それでは登城へまいることにいたしましょう。
三宅家菩提寺の霊巌寺からさほど遠くない距離に、かつて田原城の堀近くに置かれた惣門が復元されているというので、お城への道すがら立ち寄ってみることにしました。
惣門(報民倉)
路地を抜けると目の前に突然石垣と白壁の大きな門が現れます。確かに復元されているのであまり趣きは感じないのですが、現在この惣門は田原市の報民倉として災害時の資機材の保管場所として使われています。
そもそも報民倉とは田原藩が救民のため建設した備蓄倉庫のことで、この報民倉のため天保の飢饉の際に、田原藩は1人の餓死者、流亡者も出さなかったといいます。
現在この惣門(報民倉)がある一帯は大手公園として整備されており、惣門の背後には規模は小さいながらも池と遊歩道を備えた公園になっていました。
大手公園
惣門を後にして、いったん田原市のメインストリートともいうべき豊鉄の三河田原駅からまっすぐにのびる道へと進みます。そして「殿町」の交差点に置かれた常夜灯型の時計台を見ながら、交差点を左手に進んでいきます。殿町と名付けられているのは、おそらくかつては武家屋敷が並んでいたからではないだろうか、と一人考えながら歩いていくとなだらかな坂道の前方になにやらお城の風情を感じる緑濃い一帯が見えてきます。
常夜灯型の時計台
城へつづくなだらかな坂道
近づくにつれ右手には袖池と呼ばれる堀割が現れます。この袖池ともう一つの桝池と呼ばれる掘割との間に構えるのが、所謂田原城の大手門である「桜門」です。
袖池(掘割)
桝池(掘割)
桜門の前の道沿いには、これまたお城にマッチした常夜灯型の公衆電話が置かれています。なんとも凝った趣向で感心しました。
常夜灯型の公衆電話ボックス
お城の各施設はほとんどが復元されたもので、古さはまったく感じられません。この桜門も平成6年に復元されたといいます。御門の手前に一輪のユリの花がわずかに吹く風に揺れているのを見ると、その昔も同じようにユリの花が咲き、その花を見ながら家臣たちが登城したのではと往時を偲んで見ました。
桜門脇に咲く一輪のユリ
桜門石標
桜門
桜門をくぐると左手に白壁がまぶしい二の丸二重櫓が迎えてくれます。この二重櫓も昭和33年にまったく新しく建て替えられたもので、かつては下見板張りであったようです。
二の丸二重櫓
二の丸二重櫓から更に奥に進むとかつての本丸跡にでるのですが、現在はこの本丸跡に神社が構えています。確かに本丸があった場所を思わせるようなかなり広い敷地をもった神社です。この神社は藩主・三宅氏の遠祖である児島高徳を祀る巴江神社が建っています。
巴江神社の鳥居
巴江神社本殿
本丸跡から空堀を抜けて城の裏側にでると多門櫓のような立派な建物が現れます。これが田原市博物館で崋山自刃の刀、遺書、その他関係の書画、遺品等の重要文化財を通して崋山の生涯から没後までを、わかりやすく紹介しています。一見の価値があります。
田原市博物館と崋山の記念碑
田原を訪れる前まで、崋山の故郷であったことなどまったく知らなかったのですが、田原市は崋山一色の町で彼の教えや業績を今なお大切に継承していることが処々に感じることができました。
崋山神社
崋山記念碑
崋山神社本殿
田原城訪問の後、崋山を祀る崋山神社へと足を伸ばし、神前にお参りする機会を得ました。
渥美半島の隠れた歴史に彩られた三河田原①~幕末の先覚者・渡辺崋山が眠る城宝寺~
渥美半島の隠れた歴史に彩られた三河田原②~田原藩主・三宅家の菩提寺「霊巌寺」~
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三宅家菩提寺の霊巌寺からさほど遠くない距離に、かつて田原城の堀近くに置かれた惣門が復元されているというので、お城への道すがら立ち寄ってみることにしました。
惣門(報民倉)
路地を抜けると目の前に突然石垣と白壁の大きな門が現れます。確かに復元されているのであまり趣きは感じないのですが、現在この惣門は田原市の報民倉として災害時の資機材の保管場所として使われています。
そもそも報民倉とは田原藩が救民のため建設した備蓄倉庫のことで、この報民倉のため天保の飢饉の際に、田原藩は1人の餓死者、流亡者も出さなかったといいます。
現在この惣門(報民倉)がある一帯は大手公園として整備されており、惣門の背後には規模は小さいながらも池と遊歩道を備えた公園になっていました。
大手公園
惣門を後にして、いったん田原市のメインストリートともいうべき豊鉄の三河田原駅からまっすぐにのびる道へと進みます。そして「殿町」の交差点に置かれた常夜灯型の時計台を見ながら、交差点を左手に進んでいきます。殿町と名付けられているのは、おそらくかつては武家屋敷が並んでいたからではないだろうか、と一人考えながら歩いていくとなだらかな坂道の前方になにやらお城の風情を感じる緑濃い一帯が見えてきます。
常夜灯型の時計台
城へつづくなだらかな坂道
近づくにつれ右手には袖池と呼ばれる堀割が現れます。この袖池ともう一つの桝池と呼ばれる掘割との間に構えるのが、所謂田原城の大手門である「桜門」です。
袖池(掘割)
桝池(掘割)
桜門の前の道沿いには、これまたお城にマッチした常夜灯型の公衆電話が置かれています。なんとも凝った趣向で感心しました。
常夜灯型の公衆電話ボックス
お城の各施設はほとんどが復元されたもので、古さはまったく感じられません。この桜門も平成6年に復元されたといいます。御門の手前に一輪のユリの花がわずかに吹く風に揺れているのを見ると、その昔も同じようにユリの花が咲き、その花を見ながら家臣たちが登城したのではと往時を偲んで見ました。
桜門脇に咲く一輪のユリ
桜門石標
桜門
桜門をくぐると左手に白壁がまぶしい二の丸二重櫓が迎えてくれます。この二重櫓も昭和33年にまったく新しく建て替えられたもので、かつては下見板張りであったようです。
二の丸二重櫓
二の丸二重櫓から更に奥に進むとかつての本丸跡にでるのですが、現在はこの本丸跡に神社が構えています。確かに本丸があった場所を思わせるようなかなり広い敷地をもった神社です。この神社は藩主・三宅氏の遠祖である児島高徳を祀る巴江神社が建っています。
巴江神社の鳥居
巴江神社本殿
本丸跡から空堀を抜けて城の裏側にでると多門櫓のような立派な建物が現れます。これが田原市博物館で崋山自刃の刀、遺書、その他関係の書画、遺品等の重要文化財を通して崋山の生涯から没後までを、わかりやすく紹介しています。一見の価値があります。
田原市博物館と崋山の記念碑
田原を訪れる前まで、崋山の故郷であったことなどまったく知らなかったのですが、田原市は崋山一色の町で彼の教えや業績を今なお大切に継承していることが処々に感じることができました。
崋山神社
崋山記念碑
崋山神社本殿
田原城訪問の後、崋山を祀る崋山神社へと足を伸ばし、神前にお参りする機会を得ました。
渥美半島の隠れた歴史に彩られた三河田原①~幕末の先覚者・渡辺崋山が眠る城宝寺~
渥美半島の隠れた歴史に彩られた三河田原②~田原藩主・三宅家の菩提寺「霊巌寺」~
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