大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

2014年午の歳 年の初めの深川七福神詣

2014年01月06日 15時36分27秒 | 江東区・歴史散策
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくご愛顧のほどお願い申し上げます。

さて、年初めの恒例として地元深川の七福神詣に行ってまいりました。
三が日を過ぎ、仕事始めにあたる今日6日、七福神詣の参詣客でごった返しているものと予想していたのですが、道中それほどの混雑もなく、各寺社もすんなりとお参りをすますことができました。

出立は都営地下鉄森下駅至近の深川神明宮からです。

神明宮の鳥居

神明宮の寿老人

神明宮から万年橋通りを横切り、芭蕉記念館の小さな庭を突き抜けて、隅田河岸へと向かいます。晴れ渡った空の下、川面が冬の低い日差しにキラキラと揺れ動いています。そんな川面を滑るように進んできたのが、隅田川クルーズ(東京観光汽船)の「ヒミコ」です。

新大橋方面を俯瞰

ヒミコ号


清洲橋方面を俯瞰

隅田河岸を歩き、小名木川が隅田川に注ぎ込む合流点へと向かいます。その合流点を見下ろすように置かれているのが「江東区芭蕉記念館分館」です。河岸の堤防からいったん降りて、可愛らしい芭蕉記念館分館へと向かいます。
お江戸元禄の時代にちょうどこの辺りに芭蕉が庵をむすんだ場所があったことで、その記念に設置されたものです。
そして芭蕉翁はこの場所であの有名な「古池や蛙飛び込む水の音」を詠んだといわれています。

そんな記念すべき場所に隅田川を眺めるように、芭蕉翁の坐像が置かれています。

芭蕉坐像

芭蕉坐像

江東区芭蕉記念館分館

さあ、それでは再び深川七福神詣の道筋へと戻ることにしましょう。
小名木川に架かる有名な橋、「万年橋」を渡り、いよいよ住吉白河へと入っていきます。

万年橋

万年橋を渡り、最初の角を左へ折れ、小名木川に沿った路地を進むと、相撲部屋が現れます。両国に近い場所がら、この辺りには幾つも相撲部屋が点在しています。

そんな深川らしい風情を楽しみながら進むと、布袋尊を祀る「深川稲荷神社」が現れます。

深川稲荷神社

訪れる参詣客もまばらな深川稲荷神社をあとに、賑やかな清澄白河へと進んでいきます。清澄白河には江戸時代の紀伊国屋文左衛門や明治の岩崎家の屋敷として使われていた「清澄公園」があることで知られています。

今日の主題は七福神詣ということで、足早に清澄庭園脇を進み、清澄通りを横切り深川江戸資料館通りへと入っていきます。せっかくなので、資料館通りに入ってすぐ左手に堂宇を構える「霊厳寺」に立ち寄ることにしました。

霊厳寺ご本堂

霊厳寺は江戸時代の寛政の改革を断行した老中「松平定信公」の墓があることで知られています。そしてもう一つ有名なものとして、境内には江戸六地蔵第5番目にあたる大きなお地蔵さんが鎮座しています。

霊厳寺の六地蔵

江戸の深川の風情を残す「資料館通り」を進んで行くと、界隈には深川名物の「深川丼」の店が数軒並んでいます。そんな道筋を辿りながら、毘沙門天を祀る龍光院を目指すことにします。

その途中には、家康公の側室であった「阿茶の局」の墓がある雲光院の門前が現れます。

雲光院門前

雲光院を過ぎると、龍光院はもうすぐです。

龍光院門前

毘沙門天のお堂

龍光院の毘沙門天で三神を巡ったことになります。それでは次の大黒天を祀る円珠院へと先を急ぐことにします。

円珠院門前

大黒天のお堂

円珠院をあとにすると道筋は清澄通りと合流します。清澄通りに出ると、富岡八幡宮から七福神詣を始めた参詣客がぞろぞろと歩いています。
そんな光景を眺めながら仙台堀川にかかる橋を渡っていきましょう。橋を渡った反対側の袂にもう一つの芭蕉庵である「採茶庵」が見えてきます。その庵跡にも芭蕉翁の像が置かれています。

深川には芭蕉だけに、いたる場所(芭蕉)に所縁の地が残っています。

さあ、門前仲町の賑やかな雰囲気が近づいてきます。そんな道筋の左側に現れるのが福禄寿を祀る「心行寺」です。

心行寺門前

福禄寿のお堂

心行寺のちょうど隣に深川のお閻魔さまで知られる法乗院が堂宇を構えています。結構有名なお寺なのですが、七福神を祀っているわけではないので、参拝に訪れる人はほとんどいません。せっかくなので「お閻魔さま」にご挨拶。

