大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

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深まりゆく秋の宮島・厳島神社 Itsukushima Shrine in Miyajima, Hiroshima

2019年03月28日 10時00分51秒 | 地方の歴史散策・厳島神社
Itsukushima-shrine in Hiroshima Prefecture is a Shinto shrine dedicated to the three daughters of the deity of seas and storms on the sacred Miyajima Island in the Seto Inland Sea, where gods are believed to reside. The vermilion-painted buildings connected by the corridors and its symbolic great torii gate appear as if floating on the sea at high tides. Standing in perfect harmony with its natural surroundings, this elegant palace-style architecture was registered on the list of the UNESCO World Heritage in 1996.

2018年11月18日
毎年恒例の秋の旅はこれまで京都、奈良に限定して楽しんできましたが、今回はほんの少し足を延ばして広島を訪問しました。事前に広島県内の観光箇所を調べた結果、今回は1泊2日で厳島神社のある宮島を中心に深まりゆく秋のひと時を楽しむことにしました。

新幹線で広島駅到着後、在来線に乗り換えJR宮島口駅へ向かいます。所要29分で宮島口駅に到着します。
改札をでると、宮島への連絡船が発着する桟橋につづく道がのびています。広電宮島口駅を過ぎると、桟橋手前の乗船券売り場に到着します。乗船券売り場のそばにロッカーがあるので、大きな荷物を預けることができます。

宮島への連絡船はJR西日本宮島フェリー宮島松大汽船の2社が運航しています。両社とも宮島への所要時間は10分程度です。また運賃も同額で片道大人180円、子供90円です。(全国の交通系ICカードの利用可能です。)両社とも10分~15分間隔で運行しています。

※JR西日本宮島フェリーは大鳥居に接近する「大鳥居便」を運航しています。
この「大鳥居便」は午前9時10分発以降午後4時10分発までの各便です。

私たちはJR西日本宮島フェリーと宮島松大汽船の両方に乗ってみましたが、JR西日本宮島フェリーの方が大鳥居にかなり接近して航行します。併せて船上からは大鳥居と厳島神社を真正面に眺めることができます。
宮島松大汽船のほうは大鳥居にはカスリもしません。

船上からみる大鳥居

宮島が本土からほんの僅かの距離に浮かぶ島であることは事前に知っているのですが、船でしかアプローチできない宮島を眺めていると神秘的な雰囲気を感じざるを得ません。徐々に島に近づいてくると、宮島のランドマーク、すなわち厳島神社の象徴でもある朱色の大きな鳥居が絶対的な威厳をもって私たちの眼前に現れてきます。
そんな光景を眺めていると、つい手を合わせて拝みたくなるような感動がこみあげてきます。

これからあの大鳥居と華麗な社殿の間近に行くことができるという胸の高鳴りを抑えつつ、宮島に上陸です。
ターミナルの建物を抜けると、目の前に比較的大きな広場が現れます。この広場を右手に進むと平清盛像が私たちを迎えてくれます。

平清盛像

厳島神社と平清盛の関係が始まったのは清盛が安芸守に任ぜられた久安2年(1146)のことです。清盛は夢枕にたった老僧から「厳島神社を造営すれば、きっと位階を極めるであろう」という示現を受けたことで、厳島神社を深く信仰し、当時の寝殿造りを模して社殿を造営しました。また清盛をはじめ平家一門により法華経を写経し、清盛の願文(がんもん)と共に奉納された写経が平家納経で、これは国宝に指定されています。

清盛公にご挨拶をして、厳島神社への道筋を進むことにします。神社への道筋は海岸通り、表参道商店街(清盛通り)町屋通りの3本あります。時間的にかなり余裕があるので、多くの土産物店が並んでいる表参道商店街(清盛通り)を歩くことにしました。紅葉の見ごろの時期で商店街は多くの観光客で溢れています。

表参道商店街

宮島と言えば「もみぢまんじゅう」が有名です。商店街の通りに面して「もみぢまんじゅう」を扱う店が次から次へと現れます。せっかくなので一軒の店で名物のもみぢまんじゅうを味わうことにしました。

出来立てのもみぢまんじゅう

実は私たちは宮島に渡る前に、JR宮島口駅から少し離れたところに店を構える紅葉形焼饅頭の元祖「高津堂」ですでにもみぢまんじゅうを食していました。高津堂は宮島の中に店舗はありません。

高津堂

そもそも宮島名物のもみぢまんじゅうは初代高津常助が明治39年に製造を始めたといいます。しかし常助はまんじゅう造りを一代限りで終わらせてしまいました。そして100年後、三代目が初代の焼き型を復刻して、元祖もみぢまんじゅうを復活させ現在に至っています。

■高津堂
広島県廿日市市宮島口西2丁目6番25号
☎ 0829-56-0234

さあ!それでは待ちに待った厳島神社と大鳥居へと進むことにしましょう。
商店街を抜けると右手の海岸通りと私たちが歩いてきた清盛通りが合流します。その合流地点近くに石造りの鳥居が現れます。

石鳥居

そしてこの鳥居を抜けると、いよいよ鮮やかな朱色の大鳥居が私たちの眼前に姿を現します。

大鳥居

美しい姿の大鳥居を右手に眺めながら、水辺に沿って厳島神社の社殿入口へと向かいます。社殿入口からは大鳥居を至近に眺めることができます。

大鳥居(重要文化財)

この大鳥居は木造で両部鳥居(四脚鳥居)です。高さ約16.6m、棟の長さ24.2m、主柱周り9.9m、総重量は約60t、木部は丹塗り(光明丹[こうみょうたん])、主柱は楠の自然木を、袖柱[そでばしら]は杉の自然木を使っています。
現在の大鳥居は平安時代から8代目にあたり、明治8年(1875)に再建されました。

それでは国宝・重要文化財指定の厳島神社社殿へと進んでいきましょう。
昇殿初穂料:大人300円

拝観入口

拝観券

私たちが厳島神社に訪れた時、社殿が建つ入り江一帯は引き潮のため砂地が露出していました。厳島神社が美しいとされるのは満潮の時に社殿全体が水面に浮かんで見える姿です。欲を言えば、満潮時に訪れて見たかったのですが、それを差し引いても美しい社殿が今まさに目の前にあることだけで大満足です。

■厳島神社
造り:寝殿造桧皮葺
御祭神:天照大神の子である宗像三女神
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たきつひめのみこと)

国宝・重要文化財の建造物は17棟3基・美術工芸55点など約260点。東廻廊45間、西廻廊62間。本社の他に客神社・朝座屋・祓殿・高舞台・平舞台・左右門客神社・火焼前・大国神社・天神社・能舞台・反橋・長橋・揚水橋・内侍橋の建物構造群からなっています。

















































海水が満ちた厳島神社の姿を見たことがないので、まったく想像ができないのですが、社殿がまるで海面に浮きあがっている姿は格別なものなのでしょう。とはいっても社殿というより、あたかも宸殿の中をあるいているような世界を満喫できたことに満足し、厳島神社を辞することにしました。

このあと大聖院、千畳閣などをめぐり宮島を堪能しました。そして再び厳島神社を見ると潮が満ちはじめ、社殿が水面に浮かび上がる様子を眺めることができました。











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赤穂義士が眠る泉岳寺 Sengaku-ji temple

2018年11月14日 09時00分21秒 | 港区・歴史散策
Sengakuji is one of the most famous and popular Buddhist temple in downtown district of Tokyo.
Sengakuji was built by Tokugawa Ieyasu who was the first Shogun of Tokugawa government in 1612 near Edo Castle. However, after only 30 years, it was devastated by fire and this led to a reconstruction at the present site. The biggest reason for making Sengakuji famous is that there is a grave of Ako-gishi in the precincts.

