大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

江戸の街道の風情を残す「御油の松並木」~旧東海道の宿場町・御油宿(愛知県)~

2011年05月10日 15時54分38秒 | 地方の歴史散策・愛知県御油
名古屋滞留中に伊良子の海岸へ足をのばす途中に、思わず東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さん所縁の御油宿が頭によぎりました。江戸検定の受験勉強で東海道五十三次についてかなり詳しく調べている中で、御油宿はかなり印象が残っている場所だったのです。

弥次さん喜多さんの御油の狐事件とは…
『 はや日傾き暮れに近ければ、いざや急がんとて喜多八 「夕べの泊まりは中くらいな宿だった。今夜は赤坂までわしが先に行っていい宿をとりやしょう」 と先に行く。弥次郎兵衛あとに行くに、ほどなく御油の宿に至るころ、はや夜になり。
宿場の女に留められ「この先の松並木には悪いキツネが化かすからここに泊まれ」とおどされる。』 
喜多八を追って街道を行くと前方の松の根元に喜多八がいました。暗さに怖くなって弥次さんを待っていたのだが、弥次さんはキツネが喜多八に化けていると思い、喜多八を取り押さえ手拭いでしばり赤坂の宿までつれていきました、と、さ…

江戸幕府は交通の整備のため主要街道である五街道を定め、街道沿いに宿駅(しゅくえき)の制度を設けました。御油宿(ごゆしゅく)は東海道に置かれた53の宿場のうち35番目の宿場で東三河には東から二川・吉田・御油・赤坂の4宿が置かれていました。吉田から御油宿までは2里22町(約10km)、御油から次の赤坂宿までは16町(約1.7km)で御油・赤坂間は東海道で最も短い区間です。幕府による宿場の許可証である伝馬朱印状(てんましゅいんじょう)も御油と赤坂だけは1枚にまとめられていたことを思えば納得のいく距離です。。この御油・赤坂間の旧東海道沿いに天然記念物に指定されている松並木があります。松並木は街道を行く人々を夏の暑さや、冬の強風から守るため幕命により植えられたもので1604年(慶長9)から11年かけて約160本が植えられました。



現在の松並木は旧街道に沿って約600mに渡って300本の松の木が彩りを添えています。国道一号線からは若干それて走る旧街道は道幅が狭く、今でこそ民家が建ち並んでいますが、かつては追いはぎがでてもおかしくないような場所なのです。

 

 

 

 



せっかくなので名鉄御油駅側の松並木入口で車を降りて、600mを徒歩で歩くことにしました。松並木が残る旧街道に沿ってはそれほど民家もなく、往時の面影を感じながら美しい松の枝ぶりを眺めながら散策を愉しむことができました。以前に歩いた箱根旧街道の昼尚暗き杉並木とはまったく趣が異なり、松の枝がまるでトンネルのように街道を覆う姿は時代劇の一場面を彷彿とさせてくれました。

東海道五十三次街道めぐり 第27回 第3 日目 莵足神社から御油そして赤坂へ



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