大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

琵琶湖を見下ろす優雅な城・国宝彦根城

2015年11月06日 08時56分01秒 | 国宝指定の城めぐり~姫路城・彦根城・犬山城・松本城~
平成26年11月13日訪問

近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城で、この中で国宝に指定されているのは松本、犬山、彦根、姫路のわずか4城です。
※平成27年(2015)7月8日に新たに松江城が国宝に指定されたので、現在は5城になっています。

彦根城天守

かねてより国宝に指定されている城(天守)はすべて見たいと考えていました。すでに犬山、松本の2城を見たので、残りは彦根と姫路の2城です。私たちの今回の旅では、京都の観光もさることながら、お隣の県の滋賀県にある彦根城の見学は最大の目的です。

そんなことで京都から7時1分のJR京都線の新快速に乗り、彦根城のある彦根へと向かいました。(所要54分)
途中、山科、大津、石山、草津、近江八幡などゆっくり見て回りたい地名が次から次へと出てきます。
ちなみに今回は彦根から京都に戻る途中に、近江八幡で下車して市内散策と近江牛を食べることを予定しました。

列車は7時55分に彦根駅に到着しました。地方都市といった小ぢんまりとした印象の駅前です。駅前のロータリーには彦根藩初代藩主の井伊直政公の騎馬像が置かれており、さすが彦根藩35万石の雄藩を標榜しているといった感じです。

とはいえ現在の彦根城下はそれほど発展しているとは思えないのですが、駅前からほぼ一直線の道筋はこれから向かうお城へと延びています。それらしい商店や居酒屋などは駅前のほんの一区画に集中しているだけで、これを過ぎると道筋は閑散となり、右手に彦根市役所が現れます。

駅からおよそ530mほどの距離を歩くと、T字路となる護国神社前の信号交差点にさしかかります。ここまでくるとお城は目と鼻の先です。この信号交差点で左折すると、右手に彦根観光センターと大型バス専用の駐車場が現れます。

彦根城マップ

さあ!ここから登城とまいりましょう。
お城へとつづく一直線の道筋の左側は掘割(中堀)になっていて、その堀に沿って美しい松並木がつづきます。この松並木は「いろは松」と呼ばれています。かつて47本あったことからこう名付けられたといいますが、現在は34本が残っています。中堀の向こうに長くつづく石垣と若干色づいた木々の葉が美しい光景を描き出しています。

さて、この彦根城ですが現在の場所に築城されたのは井伊家二代藩主である直継公の時代の慶長11年(1606)の頃です。これ以降、彦根藩は藩主が入れ替わることなく、幕末まで17人の藩主が彦根藩を治めていました。
そんな藩主の中で、とりわけ歴史に名を残したのが御存じ16代藩主の井伊直弼でしょう。

嘉永3年(1850)、直弼は兄直亮の死去によりはからずも藩主となった。そして13代将軍徳川家定の将軍継嗣問題で南紀派に属し、一橋慶喜ら一橋派と対立し、家茂の14代将軍就任に多大なる貢献をしたのです。
そして安政5年(1858)に大老に就き、勅許を得ず日米修好通商条約に調印してしまいす。これを口実として詰問に出た旧一橋派要人を隠居させ、併せて言論人への死罪等を含む安政の大獄といわれる強権の発動を行ったことは世に知られています。その結果、攘夷派からの反発を招き、万延元年(1860)に桜田門外で水戸藩脱藩浪士たちに暗殺されたのです。
良くも悪くも幕末の歴史の一頁を飾った井伊家(直弼)ですが、彦根ではまさしく名君としていまでも慕われているようです。

中堀にて

左側の中堀が途切れるあたりが、かつて城門があった佐和口です。ここからは二の丸佐和口多門櫓を間近に見ることができます。

佐和口多門櫓

そして右手には中堀と長く続く白壁と石垣が美しい多門櫓を見ることができます。



佐和口の城門を入ると、左右に石垣がつづき、すぐ右手にもう一つの櫓が現れます。



道筋はこの先でT字路となり、内堀へとでてきます。T字路を左折すると、左側はかつての馬屋の建物です。私たちが訪れた時は修復中で建物の全貌を見ることができませんでした。