深まりゆく秋を感じながら、久しぶりに赤穂義士ゆかりの高輪泉岳寺を訪れました。ここ泉岳寺では毎年、師走の14日には盛大な義士祭りが行われています。義士祭りが行われる日は境内は派手な幟が立てられ、線香の煙が漂う中で義士の墓へ詣でる多くの参拝客で賑わいます。

泉岳寺は旧東海道筋(現在の15号線)からほんの僅か奥まった場所に山門を構えています。かつては旧東海道に面して総門が置かれていたようですが、時代の変遷の中でその姿は失われています。御存じのように泉岳寺は曹洞宗の寺院です。いわゆる禅宗の寺ですが、禅宗の寺の伽藍配置は一般的に総門、中門、山門、仏殿(本堂)、法堂、方丈がほぼ一直線に並んでいます。ですから泉岳寺も総門、中門、山門、仏殿が一直線に並んでいました。
泉岳寺の最寄りの駅は都営地下鉄の泉岳寺駅です。この泉岳寺駅のA2出口から緩やかな坂道を進んでいくと泉岳寺の中門へ至ります。その距離わずか150mです。

泉岳寺中門 Middle Gate

この緩やかな坂はかつて車坂と呼ばれていました。そしてこの坂道の両側の地域は芝車町と呼ばれていました。この「車」の由来は江戸時代にはこの地域一帯に牛車を曳く牛小屋大八車の置き場が並んでいたといいます。このことから車坂、車町と呼ばれていましたが、実はこの場所こそ大八車の発祥の地と言われています。

また、この辺りの地名は高輪と呼ばれていますが、この地名の由来もこの車と関わりがあるようです。実は使えなくなった大八車の車輪をうず高く積み上げたことから「高く積み上げられた輪」ということで「高輪」という地名になったとも言われています。

また、この近くに願生寺という寺が堂宇を構えていますが、この寺の境内には大八車を曳いていた牛の霊を鎮める「牛供養塔」が置かれています。

それでは泉岳寺の中門へと進んでいきましょう。かつては総門の次に現れる門だったので「中門」と呼ばれました。この中門は江戸時代の天保7年(1836)に再建されたものです。中門には「萬松山」の山号が掲げられています。「萬松山」の意味は「萬代にわたって松平家が栄える」ということです。

中門の山号 Main gate

ここで言う「松平家」は徳川将軍家のことをいいます。実は泉岳寺は開幕の祖である家康公と深い関わりがあります。そもそも泉岳寺は家康公の命によって創建された寺です。家康公は幼少の頃から9年間の長きに渡って駿府の今川義元の下で人質生活を送っていました。そしてあの桶狭間で義元公が信長に討たれた後、家康公は故郷の岡崎に戻り、三河の守護職となり、信長との同盟締結を経て、戦国時代を生き抜いてきました。そして関ヶ原の戦の勝利で天下を手中に収めたのです。

家康公は天下をとった後も、幼少時代に過ごした駿府での生活を忘れていなかったようです。そして義元公に対しても尊敬の念を抱いていたようです。そんなことで家康公は義元公の菩提を弔うための寺を江戸に創建することを決めたようです。
その寺が泉岳寺なのです。もともとの泉岳寺の創建は家康公が亡くなる4年前の慶長17年(1612)で、開山の地はお城に近い外桜田(現在の警視庁)と言われています。

しかしその後、三代将軍家光公の時代の寛永18年(1641)の寛永大火で外桜田の泉岳寺は消失してしまいました。
そして泉岳寺はここ高輪に移転することが決定されるのですが、その再建がなかなか進まなかったといいます。これに業を煮やした家光公は五家の大名を指定して堂宇の再建を急がせたのですが、その大名家の中に赤穂・浅野家の名前が入っていたのです。ということは浅野家と泉岳寺の繋がりはここから始まったのです。

将軍家と深い関わりをもつ泉岳寺は広大な寺領の中に七堂伽藍を構え、曹洞宗江戸三ケ寺の一つに数えられ権勢を誇っていました。

中門を抜けると、参道がまっすぐにのびています。その参道の右手に門前らしい雰囲気を漂わせる店が数軒並んでいます。これらの店は参拝客のための土産物を販売しています。

参道に並ぶ店 Shops in the precinct

そして参道の奥に二層の山門が構えています。この山門は天保3年(1832)に再建されたもので、2階には十六羅漢様が安置されています。

山門 Main gate

この山門の右脇に誰もが知る有名な人物の像が置かれています。ご存じ大石内蔵助吉雄です。大正10年に除幕されたもので、その姿は元禄羽織に手には連判状を持っています。

大石内蔵助吉雄の像 Bronze statue of Kuranosuke Oishi

それでは山門の脇をすり抜けて、本堂前の広場へと進んでいきましょう。石畳が敷かれた広場の右側は庫裡の建物がつづき、一番奥にご本堂が置かれています。この本堂は終戦後の昭和28年(1953)の再建です。ご本堂には白い文字で書かれた「獅子吼(ししく)」の扁額が掲げられています。

ご本堂 Main hall

獅子吼の扁額

「獅子吼」とは釈尊が説法する様子がまるで獅子が吼ええているような様子であることを意味しています。すなわち釈尊が大衆に恐れることなく説法することを指しています。

さ~て、お待たせいたしました。本日のタイトルの「赤穂義士が眠る泉岳寺」の話題へと進んでいきましょう。泉岳寺と言えばまず真っ先に頭に浮かぶのが「赤穂四十七士」です。それと同時に浅野内匠頭長矩が眠る寺として知られています。このため泉岳寺の境内を彩るすべてが赤穂四十七士に関わるものばかりです。

それでは順番に見学していくことにしましょう。参考までに泉岳寺境内に置かれている赤穂四十七士の記念碑の簡単な見取り図を下記に掲載いたします。



境内の広場から左手へと伸びる細い道を進んでいきましょう。この細い道の突き当りに赤穂四十七士の墓があります。
そんな道の脇に現れるのが「主税梅と瑤池梅」です。この主税梅は大石主税がお預けになった松平家の三田屋敷で切腹した庭に植えられていた梅の木と言われています。
また瑤池梅は義士の墓守をした堀部妙海法尼瑤泉院から賜った鉢植えの梅をここに移植したものと言われています。

