筆者の友人に演劇関係者がいる。彼と最近飲んだ。彼は「兵庫県知事の井戸さんは芸術振興に理解があるが、大阪市長の橋下さんは理解がない。すべて功利的にしか考えていない」と言っていた。
確かに、神戸に行くと、博物館や劇場、兵庫県立美術館があり、文化の香りがする。これに対して、大阪は商業の街だ。筆者は芸術や芸能に疎い。ただ、伝統芸能は子々孫々まで守っていかなければならないと思う。
橋下市長は、文楽協会が市の補助金3900万円の満額支給の基準となる国立文楽劇場の有料入場者10万5000人を達成できなかったことについて、「よく頑張って10万人を超えたが、目標設定なので、残念だが減額だ」と述べた。しかしその後の文楽協会や技芸員らとの話し合いで、現代に適した演目を考え、採算を考えていく改革の意思を確認したとして、来年度の補助金カットを撤回した。
橋下大阪市長は協会や技芸員との話し合いで、協会にも「技芸員の思いを事業化させてほしい」とマネジメント強化を要望。観客が増えれば協会の収入が増える仕組みも求めた。
この発言に対して、あるブロガーはこう述べている。「橋下市長は『オレ様好みでない文化・芸術は存在価値なし』という意味の事を公言しているのですか。ナチスのビルダーシュトゥルム(敗退芸術排斥運動)を思い起こさせる言葉ですね。(ナチス・ドイツの独裁者)ヒトラーも自分の好みに合わない芸術を排除しましたね。シャガールやカンディンスキーなどはヒトラーから言わせれば芸術ではなかったようです。近・現代芸術は文化や表現の『多様性』が重要になっているのだと思います。ちょうど近代民主主義の根本にある思想が『個々人、ひとり一人の多様性の肯定』をするのと繋がっているのではないでしょうか。そもそも独裁的な思考回路の人間には「多様性の肯定」というものが存在しないのでしょう。・・・いまでは上から下まで「カネ・カネ・カネ」になってしまったようです。いったい、この国は、どこでどう間違えてしまったのでしょうか」
これに対して、ノンフィクション作家で、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した上原善広さんは自らのブログで「ぼくは基本的に、伝統芸能は庇護すべきという立場ですが、やはり変革が必要なときもあると思っています。ですから今回の騒動も、長い文楽の歴史からすると、そうたいしたことではありません。ただ演者たちや上演形態を見直す時期にきているのは確かだと思いますと述べている。
筆者は日本人一人一人が伝統芸能を温かく見守っていくべきだと思う。しかし、庇護だけにあぐらをかいていてもいけない。時代の変化の中で、庶民に愛されるために演目を工夫することも必要だ。現代に合った演目を創作している歌舞伎に見習うべきだ。そして古典に対しても伝承していく姿勢が必要だ。
利益に走らず。かと言って、守りにばかりに徹してはいつかは衰退して滅びる。これは文楽だけではないと思う。何事にも当てはまる。利益と振興、古典の守護をどう調和させるかは今後の課題だろう。橋下市長の上演形態を見直す提案には賛成だが、それが採算に直結することだけに頭がいくと、それも間違いだろう。なかなか難しい問題だが、文化は人間の心に潤いを与える。筆者はクラッシック音楽、ラテン・タンゴや映画音楽は大好き。疲れた時にコーヒーをすすりながら聞くのは格別。芸術は白黒の問題ではない。資金と折り合いながらも、われわれは後世に残していく義務があると思う。
確かに、神戸に行くと、博物館や劇場、兵庫県立美術館があり、文化の香りがする。これに対して、大阪は商業の街だ。筆者は芸術や芸能に疎い。ただ、伝統芸能は子々孫々まで守っていかなければならないと思う。
橋下市長は、文楽協会が市の補助金3900万円の満額支給の基準となる国立文楽劇場の有料入場者10万5000人を達成できなかったことについて、「よく頑張って10万人を超えたが、目標設定なので、残念だが減額だ」と述べた。しかしその後の文楽協会や技芸員らとの話し合いで、現代に適した演目を考え、採算を考えていく改革の意思を確認したとして、来年度の補助金カットを撤回した。
橋下大阪市長は協会や技芸員との話し合いで、協会にも「技芸員の思いを事業化させてほしい」とマネジメント強化を要望。観客が増えれば協会の収入が増える仕組みも求めた。
この発言に対して、あるブロガーはこう述べている。「橋下市長は『オレ様好みでない文化・芸術は存在価値なし』という意味の事を公言しているのですか。ナチスのビルダーシュトゥルム(敗退芸術排斥運動)を思い起こさせる言葉ですね。(ナチス・ドイツの独裁者)ヒトラーも自分の好みに合わない芸術を排除しましたね。シャガールやカンディンスキーなどはヒトラーから言わせれば芸術ではなかったようです。近・現代芸術は文化や表現の『多様性』が重要になっているのだと思います。ちょうど近代民主主義の根本にある思想が『個々人、ひとり一人の多様性の肯定』をするのと繋がっているのではないでしょうか。そもそも独裁的な思考回路の人間には「多様性の肯定」というものが存在しないのでしょう。・・・いまでは上から下まで「カネ・カネ・カネ」になってしまったようです。いったい、この国は、どこでどう間違えてしまったのでしょうか」
これに対して、ノンフィクション作家で、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した上原善広さんは自らのブログで「ぼくは基本的に、伝統芸能は庇護すべきという立場ですが、やはり変革が必要なときもあると思っています。ですから今回の騒動も、長い文楽の歴史からすると、そうたいしたことではありません。ただ演者たちや上演形態を見直す時期にきているのは確かだと思いますと述べている。
筆者は日本人一人一人が伝統芸能を温かく見守っていくべきだと思う。しかし、庇護だけにあぐらをかいていてもいけない。時代の変化の中で、庶民に愛されるために演目を工夫することも必要だ。現代に合った演目を創作している歌舞伎に見習うべきだ。そして古典に対しても伝承していく姿勢が必要だ。
利益に走らず。かと言って、守りにばかりに徹してはいつかは衰退して滅びる。これは文楽だけではないと思う。何事にも当てはまる。利益と振興、古典の守護をどう調和させるかは今後の課題だろう。橋下市長の上演形態を見直す提案には賛成だが、それが採算に直結することだけに頭がいくと、それも間違いだろう。なかなか難しい問題だが、文化は人間の心に潤いを与える。筆者はクラッシック音楽、ラテン・タンゴや映画音楽は大好き。疲れた時にコーヒーをすすりながら聞くのは格別。芸術は白黒の問題ではない。資金と折り合いながらも、われわれは後世に残していく義務があると思う。