法乗院の閻魔堂

お閻魔さま

閻魔様のありがたいお告げを賜り、七福神巡りも大詰めとなります。法乗院をでると清澄通りは葛西橋通りと交差します。この交差点を左へと進み、葛西橋通りに面して弁財天を祀「冬木弁天堂」へと向かいます。

冬木弁天堂の弁財天

冬木弁財天を詣でると、残すは恵比寿、大黒天の二神だけです。この二神は富岡八幡宮に合祀されています。ということは本日の七福神詣は富岡八幡宮が最終地点となります。

さあ、いよいよ富岡八幡宮境内に到着です。恵比寿、大黒は本社殿とは分離されたところに祠を構えています。

富岡八幡宮の恵比寿・大黒

富岡八幡宮本社殿


富岡八幡宮大鳥居

恵比寿・大黒に詣で、七神をすべて巡ることができました。森下からここ富岡八幡宮までおよそ1時間30分の行程でした。今年も穏やかな年であることと、家族一同が健康に過ごせることを祈った七福神詣でした。

粋な深川・お江戸の総鎮守「富岡八幡宮」の酉の市
お江戸深川七福神詣で
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粋な深川・お江戸の総鎮守「富岡八幡宮」の酉の市

2013年11月27日 14時30分10秒 | 江東区・歴史散策
今年も残すところあと1ヶ月強。深まる秋とともにいよいよ冬がやってくる季節の中で、本日は三の酉がお江戸の主要な神社で開催されています。

富岡八幡宮本社殿

浅草裏手の鷲神社、新宿の花園神社そして府中の大國魂神社ほど有名で、大規模な市ではないのですが、私の住むお江戸の江東区に社殿を構える富岡八幡宮でも賑々しく酉の市が開催されています。

八幡様大鳥居

毎年行われるこの酉の市が始まると、年の瀬が間近に迫っていることを肌で感じることができます。

参道の屋台

伺ったのがまだ真昼間のためか、それほどの人出ではないのですが、夜になると富岡八幡様境内は熊手を求める善男善女・老若男女で賑わいを見せるのではないでしょうか。

参道の屋台

参道の屋台

参道の屋台

熊手

八幡宮境内脇の七渡神社の祠が黄葉に覆われていたのでカメラに収めました。

七渡神社

ススキと黄葉と祠

粋な深川・お江戸の総鎮守「富岡八幡宮」の酉の市
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恒例の秋の菊まつり~亀戸天満宮~

2012年11月02日 09時24分08秒 | 江東区・歴史散策
毎年恒例の亀戸天満宮の菊まつりが10月21日から始まりました。季節ごとに様々な行事が目白押しのここ亀戸天満宮ですが、本格的な錦繍の秋を迎え境内には見事な懸崖造りの菊の花が咲き誇っています。

亀戸天満宮鳥居
本社殿

とはいっても多くの菊はまだ「蕾」の状態なのですが、これもまた趣があります。

太鼓橋と菊
菊1
懸崖造り1
懸崖造り2
懸崖造り3
菊2

毎年必ず展示される「スカイツリー」を模った大きな懸崖造りは今年も健在です。年ごとにその高さもボリュームも大きくなっていくような気がします。このスカイツリー型懸崖造りもまだ緑の葉の部分が多く、満開の菊の花で覆われるまではもう少し時間がかかるかな、といった風情です。

スカイツリー型懸崖
スカイツリー型懸崖

この亀戸天満宮の菊まつりは11月23日まで開催される予定です。11月は七五三詣でと相まって毎週土日はかなりの参拝客と菊見物でたいそう賑わうことでしょう。

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スポーツの神様「亀戸・香取神社」の例大祭~こんにゃく神輿の渡御風景~

2012年08月05日 16時02分00秒 | 江東区・歴史散策
盛夏の今日(8月5日)下町江東区の亀戸に鎮座する香取神社の例大祭が賑やかに執り行われています。ここ香取神社は「スポーツ振興の神様」としてスポーツ大会や試合の勝利にご利益があるとされています。

香取神社ご社殿

今まさにロンドンで行われているオリンピックで日本人選手の方々の戦勝祈願そしてメダル獲得を願って、遅ればせながらまずはご社殿に日本の男女サッカーの優勝とこれから活躍されるであろう日本選手の好成績を祈願させていただきました。