そして少し進むと、こんどは「血染め梅・血染め石」が置かれています。これらは浅野内匠頭長矩が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅の木と庭石です。

血染め梅・血染め石 Chizome plum tree and stone

御存じのように、浅野内匠頭長矩は元禄14年3月14日に江戸城内松の廊下で吉良上野介に対して刃傷事件を起こして、即日切腹を言い渡されたました。なんと享年35歳という若さです。
そして「風さそう 花よりもなお 我はまた 春の名残りを いかにとやせん」という時世の歌を残しています。

そして次に玉垣に囲まれた場所に置かれているのが「首洗い井戸」です。時は元禄15年師走の14日、赤穂四十七士が本所松坂町の吉良邸に討ち入り、見事、主君の仇である吉良上野介の首をあげ、泉岳寺に眠る主君の墓前に首を供える前に、この井戸で首を洗ったと伝えられています。

首洗い井戸 Kubi-arai well

このあと、右手に「天野屋利兵衛」の顕彰碑が現れます。この人物は大阪の商人で浪士たちの討入りを支援したと伝えられています。しかし浪士の討入り前に、浪士たちに槍20本を送ったかどで捕縛され拷問にかけられました。
しかし拷問にも白状しなかったのですが、浪士たちの討入り成功後に自白したといいます。
尚、仮名手本忠臣蔵の中では「天河屋義平」の名で登場し、「天河屋義平は男でござる。子にほだされて存ぜぬことを存じたとは申せぬ」なんていう名台詞が有名になりました。

天野屋利兵衛の顕彰碑

顕彰碑に刻まれた文字の一番下の二文字「浮図(ふと)」とは塔、仏塔さらには僧侶や仏教徒の意味を持っています。

天野屋利兵衛の顕彰碑を過ぎると、石段が現れます。この石段を上ると赤穂四十七士と浅野内匠頭長矩そして正室の阿久里姫(瑤泉院)の墓へと通じていきます。

浅野内匠頭長矩墓

その石段を上ったところに門が置かれています。この門はもともと浅野家の上屋敷(鉄砲洲)の裏門として使われていました。

墓域へと通じる門 Gate to Ako Gishi's Graves

それでは墓域へと歩を進めてまいりましょう。私たち日本人にとって「忠臣蔵」「赤穂浪士」「仇討」はいつの時代でも誰もが感動し涙するドラマではないでしょうか。判官贔屓なんて言葉もありますが、この赤穂浪士の義挙は日本人の血にながれる「武士道」「忠君」「潔さ」を長く伝える美談そのものであると感じます。

そんな義士たちが眠る墓域は泉岳寺境内の中でも特別な場所です。むしろ霊域といってもいいような佇まいを見せています。
そんな霊域に眠る義士たちの墓の配置図を下記に掲載します。

赤穂義士の墓域図

御存じのように赤穂浪士の方々は討入り後、4家の大名家にお預けになりました。その内訳をみると、大石内蔵助吉雄を含む17名は肥後熊本54万石の細川家、大石主税や堀部安兵衛など10名は伊予松山藩15万石の松平家、その他10名が長府藩6万石の毛利家、そして9名が三河岡崎藩5万石の水野家にそれぞれ分かれて預けられました。

しかしこれら4家に預けられた人数の合計は46名です。おやっ、おかしいな! 赤穂浪士は四十七士なはずですが……?
一人足りません。実は、この一人は「寺坂吉右衛門」という人物です。

この寺坂吉右衛門は討入り後、大石内蔵助の密命をおびて行方をくらませています。その後、討入りから20年後に江戸に戻り曹渓寺(麻布)の寺男になっています。そしてこの寺の口利きで土佐山内家の分家に仕官し、82歳で亡くなっています。そして墓は曹渓寺に置かれています。

浪士の墓は前述の4家ごとに分けて配置されています。そして墓石を数えると全部で48基あります。は~て、これもおかしいな! 赤穂浪士は四十七士なはずですが……?

墓域への石段

これにも訳があります。上記の寺坂吉右衛門は四十七士の一人ですから問題ないのですが、もう一人はいったい誰なのでしょうか? その一人が実は「萱野三平」という人物です。この方は討入りには参加していない人物です。

萱野三平はもともと討入りメンバーの一人だったのですが、父親と意見が合わず、最終的に討入りに加わることができず、討入り前の元禄15年1月14日に26歳で自刃しました。このため彼の志を顕彰する目的で四十七士と共に祀られています。
よって先の寺坂と萱野三平の2名を加えて、48基の墓石が置かれています。

岡崎藩水野家お預けの9名の墓

岡崎藩水野家の墓の一番奥に寺坂吉右衛門の供養墓が置かれています。寺坂の墓には「遂道退身」の文字が刻まれています。
彼のその後に人生を表すように「道を遂げて、身を退く」と刻まれています。

墓石に刻まれた戒名の一番上には「刃」という文字があります。この「刃」の文字の意味は傑出した人物を表していると言われています。また一説には、本来は討入りという罪を犯した罪人なのですが、武士という身分で切腹をしたことを表しているとも言われています。

「刃」の文字

細川家お預けの17名の墓

細川家お預けの17名の墓

毛利家お預けの10名の墓

大石内蔵助の墓

大石主税の墓

赤穂浪士が切腹してから今年(2018)で315年も経っています。長い長い時の移ろいを経ても、未だに日本人の心の中に残る彼らの義挙は未来永劫、引き継がれて行くことと信じています。





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坂本龍馬の寺田屋と黄桜記念館 Teradaya-inn in Fushimi, Kyoto

2017年11月28日 11時25分23秒 | 行く秋の京都探訪
Teradaya is a long-established inn where, toward the end of the Edo period, Ryoma SAKAMOTO stayed regularly; it was also the scene of the Teradaya Incident.