さあ!お城の表門橋に到着しました。

表門橋付近で
表門橋にて
表門橋の上から

表門橋を渡ると広場が現れ、これを進むと左手に管理事務所があります。ここで入場料を支払います。

表門橋を渡ったところ

それでは天守へと向かうことにします。
天守への道筋はすぐになだらかな坂道になります。これが表門山道と呼ばれているものです。彦根城は山城なので、天守は彦根山のてっぺんに置かれています。このため天守への道のりは当然坂道、石段がつづくことになります。

表門山道にて

私たちは朝一番の登城なので、観光客はほとんどいません。独り占めといったところです。晩秋の朝、快晴の下ですが空気が冷たく感じます。

そんな坂道を進んで行くと、木々の間から一つの櫓が見えてきます。




さらに坂道を登っていくと、橋が架けられた櫓が現れます。この橋は非常時には落とし橋になるものですが、この橋を中心にして左右対称に櫓がつけられています。まるで天秤のような形をしていることで「天秤櫓」と呼ばれています。

天秤櫓前にて
天秤櫓
天秤櫓前にて

天秤櫓をくぐり、次の坂道を登っていくと左手に鐘楼堂が現れます。「時報鐘(じほうしょう)」と呼ばれるもので、今でも定時に鐘がつかれ、「日本の音風景百選」に選ばれています。

時報鐘

この鐘は幕末の頃の12代藩主であった直亮の時に、より美しい音色にしようと鋳造の折、大量の小判が投入されたと言われています。

さあ!天守にいたる最後の坂道をのぼると、太鼓門櫓です。

太鼓門櫓

太鼓門櫓をくぐると、いよいよ正面に美しい天守が現れます。

彦根城天守

彦根城の天守は、長方形(梁行に対して桁行が長い)で、表門から登ると目に入る東の面や、琵琶湖側から望む西の面は、そそり立ち端正な佇まいを見せます。逆に南、北の面はどっしりと幅が広く安定した面もちです。また、一層目は、大壁の下に下見板が取り付けられ、窓は突き上げ戸になっています。

本丸跡にて
本丸跡にて
彦根城天守
彦根城天守

それでは国宝天守へと入ります。平日の朝早い時間帯ということもあり、ここまでの道筋を辿ってきても誰一人あいません。
ということは天守も独り占めということになります。
入口で靴を脱いで天守内部へと進みます。天守内も晩秋の空気に満ちて、ひやっとしています。スリッパもないので床の冷たさが足元から伝わってきます。

いつも思うのですが、これまで多くの復元天守に登ってきましたが、そのほとんどは靴を脱ぐことなく内部を観覧することができました。というのも復元ですから内部は現代の建築工法で出来上がっているので、木材を多用することはありません。
そのため天守を支える太い柱や梁などは復元天守では見ることができません。

しかしこれまで見てきた犬山、松本の城はオリジナルのままの天守であることから、その内部は当然のことながら各層の床は木材であり、柱や梁は当時のままの太い木材が残っています。
そんな創建時の姿を残す国宝天守のよさは、使われている木材の古さと温かみではないでしょうか。
そしてかつて兵どもが甲冑を見に纏い、急こう配の階段を上り下りをした時代に思いをめぐらすことができるのが国宝天守なのです。

天守最上階にて

天守最上階からは35万石の藩主が眺めたであろう同じ景色が眼下に広がります。晩秋の青空の下、遠く琵琶湖の湖面が一望できます。

天守からの眺め
天守からの眺め

琵琶湖から吹き込む晩秋の冷気を肌で感じながら、最後に「ひこにゃん」と記念撮影をして、後ろ髪を引かれる思いで下城することにしました。

ひこにゃんと

木曽川ほとりの山城「国宝・犬山城と城下町探訪」~風薫る新緑に映える名城~
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白鷺の如く美しい姿を見せる「姫路城」



