大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

日本三大東照宮の一つ「鳳来山東照宮」参拝記(其の三)~神君家康公が座する天空の社殿~

2011年11月17日 14時27分20秒 | 地方の歴史散策・愛知県鳳来山東照宮
鳳来寺ご本堂の前の休憩所で1425段の石段完全踏破の疲れを癒した後、いよいよ尊敬する家康公が祀られている東照宮へと向かうことにします。

東照宮拝殿

鳳来寺ご本堂の右手から東照宮へとつづく平坦な参道がうっそうとした杉木立の中に延びています。距離として約200mほど歩くと石灯籠が見えてきます。もう社殿に着くのかな、と思いきや、東照宮は簡単に姿を現してくれません。予想通り、また石段が姿を現します。それほどの段数ではないのですが、疲れ切った体にはこたえます。石段の下から仰ぎ見ると、「よくぞここまで来た」と言わんばかりに、朱色の鳥居が出迎えています。

東照宮への参道
東照宮一の鳥居

おもむろに石段を登ると、再び平坦な場所に出てきます。やっと拝殿に対面できるものと思っていたのですが、東照宮はさらに試練を与えてくれます。「家康様。もう勘弁してください。」とつい口走ってしまったのですが、これが本当に最後の石段と思われるような石造りの鳥居が段上に姿を見せています。

東照宮石柱
二の鳥居へ続く石段
二の鳥居

はやる気持ちを抑えながら、一歩づつ石段を踏みしめ天空の社殿へと進んでいきます。

さて今一度、鳳来山東照宮の縁起を簡単に紹介しておきましょう。
時は三代将軍家光公の御世、慶安元年4月、家公光が日光の東照宮に参詣した時、東照宮縁起に「家康の父君広忠公が、良い世継ぎを得たいと思われ、北の方(於大(おだい)の方)とともに鳳来寺に参篭し祈願したところ、その効あって家康が授かった」と記されてあるのに感銘をうたれ、鳳来山東照宮の建立を発願され、慶安4年4代将軍家綱の時代に完成しました。建立後は、神仏一体の制のもとに祭事その他一切を鳳来寺が行ってきましたが、明治5年の神仏分離令により独立し現在に至っています。

日光・久能山とともに、日本三大東照宮と称されています。昭和28年に、本殿・拝殿・幣殿・中門・左右透塀・水屋が国の重要文化財に指定されています。

最後の石段を登りつめると、左手に社務所、右手に水屋そして正面に極彩色に彩られた拝殿で配置されています。うっそうとした杉林に囲まれた境内は吹く風になびく杉の枝葉のさざめきだけが耳に届き、家康公を神として崇めるに相応しい環境なのです。

水屋
拝殿

拝殿の両脇には比較的新しい一対の狛犬が置かれ、どういう訳かその狛犬の後ろにのっぺりとした、まるでオットセイのような形の石が隠れていいます。この石について社務所の方に尋ねると、戦時中に若い兵士が家康公の武運にあやかる為にここ鳳来山東照宮に訪れ、狛犬の表面を削り取りお守りとして戦地に赴いたとのこと。そのため、旧狛犬は角がとれのっぺりとしてしまったのです。

狛犬
旧狛犬

拝殿はこじんまりとした佇まいで派手さはありませんが、それでも極彩色の彩りは目を見張るものがあります。拝殿の裏側へと回り込むと、立派な石灯篭が整然と並び、拝殿、幣殿と一直線に並ぶように中門が置かれ、その奥に家康公が祀られている本殿が置かれています。中門を中心にして透塀がまるで羽のように左右均等に延びています。

拝殿向背部分
拝殿向背部分
石灯篭
中門
中門向背部分
透塀
本殿

本殿には近づけないため、遠目でその姿を鑑賞しつつ、中門にて参拝を済ませました。尚、ここ鳳来山の東照宮本殿には神君家康公の像がご神体として祀られているそうです。この像はかつて江戸城内の紅葉山にあった家康公霊廟に祀られていたものをここ鳳来山に遷座したそうです。

それにしてもよくもこんな山奥に絢爛豪華な社殿を造ったものだ、というのが私の印象です。将軍家の威信というべきなのか、それだけでは説明がつかないほどのエネルギーを感じながら下山の途へついた次第です。

石段

下山は再び1425段の石段を下ることにしたのですが、登りよりもはるかに足腰に負担がかかる上に、手すりのない傾斜角40度という石段は危険きわまりないものでした。ただ鳳来山東照宮への参拝は1425段の石段を登り降りすることに価値があるものと信じています。