香取神社祭礼の幟

そして今日は4年に一度の本社神輿渡御(神幸大祭)が行われる日です。香取神社の本社神輿は俗称「こんにゃく神輿」と呼ばれています。この神輿は屋根の部分・胴体の部分・台座の部分とそれぞれが別の動きをするまるで「こんにゃく」のように弾力ある揺れ方をします。この種の神輿は国内に2基(1基は九州)しか存在しない、たいへん珍しく、貴重な神輿です。その本社神輿が神輿蔵からお出ましになり、渡御を静かに待っています。

俗称「こんにゃく神輿」

香取神社を辞して本社神輿の渡御行列が始まる江東区の大島駅前に移動する途中に、香取神社末社の神輿が亀戸駅前の交差点にさしかかってきました。本社神輿に比べ、小振りなのですが揃いの袢纏をまとった担ぎ手の威勢のいい声が響いています。

末社神輿
末社神輿

本社神輿の渡御が始まるのは、最も気温が高くなる午後の1時。車の荷台に積まれた神輿がまず担ぎ手の男たちによって降ろされ、男たちの肩に担がれます。

車の荷台の神輿
荷台から降ろされる神輿

すでに新大橋通りの片側2車線が交通規制され、いつでも行列は出発できる状態になっています。神輿行列の一番先頭の大太鼓が打ち鳴らされいよいよ神輿の渡御が始まりました。

神輿渡御
神輿渡御
神輿渡御

威勢のいい、粋で鯔背な下町の神輿渡御はいつみても惚れ惚れします。行列は大島駅前から西大島駅に至り、ここから明治通りを北上し亀戸駅前を通り、最終的には香取神社境内に宮入し渡御が終了します。

神馬
神輿渡御

江東区では8月中旬(8月11日と12日)に行われるお江戸の総鎮守・富岡八幡宮の例大祭が非常に有名です。今年は3年に一度の本祭りにあたり、50以上の神輿が行列をなし、担ぎ手に水をかける「水かけ」が深川八幡様の恒例になっています。

スカイツリーも人気だけど、今年は江東区の富岡八幡宮の例大祭が熱く燃えるはずです。是非、楽しみにしてください。

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梅雨の晴れ間に彩りを添える清澄庭園の花菖蒲~お江戸下町の深川散歩~

2012年06月14日 16時08分09秒 | 江東区・歴史散策
どんよりとした雲に覆われた梅雨の季節とはいえ、蒸し暑さというよりか肌寒さを感じる今日この頃、やっと梅雨の晴れ間が訪れました。

久しぶりに隅田河岸までマウンテンバイクを走らせ、下町深川の風情を楽しんできました。まずは新緑の木々に覆われた深川の総鎮守である富岡八幡宮へ参詣しました。雲間から射し込む光に社殿全体が明るく輝いています。本殿の背後にうっそうと茂る木々の緑と社殿の朱色が美しいコントラストを描いています。

富岡八幡宮社殿

富岡八幡宮をあとに清澄通りを屋上するのですが、途中深川の閻魔様が鎮座する法乗院さんへ。さっそく閻魔堂の閻魔様にご挨拶し、お賽銭を投げ入れ、ありがたい閻魔様のお告げを頂戴しました。

法乗院閻魔堂
閻魔様

※ここ法乗院の閻魔様は参拝者が希望する祈願に音声で応えてくれます。ありがたいお告げを聞く場合に聞きたいお告げが書かれている筒へお賽銭を投げ入れると自動的に音声が流れてきます。なんともハイテクな閻魔様なのです。

法乗院の閻魔様としばらくぶりの対面を楽しんだあと、清澄白河の名園「清澄庭園」へと向かいます。ちょうど園内の菖蒲園は「花菖蒲」がほぼ満開とのことで、平日にもかかわらず来園者で賑わっています。

園内は初夏を感じさせる木々の緑に覆われ、その濃い緑が池の水面に映える様子はこの季節ならではの美しい光景を描き出しています。菖蒲園は園の一番奥に置かれています。

池の畔の涼亭

色とりどりといっても白と紫の二種類の菖蒲の花が初夏の日差しに美しく輝いています。遠目からみるとややグラデーション気味に白色と紫色に濃淡がかかっているように思われます。菖蒲の緑の葉と白と紫の花の絶妙なコントラストを楽しめます。賑やかな清澄通りの喧騒から隔絶された静かな空間の中で、美しい緑と菖蒲の花を楽しんでひとときでした。

