みみのアンテナ

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もしかして・・・工作員?

2009-12-17 22:53:40 | Weblog

急に寒くなった。
いやこれが普通の12月、今までが異常気温なのだ。
早、12月も半ば・・・街はクリスマスと正月用品で溢れている。
それにしても寒~

ブログのページを久しぶりに開くと、何と一月以上経っていた。
沢山のブログネタがあったのに・・・

生命保険加入するのに、腹が立ったのにやはり加入を試みた保険の会社の
話し・・・年収を聞く保険会社は始めて!・・・絶対に言わん。

今印象に残っているのは、北九州では「人権週間」の記念イベントで、
拉致被害者家族の、蓮池透さんの、記念講演を聞きに行ったことである。

拉致被害者の蓮池さんのお兄さんである。
弟の薫さん一家が日本に戻ってきて、誰よりも待ち続けたお母さんが
「どうやって、生活したらいいのか」と、ノイローゼ気味になった話しには
いろいろな人がいることに、同じ日本人としてやるせないと思った。

笑っていると「自分の所だけ帰ってきたので、そんなに嬉しいか」
と言われ、愛想のない顔(普通の顔)していると、
「帰ってきたのに、嬉しないのか」
わざわざ、封書で来るときもあった。
普通の生活をしているのに・・・と。

北朝鮮が5人(地村さん夫婦と曽我ひとみさん)に対して、
「日本に里帰りして、墓参りして来い」とは表面上で、密命を帯びていた
そうである。
  ● 日本の騒ぎを沈めて来る
  ● 北朝鮮を褒める
  ● 一番ネックの横田さん夫婦を、平壌に呼んで黙らせる。
が、主な任務だったそうである。

飛行場に降り立った5人が、誰も涙は見せなかったのは、あの国では
まだ、過去を引きずっていると思っていて、警戒を解かないらしい。

薫さんは船に乗せられた時、目隠しされた下の方から、かすかに新潟の
柏崎の町の光が遠くなるのを見たそうである。
3年間は救助を待ったが、それを過ぎてあきらめ、この国で生きて行く為に
監視員がどうしたら喜ぶか、考えて過ごすようになったそうである。
まさか、日本に戻ってこれるとは思わなかった、とも言ったそうで、
あの時は、北はもちろん、日本政府もマスコミも2週間したら、北朝鮮に
戻ると思っていた。

それを、阻止したのはお兄さんの透さんだそうである。
タラップを降りた瞬間、「戻してなるものか」と思い、そのためには
何でもしようと思ったと語られていた。

お兄さんの透さんは、拉致被害者とその家族の為に、
全国を講演しているらしいが、始めの頃講演が終わって会場を出てくると、
4~5人の男に囲まれ「イロイロ言われると自分たちが困る」と、脅された
らしい。多分在日の人ではないだろうかと思う・・・とも。

私はこの講演を知ったとき、早く行かねば座席確保が出来ないのでは?と
思ったので、開場時間を聞いて出かけた。
開場時間を10分過ぎて到着したが、どうにか確保できた。

想像どおり、すぐに満席で立ち見も出て、通路の階段にも座っていた。
ふと私の隣に座っていた、背広の中年男性が自分の黒い鞄の上で、
大学ノートに、蓮池さんの話しを、かなりのピッチで書き留めて
いるのに気づいた。

私は気づかないふりをしながら、様子をチラチラみていた。
マスコミの人も来ていて、カメラが回っていたが、書き留めるくらいなら
録音取ればいいではないの、いらぬおせっかいかも知れないが。

で、蓮池さんの囲まれた話しで、思ったのである。
「この人工作員では?」
席を立つとき観察すると、鞄の留め金・・・ちょっと普通でないよ。
外に出たとき、男性が持っている鞄の留め金を見るが、
まず何の飾りも模様もないものであった。

その人のは、丁度テレビや写真でお目にかかる、旧日本海軍の旗に
朝日が半分昇っているいる模様、別には菊の花を真半分にカットした
(皇室の菊の御紋章に似た)模様が、留め金についていた。

特殊だったので、目についたのだが・・・・
もしかして、工作員ではないか?
蓮池さんの講演内容と、観客の反応等を本国に報告?

想像たくましい私であった。