大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

私本東海道五十三次道中記・箱根西坂~幽玄な趣・霧に閉ざされた杉木立~

2013年04月26日 16時29分15秒 | 私本東海道五十三次道中記
標高846mの箱根峠を越えると、あれよあれよという間に標高が下がってきます。甲石坂を下ると805mと標高を下げてきます。とはいってもまだ800mの高さです。

そして辿りついたのがお江戸から数えて26番目の山中一里塚です。国道一号から再び旧街道に入る場所の傍らに一里塚の石柱が置かれています。この場所にはかつて接待茶屋があり旅人たちにさまざまな便宜を図っていました。私たちは再び雨が降り続く中、霧に閉ざされた杉木立の中へと続く旧街道へと入り込んでいきます。

山中一里塚跡

街道脇には兜石や徳川有徳公(吉宗公)の記念碑が置かれています。

兜石
徳川有徳公(吉宗公)の記念碑

石畳の街道は雨に煙る杉木立の中を下っていきます。周囲の杉木立は霧に閉ざされ幽玄の世界を演出しています。こんな風景も雨や霧が煙る時以外はお目にかかれないと思えば、悪天候も苦にならなくなってきます。

霧に煙る杉木立

石原坂が終わりに近づくころに路傍に置かれているのが「念仏石」です。かなり大きな石?でおそらく箱根火山が爆発した時の溶岩の名残ではないでしょうか。

念仏石
南無阿弥陀仏の石柱(宗閑寺)

念仏石とは箱根山中で無念にも行き倒れた旅人を山中集落の宗閑寺で供養したことからこう名付けられたといわれています。杉木立に遮られ陽射しが届かない路傍にひっそりと佇んでいます。合掌。

念仏石を過ぎると、石畳道は大枯木坂へと入っていきます。杉木立は途切れ視界が明るくなってきます。そんな道筋には人が植えたと思われる水仙が白い花を咲かせ、道筋に変化をつけています。




ふと気が付くとなんと可憐な花が霧の中で揺れています。自然に群生しているとは思われないのですが、標高700mに咲く可愛らしい花です。

小枯木坂の杉並木1
小枯木坂の杉並木2
小枯木坂の杉並木3

大枯木坂が終わると今度は小枯木坂(願合寺石畳)へと続いていきます。この720mにわたってつづく平坦な石畳の道筋には再び杉木立(杉並木)が広がり霧に包まれまるで墨絵でも見ているような幽玄な世界が待っていました。この願合寺石畳は三島市が修復したもので非常に歩きやすく、足元を気にせず安心して歩ける区間です。

この小枯木坂(願合寺石畳)を抜けると標高560mの山中城下に到着です。

私本東海道五十三次道中記~箱根西坂・吾妻嶽地区の259本の杉並木~
私本東海道五十三次道中記~箱根西坂・箱根峠(846m)への石畳道~
私本東海道五十三次道中記~箱根西坂・雨に煙る笹竹のトンネルと甲石坂~
三島・初音ケ原の松並木と石畳
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私本東海道五十三次道中記~箱根西坂・雨に煙る笹竹のトンネルと甲石坂~

2013年04月26日 15時46分42秒 | 私本東海道五十三次道中記
箱根東海道の最高地点846mを越えると、まさに旧街道はひたすら下り、下りの道筋に姿を変えます。そんな下りの行程の最初の下り坂が甲石坂の石畳です。

甲石坂の入口には道標が置かれ、「是より京都百里、是より江戸25里」と刻まれています。かつて京側より江戸に向かう旅人達はこの道標を見て、その日の宿泊地である小田原へと急いだのではないでしょうか?
一日10里を歩いたといわれる江戸時代の旅人はここから2日で江戸に到着したことになります。

甲石坂入口の道標

そんな道標を横目に甲石坂へと踏み込むと、すぐに東屋が現れます。その東屋の周辺には「兜石跡」、「八ツ手観音像」などが置かれています。
すでに行政地域は静岡県に入り、地名は函南と変わっています。