菖蒲園1
菖蒲園2
菖蒲園3

このあと、清澄庭園からさほど離れていない霊厳寺の江戸六地蔵へお参りをしてから、隅田川岸の芭蕉翁像に会いに行くことにしました。芭蕉翁はちょうど小名木川が隅田川に注ぎ込む河岸に造られた芭蕉記念館の展望公園に置かれています。目の前にゆったりとした流れの隅田川、下流には流麗な姿の清洲橋、その向こうには中央区側のビル群が立ち並び、水面にはひっきりなしに船が行き交うというまるで絵葉書を見ているような景色を楽しめます。

霊厳寺の江戸六地蔵
芭蕉翁の像

なぜこんな所に芭蕉翁の像が置かれているかって? 実はお江戸の時代、それも元禄時代に芭蕉翁はちょうど像が置かれているあたりに庵を結んでいたのです。そしてここ深川から奥の細道の旅にも出立しています。また春の桜の季節に詠んだ「花の雲、鐘は上野か浅草か」はここ深川の芭蕉庵から浅草方面を眺めた情景を詠ったものだと言われています。

隅田川の流れ

久しぶりの梅雨の晴れ間の日差しに、芭蕉翁もほんの少し眩しげな様子で隅田川を眺めていました。

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2014年午の歳 年の初めの深川七福神詣
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東都花見絵図~深川霊巌寺・芭蕉記念公園・安田庭園・亀戸萩寺・亀戸天神~

2012年03月22日 17時59分34秒 | 江東区・歴史散策
「暑さ寒さも彼岸まで」
何処の寺も彼岸の賑わいを見せる今日この頃、ようやく春めいてきた墨東界隈の春景色を探しにちょいと出掛けてみました。

梅の花越しのお地蔵様
椿の花越しのお地蔵様

「墨東」これすなわち隅田の東、江東、墨田の河岸一帯のこと。まずは本所深川の名刹・霊巌寺の境内に鎮座するお地蔵さまにお参り。江戸六地蔵の第五番として知られている大きな地蔵菩薩です。その地蔵様の傍らにまるで花を手向けたように満開の梅の花と椿の花が咲き誇っています。その花を愛でるように柔和なお顔がなにやら微笑んでいるようにすら見えてきます。

本堂脇の梅の花

ご本堂脇の綺麗に剪定された梅の木にもほぼ満開の梅の花が咲いています。

さて、深川はあの俳聖芭蕉が庵を結んだことがあり、お江戸の中でも最も係わりが深い場所です。隅田川を望むその場所はちょうど小名木川が隅田川に注ぎ込む辺りなのですが、久しぶりに芭蕉翁に会いに芭蕉記念公園に行ってみました。

隅田川を眺める芭蕉翁

「春のうらら」とはいかないまでも、ようやく春めいた日和に隅田川の流れもほんの少し優しくなったような気がします。そんな隅田の流れを芭蕉翁は春の訪れを待ちかねるように眺めていました。
「観音の甍みやりつ花の雲」
深川の芭蕉庵からはるかに遠く浅草観音の方角に目をやると、遠近一面雲と見まがうばかりの桜が咲き連なって、その中に観音の大屋根だけが黒く小さく眺められる、という句意なのですが、残念ながら平成の世では、芭蕉翁が座するここ芭蕉記念公園からはこのような光景を見ることができません。

芭蕉記念公園に隣接する小さな神社、正木神社の祠脇にも白い花をつけた梅の木が…。

正木神社の祠脇の梅の花

萬年橋通りを北上し、新大橋通りを越え一路両国界隈へと足を向けることにしました。
国技館前を進み、次のブロックが「旧安田庭園」です。この庭園はもともとはお江戸元禄時代に常陸国笠間藩主本庄因幡守宗資により造園された大名庭園です。明治維新後は、旧備前岡山藩主池田侯の邸となり、次いで安田善次郎氏の所有となりました。現在は墨田区に管理が移管されています。

旧安田庭園入口

お江戸の代表的な大名庭園である「六義園」や「浜離宮」と比べると、規模や内容に少し見劣りがするかもしれませんが、それなりに整備された庭園なので両国散策のついでに訪問されることをお勧めいたします。

庭内俯瞰
石燈籠

庭内は池を回遊する形で散策路が整備され、ところどころに大きな石燈籠が置かれ、かろうじてかつて大名庭園であったことが偲ばれます。しかしながら庭内には花をつけた木が一本もないことに驚きと若干の失望感を覚えたのですが、唯一、池の端に咲く水仙だけがほんの少し彩りを添えてくれました。