京都滞在の最終日(2017年11月25日)、賑やかな京都市内を避けて伏見へやってきました。伏見と言えば「酒造」を思い浮かべますが、酒を飲まない私にとっては酒蔵めぐりは二の次で、まずは坂本龍馬さんゆかりの寺田屋の訪問を優先しました。

伏見寺田屋外観

京阪本線の伏見桃山駅で下車すると、それこそ駅前から立派なアーケード街が始まります。アーケード街は「伏見大手筋商店街」と呼ばれており、活気に溢れた商店街です。雰囲気的に観光客相手ではなく住民の方々が利用するための商店街のようです。

この伏見大手筋商店街のアーケードが途切れると角に三菱UFJがあるので、この角を左に曲がります。すると別のアーケード商店街が始まります。このアーケードは納屋町商店街と呼ばれています。さきほどの大手町商店街に比べると、すこし地味な感じのするアーケード商店街です。

この納屋町商店街のアーケードが途切れると、この先で龍馬通り商店街と名前を変えます。龍馬通り商店街はアーケード様式ではなく、ほんの少し古さを感じる商家が並んでいます。

龍馬通りの看板

龍馬通り商店街はそれほど長い道筋ではなく、あっという間に終わってしまいます。この龍馬通りが途切れた場所を右へ折れると、旅籠寺田屋が姿を現します。

そもそも寺田屋とは江戸時代に京都と大阪の間の通船である「三十石船」の京都側の発着地に寺田屋浜という船着き場を持つ大きな船宿でした。そんな寺田屋は江戸末期の維新前夜の頃、薩摩藩の定宿に指定されたことで、西国雄藩の志士たちの「溜り場」になっていました。

時は幕末の文久2年(1862)4月23日、ここ寺田屋に討幕の急先鋒であった薩摩藩急進派と他藩の志士たちが集合しました。これを知った薩摩藩主・島津久光は「そのような暴挙はことを誤る」として、薩摩藩の鎮撫使を寺田屋に差し向けるも、急先鋒派の志士の考えを断念させることができず、斬り合いとなり急進派9名の志士がここで犠牲になったのです。
この事件で犠牲となった9名の志士を記念する「薩摩九烈士碑」が寺田屋の右手の小さな広場に置かれています。

薩摩九烈士碑

そしてこの寺田屋と深いかかわりをもつ人物として、維新の立役者である坂本龍馬さんがいます。
龍馬さんは薩摩藩の紹介で寺田屋を京都における定宿として利用していました。

そんな龍馬さんはここ寺田屋に投宿中に最大の危機を迎えています。時は明治維新の2年前の慶応2年(1866)1月24日のことです。
龍馬さんは寺田屋の梅ノ間に投宿中、伏見奉行所の幕府役人に襲撃されました。龍馬さんは愛用のピストルで応戦しつつも、重傷を負いながら、からくも脱出に成功し、隣家の雨戸を蹴破り裏通りに逃れ、材木納屋で救援を待ち、最終的に薩摩藩に保護されています。
そんな襲撃をいち早く龍馬さんに知らせたのが「お龍さん」です。お龍さんは入浴中に襲撃を察知し、素っ裸で龍馬さんの居る2階の梅ノ間に駆け込み急を知らせたといいます。

幕末を彩る事件の舞台となった寺田屋さんは現在は伏見の史跡となっており、内部の見学もできるようになっています。

◆見学の案内
見学の時間:10:00~16:00
入館料:大人400円



入館券

それでは寺田屋さんの見学とまいりましょう。

上り框からみた入口
2階へつづく階段
階段脇の龍馬さんの写真
2階の客室
2階の客室
2階客室
柱に残る弾痕
柱に残る刀跡
旅籠の看板

さて次の部屋は龍馬さんが当寺田屋さんで愛用した「梅ノ間」です。龍馬さんがこの部屋で新しい時代への構想を練り、愛しいお龍さんと将来を語り合ったことを思うと感慨深いものがあります。脇息が置かれていたので、ちょっとお借りして記念撮影をしてみました。

梅ノ間

床の間に懸けられた絵像はまぎれもなく龍馬さんです。この絵は風雲急を告げる幕末に東奔西走する龍馬さんの身に忍び寄る殺気を感じた女将のお登勢が町の絵師に描かせたものです。

そして1階の風呂場へとつながる階段です。この階段を降りると小さな風呂場があり、お龍さんがこの風呂場から着の身着のままの姿で飛出して2階にいる龍馬さんに危険を伝えたのです。

風呂場へつづく階段
風呂場

寺田屋さんでの感動的なひと時を過ごした後、せっかく伏見に来たので酒造・黄桜に立ち寄ってみることにしました。寺田屋さんから龍馬通りに戻り最初の角を右に曲がると黄桜があります。

黄桜
黄桜
黄桜

伏見の見学も終わり、そろそろ昼食の時間となりました。ここ黄桜のカッパカントリーには食事処が併設されているので、昼食をいただくことにしました。

黄桜カッパカントリー

伏見に行かれたら是非、黄桜カッパカントリーでお食事をお勧めいたします。お店の雰囲気も格調高く、ゆったりとした気分で食事を楽しむことができます。ご予算的にも非常にリーズナブルで、もちろん味も良し。私はアルコールドリンクについては詳しくないのですが、このレストランには黄桜オリジナルビールの飲み比べセットなるものがあります。連れが申すには、なかなか美味しいビールとのこと。

◆キザクラカッパカントリー 黄桜酒場
 http://kizakura.co.jp/restaurant/country/index.html
◆電話:075-611-9919
◆住所:〒612-8046 京都府京都市伏見区塩屋町228
◆営業時間
月~金 11:30~14:30 (L.O.14:00)、17:00~22:00 (L.O.21:00)
土・日・祝 ランチ 11:00~14:30 (L.O.14:00)、17:00~22:00 (L.O.21:00)





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御室御所・仁和寺の秋景 The Highest Ranking Monzen Temple, Ninna-ji in Autumn

2017年11月28日 07時52分24秒 | 行く秋の京都探訪
The first day of my stay in Kyoto this year starts from Ninna-ji Temple, a famous temple in Rakuhoku area.
If you are visiting Ninna-ji Temple, starting from Kinkaku-ji temple, we recommend the route leading to Ninna-ji temple via Ryoanji temple, walking through
the Kinukake-no-michi Rd
.

秋深まる京都滞在の第一日目(2017年11月23日)は洛北の名刹である仁和寺から始まります。実は昨年、大徳寺、今宮神社、金閣寺、龍安寺を辿り、最後に仁和寺を詣でたのですが、仁和寺到着後、にわかに雨が降り始めたため、境内の散策や御殿なども見ず、早々に退出していました。
今回の仁和寺訪問は天候に恵まれ、さらに紅葉の真っ盛りの時期ということで絶好の機会を得ることができました。

仁和寺の巨大な山門は仁王門(重要文化財)と呼ばれ、左右に阿吽の二王像が置かれています。石段を上り仁王門をくぐり境内へと進んでいきます。

仁王門

境内図

仁和寺は平安時代に第58代光孝天皇(884年)が西山御願寺として創建されたのが始まりで、その後、仁和4年(888)に宇多天皇が先帝の遺志を継いで、仁和寺を完成した歴史があります。宇多天皇は退位後に出家し仁和寺に住まわれました。これ以降、明治維新まで仁和寺は皇子皇孫が門跡となったことで御室御所(おむろごしょ)と呼ばれるようになりました。現在、仁和寺は真言宗御室派の総本山です。もちろん世界遺産に登録されています。

前述のように天皇家の皇子皇孫が仁和寺の門跡を務めたことから、境内には塀で囲われた御殿(宸殿)が備わっています。てっとりばやく言えばお寺の境内に「御所」が置かれているといった感じです。

