よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

鳥越神社

2010年01月09日 | 講演放浪記


お正月の喧騒が嘘のような静かな佇まいの台東区の鳥越神社。
日本助産師会の本部はここからものの2-3分のところにある。

社務所でもらった『鳥越神社略記』に曰く、『回國雑記』には:

「暮れにけり

やどりいずくと

急ぐ日に

なれも寝に行く

鳥越の里」

と詠まれている。

           ***

その昔はもっと神域は広大で、鎮守の森は奥深かったようだ。

その緑ゆたかな鎮守の森に鳥がねぐらを求めて群がったとも読めるが、遊び好きな男が、このあたりで浮世の名を流しながら「なれも寝にゆく」ことを暗喩しているとも読める。


日本助産師会@大阪桜の宮で講演

2009年12月13日 | 講演放浪記
金曜日の夜、田町での授業+講演のあとの飲み会も泣く泣く30分くらいで切り上げて大阪へ移動。翌日、日本助産師協会での招待講演があるからだ。

少子高齢化現象、格差社会化が急速に進む中、合計特殊出生率は2005年に1.26の底をついてから上がり始め2008年には1.37まで持ち直した。だが、長期的には日本の人口は減少へと向かう。人口が減少する地域や国が経済的に発展するためしは世界史をひもとけばまずないことを思うと、あまり晴れ晴れした気持にはならない。

産科医師不足、出産難民、妊婦の緊急搬送困難などの現象は、社会システム、医療システムの問題が複合したものだ。そんな中で、正常経過をたどる妊産婦に対しては助産師が責任を持って支援する助産師外来や院内助産所の開設が強く要請されてるようになってきている。

社会起業+サービスマネジメント+システム思考・・・などのテーマを凝縮して、あっという間の2時間の講演。

異常経過がないお産は医療サービスではないが、安心・安全のコア部分の周辺のハイタッチな付加価値サービスが求められる。新しい生命を取り上げるというのは人間が生まれる瞬間に受容する初めてのヒューマン・サービスなのだ。

Oxford English Dictionaryによると、13番目の意味として、サービスとは服従、敬虔さ、善行によって崇高な存在に仕えること、とある。崇高な存在は神でもいいし、神を赤ちゃんと置き換えてもいいのだろう。昔のお産婆さんには神懸った人が多数いたのは、なるほど、うなずける。

起業という側面では、基礎研究、応用研究などのフェーズはなく、サービスデザイン、オペレーション、マーケティングが勝負となる。初期投資額はさほどでもないので、単価 X お産件数の推移予測とそれを実現するスタッフ人的資源の計画化が事業計画づくりの焦点となる。

日本助産師会専務の岡本喜代子先生、東北大学家族支援看護講座の佐藤喜根子先生、神奈川県立保健福祉大学の村上明美先生、市川香織事務局長らと昼食をはさんで楽しく歓談。

な~るほどとうなずくことしきり。

秋の倉敷

2009年10月22日 | 講演放浪記
倉敷中央病院へコンサルティングと講演で呼ばれて小旅行。
非営利組織の経営とサービス・マネジメントが交わる領域がテーマ。



この季節のアイビースクエアは、しっとりしていてとれもいい感じ。
アイビーリーグの大学のような雰囲気。



蔦がからまるアーチ。



美観地区へ繋がる小径にある門。KURASHIKI IVY SQUARE。



考古学博物館。陶棺が陳列してあった。
吉備の国は不思議でいっぱい。



古い街並と水路。千葉の佐原にちょっと似ている雰囲気。

自転車を分解して持ってきて「瀬戸内しまなみ海道」を走りたいが、明日は授業があるので帰らざるを得ない。

いつかは必ず「瀬戸内しまなみ海道」を自転車で走ってみたいものだ。


地域発・グローバルベンチャーの可能性@京都大学

2009年07月21日 | 講演放浪記
京都大学で開かれたシンポジウム「地域発・グローバルベンチャーの可能性」で、午前に講演1本をやった後、午後パネルディスカッションに参加させていただきました。フロアー、檀上問わず自由闊達な議論が行き交う素晴らしい集まりでした。