池の端に咲く水仙
石燈籠
庭内俯瞰

池の端の散策路を歩いて見つけたものが一つあります。その路傍に置かれた小さな石燈籠は表面がかなり風化し、かなり古いものではないかと思うのですが、その特徴から「切支丹燈籠」ではないかと勝手に推察しました。というのも燈籠の台座になにやら人物めいたレリーフが彫られています。レリーフにはきちんと二本の足が見えます。このレリーフとして彫られた人物こそ「マリア像」を表し、切支丹禁制の時代にはマリア像の部分は地中に隠し、隠れキリシタンがお祈りをするときだけ土を掘りマリア像を地表に出したと言われています。

切支丹燈籠?
マリア像のレリーフか?

もしこの燈籠がほんとうに切支丹燈籠であるのなら、何故大名庭園に置かれているのか不思議でなりません。

河津桜とスカイツリー

そんな疑問を持ちながら、両国からさほど離れていないスカイツリーの足元を通り、亀戸の萩寺こと「龍眼寺」へ向かうことにしました。名前の通り、秋には境内は萩の花が咲き誇ることで、江戸名所図会で紹介されるほどお江戸の時代から知られている名刹です。しからば彼岸の頃の萩寺には何かあるのではと思い訪れてみました。

萩寺
萩寺

一般的にお寺の境内には四季を問わず、何かしらの花が咲いているもの。ここ萩寺にも境内に植えられた梅の木はほぼ満開状態です。それほど数が多いわけではありませんが、境内に興を添える程度の梅見ごろといったところです。

本社殿脇の紅梅
本社殿脇の白梅
社殿から見た紅梅
境内の梅
枝垂れ梅

梅といえば萩寺から至近にある亀戸天神なので、墨東花見の〆として天神様の梅見へと向かいます。とうに見ごろは過ぎていると思いきや、なんと今を盛りに紅白揃い踏みといった感がします。あと半月もすれば東京でも桜が開花するというのに、彼岸すぎまで観梅とは…。こうなったら梅と桜の競演も期待できるかも…?

粋な深川・お江戸の総鎮守「富岡八幡宮」の酉の市
2014年午の歳 年の初めの深川七福神詣
お江戸深川七福神詣で
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お江戸の二大天神様の梅はちょうど見ごろ~亀戸天神と湯島天神~

2012年03月14日 16時55分59秒 | 江東区・歴史散策
今日14日、三月も半ばにさしかかりやっと春めいてきました。朝から青空が広がり、梅見には最適のお日和になりました。

昨日、今日と比較的温かい気温と陽射しがつづいているので、お江戸の梅の名所もきっと見ごろになっているのではと期待しながら、まずは亀戸天神へひとっ走り。

亀戸天神本社殿
境内俯瞰

境内に入ると先日までの様子とはガラリと変わり、境内を取り囲むように並ぶ梅の木には紅、白そして薄い桃色の花が咲き誇っているではありませんか。

梅花越しのスカイツリー

それでは亀戸天神境内の梅の花をご覧ください。

紅梅其の壱
枝垂れ梅
社殿脇の梅
紅梅其の弐
白梅其の壱
白梅其の弐
紅梅

ついでに湯島の白梅はどんな具合かと、亀戸から湯島へと一っ飛び。

湯島天神参道

さずがお江戸一番の梅の名所だけに、平日の今日でも境内は観梅の人で大混雑の状態です。ここ湯島の梅の花も今が見ごろといったところです。陽射しが降り注ぐ本社殿前の梅の木はほぼ満開の状態ですが、裏手の女坂は陽射しが届かないためか今ひとつ派手さが足らないようです。
それでは湯島天神の梅の花をご覧ください。

其の壱
其の弐
其の参
其の四
其の五
其の六

両社の梅の花の見ごろは今週末くらいまでではないでしょうか?是非、お出かけになってはいかがですか?