日本三大東照宮の一つ「鳳来山東照宮」参拝記(其の一)~鳳来寺参道散策~
日本三大東照宮の一つ「鳳来山東照宮」参拝記(其の二)~歴史を刻む天空への石段~



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日本三大東照宮の一つ「鳳来山東照宮」参拝記(其の二)~歴史を刻む天空への石段~

2011年11月09日 20時15分05秒 | 地方の歴史散策・愛知県鳳来山東照宮
長閑な雰囲気を漂わす田園風景を眺めながら鳳来寺参道へ続く石段入口に着いたのは、参道入口から歩き始めておよそ20分の時間を要していました。

いざ神君家康公が座する天空の社殿へ、と気持ちを引き締め1425段の第一歩を踏み出しました。それまでほぼ平坦な道のりであった参道から石段は急激な角度でうっそうとした杉林の中へと消えていきます。

杉木立の中へ延びる石段

石段という表現が正しいのかわかりませんが、実は整った石が積まれたものではなく、小さく切り出した石を不揃いに並べたものなので、歩行のバランスをとるために常に下を見ながら歩かなければならない状態が続くのです。このため周囲の景色を見ながら歩くことができないもどかしさを感じてしまうのです。

石段

参道を歩いている間は快晴の空の下で、晩秋の陽射しに少し汗ばむほどだったのですが、うっそうとした杉木立に陽射しは遮られ、前夜の雨で湿り気のある空気が森全体を冷やし、肌寒さを感じるほどです。

しかしこの肌寒さが滴り落ちる汗に変わるまでにさほどの時間を要さないほど、石段の登りは過酷さを増してきます。石段の最初の一歩から山頂の鳳来寺までは1時間ほど要するとのことなのですが、歩き始めて5分ほどで息が絶え絶えになるくらいの聞きしに勝る石段の登りなのです。かつて芭蕉が当山に訪れた時、持病が突然悪化して途中で引き返したという話はまんざら嘘とは思えないほどの石段です。

石段

そんな逸話を頭に思い浮かべながら、森閑とした杉木立の中をもくもくと歩きつづけるのですが、ふと耳を澄ますと石段に沿って流れる清流のせせらぎが聞こえてきます。なんと幽玄な世界なのだろうか! 杉木立の隙間から射し込む木漏れ日が一筋の光となって照らし出す世界はまるで浄土へのプロローグを演出しているような錯覚に陥ります。

石段と山門

石段を包む周囲の自然環境は素晴らしいものなのですが、石段を懸命に登る我が身はそれころ我を忘れて天空を目指します。うっそうとした杉木立の向こうになにやら建物らしきものが見えてきます。見上げるような石段を踏みしめながら、歩を進めていくとそれが山門であることがわかりました。木々の間から射し込む陽射しの中に浮かび上がるように佇む山門は神々しさを感じさせてくれます。

山門

ちょうど一休みを考えていた頃に現れた山門(仁王門)は慶安4年(1651)に鳳来山東照宮造営を命じた三代将軍家光公によって建てられたものです。薄暗い杉木立の中に鮮やかな朱の仁王門が彩りを添えています。仁王門の左右にはそれぞれに仁王像が祀られています。尚、この仁王門は国の重要文化財で、門に掲げられている扁額の文字は奈良時代の聖武天皇の皇后様である光明皇后の宸筆であると伝えられています。実は芭蕉はこの仁王門までやってきたのですが、持病の悪化のためここから引き返したのです。

仁王像(右)
仁王像(左)
振り返って見た仁王門
石段に架けられた橋

仁王像から力を授けられ、気を取り直して延々と続く石段の旅を続けることにします。仁王像から100mほどの距離(全行程の1/5)にあるのが「傘すぎ」とよばれている杉の巨木です。石段の脇にそそり立つひときわ大きな杉の木なのですが、なんと30m以上の高さまで枝を持っていないのです。推定樹齢800年、樹高約60m、目通り幹周は7.5mと周囲の杉を圧倒する大きさです。国の指定天然記念物で新日本名木百選に選ばれているそうです。