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白鷺の如く美しい姿を見せる「姫路城」

2015年11月01日 10時07分27秒 | 国宝指定の城めぐり~姫路城・彦根城・犬山城・松本城~
京都滞在2日目のこの日、我が国日本で国宝に指定されている「城」の中で唯一訪問していなかった「姫路城」を探訪するため、京都駅発7時14分の新快速に飛び乗り、一路姫路へと向かいました。

姫路城

京都以西への在来線での列車の旅は久しぶりのこと。車窓からは大阪市内、六甲の山並みそして須磨海岸と明石大橋などの景観を楽しむことができました。姫路駅到着は8時50分。

JR姫路駅前

モダンな駅舎をでると、目指すお城まで太い通りが一直線に伸びています。

姫路メインストリート

姫路駅北口からメインストリートを歩くこと約1kmで姫路城前信号交差点にさしかかります。この信号交差点を渡ると、いよいよ大手門から登城開始です。
大手門にさしかかる辺りに、なにやら侍の一団が控えています。さすが姫路城の演出なのかと思いきや、なんと映画「超高速・参勤交代」の続編の撮影とのこと。
お城に大名行列の侍の姿はめったに見られない光景ということで、エキストラの方々と一緒に記念撮影をしました。

超高速・参勤交代
超高速・参勤交代
超高速・参勤交代

大手門をくぐると、かつての三の丸。現在は広場になっていますが、ここからは美しい姫路城の天守を遠望することができます。

三の丸からの天守

三の丸の縁に沿って入城口へと進んで行きます。

入城券
姫路城パンフレット
三の丸からの天守

さあ!いよいよ登城とまいりましょう。お城の表玄関である菱の門へと進んでいきます。

さて、江戸時代に入って最初に姫路藩を立藩したのが池田輝政公です。輝政公は姫路に入封する前は三河吉田15万国の大名だったのですが、関ヶ原の戦いの戦功によって破格の播磨52万国を与えられたのです。そして築城されたのが姫路城です。

歴代藩主は初代藩主の池田輝政の池田家、本多家、松平(奥平)家、松平(越前)家、榊原(松平)家、松平(越前)家、本多家、榊原家、松平(越前)家、酒井家と目まぐるしく変わります。藩の石高は初代藩主の池田家は52万石ですが、その後は15万石と減封されています。52万石当時に造られた姫路城を抱え、15万石の身分では釣り合わない姫路藩は常に藩の財政は厳しかったようです。
思えば15万石でよくぞこの巨大な城郭を維持したと感心するばかりです。

菱の門
菱の門
菱の門にて

菱の門をくぐると、天守がさらに間近に迫ってきます。

姫路城天守
天守へ
天守へ
天守へ
天守へ
天守へ
天守へ
天守へ

それでは天守内部へと進みます。天守は地階から六階までの七層構造です。これまで国宝に指定された彦根城、松本城、犬山城を訪れましたが、それぞれの城ごとにその素晴らしさを味わってきました。しかしそれらの規模と重厚さはこの姫路城には遠く及ばずといった印象です。
天守内の造りはどこの城でも同じなのですが、その規模の大きさは格段に違い、使用されている木材の太さなど目をみはるものがあります。そして木材だけでこの巨大な天守をつくった技術に感嘆するばかりです。

そしていつも思うのですが、戦国から江戸時代に築城された多くの城郭・天守が明治維新政府の廃城令なる愚行によって各地の名城が破却されてしまったことに口惜しさを感じます。明治新政府が封建時代の象徴である城郭を破却しなければ、新しい時代を築けないという理由よりは、むしろ徳川将軍家へのあてつけのように思えてしょうがないのです。
ただもし破却されずに残った城郭や天守も、先の大戦中に米軍の空襲によって焼失してしまったかもしれませんが……。

天守内部
天守内部
天守内部
天守内部
天守内部
天守内部
天守内部
天守内部

天守を辞して、まさに天守直下の広場「備前丸」へと降りてきました。ここから眺める天守はひときわその大きさと美しさを満喫できます。

備前丸からの天守
備前丸からの天守
備前丸からの天守
備前丸からの天守

5年の歳月をかけて行われた平成の大修理によって、姫路城は白鷺の如く、白の漆喰が映える美しい姿に蘇りました。秋晴れの雲一つない青空のもと、まるでブルーのキャンバスに描かれた一幅の絵画のように姫路城が浮かびあがりました。そして姫路城訪問で国宝指定の城郭をすべて見られた達成感を味わうことができました。

