大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

木曽路十五宿街道めぐり (其の十五) 道の駅大桑~野尻宿

2015年08月19日 12時33分55秒 | 木曽路十五宿街道めぐり
昨日はJR中央本線の倉本駅から歩きはじめ、途中、39番目の静かな須原宿に立ち寄り、長閑な田園風景を眺めながら、ここ道の駅・大桑までの10.9キロを踏破しました。

第一日目の道筋は比較的平坦ではあったのですが、やはり木曽路、木曽谷というくらいで処々にそれほど体には負担は感じない程度の起伏が若干ありました。

昨日の行程で私たちは須原宿の手前で19号線と分かれ、田舎道を辿り大桑駅までを通過して、再び19号線に合流し、木曽川が間近に流れる場所へとやってきました。
そんな場所に置かれているのが、「道の駅・大桑」です。

ここからまずは40番目の宿場である「野尻宿」を目指しますが、道の駅を出ると次のトイレはここから2キロ先のJR中央本線の野尻駅までありません。

本日の行程は次の宿場である野尻を抜けて、JRの十二兼駅前、そして41番目の三留野宿を経て、南木曽へといたります。
南木曽を抜けるといよいよ本日の終着地点である「妻籠宿」への峠越えが待っています。

旅の前半の行程は比較的平坦な道筋を辿って行きますが、南木曽以降はややキツイ上り坂の行程で、妻籠宿近くでやっと緩やかな下りへと変ります。

そして木曽川の流れを眺められるのは南木曽までで、その後は妻籠へとつづく山間へと入り、妻籠宿に入ると木曽川の支流である「蘭川」が待っています。
さあ!それでは出立とまいりましょう。



道の駅・大桑から300mほどで19号線から分岐して、旧街道は右手にのびる小路へと入って行きます。分岐してから500mほどのところにJR中央本線の第11中山道踏切が現れます。
この踏切を渡り、しばらく線路に沿って進んで行きます。



JR中央本線の第11中山道踏切を渡ると小さな林集落が現れます。あっという間に通り過ぎてしまうほどの小さな集落です。そして次の踏切を渡ると41番目の宿場町である「野尻」の東木戸にはもう目と鼻の先です。

踏切を渡り、道なりに進んで行くと、街道の右手先にレンガ造りの洋風建築が見えてきます。
旧街道はレンガ造りの建物の手前を左へ折れ曲がりつづいています。



そんな曲りの角に「野尻宿」の石柱が1本置かれています。緩やかな坂を上っていくと、すぐに街道は右手に折れ曲がります。



このように野尻宿はいたるところに曲がりを持つ宿場町で、その曲りに沿って家並みがつづいています。
中山道以外の街道の宿場町でもこのように曲がり(桝形を含む)を持つ宿場はあるのですが、ここ野尻はかなりくねくねと曲がりを付けています。曲がりをつけるということは先を見通せないことで、外部からの敵の侵入を容易にさせない理由があります。

天保14年(1843)の記録によれば、野尻宿は東西六町三尺(約655m)の宿内の距離を持ち、人口は986人、家の数は108軒、本陣1、脇本陣1、そして旅籠が19軒あったと記されています。規模としては中規模かな。

宿内は江戸の方向から上町、中町(本町)、横町、荒田(新田)と4町が並んでいました。宿内の地形は本町と横町が底部に位置しており、宿の出入口に近い上町と新田が坂道で、更に道筋をくねくね曲げているため、人の出入りが簡単にできないような造りになっていました。

現在でもその曲りにそって家並みが続き、宿内には車も乗りいれてくるのですが、ここまでくねくねしているとスピードも出せず、走りにくいので車の往来はそれほど多くありません。
そして宿の東と西に「はずれ」という屋号を持つ家がありました。尚、この野尻宿も木曽路の他の宿場と同様、明治27年の大火で宿場が全焼したため、今残っている古そうな建物でも明治の大火以降のものです。

野尻宿の印象ですが、古い宿場町であるにもかかわらず、特段見るべきものがありません。史跡といってもほとんどなく、わずかにその痕跡を残す「跡」にも詳しい説明書きはありません。したがって、当宿の見どころ?は宿内の「曲がり」だけかな、といった印象です。



さあ!宿内を辿っていきましょう。宿は国道19号と木曽川に挟まれた段丘の上に設けられ、現在はJR中央本線が旧街道に沿って走っています。宿は街道整備が始まる年である慶長6年(1601)に成立した古い宿場町です。

前述のように明治の大火で宿が全焼し、その後に建てられた家並みが残っています。処々に出桁造りの家が現れ、かろうじて宿場らしい風情を漂わせています。道筋は曲りを加えて、緩やかにカーブしていきます。

野尻宿家並

常夜燈の立つところで道筋は大きく右手へと曲がります。その先の左手に「明治天皇御小休所碑」が置かれています。そしてここに野尻宿の本陣が置かれていた場所です。
近接して街道の右側に脇本陣跡の案内が置かれています。
徐々にJR野尻駅に近づいてきます。駅は街道から右手に少し入ったところにあります。
駅前といってもほんの僅かな商店がならぶだけで、何処の宿場と同じような駅前の佇まいを見せています。

野尻宿家並

明治天皇御小休所碑を過ぎると、街道左側に比較的大きな古そうな建物が見えてきます。
かつて旅籠を営んでいた「庭田屋」です。この建物を見る限り、かつての宿場の雰囲気を若干なりとも感じます。

庭田屋

そして郵便局を過ぎてすぐに四辻にさしかかります。ここの辻を左へ曲がる道筋が「与川道」と呼ばれていました。この道筋はここから「根の上峠」を越えて三留野宿へと至っています。
実はこの道筋も中山道でルートの一つです。

野尻宿と三留野宿の間は街道時代には木曽川の断崖絶壁を辿る難所だったのです。そこでこれを避けるために享保年間(1716-1736)に与川道という迂回路が造られたのです。私たちは今回は与川道を辿らず、三留野へと進みます。
そんな街道の西のはずれに、その屋号も「はずれ」と記された家が残っています。

はずれ

さあ!野尻宿の西のはずれにきてしまいました。それでは野尻宿を後にして、次の宿場・三留野へ向かうことにしましょう。二反田橋を渡ると宿を出てしまいます。

木曽路十五宿街道めぐり(其の一)塩尻~洗馬
木曽路十五宿街道めぐり(其の二)洗馬~本山
木曽路十五宿街道めぐり(其の三)本山~日出塩駅
木曽路十五宿街道めぐり(其の四)日出塩駅~贄川(にえかわ)
木曽路十五宿街道めぐり(其の五)贄川~漆の里「平沢」
木曽路十五宿街道めぐり(其の六)漆の里「平沢」~奈良井
木曽路十五宿街道めぐり(其の七)奈良井~鳥居峠~藪原
木曽路十五宿街道めぐり(其の八)藪原~宮ノ越
木曽路十五宿街道めぐり(其の九)宮ノ越~木曽福島
木曽路十五宿街道めぐり(其の十)木曽福島~上松
木曽路十五宿街道めぐり(其の十一)上松~寝覚の床
木曽路十五宿街道めぐり(其の十二)寝覚の床~倉本駅
木曽路十五宿街道めぐり(其の十三)倉本駅前~須原宿
木曽路十五宿街道めぐり(其の十四)須原宿~道の駅・大桑
木曽路十五宿街道めぐり(其の十六)野尻宿~三留野宿~南木曽
木曽路十五宿街道めぐり(其の十七)南木曽~妻籠峠~妻籠宿
木曽路十五宿街道めぐり(其の十八)妻籠宿~馬籠峠~馬籠宿
木曽路十五宿街道めぐり(其の十九)馬籠宿~落合宿の東木戸
木曽路十五宿街道めぐり(其の二十)落合宿の東木戸~中津川宿



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