亀戸天神社恒例の「うそ替え神事」
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ちょっと気になる亀戸天満宮の梅~寒風に蕾膨らむ三分咲き~

2012年02月28日 14時27分59秒 | 江東区・歴史散策
今日も晴れてはいるものの気温7度と肌寒い気候。例年にない厳寒の日々がつづき、各地の梅の名所では開花が遅れ、花見の客も足が遠のいて商売があがったりという状況が起こっているようです。

天満宮大鳥居と梅の花

そんな寒風をついて、観梅で知られるお江戸下町の亀戸天満宮へと開花状況を見に行ってきました。境内には紅梅、白梅、蝋梅など合計300本の梅の木があるのですが、見ごろはまだまだといったところです。

本社殿脇の梅の木

天満宮では2月4日から梅祭りが開催されていますが、境内の梅の花はせいぜい二分から三分咲きで、少しずつ膨らんだ蕾が枝いっぱいについている様子が覗われます。

紅梅
ほんの少し開花した白梅

朱の大鳥居の脇の梅の木には紅梅が咲き、鳥居の朱色と紅梅の紅色がコントラストを見せています。それでも境内の何本かの梅の木は満開とまではいかなくとも、それなりに可愛らしい花を咲かせているものもあります。

社殿と紅梅

3月に入り少し気温が高くなれば一気に開花するのではと期待しつつ境内を散策してみました。
社殿の入口には大宰府からの紅白の梅の盆栽が置かれ、参拝客の目を楽しませてくれます。

大宰府の梅(盆栽)

スカイツリーのお膝元に鎮座する天満宮からは太鼓橋(男橋)の擬宝珠とスカイツリーのコラボが楽しめます。

擬宝珠とスカイツリー

「東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春ぞ忘るな」の通り、まもなく訪れる春風が吹く季節にはきっと満開の梅を楽しむことができることでしょう。そんな日が訪れるのはいったいいつなのでしょうか?

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亀戸天神社恒例の「うそ替え神事」

2012年01月25日 16時37分02秒 | 江東区・歴史散策
毎年1月24日・25日両日はお江戸下町の亀戸天神社では江戸時代の文化三年からつづく恒例の「うそ替え神事」が行われ、多くの参詣者で賑わっています。

亀戸天神鳥居
社殿前の行列

ご存知のように亀戸天神社は菅原道真公を祀っていることから学問の神として崇められています。なぜ学問の神を祀る天神社で「うそ替え神事」が行われるのかというと、「うそ」という鳥は幸運を招く鳥とされ、毎年新しい「うそ鳥」に交換すると、これまでの悪いことが「うそ」となり、その年の開運、出世、幸運を代わりに手に入れることができるという信仰が伝わっています。

うそ鳥

また「うそ鳥」は日本海沿岸に生息するスズメ科の鳥で、九州の大宰府天満宮のお祭りのとき、害虫を駆除したことで天神様と深い係わりをもったとされています。更には鷽(うそ)の字が學(がく)の字に似てることから学問の神様である天神様とつながりが深いと考えられているようです。

社殿に通じる参道脇には販売所が設けられ、新しい「うそ」を買い求める参詣客で賑わい、その傍らには古いうそを納める奉納台が置かれています。

古いうその奉納台

社殿には一対の大きな「うそ鳥」が置かれ、多くの参詣客が今年の吉を祈っています。とりわけ学問の神様ということで、比較的若い方が多いのも頷けます。社殿前に置かれた絵馬の奉納所には合格を祈願する絵馬が山ほど吊るされています。

社殿の大うそ

境内を一巡すると神楽殿では初天神祭の祝いの神楽が奉納されている最中でした。天神祭とは菅原道真公の誕生日と亡くなった日である25日に執り行なわれる神事、祭事であり、1月25日はその年の最初の天神祭ということで「初」がついているのです。

天神祭の神楽
蝋梅
境内俯瞰

その神楽殿の脇に植えられた一本の木には芳しい香りを放ち、淡い黄色の花弁が愛らしい「蝋梅」の花が大寒の空気の中で揺れています。亀戸天神社の境内はたくさんの梅の木が植えられていますが、蕾は膨らみ始め、日当たりの良い場所の梅の木にほんの一輪の紅梅が花を咲かせていました。

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お江戸深川七福神詣で

2012年01月05日 15時07分51秒 | 江東区・歴史散策
新年明けましておめでとうございます。
旧年中は多くの方々からのご愛顧を賜り誠にありがとうございます。
本年も倍旧のご支援のほどお願い申し上げます。



さて本年最初のお題はお江戸下町の風情が漂う「深川七福神」への願掛け詣で巡りの報告から始めさせていただきます。

私の地元である江東区を代表する七福神巡りで、毎年かかさずに巡っています。おとそ気分もさめやらぬ昨日4日、各寺社では例年通り七福神がお姿を現し、私たちに新たな福徳を授けてくれています。

