陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

アリス・マンロー「局面」 その1.

2012-11-28 23:35:54 | 翻訳
昨日書いたアリス・マンローの短編"Dimension" がオンラインで読めたので、ここで訳していきます。
とりあえず、タイトルは「局面」としておきますが、のちのち変わるかもしれません(笑)。
一週間ぐらいかな。まとめて読みたい人はそのころにどうぞ。
原文はこちら。

http://www.newyorker.com/archive/2006/06/05/060605fi_fiction

* * *


Dimension (「局面」)
by Alice Munro



 ドーリーは三台、バスを乗り換えなければならなかった。一台目でキンカーディンへ、そこでロンドン(※ここではカナダ オンタリオ州のロンドン)行きの二台目を待ち、そこでさらに施設行きの市営バスを待つ。日曜日の朝九時に、ドーリーは移動を開始した。というのも、バスとバスの間の待ち時間もあるせいで、160㎞あまりの行程は、二時くらいまでかかる。そのあいだ、バスの中でもバス停でもずっとすわっているのも、ドーリーにとってはたいしたことではなかった。毎日の仕事が腰かけてできるようなものではなかったのだ。

  彼女はコンフォート・インの部屋係のメイドだった。浴室を洗い、ベッドシーツを引きはがしては、整える。絨毯に掃除機をかけ、鏡を磨いた。その仕事が気に入っていた――頭の中の一部は仕事のことでふさいでおけるし、疲労困憊するおかげで夜は眠ることもできる。ドーリーはそこまでひどい散らかりっぷりにでくわしたことはなかったけれど、一緒に働いている女たちの中には、うんざりするような話を聞かせてくれる者もいた。そうした女たちは年長者ばかりで、みんなドーリーならもっといい仕事をやってみればいいのに、と思っているようだった。机に向かってできるような仕事の訓練を受けるといいよ、あんたがまだ若くて、見栄えのいいうちにね、と言うのだ。けれどもドーリーは自分のやっている仕事で十分だった。人と話さなくていいから。

 一緒に働いている人はだれも、起こったことを知らなかった。仮に知っていたとしても、そうしたそぶりは見せなかった。彼女の写真は新聞に載ったことがある――新聞社は彼が撮った彼女と三人の子供(腕の中には生まれたばかりのディミトリ、両側にはバーバラ・アンとサーシャがいて、カメラを見つめている)を使ったのだ。そのときのドーリーの髪は長くやわらかに波打ち、茶色だった。巻き毛も色も生まれつきで、彼がそれを好んだのだ。内気そうな、穏和な表情を浮かべている――ありのままのドーリーを映し出しているというより、彼が求めていたドーリーだった。

 あのこと以来、髪は切りつめて脱色し、逆立たせていたし、体重もずいぶん減っていた。しかもいまでは名字のフレアで通している。おまけに見つけてもらった仕事は、かつて暮らしていた場所からはずいぶん離れた街にあった。

 そこに出かけるのはこれで三回目だ。最初の二回は、彼が会おうとしなかった。もし、もう一度拒否されれば、行くのはよそう、と思っていた。もし会ってくれたとしても、しばらくは行かないかもしれない。どうしても会いたいわけではないのだ。自分でもどうしたいのか、よくわからない。

 最初のバスでは、それほどわずらわしいことはなかった。乗ったまま、景色を眺めるだけでいい。ドーリーは海辺で大きくなったが、そこでは春という季節があった。だが、ここでは冬が春を飛び越して、いきなり夏になってしまう。ひと月前は雪がのこっていたのに、いまでは腕をすっかり出せるほど暑くなってしまっている。野原のあちこちにある水たまりがキラキラと反射し、剥きだしになった枝を透かして陽の光があふれていた。

 二台目のバスとなると、ドーリーはひどく緊張してくる。周りにいる女たちの中で、誰が自分と同じところへ行こうとしているのだろう、と考えずにはいられない。ひとりでいる女だ。たいてい、いくぶん気を遣った、自分を教会へ行くとでも思わせるような装いをしている。年かさの女なら、戒律の厳しい、昔ながらの教会の信者のように、スカートにストッキング、それに帽子といった外見だ。一方、若い女なら、もっと活気のある信徒団に属しているような、パンツスーツや派手な色合いのスカーフにイヤリング、髪をふくらませて結っている。よくよく見れば、パンツスーツを着た女の何人かは、年配のグループと同じくらいの年ごろだった。

 ドーリーはどちらのカテゴリーにも属していなかった。まるまる一年と半年、働いてきたけれど、自分のために新しい服の一枚も買ったことがなかった。仕事場では制服を着ていたし、ほかのときはどこでもジーンズで通したのだ。かつては彼が許してくれなかったから、お化粧もやめていたが、しようと思えばできるいまになっても、しようとは思わなかった。逆立てた金髪の髪に、すっぴんのやせこけた顔は似つかわしくはなかったが、そんなことはどうでもよかった。


(この項続く)