英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

「日本との軍事衝突は避けよ」   中国共産党の最高首脳が一致か

2014年01月23日 15時18分55秒 | 日中関係
  軍識曰く、「時に応じて従と剛を使い分ければ、その国いよいよ光(栄)り、弱と強を使い分ければ、その国ますます強くなる。逆に、純ら(あくまで)柔と弱にこだわれば、その国は必ず衰え、剛と強だけをめざせば、その国必ず亡ぶ」。中国の古典軍法書「三略」の中の「上略」の一節である。
 まさに中国共産党政府の外交政策そのものではないかと思われ、「弱と強」を使い分けている。黒田官兵衛(如水)なら「敵ながらあっぱれ」と褒めるだろう。
 中国共産党は昨年10月下旬、党中央政治局常務委員会を開いた、と日本の英字メディアは伝えている。7人の共産党最高幹部から構成され、習近平総書記が主宰したという。この2日間の秘密会には、党の上級幹部や軍幹部も同席し、30カ国の近隣諸国に駐在する中国大使や国営企業の幹部も参加した。
 関係筋(匿名)の話によれば、この秘密会で、最高幹部7人は中国が日本との軍事衝突を避けることを決定した。そして米国にいかなる介入の口実を与えない、米国の介入阻止に合意したという。言うまでもなく、尖閣諸島をめぐる日中の領土紛争を指す。
 この会議で、共産党の最高幹部はコンセンサスを形成した。このコンセンサスを反映してか、安倍晋三首相の靖国参拝(昨年12月26日)への中国政府の抗議はそれほど激しくなく、同政府は若者の抗議行動を抑え込んだ。このことは、中国政府の日本や米国に対する基本政策を反映しているのだろう。
 「中国は日本と戦う意思を持たない。日本は中国とあえて戦う勇気を持ち合わせていない。米国の尖閣問題介入を阻止する。中国がまあまあの経済繁栄を2020年までに達成するには、安定した平和環境が不可欠である」。コンセンサスの概要である。習近平政権は、当面の政策を実現するためには平和な環境が絶対条件だと考えているようだ。ただ、中国政府は基本政策をあくまで極秘にする。最大の理由は日本に悟られないようにすることだという。
 「中国政府と軍部は日本との偶発的な衝突を欲してはいない。ただ、尖閣諸島問題でいかなる妥協もする計画はない」。この前提に立って、中国は昨年11月23日、日本が実質的に統治している尖閣諸島上空に排他的な防空識別圏を敷いた。軍事衝突を欲しないにもかかわらず、尖閣上空に自国の防空識別圏を設定した中国の政策は一見矛盾したかに見える。日本も軍事衝突を欲していないことを、中国は理解しているため、「強」と「柔」を使い分けながら、相手の反応を観察しているように思える。
 日米は中国の新領空識別圏設定を批判する。日本は中国の防空識別圏を無視して軍用機を飛ばし、日本民間機の中国への領空飛行計画についての事前報告を認めない措置を執った。一歩も「妥協しない姿勢」を中国に見せている。
 日本との軍事衝突を欲しない中国は防空識別圏に侵入した日本軍用機に対して強硬な手段に訴えなかった。「不必要な安全リスクを避けよ。挑発的な行動を避けよ」ということだろう。そして日本の出方を探っている。
 一方、中国は海警局の船舶を尖閣諸島に派遣し、接続水域を航行、ときには領海侵犯をしている。これでもかこれでもか、と執拗な侵犯をしている。中国政府は、尖閣諸島水域での日本艦船とのトラブルが衝突に発展する危険が低いことを知っているからだ。
 英字紙は、尖閣諸島をめぐる中国の日本に対する「強」と「柔」の複雑な動きをこう解釈する。中国国内に対して、政府は日本に妥協しないという明確なメッセージを伝え、海外に対して、尖閣諸島紛争問題は存在しているとアピールするためのものだと。一方、米国は尖閣諸島の主権に対して明確な立場を明らかにしていない。ただ、現在、日本が統治していることを認めている。
 中国は、尖閣諸島をめぐる軍事衝突を避けながらも、米国の言動を巧みに利用して米国を揺さぶっている。安倍首相の靖国参拝に対して米国政府が「失望した」と表明すると、この言葉を巧みに利用しながら米国を揺さぶっている。中国の国益のために、日米同盟を弱体化させるのが中国の長期的な政策と思われる。
 23日付(今日)の朝日新聞朝刊にケネディー大使のインタビュー記事が掲載された。この中で目を引いたのは「『失望した』という異例の談話を発表したが、それは参拝したことに対するものではなく、あくまで『地域の緊張を高めたこと』に対する不満の表明だった」というくだりだ。
 朝日新聞によれば、中国政府は、米国の「失望」談話を受けて、「談話は良かった。米国政府はもっと日本に言うべきだ」と外交チャネルを通じて言ってきたという。また「米国が日本をコントロールできなければ、中米間のさまざまな課題をめぐる協力が影響を受ける」と話し、暗に北朝鮮やイランをめぐる協力を見直すことまで示唆したという。さらに世界各国に駐在する中国の大使が、日本批判論を現地の新聞に投稿する例が相次いでいる。
 中国は武力以外のあらゆる手段を使って心理戦を展開している。これに対して米国は「日本は同盟国だ」と突っぱねているが、内心は日本に対しても「あれだけ(靖国神社)行かないで欲しいと言ったのに」という不満が漏れている。
 米国は、国力が増大する中国に対して警戒しながらも、アジア・太平洋における中国の経済的、軍事的台頭を認める。米国はアングロサクソン人の伝統である現実主義からそうしているのは確かだ。そして中国が法統治の伝統がない国であることも知っている。冷厳な現実の世界を射るような目で観察している。中国も同じように米国を冷徹に観察している。ただ日本は違う。どうしても観念や理念が先行する。観察眼が弱い。このため、日本はオバマ政権の軸足がどこにあるのか不安なのだ。
 日本政府は、中国が最近主張する「新型大国関係」を受け入れる姿勢を示している米国の動きに神経をとがらせる。不安を募らせる。そうだろう。多くの日本人がもっと現実を重視していれば、米国の本心も理解できるのだが。米国は国際秩序の変貌を意識している。「歴史」の変化を意識している。この新しい変化に対応してアジアと太平洋の平和を維持するにはどうしたらよいか、を考えている。それを達成するには日本なくしてはできないことも理解している。ASEAN諸国をも味方につけて、ロシアとも友好関係を維持し、かつ中国とはつかず離れずの状態を維持したいとも願っている。
 中国はどうか。中国人もわれわれが舌を巻くほど現実的な国民だ。中国共産党にはもはや共産党理論という看板はどこにもない。中国5000年の伝統に共産党理論は飲み込まれた。乱暴だが中国の伝統は「法の統治がない一君万民」「常識を礎とした権謀術数」だと思う。最初に書いた「三略」そのままに、尖閣諸島問題など中国の対外政策について「戦わずして勝利」することを最高の目標にしている。
 米国は中国の戦略を熟知している。中国人の複雑な、機知にとんだ戦略を知っている。しかし、安倍首相は米中に言う。「胸襟を開けば、日本の言い分は理解してもらえる」。そう望みたいが、それは日本人の間だけで通じることだ。
 「ケネディー大使は提起する『歴史問題の和解による解決』が、日米中韓の各国間に横たわるさまざまな問題を鎮静化する『万能薬』と言える」。朝日新聞はこう述べている。この新聞の編集者も日本人らしい”善良な心”で満ちている。しかし中国政府は「歴史問題」を外交戦略の一環として、過去も現在も未来も利用するだろう。「歴史」を客観的な姿勢で考えることは今のところない。この問題が「万能薬」になることはないだろう。
 われわれは冷厳な現実を見つめ、分析、観察し、感情や理念で行動してはならない。1月19日のNHK 大河ドラマ「黒田官兵衛」で、竜雷太さん役の官兵衛の祖父が、初恋の人を殺され怒りにまかせて隣国を攻め滅ぼせと言った官兵衛を叱責していた。これは演出家の脚色ではあるが、ものの心理をついている