傘すぎの説明書き

さあ頑張って天空を目指します。石段を登っていくと道の脇に少し平坦な場所が現れることがあります。そこには例外なくかつてそこに建っていた僧坊又は堂宇の名前が記された石柱が置かれています。最も僧坊の数が増えた時期は四代将軍家綱公の頃で、石段脇に21もの僧坊が山頂に至るまで連なっていたのです。現在はそのほとんどが焼失して、わずかに2院が残るのみです。21もの僧坊が連なる鳳来寺石段は「鳳来寺道」と呼ばれ、江戸時代の最盛期には数多くの参詣者で賑わっていたのです。

松高院の山門

その一つである松高院の山門が石段脇にひっそりとした趣で佇んでいます。この松高院は現在無住のお寺です。さらに石段はつづきます。山頂に近づくにつれ石段の幅が狭く、勾配もかなり急になってきます。ますます足元を注意深く見ながら石段を登ることになるので、時間もかかります。

振り返って見た松高院

その急な勾配の石段を見上げるともう一つ残っている僧坊である「医王院」のお堂が見えてきます。お堂だけが一つ残る医王院の掃除をしている人がいました。鳳来寺まではあとどれぐらいかを尋ねると、「もうすぐですよ」とのこと。

医王院へつづく石段
医王院のお堂

やっと先が見えてきたことで、最後の力を振り絞って石段を登り始めたのですが、このあたりからの石段の幅はさらに狭くなり、勾配はやたらキツク、傾斜角度が40度くらいあるとのことです。こんな状態の鳳来山の石段には「手すり」というものがまったくありません。

最後の石段?

ほんとうに最後の力を振り絞るように石段を登りきると、やっと平坦な場所に到着です。しかし鳳来寺のご本堂が見えません。平坦な道を誘われるままに進むと、前方にまた石段が現れます。心が折れるとはこのことで、すでにエネルギーは使い果たしています。それでもこの石段を登らなければ、目的を達することができないという気持ちは残っていました。

平坦な道

これが最後の石段と思いながらゆっくりと登っていきます。「着いた!」「やっと着いた!」
息も絶え絶え。腰、股間、太もも、膝、ふくらはぎ、すべてが悲鳴をあげています。

鳳来寺本堂
鳳来寺休憩所

ご本堂への参拝もそっちのけで、休憩所へ直行。崩れ落ちるようにベンチに腰を掛け、放心状態ままご本堂を眺めていました。

鳳来寺境内からの絶景

鳳来寺境内で疲れを癒し、いよいよ最終目的地である東照宮へと向かいます。

日本三大東照宮の一つ「鳳来山東照宮」参拝記(其の一)~鳳来寺参道散策~
日本三大東照宮の一つ「鳳来山東照宮」参拝記(其の三)~神君家康公が座する天空の社殿~



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日本三大東照宮の一つ「鳳来山東照宮」参拝記(其の一)~鳳来寺参道散策~

2011年11月08日 12時23分32秒 | 地方の歴史散策・愛知県鳳来山東照宮
夜来の雨があがった今日11月7日(月)は雲一つない快晴。またまた豊橋に滞在しています。

日本三大東照宮の一つとして名高い鳳来山東照宮を目指すことにしました。豊橋からはJR飯田線を利用して16駅目の本長篠下車が最もアクセスしやすいとのこと。初めて乗る飯田線はローカル線らしく2両編成の向かい合わせの座席配置。それほど混まないのではと思いきや、観光客らしき個人のグループで全席満席。たまたま同席となったご夫妻は大阪から天竜へ温泉旅行へ向かうとのこと。大阪の方特有の気さくで話好きなご夫妻で、旅行談義に花が咲き、一人旅の私を飽きさせない話で車窓の景色を眺める暇もなくあっという間にお別れの時間となってしまいました。

鳳来山東照宮拝殿

本長篠駅は山あいの静かな町に佇む田舎の小さな駅です。事前の調べで鳳来寺山行のバスが発着するターミナルが駅のそばにあるというので急いで向かったのですが、わずかの違いで乗りそびれてしまいました。仕方なくタクシーを拾い、鳳来寺山下まで急ぎ向かうことにしました。タクシーで10分程度の距離に鳳来寺山への参道入口(三ノ門)に到着です。

本長篠駅ホーム
JR飯田線車両
本長篠駅舎

参道入口には五平餅を売る茶店や料理店、そして参拝客用の旅籠が並んでいます。そんな参道の景色の中に鳳来寺へと延びる石段までの距離を記した道標が置かれています。参道入口から石段までの距離は1200mと記されています。