東屋周辺
兜石跡
八ツ手観音像

いよいよ三島への下りの行程が始まります。甲石坂入口あたりから街道の両側には箱根竹(笹竹)が群生しています。その箱根竹がまるで覆いかぶさるように繁茂する場所が始まります。

甲石坂入口

まるで笹竹のトンネルのように石畳の道に覆いかぶさっています。雨に煙る笹竹のトンネルは幻想的な風景を作り出しています。
おそらく晴れている時でも、これだけの笹竹に覆われていると陽射しはかなり遮られるのではないでしょうか?

笹竹トンネル1
笹竹トンネル2
笹竹トンネル3
甲石坂1
甲石坂2

甲石坂の石畳の道筋は杉木立は少なく、むしろ笹竹が群生している場所を貫いているようです。およそ760mにわたってつづく甲石坂は再び国道1号線に合流し江戸から26番目の山中一里塚へつながっていきます。

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私本東海道五十三次道中記~箱根西坂・箱根峠(846m)への石畳道~

2013年04月26日 15時06分19秒 | 私本東海道五十三次道中記
箱根関所跡の江戸口から京口にいたるほんのわずかな距離を抜けるといよいよかつての箱根宿の始まりです。……が、まっすぐにのびるかつての宿内の道筋には宿場町を想起させるような古い建物は一軒も残っていません。あるのはお土産を売るお店ばかりです。

箱根関所(江戸口)
箱根関所

私たちはお土産屋さんが並ぶ道筋を歩き、東海道筋へと進んできます。三島町を過ぎると芦川の交差点にさしかかります。この交差点で旧街道は国道一号と分岐し、宿のはずれへと入っていきます。

箱根宿の土産屋

その道筋の途中、街道の左に朱色の鳥居を構える駒形神社が現れます。芦川集落のはずれといった場所で、この辺りが箱根宿のはずれにあたります。

駒形神社

駒形神社から40mほど進んでいくと、いよいよ箱根峠へと至る登りの坂道の入口が見えてきます。その入口の傍らに佇むのが「芦川石仏・石塔群」です。古くから箱根地域は地蔵信仰が行き渡っている場所で、箱根全山のいたるところに地蔵が鎮座しています。おそらく旅の安全を願う旅人を見守るために置かれていたと思われます。

芦川石仏・石塔群

そんな石仏に安全祈願をして、箱根峠へ至る石畳の坂道を進むことにします。

向坂入口

石仏が置かれている場所の標高は730mあります。ここから標高846mの箱根峠まで116mの標高差を一気に克服しなければならないのです。
東坂の登りで経験済みではあるのですが、やはり登りは体にこたえます。

芦川の石仏群を坂の入口として、まず現れるのが「向坂」そして「赤石坂」「釜石坂」「風越坂」「挟石坂」と次から次へと坂の名前が変わっていきます。

向坂1
向坂2
向坂3
向坂4

向坂を超えると旧街道は国道1号線の下をくぐるようにトンネルになっています。トンネルをくぐると数段の石段がのぼり、さらに上へと石畳のスロープが始まります。

国道1号の下をくぐる旧街道

この坂さえ上りきれば、あとはひたすら下るだけ、と自分に言い聞かせながらキツイ坂道を踏みしめて進んでいきます。およそ600mの距離の登りの石畳道が終わるころに現れるのが、国道に合流するための「ものすごく急な階段」です。わずか20数段の階段なのですが、登りの石畳で疲れ切った体にはかなりこたえます。

赤石坂
赤石坂1
釜石坂
釜石坂1
風越坂
風越坂1
国道と合流する手前の階段

歯を食いしばって階段を登りきると、目の前には箱根新道と国道1号線の分岐点が現れます。



私たちは車の往来に気を付けながら国道一号筋へと入り、東海道箱根最高地点846mをめざし最後の登りを目指します。

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私本東海道五十三次道中記~箱根西坂・吾妻嶽地区の259本の杉並木~