 筆者は安倍首相に言いたい。個人の理念や信念、選挙公約に縛られて、再び靖国参拝を強行してはならない。それは国益に反する行為だと肝に銘じてもらいたい。参拝しないことは中国に屈することではない。それは現在の冷たい国際環境を計算した賢者の行動である。 
 中国人は現在、米国におおっぴらに対抗していない。表面的には米国との良好な関係を求めている。中国政府は中国の総合国力が米国にいまだ追いついていないことを熟知しているからだ。戦前の日米国力比が1対20だったように、中米比は1対10以上あるだろう。
 理念的で精神的な日本人は日米国力比1対20でも太平洋戦争を始めた。日中戦争で、蒋介石の中国政府は日本軍が中国軍より圧倒的に優っていることを熟知していた。だからこそ、広大な中国大陸を利用して退却し続け、敵(日本)の国力の消耗を待ったのだ。
 常識的な中国人は、米国が優っているうちは戦わないだろう。それに核戦争がもはやトータルウォーを不可能にしていることも中国政府の指導者は理解しているはずだ。理解していなくても、好むと好まずとにかかわらず、そのことを知るだろう。全面核戦争はできない。局地戦争の犠牲は大きすぎる。戦わず勝つことが戦略の本義なり、と中国の為政者は考えているだろう。
 話しがそれるが、先日の平田被告の裁判で、オウム真理教の幹部の中川死刑囚が仮谷清志さん(当時68歳)監禁致死事件(1995年2~3月)について証言し「事件をやめていれば良かった」と後悔の念をにじませた(毎日新聞)。
 オウムの数々の凶悪事件についても中川死刑囚はそう思ったにちがいない。一人のまじめな医学生が、麻原と言う言葉巧みな男の説教にはまっていった。ほかの「まじめな」学生あがりの幹部も同じ心理だっただろう。もっと冷静に観察眼を持ち、麻原の“理念”や“理想”の”素晴らしさ”に惑わさなければ、現在ごく平凡な生活を送っていたにちがいない。
 日本人は美辞麗句に弱い。「表面上の素晴らしさに酔う」傾向がある。「苦労してやり遂げた人」「一番になった人」「人格者」に必要以上に惚れる傾向がある。絶対的な賢者に祭り上げてしまう。どんな立派な人間でも「弱点」「欠点」は存在する。何の思い入れもなく、虚心坦懐に対象物を観察してこそ、実像が浮かび上がる。懐疑の心を持つことも必要だ。「疑うこと」は決して悪いことではない。中世のフランスの哲学者、ルネ・デカルトは懐疑を通して「われ思う、故に我あり」と後世の人々に述べ、「懐疑」「思考」の大切さを説いている。そして鋭い観察眼を養うことだ。
 現実を観察し、その時に一番良いと思われることを実行する。それが理想とかけ離れていても、現実には良策である。幕末の徳川幕府の知恵袋で名臣、勝海舟はこう言っている。「現実と理想はいつもかけ離れている。現実の中から良策が生まれるのだ。理想から生まれるどころか、理想を実行することで、さらに状況悪化を招く」。また「時」が変化すれば、「約束をたがえた」などと言わないで、その現実を受け入れる勇気も必要だ。 なぜ?時は止まることはない。絶えず変化するのだ。
 中韓とはあくまで現実に即した付き合いでなければならない。中韓の「思い入れの政策や言動」や、中国の一挙手一投足に怒らないことだ。中国人は計算づくでわれわれが怒るようなことを仕掛け、われわれの出方を観察しているのだから・・・。中国人や韓国人への偏見を持たない姿勢、思い込みの態度を持たないことが一番大切なことだと思う。
 私見だが、中国人は、日本人や韓国人より、少なくとも指導者にかぎって観察すれば、冷徹な現実主義者である。日本人や韓国人は感情的、感傷的だ。失礼な言い方をすれば、韓国人や韓国の指導者のほうが、この傾向が日本人より強いように思う。それは政治、外交という現実的なアプローチを必要としなければならない分野において百害あって一利なしである。