私たちはまずは「御殿(宸殿)」の見学から始めることにします。御殿(宸殿)入口の受付で拝観料を納めます。
拝観料は御殿(庭園)は500円です。

入口を入ると、右手に白洲御門が現れ、その先に立派な大玄関が構えています。

白洲と御門
大玄関

大玄関で靴を脱ぎますが、靴はビニール袋に入れて持ち歩かなければなりません。

御殿(宸殿)へ一歩足を踏み入れるとすぐに「宸殿南庭」が眼前に現れます。この南庭は白砂が敷き詰められた簡素なものですが、御所の前庭といった感じです。庭の左側に宸殿が配置され、右近の桜と左近の橘が置かれています。

南庭を望む
南庭
南庭と宸殿

廊下を進むとすぐ左側に白書院が現れます。

白書院

白書院から黒書院のある棟へと移動していきます。

黒書院の棟

黒書院の棟のさらに奥には霊明殿(れいめいでん)が置かれています。霊明殿には歴代門跡の位牌が安置されています。

霊明殿

霊明殿から宸殿棟へと移動していきます。

霊明殿から宸殿を望む

宸殿棟の廊下からは御殿の中で最も美しいとされる北庭を望むことができます。北庭は池を配し変化に富んだ景色を楽しむことができます。御殿のお庭は錦繍の彩りがそれほど目立ちませんが、木々越しに見える五重塔の姿は絶景です。

北庭
北庭
北庭
北庭

御殿の見学を終え、仁和寺境内の散策を始めることにします。

まずは境内を貫く参道を進み中門(重文)へと進んで行きます。

中門
中門

中門をくぐり、御殿の北庭から眺めた五重塔へ向かいます。楓の色づきが少ない仁和寺境内にあって、僅かながら紅葉を楽しめるのが五重塔の周辺です。

五重塔
五重塔
五重塔
五重塔

五重塔から緩やかな石段をのぼり国宝の金堂正面へ進みます。金堂は仁和寺の御本尊である阿弥陀三尊を安置しているお堂です。この建物は江戸時代の寛永年間に京都御所内の裏紫宸殿を移築したもので、宮殿建築様式を今に伝える貴重なものです。

金堂への石段
金堂

金堂へとつづく石段周辺にも美しく色づいた紅葉が境内に彩りを添えています。





1年ぶりの仁和寺訪問を終えて、それほど離れていない場所に堂宇を構える臨済宗大本山・妙心寺へと向かいます。





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錦繍織りなす東福寺の紅葉 A Grand Zen Temple And Beautiful Ravine, Tofuku-ji Temple

2017年11月27日 17時38分55秒 | 行く秋の京都探訪
I went to Tofuku-ji temple, one of the most famous autumn leaves spot in Kyoto.
The gate opened at 8:30 am and I arrived in front of Tofuku-ji gate in time for this time.
To my surprise, there was a long line of visitors waiting for entry along the way to the gate. But don't worry. You can enter smoothly after opening the gate.

京都の紅葉スポットとして一二を争う東福寺へ朝一番で出かけました。開門が午前8時30分ということで、この時間に合わせて東福寺門前に到着したところ、すでに長蛇の列。さすが京都の紅葉の名所だけのことはあります。

東福寺は京都五山の一寺で臨済宗東福寺派の大本山であると共に、日本最古にして最大級の伽藍を誇る大寺院です。
約7万坪の境内に約2000本の楓の木があり、紅葉の季節には全山錦繍の彩となり、京都の紅葉絶景スポットとして人気があります。

境内の通天橋は東福寺のシンボル的存在で、橋上から眺める紅葉はまさに絶景です。
東福寺の拝観時間は11月から12月初旬は08:30~16:00、12月初旬から3月末までは09:00~15:30です・
拝観料は通天橋・開山堂は400円、東福寺本坊庭園は400円

さあ!それでは東福寺の紅葉を紹介いたします。(2017年11月25日)









































見事な東福寺の紅葉はいかがでしたか?私たちの今回の京都旅行では東寺の紅葉ライトアップとここ東福寺の紅葉見物の二か所を楽しみました。このほか京都にはたくさんの紅葉スポットがありますが、これ以上の紅葉見物は体力的に限界があります。
来年、同じ時期に京都を訪れることがあれば、別の紅葉スポットへ出かけてみたいと考えています。





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漆黒の夜空に浮かび上がる東寺の塔と紅葉 A Dynamic Temple in The Nara-period Style, Toji Temple

2017年11月27日 16時17分44秒 | 行く秋の京都探訪
The trip to Kyoto this time is the end of November, the city's famous temples and shrines are crowded with people who love autumn leaves.
Toji, one of the famous places of autumn leaves, has gained explosive popularity with JR Tokai posters and TV commercials.

Let's introduce the beautiful light up of Toji Temple.
In particular, the five-story pagoda that appears in the dark of jet black is a masterpiece.

今回の京都旅行は11月下旬ということで、市内の名だたる寺社は紅葉を愛でる人たちでごったがえしています。そんな紅葉の名所の一つである東寺はJR東海のポスターやTVのCMで爆発的な人気を博しています。

その人気の理由が東寺のライトアップです。これまで何回も京都を訪れているのですが、どういうわけか東寺には訪れる機会がありませんでした。おそらく京都駅に近いので、いつでも行けると思い込んでいたふしがあります。
今回、前述のJR東海のポスターやTVのCMのお蔭で、やっと東寺を訪れてみようという気持ちになったのです。

本来であれば昼間の明るい時間帯に訪れて境内をゆっくり散策するほうがいいのですが、今回は東寺のライトアップを目的としての訪問です。ライトアップの時間帯が午後6時30分からということで、その時間に東寺に着いたのですが、すでに長蛇の列ができており、その列の長さは軽く400mを超えています。おそらく1000人以上がすでに並んでいる感じです。並ばなければ入れないので、仕方なく列の最後尾へと進んでいきました。行けども、行けども最後尾に到達しません。

さすがJR東海の宣伝の効果大といったところです。最後尾に並ぶと同時に、列は動きだし、それほど待つことなく入場することができました。入場前に塀の外から東寺の五重塔を写真に収めてみました。入場料は一人1000円です。

東寺のパンフレット
拝観券
東寺の五重塔

入場料を納めて境内へと入るや、そこはまったくの別世界が私たちを迎えてくれます。境内全体がライトアップされているといった感じです。電球のイルミネーションではないので点滅はしませんが、木々の紅葉に照射された光の色によって色合いが異なって見えます。
境内の池に光に照らされた紅葉が浮かびあがる様は幽玄そのものです。









そして圧巻は漆黒の闇に浮かび上がる黄金色に輝く五重塔です。雲一つない夜の空にひときわ光り輝く五重塔はイリュージョンの世界です。間近にみる光り輝く五重塔に一瞬、言葉を失います。現在の五重塔(国宝)は江戸時代の正保元年(1644)に三代将軍家光公の寄進によって建立されたものです。











この時期、京都市内の名だたる寺社ではライトアップが行われているようです。すべてを見て歩くにはいきませんが、ここ東寺のライトアップはおそらく一二を争うくらいの出来栄えではないでしょうか。





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奈良・御笠山の大社、春日大社 Kasuga Grand Shrine in Nara

2017年11月27日 13時06分05秒 | 行く秋の奈良探訪
Built as the family shrine of the Fujiwara Family, Kasuga Shrine has become famous for its graceful wisteria blossomes which almost sweep the ground at the south
side of Utsushidono Hall.
The rows fo approximately 2,000 stone lanterns along the pathways, and the over 1,000 hanging lanterns of the Main Hall and cloister create a breathtaking spectacle of lights.