おっと!そういえば今年(平成27年)の7月に新たに松江城が国宝に指定されました。そうであれば、近い将来、松江城にいかなけらばなりませな。ちょっと遠いですが……。

木曽川ほとりの山城「国宝・犬山城と城下町探訪」~風薫る新緑に映える名城~
天下の名城・国宝松本城



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天下の名城・国宝松本城

2013年07月19日 17時04分15秒 | 国宝指定の城めぐり~姫路城・彦根城・犬山城・松本城~
静かな、静かな奈良井宿での一夜が明け、目覚めると外は真っ青な空の下、まさに旅日和。標高があるせいか、部屋の窓辺に座っていると、ひんやりとした風が肌をなでていきます。

松本城大天守

朝7時30分からの食事の前に、前日見落としていた奈良井宿の杉並木を見にいきました。朝日を遮る宿場の家並みがつくる日陰を辿るように江戸口方面に進み、江戸見附辺りに社殿を構える八幡宮のそばに目指す杉並木はあるといいます。

朝の宿場風景

道標に従って進むと八幡宮の参道となっている石段をのぼり、その途中から右手に折れるように古い道筋が延びています。
その古い道筋をほんの少し進むと50mほどの区間に旧中山道の杉並木が僅かに残っています。

杉並木

杉並木

ちょうど江戸方向から奈良井宿の江戸口に入るちょっと手前に位置するのがこの杉並木です。この杉並木を抜けると道は下り坂となり奈良井宿の宿内へとつながっていたを思われます。

京へのぼる旅人は奈良井宿のはずれから始まる鳥居峠(1197m)を越える前に、ここ奈良井宿で鋭気を養うために宿をとったのではないでしょうか。

せっかくなので杉並木の至近に鎮座する八幡宮の社殿まで行ってみることにしました。石段を上りきると境内の奥にかなりシンプルな社殿が構えています。

八幡宮社殿

これで奈良井宿の見どころをすべて見たことになります。ちょうど朝食の始まる時間が迫ってきたので、宿に戻ることにしました。

朝の散歩で少しお腹がへったので、朝食を美味しく食べることができました。ワンプレートの可愛らしい朝食は奈良井宿らしい気持がこもった献立です。

宿の朝食

腹ごしらえができたところで、今回の旅の最終目的地である松本行きの列車の出発時刻が迫ってきました。松本に行く理由はもちろん現存する日本最古の城として400年もの歴史を刻む「松本城」の見学です。

奈良井宿発9時25分の列車は所要1時間ほどで松本に到着します。松本での滞在時間が2時間30分と限られているので、まずは松本のランドマークである国宝・松本城を目指すことにします。

松本駅から周遊バスに乗り、市街を眺めながら松本城公園近くの市役所前で下車することにしました。市役所前からお堀に架かる橋を渡り、太鼓門へと進んで行きます。

太鼓門

太鼓門をわたるといよいよ内堀へと近づいていきます。目の前に目指す松本城の天守がやおら現れます。内堀の向こうに美しいシルエットを描く大天守が聳えています。

大天守

まるで絵葉書を見ているような光景が目の前に広がっています。それほど高さのない石垣の上に置かれた大天守は5層6階のスラリとしたまるでスレンダー美人のように立っています。美しすぎるほど美しく、まるで黒衣を纏った麗人のような佇まいです。

お城の天守の姿は城それぞれに特徴をもっていますが、松本城はこれまで見た城とは異なる美しさを備えています。天守を支える石垣はそれほど高くなく、スラッとのびる天守を堅固に守るかのような安定感を見せています。

さあ!それでは大天守へ登城とまいりますか。大天守へは内堀を渡り黒門を抜けて、かつて本丸があったエリアへと入らなければなりません。黒門を抜けると、さきほど内堀越しに眺めた大天守とは異なる趣とシルエットが待っています。



しばし見とれていると、甲冑を身に纏った一人の武将が現れました。一緒に記念撮影をしてくれるというのでパチリ。

武将と共に

美しい大天守を背景にして武将との記念撮影を終えて、いよいよ大天守へと進んでいきます。入口で下足し天守内へと入っていきます。6階まではかなり急な階段を登っていきます。天守最上階に到着すると、かなり息は荒くなり、足腰にも負担を感じます。

誠に無礼とは知りつつも、思わず天守最上階の床にゴロリ!

