みみのアンテナ

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エレクトーン奏者の渡辺知子さん

2015-02-23 20:37:41 | 人生

2月9日(月)、その2日前町内の組長さんより、市民センターで渡辺智子さんの演奏がある。

午前中はビデオ視聴があり、飲み物付き、お昼ご飯が出て演奏そしてお抹茶付きで500円なので行きませんか?

何も用事がなかったので、行くことにした。

ビデオは認知症に関連するものだった、途中から見て、途中で携帯に電話が入り、なので内容はよくわからなかったが、

出演者は顔の知れた役者ばかりだった。

お昼は事前にカレーと聞いていたが、ご飯と豚汁煮物漬物だった。

さていよいよメインの演奏!

私が知っている渡辺さんは、小倉の今は消失したデパートの玉屋でよくエレクトーンを弾いていて、曲目当クイズとか

盛んに行っていたのを思い出した。

それがいつの間にか見なくなった。  噂に具合が悪いと聞いていた。

渡辺さんは2人で登場してきた。一人は男性で 「私たちつがいです」 と自己紹介。

のっけから話しは面白い。

98%私が喋ります、残りの2%しかこの人は喋りませんしかも楽器で・・・・・会場は笑々だ!

旦那さんはオカリナとかフルートとかもう一つトローンボーンだったかな?

自分は結婚はしないと思っていた。

彼がプロポーズしたとき、ありきたりに断れば傷つけると思ったので、

「お金もちでないと、それに飛行機買ってくれる人がいいので」

彼はう~んと唸りながら、本物の飛行機は買ってあげられんけど、紙の飛行機なら100位折れるけど・・・・で結婚しました。

そして自分の生い立ちと病気のことは曲の合間に喋る・・・喋る・・・喋る

聞いてみれば小学校も中学校も隣と言える地域だった。

小学校の時、紫斑病になり20歳くらいまで生きるだろうかと言われていた。

体中に紫色の斑点ができて、学校はずーっと休んでいた。

当時は祖母と叔母と母と女ばかりの4人暮らしだった。  祖母はこの頃ガンに侵され余命幾ばくかだった。

「私が死ぬときあんたのその病気も持って行くからね」と言っていたが、おばあちゃんが亡くなったあくる朝、

私の体は綺麗になっていた。ホントの話です。

高校生の時エレクトーンの大会で優勝しグランプリを獲得したことl。

社会人になって・・・・・・・眠い・・・続きは後日

 



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