大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

「八重の桜」で人気沸騰・会津鶴ヶ城に行くなんしょ!

2013年04月19日 20時30分56秒 | 地方の歴史散策・福島会津鶴ヶ城
福島に入るなり各観光地は何処も「八重の桜」のポスターがペタペタ。
特に会津市内は商店街のすべての店先には山本八重役の「綾瀬はるかさん」が笑顔で私たちを迎えてくれます。

鶴ヶ城天守閣パンフレット

今回の旅で期待度No.1の会津鶴ヶ城は大内宿から山越え、谷を辿り、桜咲く豊かな田園地帯を抜けた会津盆地にひときわ聳えるように私たちを迎えてくれました。

鶴ヶ城天守

会津の城下は美しい山並みに囲まれた場所で、おそらく夏は暑く、冬季は雪深い土地柄なのでしょう。

城下に入ると処々に満開の桜並木が現れ、季節の移ろいの中で長い冬からやっと春を迎えた明るい雰囲気を感じることができました。

3分咲きの城内の桜

会津松平23万石のご城下は高層ビルがない静かな地方都市らしい佇まいを見せています。徳川親藩・御家門で会津葵の使用を許された会津藩は江戸時代の寛永20年(1643)に保科正之が入封して以来、あの幕末の戊申戦役に活躍した松平容保公に至るまでの225年間にわたって会津を支配していた名門です。

天守から本丸跡を眺める

そして名君・保科正之は二代将軍秀忠公の御落胤で家光公の異母兄弟という境遇にあり、家光公の格別なる配慮により出羽から3万石加増の23万石の大大名になった経緯があります。これにより正之公自身も将軍家に対しては家名が存続する限り忠義、忠君を誓いつづけることを家訓としたといいます。

天守から眺める山並み

そんな将軍家への忠義が災いをもたらしたのが、幕末動乱の時期に会津藩が京都守護職を引き受けてしまったことにあります。26歳の若さで京都守護職を拝命した九代藩主の容保公を待っていたのは、朝幕間の駆け引きに翻弄されつづけた結果、鳥羽伏見の戦いに敗れ、朝敵の汚名をきせられ会津に逃げ帰るという最悪な結果だったのです。

天守から眺める走長屋

このような結果になってしまったのも、将軍家への忠義がなせる業であったのかもしれませんが、若き藩主である容保公は会津に戻り、家督を譲り謹慎したのですが、時代の流れは徳川殲滅へと大きく傾きさらに最悪の事態へと進んでいってしまうのです。



そして会津は奥羽越列藩同盟の中心的存在として新政府軍に抗戦すべく「会津戦争」の主導的役割を担うのですが、時代はもはや会津に味方をしてくれなかったのです。

鶴ヶ城内
天守遠望
天守遠望

その会津戦争では白虎隊をはじめ多くの方々が活躍したのですが、NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公である山本八重さんもその中の一人です。時代の流れに抗うように、将軍家親藩としての誇りを盾に潔く散っていった会津藩の心意気に共感を覚えます。
幕末からわずか145年しか経っていない現在、会津を火の海にした島津、長州をはじめとする官軍に対して会津の方々がどのような思いを持たれているのかを機会があればお聞きしたいと思うのですが……。

天守

白虎隊そして今年の大河ドラマ「八重の桜」でも脚光を浴びる会津の方々にとって、今年が特にいい年になるよう心から願っています。

満開!絶景!樹齢千年の三春滝桜
残雪の中の裏磐梯・五色沼
大内宿~山間の静かな宿場町~



日本史 ブログランキングへ

神社・仏閣 ブログランキングへ

お城・史跡 ブログランキングへ