2013年04月26日 13時59分35秒 | 私本東海道五十三次道中記
私たちの東海道街道巡りは先月4月は箱根湯本から旧街道東坂を辿り元箱根港までのおよそ10キロを登りつめ、芦ノ湖畔へと到着しました。

そして来月5月はいよいよ箱根東海道の最高地点である箱根峠(846m)を越えて、三島宿への西坂の下りへと進んでいきます。そんなことで4月24日に雨にもかかわらず下見のために西坂の下りを果敢にも挑戦してきました。

標高732mの元箱根港は芦ノ湖の湖面が霞むほど雨で煙っていました。三島まで10キロ越えの下りを思うと気が重くなります。

さあ!いよいよ出立です。箱根神社の一の鳥居に見送られるように、まずは芦ノ湖畔の元箱根港から函根恩賜公園まで国道1号に沿ってつづく杉並木を歩くことにします。すでに箱根東坂では杉木立の中を貫くようにのびる旧街道石畳を嫌というほど歩いてきましたが、これはあくまでも杉木立であって人為的に植えられた並木ではありません。

杉並木

東坂行程で見た杉並木はドンキン地区((権現坂を下りきった部分から芦ノ湖畔まで)に並ぶ76本の見事な杉並木でしたが、ここ吾妻嶽地区(芦ノ湖畔から恩賜公園駐車場前まで)の杉並木はなんと259本も残っています。樹齢400年弱といわれる杉の大木がおよそ300mにわたってつづいています。

杉並木

江戸期から残る箱根町地区の並木杉の数は420本ほど残っています。
ドンキン地区:76本(権現坂を下りきった部分から芦ノ湖畔まで)、吾妻嶽地区:259本(芦ノ湖畔から恩賜公園駐車場前まで)、新谷地区:26本(恩賜公園駐車場から関所まで)、向坂:59本(芦川集落はずれから挟石坂手前まで)

杉並木

まさに昼尚暗い杉並木の道が続きます。箱根旧街道の並木杉はその多くは明治時代に宮ノ下から元箱根を結ぶ道路建設の費用に当てるため伐採され、かろうじて芦ノ湖畔の並木杉だけが江戸時代の風情を残しています。

杉並木
杉並木

杉並木に入る前には雨がひとしきり強くなってきたのですが、巨木の杉がつづく旧街道では杉の枝葉が雨を遮ってくれているようで、さほど雨が苦になりません。街道を整備した先人たちは距離を知るための一里塚を設置し、雨風そして陽射しをしのぐために街道に木を植え、旅人たちに利便を提供してくれたのです。

過ぎ去った時代の旅人たちも東坂を登りきり、平坦となった芦ノ湖畔の杉並木で目の前に広がる湖面を眺めながらしばしの休息を楽しんでいたのではないかという思いを馳せてみました。

そんな思いを頭に巡らせていると、もう箱根関所跡の江戸口にさしかかってきます。この江戸口までのほんのわずかな道筋にも杉並木が残っています。

関所へつづく道筋の杉並木

箱根関所を越えると、西坂地区の最初で最後の箱根峠に至る上りの坂道が始まります。

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満開!絶景!樹齢千年の三春滝桜

2013年04月21日 10時41分20秒 | 地方の歴史散策・福島三春滝桜
今回の福島旅行の中でもハイライト中のハイライトでもある「三春滝桜」は花より団子の私にとっても期待度が高い場所でした。

三春滝桜(4月18日現在)

バスは福島から東北自動車道に乗り一路南下し、途中磐越自動車道へ入り三春へと向かいます。福島市よりは気候的に温かい場所なのか、車窓から満開の花弁をつけた桜の木が目立つようになります。