以下はメモ。

まず共感を覚えるのは、京大イノベーション・マネジメント・サイエンス研究部門のスタッフの方々は、大学で純粋培養のキャリアを積んできたのでもなく、またたんに企業での実務経験があるというのでもなくABCの融合型の国際経験豊富なプロフェッショナル系人材が中心ということです。

午後のパネルで登壇した方々もこのようなタイポロジーの方々が圧倒しています。類は友を呼ぶということなんでしょうか?

僕は、研究部会A「アントレプレナーシップとイノベーション創発」でお話をしてこの部屋にずっといたので、以下は研究部会Aの話が中心です。



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「アントレプレナーシップとイノベーション創発」というテーマアップ、素晴らしいですね。以前ここでも書いたように、アントレプレナーシップとイノベーション創発を一体のものとして扱うのが世界の趨勢です。

MOTやMBAの一大テーマでもあるイノベーション創発は、アントレプレナー人材によってもたらされるという認識をズバッと言い当てた表題に敬服です。それやこれやで、この表題を見て胸のすく思いがしたしだいです。

さて、午前中の専門部会や午後のシンポは、ほんとうに広いテーマを扱いました。スタートアップスをどう立ち上げるのか、ベンチャー企業が成長するために外部のマネジメント能力や開発リソースをどう活用できるか、VCの支援の在り方、ガバナンス、産学官連携、オープンイノベーション、金融危機の影響、ベンチャーキャピタルの視点からの国際ベンチャー、EUにおける国際ベンチャーなど、など。

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京都大学準教授の麻生川静男さんのテーマは、イノベーションを巻き起こす科学的人事手法です。

独自に取り組まれている「Synaプロジェクト」についてエッジの効いた濃いお話でした。HRMは僕の専門でもあり、今後のコラボ展開が楽しみです。



午前のセッションでは「イノベーションの新潮流:カオスの縁のソーシャル・アントレプレナーシップ」について報告させていただきました。

不肖松下の顔や腕が真っ黒なのは自転車焼けのためです。ネオン焼けに非ず笑)



日経BP社プロデューサの丸山正明さんは幅広い現場の取材をベースにした報告です。丸山さんは産学官連携をテーマにした著書を何冊もお持ちで技術の中身がよくお分かりです。

ヒット製品に結びつく要素技術を組み合わせる連立方程式にはじまり、オープンイノベーション、R&D戦略・事業戦略・知財戦略の三位一体にまで言及されました。

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牧野圭裕さん(京都大学産学官連携本部本部長、名誉教授)

京都大学における産官学連携、国際連携、そしてベンチャー支援の取り組みなどを包括的にご紹介いただきました。東京の一等地のみならず、ロンドン欧州事務所をオープンさせたのはさすがです。

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木谷哲夫さん(IMS部門寄附研究部門教授)

イノベーション・マネジメント・サイエンス(IMS)部門の取り組みについてのプレゼンテーション。日本のベンチャーの弱みとして(1)顧客ニーズの分析から入らない、(2)技術シーズを保有する人がCEOになってしまい機動的な経営ができない、(3)チーム編成、人的資源の活用が下手、との指摘がありました。

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奥原主一さん(日本ベンチャーキャピタル社長)

ベンチャーキャピタルの視点からの国際ベンチャーに関する事例紹介。販路を求めて海外に進出する事例、日本国内ではそもそも市場がないので海外で起業する事例、広く多様な人材を求めるため海外に出る事例などを紹介いただきました。

2社ほど直接的に知っている会社が登場しました。

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CambridgeのSimon Learmountさんは、Innovation and Governanceについてです。ざっとまとめるとこんな感じです。

近年、UKの産業はアウトソーシングとオープンイノベーション志向となってきている。この潮流のなかで、InnovationとEntrepreneurshipのエンジンとしてリサーチ・ユニバーシティの役割はますます重要になっている。