奈良斑鳩里・法隆寺から奈良市内へ戻ってきました。というのもこれまで一度も訪れていなかった春日大社へ詣でることを目的としました。私の記憶によると中学時代の修学旅行でも春日大社は含まれていなかったのです。そんなことで何はともあれ、JR奈良駅から市内行のバスに乗り、春日大社表参道まで移動することにしました。

春日大社は御笠山の中腹に社殿を構える神社ですが、山麓から社殿まではかなりの距離があります。私たちが乗ったバスの春日大社表参道停留所は山の麓にありました。ここから1キロほどの距離を歩いて、御本殿まで行かなければなりません。
参道を進んで行くと、あちらこちらに鹿が群れて、観光客の鹿せんべいを狙っています。市内に戻ってくると、さすがに観光客の数は増えて、春日大社の参道には日本人より外国人の方が多く、さまざまな言語が飛び交っています。

そんな様子を見ながら、なだらかな坂道を上っていくと、二の鳥居にさしかかります。

二の鳥居

この二の鳥居の手前に「世界遺産 古都奈良の文化財・春日大社」の石碑が置かれています。

春日大社の石碑

ここまでくれば御本殿まではほんの僅かな距離です。鳥居をくぐり、なだらかなスロープを進んで行くと左手に朱色の南門が現れます。南門は春日大社正面の楼門で、大社境内で最大の門です。

南門

南門をくぐると右手に拝観受付があります。ここで拝観料(500円)を納め、いよいよ朱色と吊るし燈籠で有名な回廊へと進みます。
回廊へ進む途中に中門・御廊(ちゅうもん・おろう)が現れます。中門は御本殿への楼門です。御廊は中門を中心にして左右にのびる建造物です。見事な造りなので御本殿と間違ってしまいます。

中門
中門

私たちは東回廊へと進んで行きます。春日大社といえば、回廊と吊るし燈籠と言われるほど有名になっています。その回廊は見事なまでの鮮やかな朱色で塗られ、あまりの派手さに感動以前に若干の違和感すら感じます。

東回廊
東回廊
東回廊
東回廊
東回廊
東回廊

尚、御本殿(内陣)の参拝は現在行われていません。御本殿(四所神殿)は奈良時代の西暦768年に平城京鎮護を目的として創建されたと伝えられています。

◆御本殿に祀られている御祭神
第一殿:武甕槌命(たけみかづちのみこと)
第二殿:経津主命(ふつぬしのみこと)
第三殿:天児屋根命(あめのこやねのみこと)
第四殿:比売神(ひめがみ)

回廊を巡りつつ境内を見ると、紅葉は今まさに真っ盛りで、回廊の朱色と相まって紅葉の色合いがさらに映えています。

境内のモミジ
境内のモミジ
境内の風景

それなりなのか、見事というべきか、歴史的建造物として見る春日大社は一見の価値はあります。そして晩秋を彩る紅葉との競演はこの時期ならではの絶景でした。

春日大社から近鉄奈良駅への帰路、猿沢の池の畔に出てみました。池越しに見る興福寺の塔がまるで絵葉書のような趣を醸し出していました。

猿沢池
猿沢池





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晩秋の斑鳩里・法隆寺伽藍 Horyuji Temple at Ikaruga in the late fall

2017年11月27日 08時46分52秒 | 行く秋の奈良探訪
The five-story pagoda, Kindo, and Chumon of Horyuji Temple, the world's oldest 7th century wooden structure, draws a beautiful line with a gentle roof slope
and reflects in the landscape of Ikaruga-no-sato.

毎年恒例の夫婦での京都・奈良の旅は今回で4回目(2017/11/23~11/25)となります。これまでの旅で奈良は昨年につづいて2度目の訪問です。今回は奈良市内から少し離れた斑鳩里へ足を運びました。

斑鳩里といえば、まず頭に浮かぶのが我が国最初の世界遺産に認定された法隆寺の伽藍です。法隆寺訪問はかつて中学校時代の修学旅行の時に遡るので、実に50年ぶりの再訪です。再訪といっても、当時の記憶はまったくなく、半世紀ぶりとはいえほぼ初めて訪問するような期待感を胸に膨らませながら法隆寺へ向かいました。

京都駅からJR奈良線に乗り、約1時間で奈良駅に到着します。奈良駅でJR大和路快速に乗り換えると3駅目が法隆寺駅です。
法隆寺駅からは奈良交通のバス(72系統)で10分ほどで法隆寺門前に到着します。

雲一つない快晴の空の下、晩秋らしい冷たい空気を肌に感じながら、法隆寺門前の停留所から南大門へとつづく参道を進んでいきます。参道の両側には土産屋や飲食店が並んでいます。はやる気持ちを抑えつつ参道を進んでいくと、法隆寺の玄関にあたる国宝の南大門が現れます。

南大門

南大門をくぐると、法隆寺西院伽藍へとつづく参道がまっすぐに延びています。参道の両側には趣ある土塀がつづいています。

西院伽藍へとつづく参道

本来であればこの参道の一番奥に美しい姿の中門が目視できるのですが、残念ながら中門は修復中ということで建屋に覆われています。中門の脇に「日本最初の世界文化遺産・法隆寺」と刻まれた石碑が置かれています。

日本最初の世界文化遺産・法隆寺の石碑

さあ!法隆寺伽藍の中でも最も見応えのある西院伽藍の金堂と五重塔へ向かう前に、左隣にある国宝の三経院・西室へ行ってみました。

三経院・西室

それでは金堂、五重塔、大講堂、回廊、鐘楼などの建造物が並ぶ西院伽藍へと進んで行きましょう。入口で拝観料(1500円)を納めます。拝観券は西院伽藍、宝物館(大宝蔵院)、東院伽藍(夢殿)に共通しています。

拝観券

法隆寺境内図

拝観受付を抜けると、西院伽藍を囲む長い回廊(国宝)が現れます。等間隔に置かれた柱と壁面の格子が見事なコントラストを見せています。

回廊

そして金堂五重塔が伽藍の中核として圧倒的な存在感を示しています。金堂(国宝)は西院伽藍の中で最古の建造物で、建立時期は飛鳥時代に遡ります。そして五重塔(国宝)も飛鳥時代の創建で日本最古の塔です。そして金堂と五重塔の配置は計算された空間美を演出しています。晩秋のこの時期、観光旅行や修学旅行の団体がいないので、静かな空気が流れる中で法隆寺伽藍を堪能することができました。