磐越自動車道を下り、さらに山間へとつづく一般道を進むこと20分ほどで三春滝桜至近の駐車場に到着です。

駐車場から手の届く場所に目指す「桜」があるのかと思っていたのですが、感動はまだ先にあるようです。

桜の咲くわずかな期間だけ賑わう三春滝桜の駐車場にはたくさんの観光バスや自家用車で満杯状態です。私たちが訪れたのは平日だったのですが、これが週末の土・日だったら駐車場に辿りつくまでかなりの時間を要するのではと余計な心配をする始末です。

この三春滝桜の観桜は有料のようです。私たちは団体旅行のため旅行代金に観桜料金が含まれているので個人的に支払うことはないのですが、一人300円の料金がかかります。

しっかりとしたゲートをくぐり、緩やかな坂道を進んでいきます。その道筋には地のものを売る屋台や土産物店、ファストフードの店などが軒を連ねています。

まずは「桜」へという強い気持ちからか店を覗いてみようという気にはなりません。

真打の登場はもうすぐです。坂道を上りきるとやおら現れるのが見事に枝垂れる満開の桜です。

三春滝桜(4月18日現在)
三春滝桜(4月18日現在)

確かに私の人生の中で見たたくさんの枝垂れ桜の中でも、息を飲むような圧巻の姿です。 確かに樹齢千年といわれるほどの貫録です。

三春滝桜(4月18日現在)

満開度が120%と感じる三春滝桜は全体的に「くすんだ色」に感じました。聞いてみると「盛り」は過ぎたとのこと。「盛り」をすぎると花弁がくすみ、遠目からは薄い灰色がかるとのことです。

下から見上げる姿を堪能したあと、石段をのぼり背後の丘の上から見下ろす滝桜の姿もまた圧巻です。

背後の丘の上から

3月下旬には東京都内での観光を楽しみ、4月中旬に今年2回目の観桜を楽しめたことに感謝しつつ東京への帰途につきました。

残雪の中の裏磐梯・五色沼
「八重の桜」で人気沸騰・会津鶴ヶ城に行くなんしょ!
大内宿~山間の静かな宿場町~



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残雪の中の裏磐梯・五色沼

2013年04月21日 09時57分12秒 | 地方の歴史散策・福島裏磐梯
先日の福島1泊旅行では裏磐梯山中のリゾートホテル「裏磐梯ロイヤルホテル」で快適な一夜を過ごしました。

翌朝、そそくさとホテル内のレストランで朝食を済ませ、ホテルから徒歩5分ほどの場所に磐梯五色沼の一つ「毘沙門沼」があることを知り、出発までの時間を利用して出かけることにしました。

磐梯ロイヤルホテル入口前

裏磐梯ロイヤルホテルの正門を出て、県道をわたると緩やかな坂道が現れます。その坂道の入口に「五色沼」の道標が立っているので間違えることはありません。

坂道に入ると、周囲にはかなりの量の残雪が現れます。4月中旬にもかかわらずこれだけの残雪があるということは、今年の積雪が尋常ではなかったことが窺われます。冬の名残りを十分に感じることができます。

毘沙門沼周辺の残雪(4月18日現在)

緩やかな坂道は左へとカーブを描きのびています。前方になにやら建物が見えてきます。歩を進めていくと、その建物の辺りが広場になっていて駐車場として使われている敷地であることがわかります。

右手のお土産屋さんの建物前のスロープをのぼると目の前にエメラルドグリーンの湖面が現れます。
これが「毘沙門沼」のようです。湖面はまるで鏡面のように滑らかで、湖畔の木々が湖面に映り幻想的な風景を見せています。

土産屋横のスロープ脇の雪(4月18日現在)

朝早い時間のためか私たち以外は誰もいない毘沙門沼は静寂に包まれ、独り占めをしているという感覚が湧き上がってきます。

毘沙門沼

湖畔近くまで下りると、大きな鯉が悠然と泳いでいます。そして目線を上にあげると、遥か彼方に雪をいただいた磐梯山の稜線が浮かびあがります。

磐梯山遠望
絵葉書のような毘沙門沼

この辺りの本格的なシーズン到来はGW頃になるとのことですが、確かに毘沙門沼周辺の遊歩道にもまだかなりの量の残雪があります。このため五色沼を巡るルートはとことどころで分断されているので、この時期に散策ルートを踏破することは難しいようです。