しかし、そのガバナンスモデルはAgency modelであって、運営原則、エージェントは明確でない。技術のブレークスルーにはアカデミック・フリーダム、リスクの先取り、イニシアティブが必要だ。政府のファンディングはAccountabilityとコントロールの強化をもたらす結果に終始しがちだ。しかし、本来はInnovationとEntrepreneurshipを増進させるような新しい大学ガバナンスのモデルが必要。

この点をきっちり研究して使えるガバナンス・モデルをデザインしインプリしてゆくことが今後の課題だ。

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パネルディスカッション:「ベンチャー企業、ベンチャーキャピタルの国際化への取り組み」のモデレーターは麻生川さん。

軽妙な触媒的トークで熱くなりがちなパネラーを小気味よくモデレートされていました。Global Literacy for Cosmopolitansを講じていらっしゃる麻生川さんのウイットが光っていました。



一本松正道さん(ルネッサンス・エナジー・インベストメント社長)、瀧本哲史さん(京都大学、エンジェル投資家)、八尋俊英さん(経済産業省新規産業室長)、須賀等さん(丸の内起業塾長、タリーズコーヒージャパン㈱特別顧問、国際教養大学客員教授)と不肖松下です。

実はこのメンバーはそれぞれの立場で深い経験と高度なイクスパティーズをお持ちの方々ばかりでして、すでにメールによる議論が1週間前くらいから盛り上がっていました。このような特設加速レーンもクリエーティブなパネル・ディスカッションには必要なのですね。

さて、須賀さんには以前、僕が自分の会社を創業したばかりの頃に親しくアドバイスを頂いたことがありました。その須賀さんを紹介していただいたのが、松田修一先生(早稲田大学ビジネススクール教授、日本ベンチャー学会会長)でした。こういうところで再会するとは、いやはや世の中狭いものです。

麻生川さんとは旧知の中ですし、瀧本さんとは共通の友人がいることが分かりました。こういった出会いや再会が、またお互いの人生の新しいページに繋がってゆくのですね。

フロアーからも活発な意見、質問が寄せられ活気に満ちたパネルでした。とても刺激的な議論を楽しませていただきました。

どなたか、このパネル・ディスカッションのメモをアップしていただけるとうれしいのですが。

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最後のクロージング・リマークスは、日本ベンチャー学会会長の松田修一先生。いつものようにパワフルで的を得たお話しぶり。

今回のキリンとサントリーの経営統合は始まりの始まり。日本独自の垂直統合的な巨大企業は今後激変に見舞われる。縦型総合企業から専門水平企業への換骨奪胎がいよいよ始まる。

1960年代から2010年代までを俯瞰してモノづくり産業のトレンドを分かりやすくレビューいただき、今後のアジェンダを浮き彫りにしました。

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懇親会では京都のベンチャー企業に就職するというガッツ溢れる学生さん達やいろいろな方々と美味しいワインで歓談。帰りは、松田先生と京都駅までタクシーで。道が混んでいて車中、松田先生とは久しぶりにゆっくりお話する機会が持てました。

御霊信仰、祇園祭りと山鉾巡行

2009年07月18日 | 講演放浪記


木曜日に新幹線に乗って京都へ。京都大学で行われるシンポで講演ひとつ、パネルひとつでお話するため。大変ラッキー!なことに、祇園祭の山鉾巡行の日と重なっている。

長年の懸案(夢)だった祇園祭を、こうして楽しむことができるようになったのだ。

前の晩、京都大学の時計台ホールの前にある小奇麗なパブで、シンポ関係者の方々と下打ち合わせを兼ねてビールをひっかけてから、四条方面へ繰り出すと、山鉾から流れるお囃子(はやし)が次第に大きく聞こえてくる。そして人、人、人の波。群衆の熱気にたまげる。

参拝料1000円払うと山鉾に乗せてくれるのだ。10時にお囃子の演奏が終わってから、「お囃子終わっちゃったけど乗れますか?」と頼むと、なんとタダにしてくれた。ありがたし。

