かつての藤沢宿の西の端、すなわち京都側の出入り口である見附跡が小田急線江ノ島線の線路を跨ぐ伊勢山橋を渡り60mほど進んだところの中華料理玉佳の前に目立たない存在で標が立てられています。
遊行寺坂の途中にあった江戸見附からおよそ1.3㌔地点にある京口です。藤沢宿の範囲がここで終わり、旧街道は43号線と名前を変えて進んでいきます。これから先はそれほど見るべきものは多くないのですが、しばらく歩くと引地川が現れます。引地川を渡り100mほど歩くと、右手にほんの少しそれるように道がつづき、その先にお堂が見えてきます。
養命寺ご本堂
このお堂が養命寺です。元亀元年(1570)に中興開基された曹洞宗の古いお寺です。
当寺には昭和2年になんと国宝に指定された木造の薬師如来坐像がご本尊として祀られているといいます。このご本尊は12年に1回の寅年の4月12日にしか御開帳されないという秘仏だといいます。しかし現在は国宝指定が解除され重要文化財に指定されています。
たまたまお寺のお坊様がいらしたので、堂内を見せていただきました。それほど大きなお堂ではないのですが、そのお堂の天井一面に描かれた色とりどりの「天井絵」がまるで曼荼羅をみているかのような色彩で迫ってきました。
お堂の天井画
狭い境内の片隅には古い宝筺印塔(ほうきょういんとう)、笠塔婆(かさとうば)、庚申塔、三界萬霊塔が置かれています。
養命寺境内
養命寺を辞して、再び国道43号線に戻ると、ちょうど反対側の歩道脇に小さな祠が置かれ、その中に2体の道祖神が坐しています。これが「おしゃれ地蔵」と呼ばれているもので、遠目で見てもうっすらと白粉が塗られ、口元をみると赤い紅が注している様子が窺がえます。
このお地蔵様は女性の願い事なら何でもかなえて下さり、満願のあかつきには白粉を塗ってお礼をする」と伝えられており、今でも、お顔から白粉が絶えることがないといいます。ただしこれは「地蔵」ではなく、まぎれもなく道祖神(双体道祖神)なのですが…。
43号線は養命寺を過ぎると大きく右へカーブを描きます。そのカーブした右手に見えてくるのがワインメーカーのメルシャン工場です。近くにくるとワインの香りが漂ってきます。
藤沢市内からこの辺りまでくると、街の喧騒からも離れ街道らしい静かな雰囲気が漂い始めます。まもなく歩き始めて2.5㌔地点の羽鳥歩道橋を過ぎるとこれまで歩いてきた国道43号線は右手に折れ、旧街道は44号線と名を変えます。
44号線に入りすぐ左手に店を構えるのが現代の茶店(和菓子処)「丸寿」です。ちょっと甘いものでも食べたくなるような街道の風情に誘われて店内へと入ってみました。
街道の和菓子屋「丸寿」
この「丸寿」の名物は「大庭城最中」なのですが、はてはてこの近在に城なんぞあったのか?と思いきや、実はかなり古い話なのです。平安時代の末期にこの辺りは関東平氏の一族である大庭景親(かげちか)の居城があったのです。現在、その居城跡は大庭城址公園として整備されているようです。
まあ、こんないわれのあることで大庭城最中を販売しているのでしょう。
大庭城最中
ちょっと甘いお菓子で小腹を満たして、東海道の旅をつづけましょう。街道筋にはちらほらと松並木が現れてきます。
そんな街道らしい風情を楽しみながら羽鳥歩道橋から850mほどで国道一号線と合流する「四ツ谷信号」に到着します。ここからは残念とは言いませんが、再び幹線道路に沿って歩くことになります。
ここ四ツ谷信号に際に小さなお堂と道標がたっています。お江戸日本橋を出立して12里を過ぎたこの辺りからようやくその姿がはっきりと見え始まるのが丹沢連山に属する標高1252mの「大山」です。
大山道標の祠
道標に鎮座するお不動様
古くから山岳信仰の対象として崇められている大山へは各地から巡礼の道が整備され、これを「大山道」と呼ばれていました。
道は行く筋にも造られていたのですが、ここ四ツ谷の旧街道には大山への分岐点の一つとして道標が置かれています。
大山道の一の鳥居
そして大山道への入口には立派な「一の鳥居」が立っています。
そんな大山道道標をすぎて国道一号線を進むとまもなく本日の歩行距離も3キロに達します。
其の四へつづく
私本東海道五十三次道中記~藤沢宿から茅ヶ崎(其の一)
私本東海道五十三次道中記~藤沢宿から茅ヶ崎(其の二)
私本東海道五十三次道中記~藤沢宿から茅ヶ崎(其の四)
