これまで日本各地に点在する代表的な東照宮詣でをしてまいりましたが、灯台下暗しともいうべきか東京からさほど離れていない川越の東照宮が取材先から漏れていました。
江戸の風情に溢れている川越の中で最も取材をしてみたい場所が日本の三大東照宮と言われている「仙波東照宮」だったのです。先の中院からは徒歩で数分の距離に神君家康公は鎮座しています。中院からまっすぐに延びる道を歩いていくと、ふいに仙波東照宮と書かれた看板が目に飛び込んできます。
仙波東照宮参道入り口
私にとっての東照宮は尊敬する神君家康公を祀る社であると同時に、徳川将軍家の心の拠り所としても、江戸時代を通じて幕藩体制を堅固にした象徴的な特別な存在として威厳をもって迫ってくるのです。
川越の東照宮は元和3年(1617)、徳川家康の遺骸を久能山から日光に移送する途中、喜多院に4日間とう留して家康公の政策ブレーンであった天海僧正が大法要を営みました。そのことにより寛永10年(1633)に喜多院の境内に東照宮が創建されたのです。
そんな川越の仙波東照宮の佇まいは日光や久能山に比較するとかなり地味な装いで私を迎えてくれました。参道入り口からは東照宮の社殿を見ることができませんが、一直線にのびる参道の向こうに朱で塗られた門が置かれています。これが随身門と呼ばれる門です。
随身門
これまで詣でた東照宮の中ではかなり地味な色合いと華美にならない簡素な門といった印象です。かつては門の左右にはそれぞれ随身が置かれていたようですが、今はその姿を見ることができません。どこへ行ってしまったのでしょう?
参道と鳥居
鳥居に刻まれた文字
夏の陽射しを背中に受けながら随身門をくぐると前方に石造りの鳥居が建っています。三大東照宮にしてはその鳥居の規模も地味なのですが、長い歴史を刻んでいるような佇まいを見せています。鳥居には「寛永15年9月17日」の文字が刻まれています。かつては「東照大権現」の扁額も掲げられていたと思いますが、現在はその扁額すらありません。どうしてどうしょうか?この鳥居は寛永の大火の後、三大将軍家光公の命により東照宮の再建に当たった当時の川越城主であった堀田正盛が奉納したものです。
鳥居をくぐるとその向こうにはこんもりとした東照宮の杜が見えてきます。先ほどの随身門から鳥居を一直線に結んだ先に東照宮ご社殿へと通じる長い石段が見えます。
社殿へつづく石段
周囲の木々の緑に覆われた石段をのぼって行く瞬間は、いずこの東照宮参拝でも気持ちが引き締まる思いです。石段をのぼりきると大きな葵のご紋が掲げられた鉄扉が迎えてくれます。この葵のご紋に迎えられる気持ちは家康公好きの私にとっては何にもまして代えがたいものです。
社殿入口の門の葵の御紋
いよいよ東照宮社殿が居並ぶ神域へと入ってきます。ご社殿はまず拝幣殿、そしてその背後に平唐門とそれに付随する瑞垣、その瑞垣に囲まれた本殿の順で配置されています。全体的な雰囲気としては愛知県の鳳来山東照宮や同じく瀧山東照宮の佇まいに似ているような気がします。
拝幣殿
拝幣殿
現在見る東照宮の各殿の建物は寛永の大火後の再建の際に、江戸城内にあった空宮を解体しここに移築、再建したもので拝殿の向背部分の装飾は非常に地味で極彩色の彩りはありません。
拝幣殿の向背部分
拝殿の後方の唐門と本殿には近づくことができませんが、唐門とそれに付随する透塀、更にはその背後の本殿の姿はさすが三大東照宮の一つと言われる風格を感じさせてくれます。遠目でしかわかりませんが、本殿はきっと極彩色の彩りと見事な彫刻群で飾り立てられているのではないでしょうか?
唐門と本社殿
拝殿が置かれている敷地の左右にはたくさんの石灯籠がたっています。これらの石灯籠は歴代の川越城主が寄進したもので全部で26基並んでいます。
石燈籠群
特に歴史上の人物として名高い松平信綱(知恵伊豆として有名)をはじめ、歴代の川越城主であった松平輝綱、松平信輝、柳沢吉保、秋元喬房、秋元涼朝、松平直恒、松平斉典が奉納寄進した灯篭は拝殿後方の唐門手前にずらりと並んでいます。
唐門手前の石灯籠
尚、現存する東照宮の随身門、鳥居、拝幣殿、平唐門、瑞垣、本殿すべてが重要文化財に指定されています。
今回の仙波東照宮参拝をもって名だたる東照宮詣でがほぼ終了いたしました。これまで辿った東照宮詣でをリンクしましたので是非ご覧ください。
住所:埼玉県川越市小仙波町1-21-1
電話:049-224-3431
拝観時間:9時~16時
拝観料なし
通常は拝殿手前までは入場できます。
真夏の小江戸・川越の歴史散策(其の壱)~天台宗別格本山・中院~
真夏の小江戸・川越の歴史散策(其の参)~本丸御殿に在りし日の栄華を偲ぶ~
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真夏の小江戸・川越の歴史散策(其の伍)~小江戸川越の蔵の街と菓子屋横丁~
真夏の小江戸・川越の歴史散策(其の六)~天海・家康公・家光公そして春日局ゆかりの川越大師・喜多院~
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江戸の風情に溢れている川越の中で最も取材をしてみたい場所が日本の三大東照宮と言われている「仙波東照宮」だったのです。先の中院からは徒歩で数分の距離に神君家康公は鎮座しています。中院からまっすぐに延びる道を歩いていくと、ふいに仙波東照宮と書かれた看板が目に飛び込んできます。
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私にとっての東照宮は尊敬する神君家康公を祀る社であると同時に、徳川将軍家の心の拠り所としても、江戸時代を通じて幕藩体制を堅固にした象徴的な特別な存在として威厳をもって迫ってくるのです。
川越の東照宮は元和3年(1617)、徳川家康の遺骸を久能山から日光に移送する途中、喜多院に4日間とう留して家康公の政策ブレーンであった天海僧正が大法要を営みました。そのことにより寛永10年(1633)に喜多院の境内に東照宮が創建されたのです。
そんな川越の仙波東照宮の佇まいは日光や久能山に比較するとかなり地味な装いで私を迎えてくれました。参道入り口からは東照宮の社殿を見ることができませんが、一直線にのびる参道の向こうに朱で塗られた門が置かれています。これが随身門と呼ばれる門です。
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これまで詣でた東照宮の中ではかなり地味な色合いと華美にならない簡素な門といった印象です。かつては門の左右にはそれぞれ随身が置かれていたようですが、今はその姿を見ることができません。どこへ行ってしまったのでしょう?