四条通りに面したビルの2階に神様がお祀りされていて、その神さまの偶像が明日山鉾に移って市内を練りまわる。そこでお参りしてから2階から突き出た渡り橋を踏んで山鉾に乗る。

動く美術館には文化材が満載。とはいえ、うーん、結構狭い。山鉾に乗って笛、鐘などを奏でる衆が内向きに座っているのはなるほど、スペースの有効活用のためか。

翌朝は京都大学へ行く前に、またそそくさと四条に行く。



圧巻は辻回し
まずは道路の車輪が移動するあたりに竹を敷きつめ水を柄杓で捲く。



そして、山鉾の車輪が竹の上にやってくる。
日の丸の扇子を振る衆がヨーイヤサッと気合いをいれると、綱引きの衆が一気に山鉾を引きにかかり、バリバリーーと轟音を立てて車輪が青竹を粉砕しながら90度回転する。

この模様を至近で見ていた外国からの観光客とおぼしき女性がなんとこう叫んだ。

"Oh, My God!"

おいおい、それを京都で言うのなら、"Gods"と複数形で言ってくれよ笑)。

多神教の都、多神教の祭りなのだ。



貞観11年(869年)、当時流行った疫病を鎮めるために卜部日良麿が66本の矛を立て、神輿3基をかついで牛頭天王(ごずてんのう)を祀り御霊会(怨霊を鎮め、退散させるための儀式)を行ったのがその起源。

通説では、牛頭天王は外来のカミでインドの出自とされるが、これは怪しいものだ。幼年神ミトラのミトラ教によって屠られる牡牛の故郷イラン北部がオリジナルな故郷で、それがインドに伝搬して牛頭天王の元型となるカミに習合していったのではなかろうか。

さて牛頭天王は、疫病や災いをもたらす、いわば疫病神として祇園信仰では位置づけられる。これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようというのが、この祇園祭。



目の前を動く美術館はたしかに優雅にして絢爛。しかし、その背後には、怨霊、魑魅魍魎が跋扈する呪術的な世界が展開する。

そしてそんなアンビバアレンツな二面性をそっと顕現させながら、典雅な調べに乗って32基の山や鉾は四条の通りを次々と過ぎ去ってゆく。

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祇園祭りは、970年(安和3年)から毎年行うようになったと言われる。その後、応仁の乱や第二次世界大戦などでの中断はあるものの、現在まで延々と千年を超えて、祇園祭りは受け継がれているのだ。

卜部日良麿がはじめた呪術的なソーシャル・イノベーションは、こうして京都の怨霊、御霊に満ちた精神空間に埋め込まれ、京都の摩訶不思議なソーリャル・キャピタル基盤となっている。その基盤には、世界を神につくられたものと前提する一神教的な存在論は微塵もない。

千葉県がんセンター

2009年04月19日 | 講演放浪記


千葉駅からバスに乗って千葉県がんセンターへ。そこで招待講演。

人的資源開発、医療サービス特性、医療経済基礎からはじまり、午後はグループ・デスカッションをファシリテート。

千葉県は県がんセンターが病院名を出してデータを公開している。がん専門病院による「全国がんセンター協議会」によると、治療五年の生存率は、胃がん九位の70・6%(症例数三百六十八)、肺がん4位の38・9%(同二百七十一)、乳がん6位の88・9%(三百四十)と高いレベルにある。



がん最新手術は画期的。臨床現場ではイノベーションの活用が進行中。切除部分を縮小するため、手術中に顕微鏡で腫瘍の大きさを判定する。

胃がんは電気メス、前立腺がんや乳がんは、超音波のエネルギーでがんを焼いて死滅させる高密度焦点式超音波療法(HIFU=ハイフ)やラジオ波熱凝固法。脳腫瘍ではナビゲーションシステムとMRIを使った鍵穴手術で、腫瘍を摘出することが可能となる。

