仕事で九段下に立ち寄る機会があり、久しぶりに新緑の北の丸界隈を散策してみました。季節は一気に初夏へと移ろい、木々の若葉が陽射しに映えてキラキラと輝いています。ゴールデンウィークが間近に迫る今日、汗ばむ陽気の中で九段下からなだらかな坂を登り、まずは牛ケ淵(濠)を望む田安門へと向かうことにしました。
高燈籠
坂を登りきり、田安門の前を通過すると靖国通り脇に立つのが「高燈籠」です。この高燈籠は靖国神社が所有するものですが、創建は明治3年に遡ります。そもそもの役割は夜間照明のためのもので、常夜灯若しくは灯明台とも呼ばれ、当寺は品川沖を航行する船舶の目標ともなっていたものです。
明治初期に建造されたものなのですが、西洋風に方位盤や風見が付けられているにもかかわらず、日本的な燈籠の趣きも感じられる独特な風情を醸し出しています。
「高燈籠」をあとにして、いよいよ北の丸の入口に構える「田安門」へと向かいます。牛ケ淵に架かる橋を渡ると前方に高麗門が見えてきます。どっしりとした風格のあるこの門は現在、国指定重要文化財に指定されています。
田安門の高麗門
御門の造りは典型的な枡形門を表しています。創建は寛永13年(1636)といいますから三代将軍家光公の御世に遡ります。
田安門の名の由来は、当寺門内には田安台という百姓地があり、その敷地で田安大明神が祀られていたためその門名にしたといわれています。江戸城造営後は北丸と呼ばれ、代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所となりました。有名な千姫や春日局、家康の側室で水戸頼房の准母英勝院の屋敷などもこの敷地内にありました。
その後、享保15年(1730)に八代将軍吉宗の第二子宗武が御三卿の一つである田安家を興し、ここに屋敷を構えました。現在の北の丸公園のほぼ西側半分が田安家、そしてもう一つの御三卿である清水家が東側半分を占めていました。
田安門の渡櫓
高麗門をくぐると枡形の広場が現れ、高麗門とほぼ直角に渡櫓が構えています。堂々とした造りの渡櫓は現在江戸城に残る大手門の渡櫓に匹敵するほどの威容を誇っています。
田安門脇の狛犬
この渡櫓を抜けすぐ左手に一対の狛犬が鎮座しています。その狛犬が護る先へ石段が続いています。以前からこの石段の先には何があるのか疑問に思っていたので、ゆっくりと上っていきました。
石段を登りきると、やや広い方形の敷地が現れ、その敷地の中央に四本柱の四方吹き放ちの拝殿とその奥に御社殿らしき建物が一つ置かれています。
弥生廟の拝殿と社殿
実はこの社殿らしきものは「弥生廟」と呼ばれ、警察官・消防官の殉職者を祀るために置かれているものです。そうであればこれは神社なのかというとそうではないらしいのです。
弥生廟
そもそも弥生廟は明治18年(1885)、当時、本郷区(現、文京区)向ヶ岡弥生町にあった警視総監の邸内に弥生神社としてあったそうですが、昭和22年(1947)に現在地に移り、その時に「弥生廟」と名を改めたとあります。
なぜ神社から廟へと名を改めたかというと、終戦後の昭和20年12月にGHQよりのお達しで「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」すなわち「神道指令」により、警視庁による神社管理ができなくなったためでした。
このことは靖国神社の現在の境遇と似ているように思えますが、いずれも占領軍であったGHQによる神社神道の国家護持の廃止に伴う理不尽きわまる措置のように思えます。
昭和天皇御野立所碑
そして弥生廟の傍らに立つのが「昭和天皇御野立所」の石碑です。この碑の由来は実は先の関東大震災(大正12年)後の昭和5年3月26日に震災復興を祝う式典が皇居前広場で天皇陛下のご臨席のもと、挙行されたのですが、これに先立ち3月24日に陛下は東京下町の復興状況を約5時間にわたり視察されました。その第一歩を刻んだのがこの田安門脇の高台だあったことで、ここに「御野立所記念碑」が立てられました。
思えば、現天皇陛下もご高齢、ご病弱をおして精力的に東北の震災地を巡っておられるお姿を拝見するに、父君であられる昭和天皇も関東大震災の被害に心を痛めておられたご様子を伺い知ることができました。
北の丸の田安門に行かれる機会がございましたら、是非「弥生廟」の参拝と併せ、昭和天皇御野立所に立ち寄っていただくことをお勧めいたします。
田安門をあとに若葉の新緑が眩しい北の丸公園を散策しながら、清水門へと向かいます。北の丸公園からは向かうと清水門の渡櫓は幅の広い階段を下った場所に位置しています。
石段上から眺める清水門
創建は寛永元年(1624)といいますから、家光公が征夷大将軍になった年です。門名については,その昔この辺りに清水が湧き出ていたからとか、また古くはこの辺りに清水寺があったことから、清水門と呼んだと伝えられています。この門も国の重要文化財に指定されています。
清水門の渡櫓
石段下から眺める渡櫓
宝暦9年(1759)に9代将軍家重公の第二子重好に一家を創立させた際に、屋敷地の入口である清水門にちなんで清水家と称しました。また幕末の文久3年(1863)の本丸炎上の時には、14代将軍家茂公とその夫人和宮様(静寛院宮)は一時清水家の屋敷に移っていたといわれています。
清水門渡櫓
歴史を感じさせるような石段を下りると重厚感を漂わす渡櫓が構えています。この門の造りも典型的な枡形門で、外敵を容易に進入させない頑強さを伺い知ることができます。
清水門の高麗門と渡櫓
皇居周辺の他の御門に比べると、その立地からなのかそれほど目立った存在ではないのですが、なにやら人知れずひっそりと構えるその佇まいと門をくぐって現れる石段の古さは当時の名残りを色濃くのこしている貴重な存在のように思えます。
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坂を登りきり、田安門の前を通過すると靖国通り脇に立つのが「高燈籠」です。この高燈籠は靖国神社が所有するものですが、創建は明治3年に遡ります。そもそもの役割は夜間照明のためのもので、常夜灯若しくは灯明台とも呼ばれ、当寺は品川沖を航行する船舶の目標ともなっていたものです。
