大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

暴れ川・天竜を渡り家康公ゆかりの浜松城へ

2014年07月08日 11時23分32秒 | 地方の歴史散策・静岡県浜松市
大井川を渡り、駿河の国から遠江国に入り、金谷、日坂、掛川を辿ってまいりました。
いよいよ遠州の暴れ川である天竜川を渡り、浜松宿を目指すことになります。



私たちは池田入口交差点を左折して、唯一歩道のある「新新天竜川橋」を渡ることにします。この「新新天竜川橋」は2006年に開通した橋で、右隣には1965年開通の新天竜川橋、左側の14連トラス橋は天竜川橋で1933年に開通した橋。
「新新天竜川橋」の長さは912m。約1キロ弱ですが、渡りきるまで15分くらい要するはずです。



大井川橋と並んで長い橋として知られる天竜川橋を渡り終えると、かつて天竜川を渡ってきた旅人やこれから天竜川を渡る旅人たちで賑わった「中ノ町」が控えています。
天竜川は江戸時代には舟渡しが行われていた川です。そしてその舟渡しが行われていた場所は現在の天竜川橋から北へ800mほどの所に3か所設けられていました。

ですから旅人達は見付側から天竜の袂につくや、まずは川に沿って北上し渡し場へ行かなければなりませんでした。そして対岸の浜松側につくや、こんどは旧街道へとつながる中ノ町まで川に沿って南下しなければならないという、けっこう面倒くさいことをやっていたのです。

そんな中ノ町はあくまでも川渡しのための町であって、宿場町ではありませんでしたが、むしろ間の宿のような性格をもっていたのではないでしょうか。
今は静かな佇まいを見せる中ノ町ですが、かつては多くの店が並び、旅人達をもてなしていたといいます。



さあ!それでは浜松宿まで8キロ弱の道のりを進んでいきましょう。
天竜を渡り、浜松宿までの道のりはそれほど変化がありません。淡々とした道筋といったところです。

そんな道筋を歩いていると、ところどころで遠望できるのが浜松市内のランドマークであるアクトシティの高層ビルです。



私たちはほんのちょっと前の掛川で山内一豊公ゆかりの「掛川城」を訪れています。掛川城も天守閣が復元されています。ですから天守を持つ城跡はそれほど珍しいというわけではないのです。
とはいえ、せっかくですから浜松城へ登城とまいります。



時は永禄11年(1568)、三河から東進し、今川領の制圧を開始した徳川家康は駿府に攻め込んできた武田信玄の侵攻に備え、遠州一帯を見渡せる三方ヶ原の丘に着目しました。そして天下を盗るためには、まず信玄を倒さなければならないと判断した家康は、元亀元年(1570)に岡崎城を長男の信康に譲り、三方原台地の東南端に浜松城を築城、駿遠経営の拠点としました。

戦国の世が終わり、徳川家康が駿府城に移ったあとの浜松城は、代々の徳川家とゆかりの濃い譜代大名が守りました。歴代城主の中には幕府の要職に登用された者も多いことから、浜松城はのちに「出世城」と呼ばれるようになりました。
明治維新後、城郭は壊され荒廃していましたが、昭和33年、野面積みの旧天守台の上に新天守閣を再建、翌年には浜松市の史跡に指定されました。

予想よりはかなり小ぶりな天守閣です。しかも天守を支える石垣の幅と天守の幅があっていないような造りです。ちょっと天守が右寄りになっているような気がします。どうでもいいのですが……。
天守下の広場からの眺めも期待を裏切るものです。周囲のビルしか見えないという立地であまり趣もありません。
文句ばかり言って申し訳ないのですが、小高い丘の上に築かれた城なのですが、城から眺める景色はあまりにも落胆させられます。

でもせっかくなので天守を背景に記念撮影です。





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