法隆寺金堂と五重塔
五重塔
金堂と五重塔
金堂と五重塔
金堂と五重塔

金堂内部にはここ法隆寺の御本尊である金剛釈迦三尊像(飛鳥時代)、金剛薬師如来座像(飛鳥時代)をはじめ、四天王像などが薄暗い堂内に鎮座しています。

回廊を右回りに進んで行くと、角に経蔵(国宝)が置かれています。経蔵はもともと経典を納めることを目的とした建物です。

経蔵

そして伽藍の一番奥にあるのが大講堂(国宝)です。大講堂は仏教の学問を学んだり、法要を行うために建立されたものです。堂内には薬師三尊像、四天王像が安置されています。

大講堂
大講堂
大講堂と鐘楼

後ろ髪を引かれる思いで回廊から退出し、夢殿が置かれている東院伽藍へと向かうことにします。夢殿に行く途中、法隆寺の寺宝を保管する大宝蔵院に立ち寄ります。

西院伽藍には東室(国宝)、妻室(国宝)と呼ばれる南北に長い建物があります。この建物は飛鳥時代創建の僧坊で、法隆寺に住む僧たちが生活をしていました。

聖霊院
妻室

大宝蔵院へつづく細い道筋の右手には高床式の建物があります。この建物は綱封蔵(国宝)と呼ばれているもので、寺宝を保管するための蔵です。

綱封蔵

大宝蔵院は平成10年に完成した新しい建物で、法隆寺の寺宝を代表する百済観音像玉虫厨子をはじめ、数多くの文化財が展示されている博物館です。

大宝蔵院前
大宝蔵院前

玉虫厨子も見応えがあるのですが、百済観音像の優美なお姿とその表情は見るものを魅了します。飛鳥時代にこれほどまでに美しい観音像を造った当時の仏師の力量に感心するばかりです。撮影禁止のため、パンフレットから引用しました。

百済観音像(パンフレットから引用)

時が経つのも忘れて、大宝蔵院の寺宝を鑑賞した後、いよいよ夢殿がある東院伽藍へと進んで行きます。西院伽藍から東院伽藍へは東大門(国宝)を抜けて進んで行きます。参道の両側は古い土壁がつづき、古の香りが漂っています。
法隆寺の境内の特徴として木々に覆われていないため、参道を歩くと空が広く見えます。もちろん電信柱も電線もないので、すっきりとしています。雲一つない青空の下、参詣客がまばらな参道をゆっくりと進んでいきます。

夢殿につづく参道

そして西院と東院の間に置かれているのが国宝の東大門(中ノ門)です。東大門の先に夢殿の甍を望むことができます。

夢殿につづく参道

東大門

東大門を抜けると、いよいよ夢殿山門に到着です。

夢殿山門

夢殿が置かれている場所は聖徳太子の斑鳩の宮の跡で、朝廷の信任厚かった高僧行信(ぎょうしん)が宮跡の荒廃ぶりを嘆いて太子供養の伽藍の建立を発願し、天平20年(748)に聖霊会(しょうりょうえ)を始行したとされる太子信仰の聖地です。

夢殿

この八角円堂の建物が東院のご本堂で、天平時代創建の建造物です。甍の上には宝珠が秋の陽に映えています。このような様式の円堂は日本各地にありますが、ここ法隆寺の夢殿の美しい姿は格別です。

夢殿
夢殿の回廊
夢殿
夢殿の回廊
夢殿

50年ぶりの法隆寺訪問の機会を得て、約2時間を要して西院そして東院の両伽藍をくまなく巡りました。我が国の至宝の建造物である法隆寺伽藍は日本の宝であると同時に世界の宝でもあります。若いときに訪れたときには、それほど興味をもたずに伽藍を眺めていたのでしょう。あれから50年たって、今再びの奈良・法隆寺は圧倒的な迫力と存在感で私たちを迎えてくれました。





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不思議な岩窟墓・吉見百穴

2017年03月20日 09時16分45秒 | 地方の歴史散策・埼玉吉見百穴
埼玉の吉見町に不思議な岩窟があるという。画像で見るかぎり、小高い山全体に小さな穴が穿かれており、まるでトルコのカッパドキアの岩窟住居にも似ているような気がします。この岩窟は吉見百穴と呼ばれる古墳時代(6世紀末から7世紀末)に造られた横穴墓で大正12年に国指定史跡になっています。
そんなイメージを頭に描きながら、春の陽気に誘われて吉見町へ行ってみることにしました。

吉見百穴(よしみひゃくあな)
所在地:埼玉県比企郡吉見町大字北吉見324
電話:0493-54-4541
営業時間:午前8時30分~午後5時
入園料:中学生以上300円(シニア料金なし)
電車でのアクセス方法:
東武東上線の東松山駅東口から川越観光バスの「免許センター行き」に乗って「百穴入口」で下車。
徒歩約5分で百穴に到着。
※JR高崎線「鴻巣駅」から川越観光バスの「東松山駅行き」に乗って「武蔵丘短大」または「百穴入口」で下車。

池袋から東武東上線の快速に乗って50分で東松山に到着です。駅舎の2階に観光案内所があるので、百穴までのアクセスについて確認したところ、前述のようにバスが運行しているのですが、それほど便数がありません。
初めて訪れた東松山(吉見町)ということで、町並みを眺めながら徒歩で百穴へ向かうことにしました。
駅前からは1本道をまっすぐ歩いていけば、そのまま百穴に到着できるということで約2キロの道筋をテクテク。

駅から1.3キロ地点の百穴前交差点を渡り直進し、次の信号を右へ折れると市野川に架かる橋にさしかかります。
橋上から前方に木々が生い茂る小高い山が見えますが、かつてこの山一帯には松山城が置かれていました。そしてやや左手に目を移すと白っぽい砂岩の山肌にいくつもの小さな穴が穿かれた吉見百穴も眺めることができます。
また市野川の土手には桜並木がつづいていますが、開花まではまだ少し時間がかかりそう。満開の時期には花見の客で賑わう場所ではないでしょうか。
市野川を渡り左折し、道なりに進むと「吉見百穴」の入口に到着です。

入口の受付で入園料を支払います。




まずは敷地内に併設されている「埋蔵文化財センター」を見学しました。館内に入ると、目に飛び込んでくるのが吉見百穴の発掘の歴史が漫画で描かれたパネルが置かれています。絵と文字で描かれているので、分かりやすく、読みきってしまいました。これを読むと、吉見百穴は明治20年に発掘調査が始まったことが分かりました。

埋蔵文化センターでそれなりの知識を得て、いよいよ百穴の見学へ向かいます。どういうわけか敷地内の個人経営の売店が2軒あり、そのうちの1軒には店内の一画に百穴から出土したという発掘品がガラスケースの中にこれみよがしに展示されているのですが、これって「ありなのか?」とつい思いたくなってしまいます。
この出土品が本物であれば、埋蔵文化センターに展示されるべきものなのでは………?

