ったことありますか?」と問いかえると、8割くらいの方々の手があがった。

さすが横須賀、小学校の遠足などではよく記念艦みかさを訪れるという。自虐史観や戦後の表層的パシフィズムによって正しい史実を教えない学校や歴史教科書が未だ多数あるなかで、当地横須賀は、みかさを抱える土地としてしっかり歴史の保存に取り組んでもらいたい。




小牧市民病院にて最終講義

2005年09月10日 | 講演放浪記
2年間に渡った小牧市民病院での講義、コンサルティングも終わりだ。目標管理、業務改善、ヒューマン・サービス・マネジメント、医療経済、医療経営、クリニカルラダーの導入などさまざまなテーマを集中的にレクチャーした。みなさん、よくついてきてくれたと思う。

それにしても、この二年間というもの、休憩時間の看護部長、副部長さんとの語らいは面白かった。昔の旅の話や海外放浪の話などに花が咲く。こ難しい講義よりも、そっちの手の話の方が僕としては楽しいのだが。レクチャーはどうしても一方通行的になるが、雑談はなんというかあったかいし、おたがいのハートに触れられるから。




釧路にて講演

2005年08月27日 | 講演放浪記
金曜に羽田から釧路へANAにて飛んだ。夜は釧路労災病院の方々と楽しい宴席。そして翌土曜日は釧路労災病院にてクリニカルラダー、人的資源開発、人材評価などについて講演。

朝方から昼頃までは曇っていたが、午後から急に晴れはじめる。空には秋を思わせる箒ではいたような雲がたなびき、北の方角には阿寒の山々が連なっている。ああ、なにもアウトドアの機会を持たずに羽田に引き返すのは、あまりにももったいない。

でも諸般の事情のため、サイクリングもカヌーもなく、講演をして帰るだけだ。ぜひともつぎの機会にはいろいろと釧路周辺の大自然に心ゆくまで浸りきりたい。

福岡青洲会病院

2005年07月17日 | 講演放浪記
福岡はすでに梅雨明けの猛暑。先週はオープンソース事業の対応や取締役会の対応などで忙しかったが、週末はヘルスケア関係の講演で福岡青洲会病院へ。このところ福岡と羽田を往復することが多い。

福岡青洲会病院は、救急医療から在宅まで手がける幅広いプロダクトラインを展開する総合病院だ。大都市のやや近郊ぎみの立地において特異なポジションを得ている。中村院長、永島看護部長、森崎事務長らとしばし歓談の後、講演へ。

トップがみずから学ぶ姿勢をカラダで表現している。いいことだ。そして人材開発にかける意気込みがひしひしと伝わってくる。前向きな意気込みの向こうには明るい未来がある。




日総研福岡にて

2005年06月25日 | 講演放浪記
羽田から福岡に飛んできたが、博多は30度を越える猛暑だ。梅雨の気配は全くなくダムの湖水も干上がっているという話をタクシーの運転手の人から聞いた。

熱心な受講生の熱気もあいまって汗をたくさんかいた講演だった。コンピテンシー理論とその実際的応用は多くの聴衆の関心事である。従来のクリニカルラダーではこのへんが弱かったので、統合型クリニカルラダーに多くの受講生は大きな関心を抱いているようだ。

話し方<訴え方

2005年06月21日 | 講演放浪記
仕事がらプレゼンテーション、セミナー、講演、レクチャーは
大小、フォーマル、インフォーマルなものをあわせると、毎年
50-80回くらいこなしているか。

日総研でのレクチャー記事があがっているのに気がついた。

大学院時代に「マネージャとプロフェッショナルのコミュニケーション」
という気のきいたコースがあり、よし、このコースをとって、一気に
プロレベルになろう!と決意したまではよかったが、もちろん全部英語
で、とほうもない苦労を強いられた。

このコースでは、受講者ひとりひとりに課題を与えプレゼンテーションを
させる。その一部始終をビデオに録画して、クラス全員があれやこれや
評価を加える。そして教授も批評するといった凝ったものだった。

英語を母語とする連中の中に入り、もちろんハンディキャップはあるが
みんなの関心を集め、スコアをとる方法があった。

・ハラからデカイ声を出してゆっくり話す。
・発音などの「みてくれ」に気をつかわず、話の中身で勝負
・とにかく聴衆を笑わせる。

こんなことが役に立っているように思える。で、日本に帰ってきても
バカのひとつ覚えではないが、人前でなにか話すときには心がける
ようにしている。

大阪ミナミにて講演

2005年06月06日 | 講演放浪記
大阪の心斎橋は、ミナミ。ただし、歓楽街ではなく講演会場は心斎橋からほど近い御堂会館。

クリニカルラダーはあくまでも手段だが、手段づくりが目的になってしまうと怖い。看護界の方々は道具に凝る集団意識があるように思える。過去、いろいろなブームがあった。POS,フォーカスチャーティング、看護診断などなど。

一過性のブームに流されるのでなく、道具やツールの本質を見極め、使えるもの、使えないものを峻別する眼力が必要だ。

幕張新都心WBGにてシンポジウム

2005年05月28日 | 講演放浪記
両手に花か。倉敷中央病院の樫原副看護部長と北里大学病院の野地教育担当課長に挟まれてうれしい3ショット。ちなみに写真に写っているカメラを持っているのはアシスタント・コンサルタントの青柳君。

今日は幕張新都心にてクリニカルラダー、人材評価・育成システムなどに関するシンポジウム。倉敷中央病院の樫原副看護部長と北里大学病院の野地教育担当課長をシンポジストに招いての集まり。北は山形、南は福岡からの参加者の御受講をいただき、盛況だった。

倉敷中央病院も北里大学病院も大変素晴しい病院だ。とくに人材評価、人材開発、そしてひとりひとりのキャリア開発を支援する姿勢を明確に打ち出している。そして管理職の方々にも樫原さんや野地さんのように優秀な人が多いと思う。これはリップサービスではなく全国の医療機関の現場をつぶさに歩き続けている実感だ。

これからの医療機関の優勝劣敗はひとえに人材開発にかかっている。なぜならば優秀な人材によって切れ味のある戦略が立案され、実行されるからだ。優秀な人材を採用し、開発し、報いる、いわゆるhuman resources managementの時代を日本の病院は遅まきながらも迎えている。そんなことを熱心なシンポジスト、受講者に囲まれて実感した。


小牧市民病院で講演

2005年05月22日 | 講演放浪記
昨日は名古屋の北のほうにある小牧市民病院で講演。この病院を訪れるのは4回目だ。もうずいぶん前になるが、この病院の余語病院長と全国自治体立病院学会のシンポジウムでごいっしょしたのが、そもそものご縁だった。

この病院は、医療機関としての成果をきちんと定義し組織全体で追及している。ゆえに長年の赤字も一掃しつつあり変革の機運に満ちている。このような変革志向の病院といっしょに仕事をするのは楽しいし、勉強にもなる。

病院はもちろん、人の病を治す場所だが、自治体立病院の多くは経営的な病気になっている。経営的な疾患から立ち直り自主独立経営、成果責任経営を標榜している公的病院の未来は明るい。