大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

謹賀新年~卯の年の最初のお題は寅さんの故郷・下町の庚申様「帝釈天題経寺」

2011年01月05日 17時35分32秒 | 葛飾区・歴史散策
新しい年を迎え、元旦2日には地元江東区の深川七福神を詣で本年の家内安全、健康祈願をしてきました。
そして今日は葛飾の柴又帝釈天へ久しぶりにお参りに行ってきました。ここ葛飾柴又は私の生まれ故郷でもあります。

東京の東、江戸川のほとりに面して広がる柴又の町は同じ下町であってもその風情は隅田川沿いの町々とは異なります。高層のビルがほとんどない、住宅が密集する東京の田舎といった雰囲気が漂っています。

京成線の柴又駅も昔とそれほど変わらない風情が残り、駅名の表示もひと昔前のデザインがそのまま生きつづけています。柴又に隣り合う駅名が高砂と金町と、なにやら縁起の良い響きがあるんですね。



お正月ということで普段はそれほど混まない駅前広場も帝釈天詣での参拝客でごった返していました。その人込みの中に混ざって、柴又の町を代表する人物の像が私たちを迎えてくれます。ご存知の「フーテンの寅さん」の立像です。



駅前広場から帝釈天山門まで細い参道が続いています。その参道の両側に並ぶのが川魚料理屋と柴又名物の草団子のお店が次ぎから次へと現れます。寅さんの実家の「くるまや」は実在しませんが、映画に出てきたような昔ながらの店構えの団子屋さんがまるで映画のオープンセットのような佇まいを見せています。せっかくなので食べ歩きようの草団子を1本(150円)買い求め、「よもぎ」の香りとともに味覚を愉しみました。





ゆっくりとした歩みでやっと山門まで辿り着きました。山門には「庚申」の提灯が吊るされています。実は今日1月5日は帝釈天の初庚申の日にあたり、特別な縁日としてたくさんの参詣客が訪れていたと思われます。





庚申とは干支(えと) 即ち、庚(かのえ)申(さる)の日を意味し、この庚申の夜に人間の体の中にいる三尸の虫が寝ている間に体から脱け出し、天帝にその人間の行った悪行を告げ口に行くと伝えられています。天帝は寿命を司る神であることから、悪いことをした人に罰として寿命を縮めることができるのです。ところが三尸の虫は人間が寝ている間にしか体から脱け出ることができないので、庚申日は誰もが寝ずに徹夜をするという風習が定着していきます。これを庚申待ちという江戸時代からつづく風習です。
庚申待ちは60日に一度。ほぼ二ヶ月に一度巡ってきますから、この庚申待ちは三尸の伝説を体よく利用した息抜きの日だったという気もします。各地にこの庚申講がたてた庚申塔という石碑が残っていますから、広く行われた行事であることが判ります。次の庚申の日は3月6日(日)にあたります。





ここ柴又帝釈天では元旦から7日目までと初庚申の日にのみ授与される「お守り」があります。加太守(かぶとまもり)と呼ばれ、兜をあしらったお守りのことです。紙を兜の形に折り、竹の棒に挟んであります。特別な祈祷などは受けなくても800円で買えます。自宅に持ち帰り、その年の恵方に向けて飾るものです。





私自身は庚申信仰の信者ではないのですが、今日5日の庚申の日に徹夜は難しいので、天帝様からお許しをいただき少しでも寿命を長くしてもらいたいと願いつつ加太守を授与していただき帰路につきました。





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