よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

倉敷から広島へ ~団塊世代との邂逅~

2006年03月26日 | 講演放浪記
倉敷から広島への仕事旅は、団塊の世代に属する方々との交流でもあった。

木曜日から倉敷中央病院へ。看護部長の江尻さん、副看護部長の樫原さん、黒瀬さんらとたっぷり人間の認知行動について語らう。臨床現場の経験に裏打ちされた看護実践者である彼女たちの目線は鋭い。

問題、課題の立て方は、とどのつまり、世界をどうのように眺めるのか、どう関わるのかといった「構え」を避けて通れない。そして、認知する側のものの見方や構え方が対象の姿、見え方をいかようにも変えてしまうということに気づいておきたい。参与的観察者の強みでもあり、また限界でもある。

看護の「看」という字は意味深い。手をかざして目でみる姿は、対象に手を介入させながら観察するとう「構え」を象徴している。たんなる「見る」「眺める」ではなく、構えが文字のなかに暗黙的に組み込まれている。

さて「主観を排して、客観的に問題をとらえましょう」というようなもの言いは、曖昧な根拠を下敷きにしたうつろな欺瞞にしかすぎない。認知の枠組みは、そのまま主観の枠組みとなり、主観の枠組みが、また認知のありかたを方向づける。そして、その方向の地平に、看るという構えが生じるのだろう。

さて、問題をどうとらえる?課題をどう立てる?問題解決としてそのやりかたはいいのか?こんなテーマで、翌金曜日はまる一日倉敷中央病院にてコンサルティングと講演。

夕方広島に移動。リーガロイヤルで日総研出版の小島社長と落ち合い、そのまま会食。団塊の世代に属する小島さんのものの見方は、御本人曰く団塊的なるものが色濃い。あの世代独特のボキャブラリーがちりばめられたとりとめのない会話は、ほのかなセピア色の郷愁ばかりではなく、団塊の世代が今後世の中にまた巻き起こすであろう団塊定年問題に対するぼんやりとした予感にも満ちている。

実は団塊の世代には、「遅れてきた青年」じゃないが、なにか屈折した情念をずっと持ってきた。もう少し早く生まれていれば俺もデモの先頭に立ち、投石のかぎりをつくし、アジ演説をまくしたて暴れまくっていたのに!中学、高校の窓から見る団塊の世代は強烈に反体制の勢いに満ちていた。ところが、とある上場企業へ入ってみてそこで出会った団塊の世代には絶望した。時代に対する反抗の精神が抜かれ去勢されたカイシャインしかいなかったのだ。

それやこれやで、ミスター団塊の世代を前にして、瀬戸内の肴をつまみながら、饒舌の限りを尽くして語らうことになった。

全学連。学園紛争。第4インター。ロックアウト。デモ。年功序列。企業社会。高度成長。都市化。競争。大阪万博。アメリカ帝国主義。日帝。原爆投下。社会党。共産党。修正主義。保守合同。秋田明大。樺美智子。安保条約反対。反体制運動。全学連反主流派と労組。警官隊。維新行動隊。実力排除。総括。自己批判。社学同、革共同関西派。社青同。全自連。全学連第17回大会。ピケ。角材ゲバルト。ブント。北小路敏。マル学同。中核派。反マル学同連合の三派連合。

こんな古い時代の左翼系用語ばかりが踊った宴席はめずらしいか。

土曜日一日は、小島さんのコーディネーションで日総研セミナーにて話す。ただし、団塊の世代の左系語彙ではなく、ニュートラルなマネジメントサイエンス系の用語が中心。講演をしたあとはひたすら活字が欲しくなる。帰りの新幹線では、昨夜の左系語彙中心の語らいの反動もあり、たっぷり文藝春秋に浸る。



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