参道入口「三ノ門柱」
参道入り口
参道入り口の道しるべ

鳳来寺は鳳来寺山の山頂に開基された寺院ですが、この寺の更に奥へ進んだ高台に神君家康公を祀る東照宮の社殿が置かれています。この鳳来寺本堂までなんと1425段の石段を登らなければなりません。この石段の数は久能山東照宮の1159段をはるかに凌いでいることを考えると、完全踏破にはかなりの覚悟が必要で、気後れを感じながら参道を進むことになります。

鳳来寺山の道しるべ

ところで何故鳳来山に東照宮が勧請されたのかという理由について簡単にご紹介しましょう。

「東照(家康公)神君のお父君であられる贈大納言廣忠卿が子どものないことを憂いて、お母君であられる北の方傳通院と御一緒に鳳来寺峯薬師へ御参籠され御祈願をなされたら、その証があって、ある夜、北の方傳通院殿(於代の方)は、『東 の方より老翁が来て、金珠を与えられる』という夢を見られました。それから間もなく北の方傳通院殿が身ごもられ、12ケ月過ぎ、天文11年壬寅年(1542)12月26日に御出産遊ばされたのが東照神君でした。」(鳳来山東照宮ホームページより)

この縁起を家光公は日光東照宮で見ることで、鳳来寺の伽藍を造営し、併せて東照宮を鳳来山に勧請し現代に至っています。こんな霊験新たかな鳳来寺ですが、江戸時代には幕府の庇護のもと隆盛を極めたのですが、明治に入り神仏分離により寺領が縮小されたことで困窮、しかも大正時代には本堂が焼失したことで廃寺寸前まで追い込まれてしまいます。かつての寺勢は失われ伽藍、僧坊はことごとく失われてしまいましたが、昭和49年に本堂が再建され、かろうじて面目を保っています。

鳳来寺本堂

それでは石段に至るまでの参道をゆっくりと進んで行きましょう。参道を歩き始めると鳳来寺山から湧き出す清流の心地よいせせらぎの音が聞こえてきます。少し目線を上に向けるとこれから向かう鳳来寺山(684m)の山並みが目に飛び込んできます。この参道の路傍には適度な間隔を置いて十二支を順番に刻んだ石造りの道しるべが置かれています。なにやら巡礼の道を旅する気分になってきます。

参道から眺める鳳来山

参道入り口から数分歩いた場所に立つのが「二ノ門」です。この参道には全部で3つの門が置かれ、それぞれにこのような門柱が立っています。

二ノ門

参道に沿って時折、参詣客が休憩を兼ねて小腹を満たすような茶店が現れたり、小さな弁天堂が道の脇に鎮座していたり、古い造りの民家、はたまた神君家康公や芭蕉そして若山牧水の像が置かれ、その由緒を見ながら散策でき飽きることがありません。

参道の景色
参道の景色
家康公の像
古い民家

芭蕉は47歳の時にここ鳳来寺に立ち寄っています。芭蕉一行は鳳来寺へと石段を登り始めるのですが、仁王門のあたりで芭蕉の持病が激しく痛みだし、止むなく下山しています。そして麓の家根屋という宿屋に無理やり泊めてもらうのですが、この日は鳳来寺の秋祭りでどの宿屋も部屋は満員状態。与えられた部屋は風が吹き抜け、布団もお粗末だったのです。こんな様子を詠ったのが「こがらしに岩吹きとがる杉間かな夜着ひとつ祈り出して旅寝かな」。

一ノ門
芭蕉像
若山牧水像

また参道を歩いていると「硯」と書かれた看板を軒先に出している店が2軒ほど現れます。なぜ「硯」を売る店があるのかというと、実はこの地では1300年も前から鳳来硯なるものが作られているというのです。このあたりで採掘される金鳳石、煙巌石、鳳鳴石などを原料として利用されています。

硯店
参道の景色

参道入り口から15分ほどでいよいよ鳳来寺そして東照宮へと通じる1425段の「最初の一歩」が見えてきます。石段手前には旅の安全を見守ってくれるように石仏が並んでいます。そして山頂へとのびる石段がうっそうとした杉木立の中へとのびています。

鳳来寺石柱
鳳来寺看板
石仏
石段の始まり

日本三大東照宮の一つ「鳳来山東照宮」参拝記(其の二)~歴史を刻む天空への石段~
日本三大東照宮の一つ「鳳来山東照宮」参拝記(其の三)~神君家康公が座する天空の社殿~



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