Teradaya is a long-established inn where, toward the end of the Edo period, Ryoma SAKAMOTO stayed regularly; it was also the scene of the Teradaya Incident.
京都滞在の最終日(2017年11月25日)、賑やかな京都市内を避けて伏見へやってきました。伏見と言えば「酒造」を思い浮かべますが、酒を飲まない私にとっては酒蔵めぐりは二の次で、まずは坂本龍馬さんゆかりの寺田屋の訪問を優先しました。
伏見寺田屋外観
京阪本線の伏見桃山駅で下車すると、それこそ駅前から立派なアーケード街が始まります。アーケード街は「伏見大手筋商店街」と呼ばれており、活気に溢れた商店街です。雰囲気的に観光客相手ではなく住民の方々が利用するための商店街のようです。
この伏見大手筋商店街のアーケードが途切れると角に三菱UFJがあるので、この角を左に曲がります。すると別のアーケード商店街が始まります。このアーケードは納屋町商店街と呼ばれています。さきほどの大手町商店街に比べると、すこし地味な感じのするアーケード商店街です。
この納屋町商店街のアーケードが途切れると、この先で龍馬通り商店街と名前を変えます。龍馬通り商店街はアーケード様式ではなく、ほんの少し古さを感じる商家が並んでいます。
龍馬通りの看板
龍馬通り商店街はそれほど長い道筋ではなく、あっという間に終わってしまいます。この龍馬通りが途切れた場所を右へ折れると、旅籠寺田屋が姿を現します。
そもそも寺田屋とは江戸時代に京都と大阪の間の通船である「三十石船」の京都側の発着地に寺田屋浜という船着き場を持つ大きな船宿でした。そんな寺田屋は江戸末期の維新前夜の頃、薩摩藩の定宿に指定されたことで、西国雄藩の志士たちの「溜り場」になっていました。
時は幕末の文久2年(1862)4月23日、ここ寺田屋に討幕の急先鋒であった薩摩藩急進派と他藩の志士たちが集合しました。これを知った薩摩藩主・島津久光は「そのような暴挙はことを誤る」として、薩摩藩の鎮撫使を寺田屋に差し向けるも、急先鋒派の志士の考えを断念させることができず、斬り合いとなり急進派9名の志士がここで犠牲になったのです。
この事件で犠牲となった9名の志士を記念する「薩摩九烈士碑」が寺田屋の右手の小さな広場に置かれています。
薩摩九烈士碑
そしてこの寺田屋と深いかかわりをもつ人物として、維新の立役者である坂本龍馬さんがいます。
龍馬さんは薩摩藩の紹介で寺田屋を京都における定宿として利用していました。
そんな龍馬さんはここ寺田屋に投宿中に最大の危機を迎えています。時は明治維新の2年前の慶応2年(1866)1月24日のことです。
龍馬さんは寺田屋の梅ノ間に投宿中、伏見奉行所の幕府役人に襲撃されました。龍馬さんは愛用のピストルで応戦しつつも、重傷を負いながら、からくも脱出に成功し、隣家の雨戸を蹴破り裏通りに逃れ、材木納屋で救援を待ち、最終的に薩摩藩に保護されています。
そんな襲撃をいち早く龍馬さんに知らせたのが「お龍さん」です。お龍さんは入浴中に襲撃を察知し、素っ裸で龍馬さんの居る2階の梅ノ間に駆け込み急を知らせたといいます。
幕末を彩る事件の舞台となった寺田屋さんは現在は伏見の史跡となっており、内部の見学もできるようになっています。
◆見学の案内
見学の時間:10:00~16:00
入館料:大人400円
入館券
それでは寺田屋さんの見学とまいりましょう。
上り框からみた入口
2階へつづく階段
階段脇の龍馬さんの写真
2階の客室
2階の客室
2階客室
柱に残る弾痕
柱に残る刀跡
旅籠の看板
さて次の部屋は龍馬さんが当寺田屋さんで愛用した「梅ノ間」です。龍馬さんがこの部屋で新しい時代への構想を練り、愛しいお龍さんと将来を語り合ったことを思うと感慨深いものがあります。脇息が置かれていたので、ちょっとお借りして記念撮影をしてみました。
梅ノ間
床の間に懸けられた絵像はまぎれもなく龍馬さんです。この絵は風雲急を告げる幕末に東奔西走する龍馬さんの身に忍び寄る殺気を感じた女将のお登勢が町の絵師に描かせたものです。
そして1階の風呂場へとつながる階段です。この階段を降りると小さな風呂場があり、お龍さんがこの風呂場から着の身着のままの姿で飛出して2階にいる龍馬さんに危険を伝えたのです。
風呂場へつづく階段
風呂場
寺田屋さんでの感動的なひと時を過ごした後、せっかく伏見に来たので酒造・黄桜に立ち寄ってみることにしました。寺田屋さんから龍馬通りに戻り最初の角を右に曲がると黄桜があります。
黄桜
黄桜
黄桜
伏見の見学も終わり、そろそろ昼食の時間となりました。ここ黄桜のカッパカントリーには食事処が併設されているので、昼食をいただくことにしました。
黄桜カッパカントリー
伏見に行かれたら是非、黄桜カッパカントリーでお食事をお勧めいたします。お店の雰囲気も格調高く、ゆったりとした気分で食事を楽しむことができます。ご予算的にも非常にリーズナブルで、もちろん味も良し。私はアルコールドリンクについては詳しくないのですが、このレストランには黄桜オリジナルビールの飲み比べセットなるものがあります。連れが申すには、なかなか美味しいビールとのこと。