札幌市立大学への講演旅行

2008年09月04日 | 講演放浪記
札幌市立大学の看護管理学の河野聡子先生に呼ばれて講演。サードレベル研修は看護部長や副病院長向けの実務者研修としては最高レベルのもの。

以前、杏林大学附属病院の看護部長だった中村恵子さんが副学長、看護学部長として札幌市立大学に来ている。中村さんと初めてお会いしたのは、かれこれ20年位まえで、杏林大学病院で講演によばれたり、講演会でお会いしてきたが、ここ何年かはご無沙汰となっていたので、とても懐かしい。

各病院の看護部長は1.5世代くらいがこの10-20年で代わってしまい、ああ、時が経つのは早い、早い、ということで、昼食をいっしょにいただきながら話はつきなかった。

聞けば、大学院を今後設置して、修士、博士の養成も視野に入っているとのこと。この大学は看護学の北海道の目玉になるだろう。デザイン学部とのシナジーを効かせるには組織デザイン、経営デザイン、ケア・デザイン、ライフデザインなどの領域も面白いだろう。

河野先生曰く、人的資源開発というテーマではシャインのキャリア・アンカーのコンセプトを取り入れているという。学部学生にアンカーを意識させると、ずいぶんと成長の軌跡が異なってくるそうだ。なるほど、キャリアデザインというシナジーもある。

新しい大学を創るというのは、まさにUniversity=知的な宇宙を創るにも似る壮大な試み。中村、河野両先生ともビッグバンの中心にいるとあってとても創造的だ。

当初は知床半島をシーカヤックで回る予定を立てていたが、いろいろな事情が重なって今回は講演のみの北海道となってしまったのは残念・・・。


徳島赤十字病院で「年次改革要望書」を語る

2008年06月07日 | 講演放浪記
久しぶりに徳島へ行く。午前は招待講演、午後はコンサルティングで忙しい一日。すべての予定をこなし、ひととき歓談。その後、看護部長さん、副部長さんの美女軍団に囲まれて記念のフォト。

全国に散らばる伝統的ノンプロフィット医療機関の赤十字病院のなかでも徳島赤十字病院は、その新しさがユニークだ。

徳島赤十字病院は急性期病院で、高度救命救急センターを運用し、Emergency Roomも強力。また、難病、集約的医療の必要な慢性疾患にも対応している。しかも屋上にはヘリポートを持つ。

2年前に移転した高機能病院でもある。全面的に電子カルテを展開していて、64列CT撮影装置設置、高機能心臓血管撮影装置を設置(撮影室2室)。また拡散強調画像が撮影可能なMRI装置を装備していて、ER悪性血液疾患治療にも対応している。

株式会社と異なり配当などで利益配分を株主に還元する必要はないが、赤字では運営できない。Going Concernは株式会社以上に、ノンプロフィット医療機関には厳しく問われる。だから組織の維持拡大を図るには、優れたマネジメント力が必須である。徳島赤十字病院では経営担当の事務部長が副院長を兼ねるということだけでも、医療・経営分離のガバナンスのもとでも経営マインドが旺盛なことが分かる。

さて株式会社が経営するアメリカの病院では多くがビジネスマンが病院長を勤める。診療ニーズに対して、経営ニーズが優先されると、利益率が高い診療科目に傾斜配分するようになるので儲かる診療科目に資源を集中させたり、金払いのいい患者しか診療しない、保険会社と契約をしている患者しか診ない、というようになっている。

保険会社、病院、医師、患者・・・、それぞれ健康のステークホルダーが個別の利益を追求した結果、均衡しているとされる米国の医療は、医療費世界No.1だが、無保険者が4200万人もいて平均余命も短く、けっしてパフォーマンスのいい医療制度ではない。Managed Careとよばれる均衡状態がもたらしたものは、いびつの均衡でしかない。