ちょっと失礼!

天守にて

今回の旅の最後の訪問地である松本で国宝のお城に触れることができたことに満足し、東京に戻ることにしました。



木曽川ほとりの山城「国宝・犬山城と城下町探訪」~風薫る新緑に映える名城~
白鷺の如く美しい姿を見せる「姫路城」



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木曽川ほとりの山城「国宝・犬山城と城下町探訪」~風薫る新緑に映える名城~

2011年05月10日 14時59分05秒 | 国宝指定の城めぐり~姫路城・彦根城・犬山城・松本城~
東北大震災の被害の様子が連日報道されている4月中旬、訳あって愛知県の名古屋へ10日間ほど滞留していました。桜の花はとうに散り、木々の枝の若葉は初夏の陽射しにキラキラと輝く素晴らしい季節を迎えていました。

かねてから一度は訪れて見たいと思っていた犬山城へ名古屋市内から電車を乗り継ぎながら日帰りの旅を愉しみました。地下鉄東山線の伏見駅で地下鉄鶴舞線に乗り換え上小田井へ。そこから名鉄線の急行でわずか23分と思っていたほど近い距離に犬山市は静かに佇んでいました。

名鉄犬山駅前に降りたち駅前のロータリーから真っ直ぐにのびるメインストリートを眺めると、なんとも閑散とした風景が目に飛び込んできました。早速、観光地図を手に入れ歴史溢れる街並み散策を期待しながらメインストリートを思われる通りに沿ってゆっくりと歩を進めることにしました。

ほんとうに静かなメインストリートで地方都市特有のシャッターが閉じた店舗がつづき、華やかさはまったく感じられませんでした。このメインストリートを300m程歩くと町を南北に貫く本町通りと交差する4つ角に至ります。この四つ角を右へ折れると、これまでの寂しいメインストリートとはまったく趣の異なる「通り」が現れたのです。

本町通りの街並み

本町通りは電線が地中に埋設され、道路も美装化された美しい通りで、この通りに沿って昔日を思い起こさせるような町屋造りの家並がつづいています。町屋造り風に新たに作られた家もちらほらと見うけられますが、その中でかなり趣のある古い町屋が一軒現れてきます。一見して古い建物だと判るのですが、旧磯部邸の木の看板が軒先にかかっています。なんと無料で内部を見学できるとのこと。

旧磯部邸

この旧磯部邸は江戸期の建築様式を今に伝える木造家屋で主屋は幕末に建てられたといわれています。緩やかなふくらみのある「起り屋根(むくりやね)」は犬山市内の町家で唯一現存しているもので、正面は2階建て、裏は平屋の「バンコ二階」と呼ばれる造りになっています。国宝犬山城大手門から延びる本町筋にあり、磯部家は江戸期からお城へ品物を納品する呉服商を営んでいたようです。

磯部家中庭
磯部家土蔵

敷地は間口が狭く、奥行きが広い「ウナギの寝床」のようで、中庭、裏座敷、土蔵などが静かな空気の中に佇んでいました。表通りから入るとすぐ左手の広間に端午の節句の武者人形が飾られていました。この武者人形は町内の有志の方がこの場所を借りて飾ってあるとのことです。

磯部家の武者人形

旧磯部邸を後にさらに本町通りを進んでいくと、通りの両側には次から次へと土産屋やお洒落な飲食店が現れ、この道が犬山市の本来のメインストリートであることが判明しました。通りには趣ある道路標識やかつて置かれていた高札場、問屋場、火の見櫓を示す石碑などが置かれています。