そもそも七福神の起こりは神君家康公が天海僧正に「国が栄えるようになり、人徳がたかまるようにするには、どのような道が大切であろうか」と質問されたのに対して、僧正は「仁王護国般若波羅密教(仁王教)などの経典に説かれている教えを大切にすれば、七難即滅し、七福即生します」と答えました。
さらに家康公は「七福とは何か」、僧正はが「七福とは寿命、有福、人望、清廉、威光、愛敬、大量が人生にとって大切であると説明しました。そして家康公は狩野派の画家に七福の神々を描かせたことが七福神の始まりであると言われています。

お江戸の七福神巡りが初めて行われたのは谷中七福神が最初と言われていますが、最も有名なのは隅田川七福神巡りでしょう。向島百花園が開園した文化元年(1804)に始まった隅田川七福神巡りが江戸の各地や地方に広がっていったのですが、ここ深川七福神巡りも江戸時代に始まったのですが、昭和20年の戦災で七福神を安置していた寺社が焼失したため戦後は中断していました。各寺社の復興に伴い、昭和45年の正月から復活し現在ではお江戸下町を代表する「七福神巡り」になっています。

ここで深川七福神を祀る寺社を紹介しておきましょう。
(1)恵比須神 富岡八幡宮(福徳:愛敬富財)
(2)弁財天  冬木弁天堂(福徳:芸道富有)
(3)福禄寿  心行寺(福徳:人望福徳)
(4)大黒天 円珠院(福徳:有福蓄財)
(5)毘沙門天 龍光院(福徳:勇気授福)
(6)布袋尊 深川稲荷神社(福徳:清廉度量)
(7)寿老神 深川神明宮(福徳:延命長寿)

富岡八幡宮の初詣の賑わい

それでは(1)の富岡八幡宮の恵比須神から七福神詣でを始めることにいたしましょう。
江戸最大の八幡さまで「深川の八幡さま」として親しまれている富岡八幡宮は永代通りに面して立つ大鳥居からご本殿までつづく参道にはたくさんの参詣客で賑わっていました。そんな人ごみをかき分けてご本殿の西側に祀られている「恵比須宮」へと進んでいきます。

参道の賑わい

ご存知のように恵比須神は大国主命の御子神にあたる事代主命(ことしろぬしのみこと)で釣りが大好きな神様です。このため烏帽子に狩衣をまとい、右手に釣竿、左手に鯛を抱えて岩に座った姿をしています。もともとは海上安全、航海安全の神でしたが、のちに商売繁盛の神として広く信仰されています。

恵比須神祠

富岡八幡宮のご本殿前の賑やかさとはうって変わって静かな空気が流れる神域でお参りを済ませ、二番目の弁財天を祀る冬木弁天堂へと向かうことにいたします。

冬木弁天堂

八幡さまからそれほど離れていない距離にある冬木弁天堂は葛西橋通りに面した小さな境内に祠を構えています。冬木弁天堂がある場所は江戸時代の元禄時代から材木商が多く集まった木場に位置していました。弁天堂の由緒はここ木場に店を構えた材木豪商の冬木弥平次が宝永2年(1705)に邸内の池の畔に竹生島から移した弁財天を安置したことに始まります。このため現在でもこの辺りの地名が「冬木」となっています。

冬木弁天堂を後にして、三番目の福禄寿を祀る心行寺へと向かいます。葛西橋通りを隅田川方向へと進み、清澄通りと交わる大きな交差点を右へ曲がるとすぐに現れるのが深川閻魔堂です。この閻魔堂の隣に位置しているのが心行寺です。

心行寺門前
心行寺門前

心行寺は江戸時代の元和2年(1616)に八丁堀寺町に創立し、寛永10年(1633)にここ深川に移った由緒ある古刹です。福禄寿を祀る六角堂は山門を入った境内の左手に建っています。新春の柔らかい陽射しが小さなお堂の中の福神を照らしています。

福禄寿六角堂

※深川七福神巡りのコースの中で唯一綺麗なトイレがあるのがここ心行寺です。

心行寺を後にして4番目の大黒天を祀る円珠院へと向かいます。清澄通りを北上しながら歩いていくと、仙台掘川に架かる海辺橋にさしかかります。この橋の袂はかつて俳聖・芭蕉が暮らした庵「採茶庵」があった場所です。海辺橋を渡ると左手にこんもりとした林が見えてきます。この林の向こうには江戸時代の名園「清澄庭園」があります。

