大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

木曽路十五宿街道めぐり (其の十七) 南木曽~妻籠峠~妻籠宿

2015年08月19日 17時06分38秒 | 木曽路十五宿街道めぐり
昼食後、ふたたび旧街道筋へと戻ることにします。
先ほど分岐した場所へ戻り、中央本線の反対側の山裾に穿かれた旧街道へ進んでいきましょう。
ゆるやかな坂道を上って行くと中央本線の南木曽駅が眼下に見えてきます。

ここ南木曽(駅)は次の宿場町である「妻籠」への観光拠点として、特急列車も止まります。
南木曽駅から妻籠まで車で20分程度です。
しかし、車で妻籠へ向かうより、中山道を辿って妻籠へ向かう方が街道気分を十分に味わうことができます。

南木曽駅前



そんな妻籠宿への道程の途中にあるのが南木曽駅の裏側の高台に位置する「和合集落」です。

細い道筋の両側に民家が並んでいます。道筋には須原宿で見たような水舟が置かれています。
集落の中を進んで行くと街道の右手に旧家らしき大きな家が現れます。表札をみると「園原」と書かれています。

実は「園原」の家柄はここ和合ではたいへん有名なのです。この大きな屋敷の先の街道左側に「園原先生碑」が置かれているのですが、この園原先生とは江戸時代の神学者なのです。



園原先生の正式名は園原旧冨(そのはらふるとみ)で江戸時代の元禄16年(1703)にここ和合の神官の家に生まれました。
その後、旧冨は神祇官領長だった吉田兼敬に師事して神学を学びました。

そして「神学則」を著し、「木曽古道記」「神心問答」「御坂越記」「木曽名物記」などの著作を残しました。この記念碑は彼の死後5年目の天明元年(1781)に門人たちによって屋敷跡に建てられたものです。

和合の集落を抜けると、道筋は山間へと入って行きます。そしていよいよ峠越えの上り坂が始まります。
周囲の景色は緑濃い木々に覆われた街道らしい雰囲気を漂わせています。
さあ!妻籠宿へ進んでいきましょう。

妻籠への道

妻籠宿への序盤戦はちょっとキツメの上り坂です。歩き始めて13キロを超えた辺りでの急坂は結構体に負担がかかります。木曽路を歩いて久しぶりの山間の道筋です。



急坂を登りきると、いくらか平坦な場所へ出てきます。そんな場所に小さな集落が現れます。
神戸集落(こうどしゅうらく)です。ほんの僅かな民家が街道沿いに並んでいます。
神戸集落を抜けると道筋は緩やかな下り坂に変り、まもなくすると道幅が広くなる三叉路へとでてきます。

そんな場所にあるのが巴御前ゆかりの「ふりそで松」です。

ふりそで松

この松は義仲が弓を引くのに邪魔になるとのことで、巴御前が振袖を振って倒したといいます。

街道を挟んで祠が一つ置かれています。その祠の右側の階段を降りていくと、もう一つお堂が置かれています。ここが「かぶと観音」です。

この観音も木曽義仲ゆかりのものです。義仲が平家追討のため北陸道から上京するとき、木曾谷の南の押さえとして妻籠城を築き、その鬼門にあたるこの神戸の地に祠を建てました。その際、兜の中におさめていた安全祈願の八幡座の観音像を祭った。」といわれています。

そうした伝承から木曾の武将たちから手厚く保護されてきました。天正十五年、木曽福島の山村良候が大檀那になって「かぶと観音」の堂舎を造営しました。江戸時代には街道を通る多くの人々が訪れたといいます。

かぶと観音

かぶと観音の境内は木々に覆われ、静かな空気が流れています。境内の奥に祠が一つ置かれています。また境内に置かれた大きな石は義仲が腰かけたと伝わる「腰掛石」です。そして境内の隅にひときわ大きな観音像が立っています。

かぶと観音の境内を抜けて、街道へと戻ることにしましょう。
この先はほんの少しの間、緩やかな下り坂となります。神戸沢を渡り合戸立場跡を進んで行きます。立場跡からダラダラと坂道を下り「戦沢橋」を渡ります。

神戸沢

「戦沢橋」を渡ると道筋は緩やかな上りへと変ります。

石畳道

そして間もなくするとお江戸から数えて78番目の一里塚「上久保一里塚」にさしかかります。この一里塚は若干崩れてはいますが、原型をとどめている一里塚です。

上久保一里塚



上久保一里塚を過ぎると道筋はこの先しばらくは上り坂がつづきます。
木曽路の山間に穿かれた街道らしい風景が周囲に広がります。鬱蒼とした森がつづきます。



途中、路傍に朽ちかかった案内板に越後の良寛上人が木曽路で詠んだ二首のうちのひとつが記されています。
「この暮れの もの悲しさにわかくさの 妻呼びたてて 小牝鹿鳴くも」

