2016年10月27日
飛鳥路の旅を終え、そのまま京都へ戻る予定だったのですが、橿原神宮前駅から二つ目の近鉄八木西口駅(又は近鉄大和八木駅)至近に古い町並みが残るエリアが二つあることに気が付きました。
一つが重要伝統的建造物保存地区に指定されている「今井町」ともう一つが「八木町」なのですが、飛鳥路を巡って疲れている体で2つのエリアを歩くのは、キツイということで「今井町」だけを散策することにしました。
「今井町」の観光パンフレットを見ると、なんと今井町全域が重要伝統的建造物保存地区ではありませんか。町全体が野外博物館のような佇まいを見せる今井町は期待大ということで、胸をときめかせながら足を進めました。町の入口に流れる飛鳥川に架かる赤い欄干の蘇武橋を渡ると、古い町並みらしき風情が漂い始めます。
今井町パンフレット
奈良にこんな場所があることなど、初めて知ったのですが、今井町の形成の歴史を辿ると「なるほど」とうなずけるものがあります。
今井町の成立は戦国時代に遡ります。天文年間(1532~1555)にこの場所に一向宗本願寺坊主であった今井豊寿なる人物によって本願寺の今井道場が建設されたことに始まります。天文年間という時代は各地で一向一揆が起こった時代で、あの家康公も桶狭間の戦い後の三河平定の過程で一向宗徒との戦で苦労していました。もちろん尾張の信長公も一向一揆には手を焼き、各地で一向宗徒と壮絶な戦いを繰り広げています。
そして町全体を要塞化するために、濠をめぐらしました。
その後、本願寺と信長公との確執が深まり、反信長を旗印に壮絶な戦いへと発展していきます。そしてこの信長との戦いの中で、今井もこれに呼応し、戦禍に巻き込まれていきます。
しかし信長公の容赦ない攻撃に天正3年(1575)に今井は降伏したのですが、信長公は今井に対して温情を施したのです。信長公から今井に対して赦免の朱印状を下し、「万事大阪同前」として自治特権が許されたのです。前述の今井道場が今井御坊称念寺となるのは文禄年間(1592~1595)の頃です。
その後、今井は大商業地である大阪や境と交流を深め、それまでの要塞都市から商業都市へと変貌を遂げていきます。江戸時代に入ると、南大和最大の在郷町となり、今井札(銀札)を発行するまで発展しました。江戸時代に商業都市として発展した今井町の規模は東西600m、南北310m、町内の戸数1100軒、人口約4000を越える財力豊かな町でした。
さあ!それでは江戸時代の町並みへタイムスリップとまいりましょう。
古い町並みに足を踏み入れると、まず気が付くのが電信柱と電線がないこと。このため目障りとなるものがないので家並みがスッキリしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/ee/e82b6d65d5d90b745525f07ef3714ff3.jpg)
町全体に張り巡らされた道筋は正確な碁盤の目ではないのですが、ほとんどが直線で曲がりくねった道筋はありません。
このためかなり先まで見通せるようになっています。また、家並みの高さが統一されているので、スッキリしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/bd/da1d454809541b3e42f516da8264a919.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/83/48d8e2e244e94f44786540cf129f489a.jpg)
ここ今井町は重要伝統的建造物保存地区に指定されてはいますが、すべての家は住居として使われているものです。といっても路地を歩いていても、住民らしき方と出会うことがありません。歩いてるのは観光客くらいですが、この日は平日ということもあり、観光客でごった返しているということもありません。
また、これほどの町並みを残す今井の保存地区には観光客相手の土産屋や飲食店はほとんどありません。私たちも美味しい甘味を期待していたのですが空振りでした。
町全体が歴史的建造物なのですが、一部〇〇家住宅と案内板が置かれた屋敷が現れます。といってもすべての住宅の中に入れるわけではありません。そのうちの一軒の家に入ることができたので、お邪魔しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/92/46717f9d938d3a94e442db62ba805da3.jpg)
地図を片手にいくつもの路地を折れ曲がりながら、今井の町を探索していきました。これまで東海道や中山道などの街道を歩いてきましたが、街道の宿場町でもこれほどまでの規模で古い町並みが残っているのは多くありません。宿場町の場合は宿場を貫く街道に沿って家並みが残っている場合がありますが、ここ今井町は東西600m、南北310mのエリア全体に古い町並みがそっくりそのまま残っているのは珍しいのではないでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/d5/8a16a7b441fa1e0123659dd363b95b48.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/5e/502dbe4d48690e07c8ee96da4303f10d.jpg)
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幾つもの路地を折れ曲がりながら、今井町の中心的存在の称念寺(国重文)山門前に到着しました。現在、当寺は修復工事中のため、ご本堂及び付属施設は見ることができません。
称念寺山門
称念寺
称念寺
称念寺を後に、趣ある家並みを眺めながら近鉄八木西口駅へ戻ることにします。
町の床屋さん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/59/40cd3997251315905d8b76fd4f0cb437.jpg)