さて日本では、ノンプロフィット医療機関の病院長は医師だから、必然的に診療と経営を統合することが医師である病院長の仕事となる。しかし、医師の多くは経営に関するトレーニングをうけることは、あまりないので医療がわかるビジネスマンを経営チームの中にいちづけることが重要だ。聞けば徳島赤十字病院は黒字で、平均在院日数は8日位で7:1看護を維持しているという。地方にあって大健闘している病院だ。

そして医療政策では、国民皆保険を堅持して公的医療費をキチンと上げてゆくことが望まれる。もちろん、ムリ、ムダ、ムラをなくす努力をしながら。混合診療や高い自己負担を認めると、あひるがギャーギャー鳴くような喧騒をかなでながら外資系(米国系)保険会社や、目ざとい保険会社が大挙して参入してしてくるだろう。

米国の国益のため書かれる「年次改革要望書」に沿って郵政民営化では簡易保険市場が民営化される方向にうまく誘導されてしまった。「民」というのは実はアメリカの保険会社が中心。そのおこぼれにあずかり年次改革要望書を応援するさもしいオリックス保険なども、もちろん医療保険市場を狙っている。外圧に協力することによって利益を得るという手法。

ついでに言うと「年次改革要望書」を白日のもとに晒して糾弾した関岡英之はいい仕事をした。

いまこそ、反面教師としてのアメリカの医療を学び、「年次改革要望書」を読み込まねばいけない。「年次改革要望書」の路線で行なわれる政策では、利益が米国に移転され、日本が収奪されるという構造が透けて見える。そのツケはすべて患者に来るからだ。日本の公的医療を安直に市場原理に明け渡し保険会社の草刈場としてはいけない。新自由主義的な医療保険制度改革には要注意だ。

最近の講演はこんな話で盛り上がる。


兼六園そぞろ歩き

2007年11月03日 | 講演放浪記
庭園における六勝とは、

宏大(こうだい)
幽邃(ゆうすい)
人力(じんりょく)
蒼古(そうこ)
水泉(すいせん)
眺望(ちょうぼう)

を指すという。

庭園では以上の、六つのすぐれた景観を兼ね備えることはできないそうだ。広々とした様子(宏大)を表そうとすれば、静寂と奥深さ(幽邃)が少なくなってしまう。人の手(人力)を加えすぎると、古びた趣(蒼古)がなくなってしまう。また、滝や池など(水泉)を多く広めに創ってしまうと、遠くを眺めることができない。これらの絶絶妙なバランスをとることは至難の極致ということだろう。

なので、宋の時代にあらわされた書の『洛陽名園記(らくようめいえんき)』には、「洛人云う園圃(えんぽ)の勝 相兼ぬる能わざるは六 宏大を務るは幽邃少なし 人力勝るは蒼古少なし 水泉多きは眺望難し 此の六を兼ねるは 惟湖園のみ」と喝破する。

惟湖園のみならず、この庭園も此の六を兼ねる!という高邁な理想によって兼六園と命名されたと伝えられる。さて惟湖園を凌駕してゆこうというモノづくり精神が園内のいたるところに顕れている。たしかに庭園づくりはモノづくりなのだが、実のところは、庭園を訪れる人々のための「経験価値づくり」という側面が強い。

そんなことを思いながら、六代藩主の前田吉徳が創建して、平成12年に見事に再建された木造平屋建て柿葺きの時雨亭にて抹茶をいただく。質朴ながらも豊穣な時間がたゆたゆしく流れる空間だ。


順天堂大学のふたつの病院と問題公的病院をめぐる参与的実地体験

2006年12月17日 | 講演放浪記
御茶ノ水にある順天堂大学付属順天堂医院に講演に呼ばれ5時間ほど雑談のような講演をさせてもらった。表向きはバランススコア・カードがテーマだが、本題以外のなんでもお話になってOKという主催者の言葉に甘えさせていただいた。

昨年、僕の母親が伊豆長岡にある順天堂大学付属静岡病院で大変お世話になり、まさに命拾いをさせていただいただけに、因縁めいたものを感じるしだい。因縁めいた雑談とは、こんな話だ。