それでも初めて見る五色沼の一つ「毘沙門沼」の絵葉書のような世界に触れることができたことに感動した瞬間でした。

満開!絶景!樹齢千年の三春滝桜
「八重の桜」で人気沸騰・会津鶴ヶ城に行くなんしょ!
大内宿~山間の静かな宿場町~



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「八重の桜」で人気沸騰・会津鶴ヶ城に行くなんしょ!

2013年04月19日 20時30分56秒 | 地方の歴史散策・福島会津鶴ヶ城
福島に入るなり各観光地は何処も「八重の桜」のポスターがペタペタ。
特に会津市内は商店街のすべての店先には山本八重役の「綾瀬はるかさん」が笑顔で私たちを迎えてくれます。

鶴ヶ城天守閣パンフレット

今回の旅で期待度No.1の会津鶴ヶ城は大内宿から山越え、谷を辿り、桜咲く豊かな田園地帯を抜けた会津盆地にひときわ聳えるように私たちを迎えてくれました。

鶴ヶ城天守

会津の城下は美しい山並みに囲まれた場所で、おそらく夏は暑く、冬季は雪深い土地柄なのでしょう。

城下に入ると処々に満開の桜並木が現れ、季節の移ろいの中で長い冬からやっと春を迎えた明るい雰囲気を感じることができました。

3分咲きの城内の桜

会津松平23万石のご城下は高層ビルがない静かな地方都市らしい佇まいを見せています。徳川親藩・御家門で会津葵の使用を許された会津藩は江戸時代の寛永20年(1643)に保科正之が入封して以来、あの幕末の戊申戦役に活躍した松平容保公に至るまでの225年間にわたって会津を支配していた名門です。

天守から本丸跡を眺める

そして名君・保科正之は二代将軍秀忠公の御落胤で家光公の異母兄弟という境遇にあり、家光公の格別なる配慮により出羽から3万石加増の23万石の大大名になった経緯があります。これにより正之公自身も将軍家に対しては家名が存続する限り忠義、忠君を誓いつづけることを家訓としたといいます。

天守から眺める山並み

そんな将軍家への忠義が災いをもたらしたのが、幕末動乱の時期に会津藩が京都守護職を引き受けてしまったことにあります。26歳の若さで京都守護職を拝命した九代藩主の容保公を待っていたのは、朝幕間の駆け引きに翻弄されつづけた結果、鳥羽伏見の戦いに敗れ、朝敵の汚名をきせられ会津に逃げ帰るという最悪な結果だったのです。

天守から眺める走長屋

このような結果になってしまったのも、将軍家への忠義がなせる業であったのかもしれませんが、若き藩主である容保公は会津に戻り、家督を譲り謹慎したのですが、時代の流れは徳川殲滅へと大きく傾きさらに最悪の事態へと進んでいってしまうのです。



そして会津は奥羽越列藩同盟の中心的存在として新政府軍に抗戦すべく「会津戦争」の主導的役割を担うのですが、時代はもはや会津に味方をしてくれなかったのです。

鶴ヶ城内
天守遠望
天守遠望

その会津戦争では白虎隊をはじめ多くの方々が活躍したのですが、NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公である山本八重さんもその中の一人です。時代の流れに抗うように、将軍家親藩としての誇りを盾に潔く散っていった会津藩の心意気に共感を覚えます。
幕末からわずか145年しか経っていない現在、会津を火の海にした島津、長州をはじめとする官軍に対して会津の方々がどのような思いを持たれているのかを機会があればお聞きしたいと思うのですが……。