円珠院門前
円珠院大黒天

清澄通りからはずれ深川七福神の幟に従って右へと折れてしばらく歩くと円珠院に到着です。円珠院には大黒天が祀られていますが、実は大黒天信仰には2つの流れがあります。一つは大黒天を大国主命とするもので、一般的に神社に祀られています。もう一つはインド名をマハカーラという仏神の大黒天で、多くは寺院に祀られています。

円珠院に祀られているのは仏神の大黒天です。円珠院は江戸時代の享保年間に創立した古刹です。

七福神巡りも残すところ三ヶ所となりました。ここ円珠院から5番目の毘沙門天を祀る龍光院へと足を進めます。龍光院の道すがら、大きな境内を有する浄心寺に沿って歩くと、その境内に古めかしい鐘楼が見えてきます。この梵鐘は文久元年(1861)の鋳造で、ここに移される前は川越の行伝寺の時の鐘として使用されていた由緒あるものです。七福神の幟は平野の交差点で左へと折れ更に北上します。

龍光院門前
龍光院毘沙門天

龍光院はそもそも家康公の側室「阿茶局」の菩提寺である雲光院の塔頭寺院で慶長16年(1611)に馬喰町に創立した古刹ですが、明暦3年の振袖火事で焼失した後、岩井町(現千代田区)に移転し、さらに天和2年(1682)の大火の際にここ深川に移転してきました。
そしてこの天和2年に鬼門除けとして境内の東北角に石造りの毘沙門天が安置されたのが始まりです。現在の毘沙門天像は昭和50年に造られたものです。ご存知のように毘沙門天は四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)の随一である多聞天とも呼ばれています。

※雲光院は龍光院から約100m北に位置しています。雲光院には阿茶局の墓と吉原遊郭の創立者である庄司甚内の墓があります。

龍光院を後に、雲光院門前を過ぎると深川資料館通りの商店街が現れます。この通りを清澄通りに向かって歩きます。深川資料館前を過ぎると、ほぼ隣にあるのが霊巌寺です。霊巌寺には江戸時代に寛政改革を断行した老中・松平定信公の墓所と江戸六地蔵が鎮座しています。

ちょうどこの辺りが清澄白河という地名ですが、前述の松平定信公が白河藩主であったことから「清澄白河」と付けられています。

清澄白河の交差点を渡り、清洲橋通りを西へ進み、布袋尊を祀る深川稲荷神社へと向かいます。清洲橋通りから右手へ折れると、深川稲荷神社はもうすぐです。

深川稲荷神社前
深川稲荷神社布袋尊

深川稲荷神社は寛永7年(1630)創立と古いものです。路地が交わる角に建つ当社のすぐ裏手に江戸時代からの水運の要である小名木川が流れています。江戸時代にはこの付近にはたくさんの船大工が生み、舟の修繕、造船をしていました。

ここ深川稲荷神社は深川七福神巡りのルートで唯一、お茶のサービスをしてくれる場所です。冷え切った体に熱いお茶のサービスは助かります。

さあ!いよいよ7番目の寿老神を祀る深川神明宮を目指しましょう。深川稲荷神社から隅田川方向へ歩いていくとこの付近にやたらと目立つのが相撲部屋です。琴風の尾車部屋、大鵬の大鵬部屋、北の湖の北の湖部屋と続きます。国技館のある両国がもう目と鼻の先という位置からすれば当然のことでしょう。

そして道はあの赤穂浪士たちが討ち入り後、泉岳寺へと向かうために歩いた万年橋通りへとさしかかります。万年橋からは隅田川の流れと美しい曲線を描く清洲橋を眺めることができます。

この万年橋通りを両国方面へと北上し、芭蕉記念館を過ぎて最初の角を右へ折れると寿老神を祀る深川神明宮に到着です。

深川神明宮は慶長元年(1596)とかなり古い創立で、深川では最も古い神社です。深川はそもそも大阪摂津からやってきた深川八郎右衛門によって開拓された土地です。その鎮守の宮として創建されたのがここ深川神明宮です。

そして神君家康公がこの村にきたところ、村名を尋ねたところ名がないので、深川八郎右衛門の姓をとって深川村とすることとなった由緒があります。

寿老神祠

7番目の深川神明宮は私にとっては終着点ですが、ここから七福神巡りを始める方にとっては出発点です。やはり出発点ともなる当社にはたくさんの方が参詣に訪れていました。延命長寿の神「寿老神」に今年一年の無事を願い年初の初詣を無事に終えることができました。

最後に皆々様のご多幸を心からお祈りいたしております。

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