昨年夏、母は心筋梗塞のため伊東市民病院に救急車で搬送されて入院した。しかし、僕は3回目の訪問時に、この公的病院で提供された医療サービスの中身に関して甚大な疑問を持ったのでカルテ、看護記録の全文コピーを、個人情報保護法に立脚して請求したのである。その疑問ないしは仮説とは、「主治医がしかるべき検査結果について、医師として適切な判断を下すことを怠った可能性が強い」というものだった。この仮説を検証するためには、カルテと看護記録の閲覧が必要だったのだ。

よって、カルテと看護記録を査読するために、昨年春に医療界で施行されたばかりの「個人情報保護法」に準拠して、伊東市民病院に対してカルテと看護記録の全文コピーと閲覧を請求したのである。

伊東市民病院の医事課長は、僕に対して個人情報保護法にもとずくカルテ、看護記録の開示には患者本人のサインと捺印が必要なので、それらを提出してくれと言ってきた。バカを言うな!意識不明の患者が、サインしてはんこを押せるのか?患者家族の代理を証明するものとして運転免許証を確認するということで、しぶしぶOKがでた。

伊東市民病院の事務長は僕にコピー代、1枚10円を支払ってくれと言ってきた。この病院が作成した個人情報保護遵守に関するガイドラインを説明する文書には「コピー代を請求させていただきます」なんてどこにもかかれていない。よって、却下。コピー代は当然病院側のコスト負担となった。

実はカルテを査読する前の時点で、僕は状況証拠のみで、検査結果を主治医はキチンと読み取ることができずに、重大な判断ミスがあったことを突き止めていた。そのドクターもしぶしぶながらそれを暗黙的に認めた。しかし状況証拠とそれにもとずく会話だけでは客観的なエビデンスにはならない。明示的なハードな証拠としてのカルテと看護記録が必要だったのだ。

また、患者の家族である僕に心筋梗塞に関するいくばくかのクリティカルパスの知識があったので、応戦できたのだ。なにも言わなければ、そしてなにも知らなければ、まず間違いなく100%、ウヤムヤにされていたことだろう。そして、この具体的なケースをベースに、当然の類推として、伊東市民病院では医療過誤として立証できたであろう数多くのケースを、不適切な対応と情報操作でなかったことにしてきたであろうという印象を持ったことも、敢えてここに付記しておかなければならないだろう。

ともあれ、そんな無責任主治医、ダメ病院に母をまかせることは断じてできない。このような経緯で、意識不明に陥っている母を、つてをたどって、順天堂静岡病院からドクターヘリコプターをチャーターしていただき、順天堂静岡病院のCCUに運び込んだのだ。

そして順天堂静岡病院で母は、無意識の状態が経過した約2週間後、山本平医師執刀のもと心臓外科バイパス術を受けた。順天堂静岡病院では、患者の心臓の状態を動的に映した映像をCD-Rに入れて渡してくれた。山本平医師は母のように糖尿病を併発している患者に心臓外科バイパス術を施す場合のリスクを、過去学会で発表された論文を引用して詳しく説明してくれた。インフォームド・コンセントは丁寧、かつ徹底していた。

その後母は何回かクリティカルな状態を克服しながらも回復して退院した。看護部の土屋看護部長以下、看護スタッフによるケアリングも安心、安楽を提供するものであり、看護の立場からのインフォームド・コンセントも確実なものであった。

母親に対して5時間にも及ぶ心臓外科バイパス術を実施していただいた山本平医師は、長岡に赴任する前には御茶ノ水の本院にいて、何人かの師長さんや主任さんが、山本医師のことを問わず語りに語ってくれた。懐かしさ、感謝の気持ちで一杯だ。

昨年夏、静岡県内のこれら2つの医療機関において患者の家族という視点ならびに医療サービスの消費者という赤裸々な参与的な実地体験から学んだもの、得た教訓は大きなものではあった。それやこれやで、患者の家族の立場に身を置くことによって切実にわかった視点を切り口に延々5時間、上記の経緯を含めお話した次第。