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夏の陽射しを背中に受けながら随身門をくぐると前方に石造りの鳥居が建っています。三大東照宮にしてはその鳥居の規模も地味なのですが、長い歴史を刻んでいるような佇まいを見せています。鳥居には「寛永15年9月17日」の文字が刻まれています。かつては「東照大権現」の扁額も掲げられていたと思いますが、現在はその扁額すらありません。どうしてどうしょうか?この鳥居は寛永の大火の後、三大将軍家光公の命により東照宮の再建に当たった当時の川越城主であった堀田正盛が奉納したものです。
鳥居をくぐるとその向こうにはこんもりとした東照宮の杜が見えてきます。先ほどの随身門から鳥居を一直線に結んだ先に東照宮ご社殿へと通じる長い石段が見えます。
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周囲の木々の緑に覆われた石段をのぼって行く瞬間は、いずこの東照宮参拝でも気持ちが引き締まる思いです。石段をのぼりきると大きな葵のご紋が掲げられた鉄扉が迎えてくれます。この葵のご紋に迎えられる気持ちは家康公好きの私にとっては何にもまして代えがたいものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/58/05240a616dbd9072ef00fef433a3a09e.jpg)
いよいよ東照宮社殿が居並ぶ神域へと入ってきます。ご社殿はまず拝幣殿、そしてその背後に平唐門とそれに付随する瑞垣、その瑞垣に囲まれた本殿の順で配置されています。全体的な雰囲気としては愛知県の鳳来山東照宮や同じく瀧山東照宮の佇まいに似ているような気がします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/05/fc6740cd0a879d3480913278da718b41.jpg)
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現在見る東照宮の各殿の建物は寛永の大火後の再建の際に、江戸城内にあった空宮を解体しここに移築、再建したもので拝殿の向背部分の装飾は非常に地味で極彩色の彩りはありません。
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拝殿の後方の唐門と本殿には近づくことができませんが、唐門とそれに付随する透塀、更にはその背後の本殿の姿はさすが三大東照宮の一つと言われる風格を感じさせてくれます。遠目でしかわかりませんが、本殿はきっと極彩色の彩りと見事な彫刻群で飾り立てられているのではないでしょうか?
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拝殿が置かれている敷地の左右にはたくさんの石灯籠がたっています。これらの石灯籠は歴代の川越城主が寄進したもので全部で26基並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/63/3787b31679096ce20ebac9cbf9a5ec2d.jpg)
特に歴史上の人物として名高い松平信綱(知恵伊豆として有名)をはじめ、歴代の川越城主であった松平輝綱、松平信輝、柳沢吉保、秋元喬房、秋元涼朝、松平直恒、松平斉典が奉納寄進した灯篭は拝殿後方の唐門手前にずらりと並んでいます。
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尚、現存する東照宮の随身門、鳥居、拝幣殿、平唐門、瑞垣、本殿すべてが重要文化財に指定されています。
今回の仙波東照宮参拝をもって名だたる東照宮詣でがほぼ終了いたしました。これまで辿った東照宮詣でをリンクしましたので是非ご覧ください。
住所:埼玉県川越市小仙波町1-21-1
電話:049-224-3431
拝観時間:9時~16時
拝観料なし
通常は拝殿手前までは入場できます。
真夏の小江戸・川越の歴史散策(其の壱)~天台宗別格本山・中院~
真夏の小江戸・川越の歴史散策(其の参)~本丸御殿に在りし日の栄華を偲ぶ~
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真夏の小江戸・川越の歴史散策(其の六)~天海・家康公・家光公そして春日局ゆかりの川越大師・喜多院~
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安土桃山末期、江戸初めの1604年に、ポルトガル人のジョアン・ロドリゲスが、日本に布教に来て30年ほど滞在し、作ったのが「日本大文典」という印刷書籍です。400年前の広辞苑ほどもあるような大部で驚きます、秀吉の知遇、さらに家康の外交顧問もしていました。当時、スペイン国王からはメキシコに帰る難破船救助のお礼に、「家康公の時計」をもらっています。古代から伝えられてきた日本の歴史について知ることができる タイムカプセル でしょうか。戦国時代直後まで伝えられてきた古代史で、倭国年号が記載され、続いて慶雲以後の大倭年号が続きます。日本大文典の倭国年号の存在は、ウィキなどにも記載されていません、「日本大文典」の実物を手にとって見てください、感動すること間違いありません。 宜しくお願いします。