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飛鳥路の旅を終え、そのまま京都へ戻る予定だったのですが、橿原神宮前駅から二つ目の近鉄八木西口駅(又は近鉄大和八木駅)至近に古い町並みが残るエリアが二つあることに気が付きました。
一つが重要伝統的建造物保存地区に指定されている「今井町」ともう一つが「八木町」なのですが、飛鳥路を巡って疲れている体で2つのエリアを歩くのは、キツイということで「今井町」だけを散策することにしました。
「今井町」の観光パンフレットを見ると、なんと今井町全域が重要伝統的建造物保存地区ではありませんか。町全体が野外博物館のような佇まいを見せる今井町は期待大ということで、胸をときめかせながら足を進めました。町の入口に流れる飛鳥川に架かる赤い欄干の蘇武橋を渡ると、古い町並みらしき風情が漂い始めます。
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奈良にこんな場所があることなど、初めて知ったのですが、今井町の形成の歴史を辿ると「なるほど」とうなずけるものがあります。
今井町の成立は戦国時代に遡ります。天文年間(1532~1555)にこの場所に一向宗本願寺坊主であった今井豊寿なる人物によって本願寺の今井道場が建設されたことに始まります。天文年間という時代は各地で一向一揆が起こった時代で、あの家康公も桶狭間の戦い後の三河平定の過程で一向宗徒との戦で苦労していました。もちろん尾張の信長公も一向一揆には手を焼き、各地で一向宗徒と壮絶な戦いを繰り広げています。
そして町全体を要塞化するために、濠をめぐらしました。
その後、本願寺と信長公との確執が深まり、反信長を旗印に壮絶な戦いへと発展していきます。そしてこの信長との戦いの中で、今井もこれに呼応し、戦禍に巻き込まれていきます。
しかし信長公の容赦ない攻撃に天正3年(1575)に今井は降伏したのですが、信長公は今井に対して温情を施したのです。信長公から今井に対して赦免の朱印状を下し、「万事大阪同前」として自治特権が許されたのです。前述の今井道場が今井御坊称念寺となるのは文禄年間(1592~1595)の頃です。
その後、今井は大商業地である大阪や境と交流を深め、それまでの要塞都市から商業都市へと変貌を遂げていきます。江戸時代に入ると、南大和最大の在郷町となり、今井札(銀札)を発行するまで発展しました。江戸時代に商業都市として発展した今井町の規模は東西600m、南北310m、町内の戸数1100軒、人口約4000を越える財力豊かな町でした。
さあ!それでは江戸時代の町並みへタイムスリップとまいりましょう。
古い町並みに足を踏み入れると、まず気が付くのが電信柱と電線がないこと。このため目障りとなるものがないので家並みがスッキリしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/ee/e82b6d65d5d90b745525f07ef3714ff3.jpg)
町全体に張り巡らされた道筋は正確な碁盤の目ではないのですが、ほとんどが直線で曲がりくねった道筋はありません。
このためかなり先まで見通せるようになっています。また、家並みの高さが統一されているので、スッキリしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/bd/da1d454809541b3e42f516da8264a919.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/83/48d8e2e244e94f44786540cf129f489a.jpg)
ここ今井町は重要伝統的建造物保存地区に指定されてはいますが、すべての家は住居として使われているものです。といっても路地を歩いていても、住民らしき方と出会うことがありません。歩いてるのは観光客くらいですが、この日は平日ということもあり、観光客でごった返しているということもありません。
また、これほどの町並みを残す今井の保存地区には観光客相手の土産屋や飲食店はほとんどありません。私たちも美味しい甘味を期待していたのですが空振りでした。
町全体が歴史的建造物なのですが、一部〇〇家住宅と案内板が置かれた屋敷が現れます。といってもすべての住宅の中に入れるわけではありません。そのうちの一軒の家に入ることができたので、お邪魔しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/92/46717f9d938d3a94e442db62ba805da3.jpg)
地図を片手にいくつもの路地を折れ曲がりながら、今井の町を探索していきました。これまで東海道や中山道などの街道を歩いてきましたが、街道の宿場町でもこれほどまでの規模で古い町並みが残っているのは多くありません。宿場町の場合は宿場を貫く街道に沿って家並みが残っている場合がありますが、ここ今井町は東西600m、南北310mのエリア全体に古い町並みがそっくりそのまま残っているのは珍しいのではないでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/d5/8a16a7b441fa1e0123659dd363b95b48.jpg)
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幾つもの路地を折れ曲がりながら、今井町の中心的存在の称念寺(国重文)山門前に到着しました。現在、当寺は修復工事中のため、ご本堂及び付属施設は見ることができません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/29/261e40b4750a4cf9b18e57060da8f5d1.jpg)
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称念寺を後に、趣ある家並みを眺めながら近鉄八木西口駅へ戻ることにします。
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