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遊行寺坂の途中にあった江戸見附からおよそ1.3㌔地点にある京口です。藤沢宿の範囲がここで終わり、旧街道は43号線と名前を変えて進んでいきます。これから先はそれほど見るべきものは多くないのですが、しばらく歩くと引地川が現れます。引地川を渡り100mほど歩くと、右手にほんの少しそれるように道がつづき、その先にお堂が見えてきます。
養命寺ご本堂
このお堂が養命寺です。元亀元年(1570)に中興開基された曹洞宗の古いお寺です。
当寺には昭和2年になんと国宝に指定された木造の薬師如来坐像がご本尊として祀られているといいます。このご本尊は12年に1回の寅年の4月12日にしか御開帳されないという秘仏だといいます。しかし現在は国宝指定が解除され重要文化財に指定されています。
たまたまお寺のお坊様がいらしたので、堂内を見せていただきました。それほど大きなお堂ではないのですが、そのお堂の天井一面に描かれた色とりどりの「天井絵」がまるで曼荼羅をみているかのような色彩で迫ってきました。
お堂の天井画
狭い境内の片隅には古い宝筺印塔(ほうきょういんとう)、笠塔婆(かさとうば)、庚申塔、三界萬霊塔が置かれています。
養命寺境内
養命寺を辞して、再び国道43号線に戻ると、ちょうど反対側の歩道脇に小さな祠が置かれ、その中に2体の道祖神が坐しています。これが「おしゃれ地蔵」と呼ばれているもので、遠目で見てもうっすらと白粉が塗られ、口元をみると赤い紅が注している様子が窺がえます。
このお地蔵様は女性の願い事なら何でもかなえて下さり、満願のあかつきには白粉を塗ってお礼をする」と伝えられており、今でも、お顔から白粉が絶えることがないといいます。ただしこれは「地蔵」ではなく、まぎれもなく道祖神(双体道祖神)なのですが…。
43号線は養命寺を過ぎると大きく右へカーブを描きます。そのカーブした右手に見えてくるのがワインメーカーのメルシャン工場です。近くにくるとワインの香りが漂ってきます。
藤沢市内からこの辺りまでくると、街の喧騒からも離れ街道らしい静かな雰囲気が漂い始めます。まもなく歩き始めて2.5㌔地点の羽鳥歩道橋を過ぎるとこれまで歩いてきた国道43号線は右手に折れ、旧街道は44号線と名を変えます。
44号線に入りすぐ左手に店を構えるのが現代の茶店(和菓子処)「丸寿」です。ちょっと甘いものでも食べたくなるような街道の風情に誘われて店内へと入ってみました。
街道の和菓子屋「丸寿」
この「丸寿」の名物は「大庭城最中」なのですが、はてはてこの近在に城なんぞあったのか?と思いきや、実はかなり古い話なのです。平安時代の末期にこの辺りは関東平氏の一族である大庭景親(かげちか)の居城があったのです。現在、その居城跡は大庭城址公園として整備されているようです。
まあ、こんないわれのあることで大庭城最中を販売しているのでしょう。
大庭城最中
ちょっと甘いお菓子で小腹を満たして、東海道の旅をつづけましょう。街道筋にはちらほらと松並木が現れてきます。
そんな街道らしい風情を楽しみながら羽鳥歩道橋から850mほどで国道一号線と合流する「四ツ谷信号」に到着します。ここからは残念とは言いませんが、再び幹線道路に沿って歩くことになります。
ここ四ツ谷信号に際に小さなお堂と道標がたっています。お江戸日本橋を出立して12里を過ぎたこの辺りからようやくその姿がはっきりと見え始まるのが丹沢連山に属する標高1252mの「大山」です。
大山道標の祠
道標に鎮座するお不動様
古くから山岳信仰の対象として崇められている大山へは各地から巡礼の道が整備され、これを「大山道」と呼ばれていました。
道は行く筋にも造られていたのですが、ここ四ツ谷の旧街道には大山への分岐点の一つとして道標が置かれています。
大山道の一の鳥居
そして大山道への入口には立派な「一の鳥居」が立っています。
そんな大山道道標をすぎて国道一号線を進むとまもなく本日の歩行距離も3キロに達します。
其の四へつづく
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私本東海道五十三次道中記~藤沢宿から茅ヶ崎(其の二)
私本東海道五十三次道中記~藤沢宿から茅ヶ崎(其の四)
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