さあ!百穴を間近に見ることにしましょう。

百穴
百穴
百穴

間近でみる百穴は砂岩の地肌が剥き出しの斜面にそれほどの間隔をあけず、無数に点在しています。現在、この砂岩の斜面い219個の穴が確認されています。おそらく古代からこの一帯の山肌は土に覆われずに砂岩の岩盤が露出していたのではないかと勝手に想像してしまいます。そしてそれぞれの穴はほぼ水平に掘られた横穴式になっています。
現在、この穴は墓として造られたと断定されているようです。

墓の内部を見ると、壁際に20cmほどの段差がつけられています。この段は死者を安置した場所と言われています。
そしてこの段は墓内に2つあるので、一つの墓に複数の死者が安置されていたと判断されています。このことは「追葬」を意味していると言われています。

百穴
百穴

さて百穴とは別に、砂岩の岩盤にひときわ大きな穴が口を開けています。実はこの百穴と周辺の丘の地下に終戦間もない昭和19年から20年にかけて軍需工場が造られました。その軍需工場の入口が百穴のある斜面の麓に開けられています。
工場の目的は中島飛行機のエンジン部品の製造だったようですが、本格稼働の前に終戦を迎えたといいます。
この地下軍需工場はかなり大きく、4工区に分かれていたといいます。そしてこの地下工場を造るにあたっては、日本全国から3,000人~3,500人の朝鮮人労働者を集め、昼夜を通した突貫工事が行われたそうです。

地下軍需工場跡入口

そんな地下軍需工場の中へと入ってみました。入口からほんの少し進むと、内部の空気はひんやりとしてかなり寒く感じます。

地下トンネル1
地下トンネル2
地下トンネル3
地下トンネル4

ここ百穴にはもう一つ珍しいものがあります。それが「ヒカリゴケ」という苔の一種です。この苔が生息しているのも横穴墓の中ですが、すべての墓の中に生息しているわけではありません。
墓の内部を覗いてみると、うっすらと緑色に光を放っているのが認識できました。ただ写真にとれるほどはっきりとは見えませんでした。

日本国内でこのような形態の墓はこれまで見たことがありませんでした。それなりに満足した時間を過ごすことができました。





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町全体が伝統的建造物保存地区・奈良橿原の今井町 Imaicho~The whole town is like an open air museum of historical buildings

2016年11月02日 08時50分22秒 | 行く秋の奈良探訪
2016年10月27日
飛鳥路の旅を終え、そのまま京都へ戻る予定だったのですが、橿原神宮前駅から二つ目の近鉄八木西口駅(又は近鉄大和八木駅)至近に古い町並みが残るエリアが二つあることに気が付きました。
一つが重要伝統的建造物保存地区に指定されている「今井町」ともう一つが「八木町」なのですが、飛鳥路を巡って疲れている体で2つのエリアを歩くのは、キツイということで「今井町」だけを散策することにしました。

「今井町」の観光パンフレットを見ると、なんと今井町全域が重要伝統的建造物保存地区ではありませんか。町全体が野外博物館のような佇まいを見せる今井町は期待大ということで、胸をときめかせながら足を進めました。町の入口に流れる飛鳥川に架かる赤い欄干の蘇武橋を渡ると、古い町並みらしき風情が漂い始めます。

今井町パンフレット

奈良にこんな場所があることなど、初めて知ったのですが、今井町の形成の歴史を辿ると「なるほど」とうなずけるものがあります。

今井町の成立は戦国時代に遡ります。天文年間(1532~1555)にこの場所に一向宗本願寺坊主であった今井豊寿なる人物によって本願寺の今井道場が建設されたことに始まります。天文年間という時代は各地で一向一揆が起こった時代で、あの家康公も桶狭間の戦い後の三河平定の過程で一向宗徒との戦で苦労していました。もちろん尾張の信長公も一向一揆には手を焼き、各地で一向宗徒と壮絶な戦いを繰り広げています。
そして町全体を要塞化するために、濠をめぐらしました。
その後、本願寺と信長公との確執が深まり、反信長を旗印に壮絶な戦いへと発展していきます。そしてこの信長との戦いの中で、今井もこれに呼応し、戦禍に巻き込まれていきます。

しかし信長公の容赦ない攻撃に天正3年(1575)に今井は降伏したのですが、信長公は今井に対して温情を施したのです。信長公から今井に対して赦免の朱印状を下し、「万事大阪同前」として自治特権が許されたのです。前述の今井道場が今井御坊称念寺となるのは文禄年間(1592~1595)の頃です。

その後、今井は大商業地である大阪や境と交流を深め、それまでの要塞都市から商業都市へと変貌を遂げていきます。江戸時代に入ると、南大和最大の在郷町となり、今井札(銀札)を発行するまで発展しました。江戸時代に商業都市として発展した今井町の規模は東西600m、南北310m、町内の戸数1100軒、人口約4000を越える財力豊かな町でした。

さあ!それでは江戸時代の町並みへタイムスリップとまいりましょう。
古い町並みに足を踏み入れると、まず気が付くのが電信柱と電線がないこと。このため目障りとなるものがないので家並みがスッキリしています。



町全体に張り巡らされた道筋は正確な碁盤の目ではないのですが、ほとんどが直線で曲がりくねった道筋はありません。
このためかなり先まで見通せるようになっています。また、家並みの高さが統一されているので、スッキリしています。




ここ今井町は重要伝統的建造物保存地区に指定されてはいますが、すべての家は住居として使われているものです。といっても路地を歩いていても、住民らしき方と出会うことがありません。歩いてるのは観光客くらいですが、この日は平日ということもあり、観光客でごった返しているということもありません。

また、これほどの町並みを残す今井の保存地区には観光客相手の土産屋や飲食店はほとんどありません。私たちも美味しい甘味を期待していたのですが空振りでした。

町全体が歴史的建造物なのですが、一部〇〇家住宅と案内板が置かれた屋敷が現れます。といってもすべての住宅の中に入れるわけではありません。そのうちの一軒の家に入ることができたので、お邪魔しました。



地図を片手にいくつもの路地を折れ曲がりながら、今井の町を探索していきました。これまで東海道や中山道などの街道を歩いてきましたが、街道の宿場町でもこれほどまでの規模で古い町並みが残っているのは多くありません。宿場町の場合は宿場を貫く街道に沿って家並みが残っている場合がありますが、ここ今井町は東西600m、南北310mのエリア全体に古い町並みがそっくりそのまま残っているのは珍しいのではないでしょうか。






幾つもの路地を折れ曲がりながら、今井町の中心的存在の称念寺(国重文)山門前に到着しました。現在、当寺は修復工事中のため、ご本堂及び付属施設は見ることができません。

称念寺山門
称念寺
称念寺

称念寺を後に、趣ある家並みを眺めながら近鉄八木西口駅へ戻ることにします。

町の床屋さん








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