本町通りの道標
本町通の石碑

本町通りの賑わいを愉しみながら500mほど歩くと犬山城前広場が見えてきます。その広場の中央には由緒ありそうな神社が置かれています。赤い鳥居が社殿の脇に連なる三光稲荷神社(宇迦御魂大神)は犬山城の山麓に位置し、犬山城主成瀬家歴代の守護神として天下泰平、五穀豊穣、商売繁盛、交通安全のご利益を賜る歴史ある神社のようです。

三光稲荷神社鳥居
三光稲荷神社殿
三光稲荷の鳥居

この三光稲荷神社の傍らに猿田彦神社(みちひらきの大神 猿田彦大神)の社が置かれているのですが、道案内の神様である猿田彦が祀られているのは、犬山城下へやってくる旅人や犬山から旅立ちする者への安全祈願のためだったのかもしれません。

猿田彦神社
猿田彦神社と藤棚

さあ!いよいよ待望の犬山城へ登城することとしましょう。ここで簡単に犬山城の歴史を紐解いてみましょう。
豊臣秀吉が生まれた天文6年(1537)、織田信長の叔父である織田信康によって創建された、現存する日本最古の木造天守閣です。



尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)の国境に位置するため、戦国時代を通じて国盗りの要所となり、城主はめまぐるしく変わりました。小牧・長久手の合戦(1584)では、羽柴秀吉が12万人の大軍を率いてこの城に入城し、小牧山城に陣取る徳川家康と生涯唯一の直接対決をしました。この小さな城に12万人の大群が陣を敷いたことに驚きを隠せません。

江戸時代に入ると、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、幕末まで続きましたが、明治維新による廃藩置県のため、この城は愛知県所有となりました。しかし、明治24年の濃尾地震で半壊し、その修復を条件に城は再び成瀬家の所有となり、平成16年に財団法人に移管するまで日本で唯一、個人所有の城でした。

山頂へとつづくなだらかな石段をゆっくりと進んでいくと、今ではその姿を消した幾つかの城門の名残を見る事ができます。面白い事にこの犬山城は山麓から最後の城門をくぐるまで、その天守の姿を垣間見ることができないことに気が付きました。

城門へとつづく坂道
城門へとつづく坂道

そして最後の城門をくぐると美しい天守が始めてその全容を見せるという、ドラマチックな演出を体験することができるのです。

城門
城門から見る天守
山桜と天守
間近に見る天守

初めて見る犬山の天守のそれはそれは美しい姿にしばし感嘆の声をあげてしまいました。その昔にはおそらく本丸御殿があったであろう天守の下の広場には山桜が美しい彩りを見せています。
天守の下には神木「大杉様」が太い幹だけを残し立っています。この杉の木は天守をしのぐほどの高さを誇っていたといいます。しかし伊勢湾台風の際に雷にうたれ枯れてしまったとのこと。それ以降、地元の住民は、杉の木が犬山城の身代わりになってくれたとして、しめ縄をして祀っています。

神木「大杉様」

天守下の石垣から天守へ登っていきます。ほぼオリジナルの姿を残す犬山城は多くの城がコンクリート造りであることから、創建当時の木材がそのまま残り、長い歴史を刻んだ木材の温かみを感じさせてくれる最高のお城です。エレベーターもなく、当時のままの木の階段は幅も狭く、その急な角度には二の足を踏んでしまうほどです。

天守内の木製の階段
天守内
天守内

各層の床の木は戦国の時代に兵どもが甲冑をまとい行き来した息遣いすら感じるほどに歴史の輝きを放っていました。いよいよ天守の最上層へ登りつめます。何人もの城主が自らの国を眺めた望楼に到達した感動はこれまでに登った城の中でも極め付けの一語につきます。

天守最上層から城門を見る
木曽川の流れ
木曽川の流れ

天守の真下の広場、遥かに広がる犬山の街並みがまるで絵葉書のように広がっています。望楼を回りこんでみるとそこには感動的な景色が待っていました。悠々と流れる木曽川の水の色、そして背後に連なる美しい山並みはまさに絶景。確かに難攻不落という言葉がそのまま当てはまる名城の風格を感じる瞬間でした。

白鷺の如く美しい姿を見せる「姫路城」
天下の名城・国宝松本城



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