2月9日(月)、その2日前町内の組長さんより、市民センターで渡辺智子さんの演奏がある。
午前中はビデオ視聴があり、飲み物付き、お昼ご飯が出て演奏そしてお抹茶付きで500円なので行きませんか?
何も用事がなかったので、行くことにした。
ビデオは認知症に関連するものだった、途中から見て、途中で携帯に電話が入り、なので内容はよくわからなかったが、
出演者は顔の知れた役者ばかりだった。
お昼は事前にカレーと聞いていたが、ご飯と豚汁煮物漬物だった。
さていよいよメインの演奏!
私が知っている渡辺さんは、小倉の今は消失したデパートの玉屋でよくエレクトーンを弾いていて、曲目当クイズとか
盛んに行っていたのを思い出した。
それがいつの間にか見なくなった。 噂に具合が悪いと聞いていた。
渡辺さんは2人で登場してきた。一人は男性で 「私たちつがいです」 と自己紹介。
のっけから話しは面白い。
98%私が喋ります、残りの2%しかこの人は喋りませんしかも楽器で・・・・・会場は笑々だ!
旦那さんはオカリナとかフルートとかもう一つトローンボーンだったかな?
自分は結婚はしないと思っていた。
彼がプロポーズしたとき、ありきたりに断れば傷つけると思ったので、
「お金もちでないと、それに飛行機買ってくれる人がいいので」
彼はう~んと唸りながら、本物の飛行機は買ってあげられんけど、紙の飛行機なら100位折れるけど・・・・で結婚しました。
そして自分の生い立ちと病気のことは曲の合間に喋る・・・喋る・・・喋る
聞いてみれば小学校も中学校も隣と言える地域だった。
小学校の時、紫斑病になり20歳くらいまで生きるだろうかと言われていた。
体中に紫色の斑点ができて、学校はずーっと休んでいた。
当時は祖母と叔母と母と女ばかりの4人暮らしだった。 祖母はこの頃ガンに侵され余命幾ばくかだった。
「私が死ぬときあんたのその病気も持って行くからね」と言っていたが、おばあちゃんが亡くなったあくる朝、
私の体は綺麗になっていた。ホントの話です。
高校生の時エレクトーンの大会で優勝しグランプリを獲得したことl。
社会人になって・・・・・・・眠い・・・続きは後日
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