天守

白虎隊そして今年の大河ドラマ「八重の桜」でも脚光を浴びる会津の方々にとって、今年が特にいい年になるよう心から願っています。

満開!絶景!樹齢千年の三春滝桜
残雪の中の裏磐梯・五色沼
大内宿~山間の静かな宿場町~



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大内宿~山間の静かな宿場町~

2013年04月19日 14時32分18秒 | 地方の歴史散策・福島県大内宿
先日旅行会社から送られてきたDMの中に待ちに待った福島への1泊旅行を見つけました。「待ちに待った」というのは2年前の東日本大震災以降、各旅行会社の福島県への「旅」の販売が激減していました。

あれから2年が経った今年、NHK大河ドラマでも会津を舞台にした「八重の桜」が好評のようで、大手旅行会社はこぞって販売に踏み切っているようです。

そんな福島への旅の行程に以前から是非訪れてみたかった「大内宿」が含まれていたので、迷うことなく4月17日から18日の一泊旅行に申し込んだ次第です。

大内宿入口

東北地方へのバス旅ははじめての経験なので期待に胸を膨らませての参加です。東京ではとっくに「桜」の季節は終わってしまったのですが、福島地方は各地で「桜」が満開という時期に重なるということもあり期待はますます膨らみます。

そんなことでバスは東北自動車道を一路、福島へと走り始めました。今回は1泊旅行ということで日程的にも余裕があり、日程表を見る限りそれほど気忙しい内容ではありません。

東京を出発して埼玉、栃木を抜け福島へと進んでいきますが、福島にはいると雪を頂いた山並が間近に迫ってきます。
そして初日の最初の立ち寄り先が「大内宿」なのですが、東北自動車道をおりて一般道路を走り、渓流に沿って一本道を辿り着いたところが山間の里「大内宿」でした。

大内宿

駐車場からは大内宿の茅葺屋根の家並みはまだ見えません。駐車場から舗装道路を横切り、右方向へと緩やかなカーブを曲がっていくと、宿内を一直線に貫いている舗装されていない土の道が目の前に現れます。家並みとともに宿内の景色がスッキリ見えるのは電信柱がまったくないからなのでしょう。

大内宿茅葺の家並み

その道の両脇にはおそらく雪解け水を集めて流れる清らかな水路が備えられています。その昔はこの清流の水が生活用水として使われていたのではと思いを馳せてみました。

大内宿茅葺の家

宿内を貫く大通りは緩やかな勾配で500m先の宿の一番奥まで伸びています。その大通りにそって茅葺屋根の家並みがつづき、それぞれの家ごとに色とりどりの民芸品を軒先に吊るしたり、地の野菜や漬物、餅、饅頭など田舎らしい雰囲気を漂わせた名産品が並んでいます。

大内宿茅葺の家
軒先の民芸品
店先に吊るされた大根の飾り

宿の一番奥の背後は山が控え、その中腹にお堂が一つ立っています。このお堂には「子安観世音」が祀られているようです。石段を上りお堂が立つ高台に立つと茅葺屋根の家並みが整然と並ぶ大内宿を一望に眺めることができます。

子安観世音
お堂から眺める大内宿
お堂から眺める大内宿

こんな山間に開けた大内宿は江戸時代の初期に会津城下と日光今市を結ぶ下野街道32里の区間に会津から2番目の宿として整備されたといいます。会津若松からは5里の距離にあるといいます。そして宿場として本陣や脇本陣まで構え会津藩の参勤交代の際には宿として使われていたようです。

現在、大内宿は国の重要伝統的建造物群保存地区として長野県の妻籠宿そして奈良井宿に続いて3番目に指定されています。初めて訪れた福島県の観光地だったのですが、土地の人々の温かい出迎えと純朴な話し方に心あたたまるホスピタリティを感じながら大内宿をあとにしました。

満開!絶景!樹齢千年の三春滝桜
残雪の中の裏磐梯・五色沼
「八重の桜」で人気沸騰・会津鶴ヶ城に行くなんしょ!



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