翌日は於茂登岳に続いて、北側の野底岳(282.4m)に登りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/6a/3c765b02c10cf4a4ce02f91e0819ac2f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/d9/720ed05275bc2a184b3dabb152cb211a.jpg)
登山口(9:38) 西浜川と林道の交点が登山口
「マーペー」は伝説の娘の名前、野底岳はヌスクマーペーともいいます。
「マーペー」は伝説の娘の名前、野底岳はヌスクマーペーともいいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/9a/a33ff12984e0dbf3ab5bdf7160a6c2f2.jpg)
8合目あたりの林道からの三叉路(10:29)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/f2/23cbd60ace8ff4e44574976f010be7e5.jpg)
山頂手前にある「伝説ヌスクマーペー 」の悲話
”昔琉球王国時代役人が国王の命として人々を一人残さず強制移住させる「道
切りの法」という制度があった。 当時黒島の宮里村のカニムイとマーペーは
恋仲であったが道切りの法により享保七年(1732)に建立された新村野底村
へマーペーは強制移住させられた。 毎日カニムイの事を思い泣きもだえてい
たマーペーは近くの高い山に登ってふる里を見ようとしていたがオモト山が立ち
はだかり何も見えなかった。 幾日もなげき悲しんだマーペーは頂上で祈る
姿で石となった。 その後人々はマーペーをあわれみこの山を野底マーペーと
よぶようになった。 八重山歴史家 牧野清 山水会”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/68/d86b071bf98d5766a8cd58b1af90a03f.jpg)
頂上の巨岩、その上に登るには少し緊張しました。(10:47~11:06)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/3a/1a50942d2d6701ab46d004e0d558c5b0.jpg)
山頂はさえぎる物がない岩峰なので、360度の展望を楽しみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/91/dd6d8f175d2fef11cbe6b073411236df.jpg)
昨日登った於茂登岳のズーム、左の電波塔のあるなだらかな山がそれです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/3c/592a05050eefb7c7976ead5ddb47986e.jpg)
下山後サトウキビ畑から振り返りました。(12:12)
マッターホルンのひ孫といったとこでしょうか?
マッターホルンのひ孫といったとこでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/07/a88c409b303c876d514d03d38786cf28.jpg)
下山後北上して、石垣島最北端の平久保崎灯台に行ってきました。
サンゴ礁の浅瀬のエメラルドグリーンがきれいでした。
サンゴ礁の浅瀬のエメラルドグリーンがきれいでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/66/a5d2f8b26291b89b8fedfe3b027bbe78.jpg)
川平(カピラ)湾にも寄ってきました。
奥の山に野底岳の先っぽが見えます。ここは川平真珠の生産地です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます