大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

遠州 今切の渡と新居宿の関所

2014年07月08日 09時58分27秒 | 地方の歴史散策・静岡県新居
東海道五十三次の旅は2014年6月に遠州・新居宿にたどりつきました。
この日、浜名湖のJR弁天島を出立して、お江戸から数えて31番目の宿場町である「新居」へと向かうことにしました。

雲一つない梅雨の晴れ間が私たちを迎えてくれました。弁天島の駅はちょうど浜名湖が遠州灘と交わる水辺につくられた小さな駅です。私の人生の中でこれまで一度も使ったことがない駅です。
そもそも浜名湖に来たことがないのですから当然のことなのですが、駅を降り立つと若干ながら潮風を肌に感じます。

さあ!ここから対岸というのか、浜名湖を渡って新居へと歩いていきます。

駅前には真新しいリゾートホテルがドーンと聳えています。



駅を出発してものの数百メートルで、浜名湖に架けられた橋が現れます。
「中浜名橋」と名付けられた橋なのですが、なんと歩行者専用の橋が国道1号に寄り添うように架けられています。

この辺りはちょうど浜名湖の水が遠州灘に注ぎ込み、併せて遠州灘の海水が浜名湖に流れ込む場所にようで、水の流れはかなり急です。橋上から水面を見ると、小さな渦がいたるところに巻いています。

そして歩行者専用の橋の右側はJR東海道本線と東海道新幹線の橋が並行して走っています。



新幹線に乗ってこのあたりを通過するときに、車窓から眺めていた場所を今歩いていると思うと不思議な気持ちになります。

中浜名橋を渡りきると、再び国道一号と合流します。合流してから1キロ弱進むと、再び浜名湖を渡る「西浜名橋」にさしかかります。
この「西浜名橋」を渡りると、街道から浜名湖を見ることができません。やや単調な道筋を歩き、弁天島駅からおよそ3キロ地点にJR新居駅の駅舎が現れます。

いよいよ新居宿に到着です。駅舎を過ぎて新居宿の入口辺りにさしかかると、「ようこそ関所と湖の町・湖西市へ」と書かれた大きな看板が私たちを迎えてくれます。



新居宿の入口、すなわち東木戸(江戸の方向に置かれた見附のこと)はないのです。実は江戸時代には舞坂宿からここ新居宿にくるには、否応なしに海上1里をつなぐ今切の渡しを利用しなければならなかったのです。ですから陸路で新居宿に入る方法はなかったのです。

それでは宿の入口はというと、ここ新居宿に置かれた「新居の関所」に隣接した場所に船着き場があり、船を下りると即、関所だったため、この関所が東側の木戸の役割を担っていたわけです。

今切の渡しがない平成の世の中ですので、陸路で新居の宿場へと向かいます。新居の宿場に入る手前に浜名湖の水が遠州灘に流れ込む小さな運河があり、その運河に架けられた「はまな橋」を渡ると、新居の町のメインストリートへと入ってきます。

道筋には街道の宿場を思わせるような、昔風の造りをした商家が姿を現します。なんと消防団の建物も「櫓」風の装いです。新居の関所との景観にむりやり合わせようとしているかのようです。



消防団の「櫓」を過ぎると、街道の右手に比較的大きな広場が現れます。ここがあの有名な「新居の関所」なのですが、その敷地にかつて今切の渡しの舟が付いた波止場跡が復元整備されています。



確かに新居側の船着場は関所に隣接しています。そうであればここが宿場の木戸になりうるわけです。

それでは新井の関所で取り調べを受けることにしましょう。

街道沿いの広い敷地に関所の建物が残っています。



箱根の関所とは趣が異なります。

新居関所は、正式には今切関所といって、慶長5年(1600)に設置されました。創設当初は浜名湖に近い、現在の「大元屋敷」(「JR新居駅周辺」の項参照)と呼ばれる場所にありました。しかし地震や津波などの災害で移転をしいられ、中屋敷(「JR新居駅周辺」の項参照)を経て現在地は3度目の場所です。
そしてこの関所の建物は全国で唯一現存するものです。



関所の建物の中には現存する面番所(めんばんしょ)・書院・下改勝手(したあらためかって)・足軽勝手のほか船会所(ふなかいしょ)・女改長屋・土蔵などがあります。



関所の建物に隣接して「資料館」が併設されています。



ここ新居宿内も他の宿場町と同様にあまり古さを感じないのです。古い家並みが並ぶ宿場町を予想していたのですが、見事に裏切られました。

とはいえ、新居宿のランドマークである「関所」は当時の様子を今に伝え、ほんの少し旅人の気分を味わえます。



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