そして趣ある石畳の道を辿って行くと、その先に旧中山道で名石の一つと言われている蛇石(へびいし)が街道の脇に現れます。

へび石

蛇の頭のように見えることからその名が付いたというが、かなり想像を逞しくすればそう見えないこともないのですが……。うっかりしていると見過ごしてしまうほどのものです。
往時は街道を旅する人たちの目を引いていたのかもしれません。

道筋は木曽路の山間を縫うように妻籠宿へとつづいています。まさに木曽路の街道を歩いているといった雰囲気が漂います。
車もほとんど通らない旧道は深閑とした空気が漂い、小鳥のさえずりさえあまり聞こえてきません。
もし、日が暮れてからこの道を歩けといわれたとしても、男であってもちょっと遠慮したくなるような道筋です。

蛇石を過ぎると道筋はほぼ平坦な道へと変ります。まもなく妻籠への至る峠を越えることになります。そんな峠の頂に置かれていたのが「城山茶屋」です。以前は茶屋として旅人の何らかのものを供していたと思われますが、現在、茶屋の建物はあるのですが、すでに廃墟になっています。
この茶屋があった場所から道が二股に分岐しています。私たちは右手へつづく坂道へと進んでいきます。
そんな分岐点に「妻籠城址」の石碑が置かれています。

妻籠城址碑

妻籠城は義仲が築いたものでは? そんな説明書きが「かぶと観音」にありましたよね。しかし、この場所の説明書きに義仲の名前が一切でてきません。不思議ですね。まあ、この件については追求せずにしておきましょう。妻籠城は木曽川と蘭(あららぎ)川の合流する断崖の上にある典型的な山城で主郭、二の郭、帯曲輪などを備えていました。小牧長久手の戦いでは豊臣方に就き、300の兵で徳川の大軍を防いだといいます。 関ヶ原の戦いでも、西軍側で戦い、中山道を進めた秀忠が遅れた一因になったといわれています。元和の一国一城令により、城は破却されました。
城があった山は標高420mで「城山」と呼ばれ、頂上には本丸址、土塁、空堀が残っています。(山頂まで徒歩10分)



城山茶屋から道筋は一気に急峻な下り坂へ変ります。さあ!いよいよお江戸から42番目の妻籠宿が近づいてきます。

中山道そして木曽路の中で「奈良井宿」と並んで宿場町の雰囲気を色濃く残しているのが妻籠宿です。昭和51年(1976)に重要伝統的建造物群保存地区の第1号に指定されました。

電信柱がない宿内の街道に沿ってまるで江戸時代にタイムスリップしてしまったかのような古い家並みがつづいています。
木曽川の支流である蘭川(あららぎかわ)の東岸に穿かれた街道にそって宿場が置かれました。

天保14年(1843)の記録によると、宿内の距離は南北二町三十間(約273m)で、人口418人、本陣1、脇本陣1、旅籠31軒の規模をもっていました。

宿内は恋野の坂を下ったあたりから下町、中町、上町と並び、桝形を挟んで寺下、尾又の5町から構成されていました。

下町に入ると古い佇まいの民家がちらほら現れます。そして街道の左側に現れるの「鯉岩」です。

鯉岩なるもの?

その昔は水面から飛び出た鯉の上半身のような形だったようですが、明治24年(1891)の濃尾地震で移動し、形が変わってしまったらしいのです。そう言われてよくよく眺めてみたのですが、どうも鯉には見えません。
木曽路名所図会にはしっかりと鯉の形に描かれているのですが……。

鯉岩を過ぎると、街道左側に「口留番所跡」があります。

口留番所とは宿場が開設された当初は住人がいないため、各所から人が集められたらようです。このため集められた住民が逃げないよう、監視する役目を担っていました。武田勝頼が設置し、山村氏が守っていましたが、住民が定着したので、元和六年に番所は木曾福島に統合されました。

そして50mほど先の右手に置かれているのが復元された高札場です。

高札場

高札場の先の恋野の坂を下ると、妻籠宿の下町の佇まいが見えてきます。
私たちは本日このまま妻籠宿の第一駐車場へと直行します。そして本日の行程を終了します。
駐車場までの歩行距離は16.2キロです。

木曽路十五宿街道めぐり(其の一)塩尻~洗馬
木曽路十五宿街道めぐり(其の二)洗馬~本山
木曽路十五宿街道めぐり(其の三)本山~日出塩駅
木曽路十五宿街道めぐり(其の四)日出塩駅~贄川(にえかわ)
木曽路十五宿街道めぐり(其の五)贄川~漆の里「平沢」
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木曽路十五宿街道めぐり(其の十五)道の駅・大桑~野尻宿
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木曽路十五宿街道めぐり(其の十九)馬籠宿~落合宿の東木戸
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