大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

北総の小江戸・水郷さわら探訪

2013年08月06日 12時58分32秒 | 地方の歴史散策・千葉県佐原
八月に入った最初の日曜日(8/4)、「鰻」でも食べにどこか川辺の町に行ってみようか、と思いつくまま訪ねたのが利根川の支流「小野川」沿いに開けた下総の国「佐原」です。

下総の国(現在の千葉県)とは江戸初期まではお江戸の東を流れる隅田川を境に東側をそう呼んでいました。その後、幕府は江戸川以西までを武蔵の国に編入したのですが、明暦3年(1657)の大火として知られている振袖火事のあとに架橋された両国橋という橋名はかつて隅田川の東側が下総と呼ばれていたことから、武蔵と下総の国を結ぶ橋という意味が込められています。

そんな下総の国に古い家並みを残す「小江戸」があるといいます。小江戸といえばまず頭に浮かぶのが川越の町並みなのですが、川越は別格的存在です。それほどの期待をすることなく北総の小江戸なる「佐原」を目指すことにしました。

千葉、成田を経由して佐原までは列車でおよそ2時間の行程です。成田から先の路線に乗るのは初めてだったのですが、車窓からは一面の稲田が広がり、利根川の水の恵みを得ている様子がわかります。

JR佐原駅

目指す佐原に到着したのが午前11時10分。小江戸と呼ばれている佐原らしい駅舎が迎えてくれました。駅舎の入口に「暖簾」が下がっている風景も珍しいのでは?駅前は申し訳程度のロータリーといつ来るとも知れぬ寂れたバス停が田舎の駅といった佇まいを見せています。

さあ!小江戸「佐原」の探訪とまいりましょう。観光マップを見ると、駅舎から観光箇所が集中する場所まではさほどの距離ではなさそうですが、駅前の観光案内所で1日300円のレンタサイクルを借りることにしました。余談ですが、ここ佐原の観光案内所のレンタサイクル(ブリジストン社製)はまだ真新しい自転車で、非常に乗り心地がいいものです。

地図を片手に、いよいよ佐原の市街の中心へと向かうことにします。日曜日にもかかわらず市内は人の行き来も、車の往来も少なく、ましては観光客らしい姿もありません。やはり、期待するほどの町ではないのでは、と不安がよぎってきます。

しかしその不安はわずか数分後には払拭されることになります。観光マップによると佐原を代表する古い家並みは市内を縦断するように流れる小野川沿いに集中しているらしいのです。まずは小野川の流れを目指すこと駅から数分で古い家並みが始まる開運橋に到着です。

それほど川幅は広くないのですが、石垣が積まれた河岸と適度な間隔で植樹された「柳」の木が風情を醸し出しています。河岸を走るにつれて、視界に入ってくるのが千本格子と瓦屋根が美しい古い家並みです。以前、訪れたことがある蔵の町として有名な「栃木市」に似た風景です。ときおり、小野川の水面を滑るように航行する観光和船も栃木市と同じです。

開運橋からおよそ300mほど走ったあたりに架かる橋で自転車を停め、河岸に設置された石段を下りて小野川の畔へと降りてみることにしました。透き通った水が流れているわけではないのですが、清掃が行き届いているようでゴミ一つ浮かんでいません。

小野川の畔

小野川の畔

過ぎ去った時代には利根川を利用して、多くの物資を積んだ船がここ小野川まで入ってきたのではないでしょうか。静かに流れる小野川と両岸に連なる古い家並みの風景は、期待以上の感動を与えてくれました。

両岸に連なる古い家並みは外観を損なわずにレストランに転用されたり、土産店として利用されたり、はたまた昔からの家業をそのまま引き継いで商売をしているお店であったりとまちまちです。

小野川沿いの家並み

小野川沿いの家並み

そんな家並みを眺めながら進んで行くと、ここ佐原で一番賑やかな場所にさしかかります。ちょうど香取神宮へと繋がる香取街道と小野川が交差する場所なのですが、ここに忠敬橋と呼ばれている橋が架かっています。

小野川の佇まい

小野川の佇まい

忠敬橋の信号を渡り、その先へと流れる小野川沿いを80mほど下ると、木橋が現れます。通称「ジャージャー橋」と呼ばれている「樋橋(とよはし)ですが、面白いことにこの橋の中央部分から水が滝のように流れ出す仕組みになっています。

樋橋

私たちが樋橋にさしかかると、ちょうど橋の中央から勢いよく水が流れ出している様子を見ることができました。その昔、小野川を横切って水田に送水するために造られたものだそうです。(30分ごとに水を流しているようです)

樋橋

この樋橋の袂に建つのが伊能忠敬の旧宅なのですが、現在修復中ということで入場することができませんでした。
ここ佐原はあの日本地図を作った伊能忠敬が17歳のとき、佐原の醸造業伊能家の婿養子となり、その後醸造業を営む傍ら36歳で名主となるのですが、49歳の若さで隠居してしまいます。33年間暮らした佐原をあとにして、50歳で江戸に出て天文方高橋至時について天文学を学び、55歳になってから日本全国を測量して歩き、わが国初の実測日本地図の制作に取り掛かったのです。10次に亘る現地測量の後、文政元年(1818)に73歳で江戸の八丁堀亀島町宅で没しますが、その3年後、門弟達の手によって「大日本沿海輿地全図」が完成しました。

私が住む江東区の富岡八幡宮の大鳥居の脇に伊能忠敬の像が置かれています。前述のように忠敬は江戸に出て深川に住んでいたようです。そして現地測量の旅にでる際には、必ず富岡八幡に旅の安全の祈願をしていたようです。そんな関係から富岡八幡に忠敬の像が置かれているわけです。

富岡八幡の伊能忠敬像

樋橋を挟んで立派な伊能忠敬記念館があり、その記念館の裏手には忠敬の像も置かれています。どうやら佐原は伊能忠敬と香取神宮でもっているような気がします。

伊能忠敬像

小野川沿いの古い家並みを巡った後、そろそろ昼食の時間となったので今回の旅の目的の一つである「鰻」を食することにしました。事前に調べておいた老舗の鰻店「長谷川」へと向かいます。長谷川は江戸時代の天保2年の創業の老舗の鰻店です。

鰻割烹・長谷川

割烹料理店然とした店構えで、入口の門に太い柱が2本立っています。この柱はあの香取神宮の御神木を利用したものとのこと。

平日の午後ということで、店内はそれほど混んでいませんでした。店内には鰻の蒲焼の甘いタレの香りが漂い、食欲をそそります。本年2度目の鰻重との対面です。(一度目は三島)



美味しい鰻重を食し、せっかくなので下総の一の宮としてその誉も高い、香取神宮への参拝へ向かうことにしました。



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