明治初期に建造されたものなのですが、西洋風に方位盤や風見が付けられているにもかかわらず、日本的な燈籠の趣きも感じられる独特な風情を醸し出しています。
「高燈籠」をあとにして、いよいよ北の丸の入口に構える「田安門」へと向かいます。牛ケ淵に架かる橋を渡ると前方に高麗門が見えてきます。どっしりとした風格のあるこの門は現在、国指定重要文化財に指定されています。
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御門の造りは典型的な枡形門を表しています。創建は寛永13年(1636)といいますから三代将軍家光公の御世に遡ります。
田安門の名の由来は、当寺門内には田安台という百姓地があり、その敷地で田安大明神が祀られていたためその門名にしたといわれています。江戸城造営後は北丸と呼ばれ、代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所となりました。有名な千姫や春日局、家康の側室で水戸頼房の准母英勝院の屋敷などもこの敷地内にありました。
その後、享保15年(1730)に八代将軍吉宗の第二子宗武が御三卿の一つである田安家を興し、ここに屋敷を構えました。現在の北の丸公園のほぼ西側半分が田安家、そしてもう一つの御三卿である清水家が東側半分を占めていました。
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高麗門をくぐると枡形の広場が現れ、高麗門とほぼ直角に渡櫓が構えています。堂々とした造りの渡櫓は現在江戸城に残る大手門の渡櫓に匹敵するほどの威容を誇っています。
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この渡櫓を抜けすぐ左手に一対の狛犬が鎮座しています。その狛犬が護る先へ石段が続いています。以前からこの石段の先には何があるのか疑問に思っていたので、ゆっくりと上っていきました。
石段を登りきると、やや広い方形の敷地が現れ、その敷地の中央に四本柱の四方吹き放ちの拝殿とその奥に御社殿らしき建物が一つ置かれています。
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実はこの社殿らしきものは「弥生廟」と呼ばれ、警察官・消防官の殉職者を祀るために置かれているものです。そうであればこれは神社なのかというとそうではないらしいのです。
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そもそも弥生廟は明治18年(1885)、当時、本郷区(現、文京区)向ヶ岡弥生町にあった警視総監の邸内に弥生神社としてあったそうですが、昭和22年(1947)に現在地に移り、その時に「弥生廟」と名を改めたとあります。
なぜ神社から廟へと名を改めたかというと、終戦後の昭和20年12月にGHQよりのお達しで「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」すなわち「神道指令」により、警視庁による神社管理ができなくなったためでした。
このことは靖国神社の現在の境遇と似ているように思えますが、いずれも占領軍であったGHQによる神社神道の国家護持の廃止に伴う理不尽きわまる措置のように思えます。
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そして弥生廟の傍らに立つのが「昭和天皇御野立所」の石碑です。この碑の由来は実は先の関東大震災(大正12年)後の昭和5年3月26日に震災復興を祝う式典が皇居前広場で天皇陛下のご臨席のもと、挙行されたのですが、これに先立ち3月24日に陛下は東京下町の復興状況を約5時間にわたり視察されました。その第一歩を刻んだのがこの田安門脇の高台だあったことで、ここに「御野立所記念碑」が立てられました。
思えば、現天皇陛下もご高齢、ご病弱をおして精力的に東北の震災地を巡っておられるお姿を拝見するに、父君であられる昭和天皇も関東大震災の被害に心を痛めておられたご様子を伺い知ることができました。
北の丸の田安門に行かれる機会がございましたら、是非「弥生廟」の参拝と併せ、昭和天皇御野立所に立ち寄っていただくことをお勧めいたします。
田安門をあとに若葉の新緑が眩しい北の丸公園を散策しながら、清水門へと向かいます。北の丸公園からは向かうと清水門の渡櫓は幅の広い階段を下った場所に位置しています。
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創建は寛永元年(1624)といいますから、家光公が征夷大将軍になった年です。門名については,その昔この辺りに清水が湧き出ていたからとか、また古くはこの辺りに清水寺があったことから、清水門と呼んだと伝えられています。この門も国の重要文化財に指定されています。
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宝暦9年(1759)に9代将軍家重公の第二子重好に一家を創立させた際に、屋敷地の入口である清水門にちなんで清水家と称しました。また幕末の文久3年(1863)の本丸炎上の時には、14代将軍家茂公とその夫人和宮様(静寛院宮)は一時清水家の屋敷に移っていたといわれています。
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歴史を感じさせるような石段を下りると重厚感を漂わす渡櫓が構えています。この門の造りも典型的な枡形門で、外敵を容易に進入させない頑強さを伺い知ることができます。
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皇居周辺の他の御門に比べると、その立地からなのかそれほど目立った存在ではないのですが、なにやら人知れずひっそりと構えるその佇まいと門をくぐって現れる石段の古さは当時の名残りを色濃くのこしている貴重な存在のように思えます。
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