◆キザクラカッパカントリー 黄桜酒場
http://kizakura.co.jp/restaurant/country/index.html
◆電話:075-611-9919
◆住所:〒612-8046 京都府京都市伏見区塩屋町228
◆営業時間
月~金 11:30~14:30 (L.O.14:00)、17:00~22:00 (L.O.21:00)
土・日・祝 ランチ 11:00~14:30 (L.O.14:00)、17:00~22:00 (L.O.21:00)
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京都滞在の最終日(2017年11月25日)、賑やかな京都市内を避けて伏見へやってきました。伏見と言えば「酒造」を思い浮かべますが、酒を飲まない私にとっては酒蔵めぐりは二の次で、まずは坂本龍馬さんゆかりの寺田屋の訪問を優先しました。
伏見寺田屋外観
京阪本線の伏見桃山駅で下車すると、それこそ駅前から立派なアーケード街が始まります。アーケード街は「伏見大手筋商店街」と呼ばれており、活気に溢れた商店街です。雰囲気的に観光客相手ではなく住民の方々が利用するための商店街のようです。
この伏見大手筋商店街のアーケードが途切れると角に三菱UFJがあるので、この角を左に曲がります。すると別のアーケード商店街が始まります。このアーケードは納屋町商店街と呼ばれています。さきほどの大手町商店街に比べると、すこし地味な感じのするアーケード商店街です。
この納屋町商店街のアーケードが途切れると、この先で龍馬通り商店街と名前を変えます。龍馬通り商店街はアーケード様式ではなく、ほんの少し古さを感じる商家が並んでいます。
龍馬通りの看板
龍馬通り商店街はそれほど長い道筋ではなく、あっという間に終わってしまいます。この龍馬通りが途切れた場所を右へ折れると、旅籠寺田屋が姿を現します。
そもそも寺田屋とは江戸時代に京都と大阪の間の通船である「三十石船」の京都側の発着地に寺田屋浜という船着き場を持つ大きな船宿でした。そんな寺田屋は江戸末期の維新前夜の頃、薩摩藩の定宿に指定されたことで、西国雄藩の志士たちの「溜り場」になっていました。
時は幕末の文久2年(1862)4月23日、ここ寺田屋に討幕の急先鋒であった薩摩藩急進派と他藩の志士たちが集合しました。これを知った薩摩藩主・島津久光は「そのような暴挙はことを誤る」として、薩摩藩の鎮撫使を寺田屋に差し向けるも、急先鋒派の志士の考えを断念させることができず、斬り合いとなり急進派9名の志士がここで犠牲になったのです。
この事件で犠牲となった9名の志士を記念する「薩摩九烈士碑」が寺田屋の右手の小さな広場に置かれています。
薩摩九烈士碑
そしてこの寺田屋と深いかかわりをもつ人物として、維新の立役者である坂本龍馬さんがいます。
龍馬さんは薩摩藩の紹介で寺田屋を京都における定宿として利用していました。
そんな龍馬さんはここ寺田屋に投宿中に最大の危機を迎えています。時は明治維新の2年前の慶応2年(1866)1月24日のことです。
龍馬さんは寺田屋の梅ノ間に投宿中、伏見奉行所の幕府役人に襲撃されました。龍馬さんは愛用のピストルで応戦しつつも、重傷を負いながら、からくも脱出に成功し、隣家の雨戸を蹴破り裏通りに逃れ、材木納屋で救援を待ち、最終的に薩摩藩に保護されています。
そんな襲撃をいち早く龍馬さんに知らせたのが「お龍さん」です。お龍さんは入浴中に襲撃を察知し、素っ裸で龍馬さんの居る2階の梅ノ間に駆け込み急を知らせたといいます。
幕末を彩る事件の舞台となった寺田屋さんは現在は伏見の史跡となっており、内部の見学もできるようになっています。
◆見学の案内
見学の時間:10:00~16:00
入館料:大人400円
入館券
それでは寺田屋さんの見学とまいりましょう。
上り框からみた入口
2階へつづく階段
階段脇の龍馬さんの写真
2階の客室
2階の客室
2階客室
柱に残る弾痕
柱に残る刀跡
旅籠の看板
さて次の部屋は龍馬さんが当寺田屋さんで愛用した「梅ノ間」です。龍馬さんがこの部屋で新しい時代への構想を練り、愛しいお龍さんと将来を語り合ったことを思うと感慨深いものがあります。脇息が置かれていたので、ちょっとお借りして記念撮影をしてみました。
梅ノ間
床の間に懸けられた絵像はまぎれもなく龍馬さんです。この絵は風雲急を告げる幕末に東奔西走する龍馬さんの身に忍び寄る殺気を感じた女将のお登勢が町の絵師に描かせたものです。
そして1階の風呂場へとつながる階段です。この階段を降りると小さな風呂場があり、お龍さんがこの風呂場から着の身着のままの姿で飛出して2階にいる龍馬さんに危険を伝えたのです。
風呂場へつづく階段
風呂場
寺田屋さんでの感動的なひと時を過ごした後、せっかく伏見に来たので酒造・黄桜に立ち寄ってみることにしました。寺田屋さんから龍馬通りに戻り最初の角を右に曲がると黄桜があります。
黄桜
黄桜
黄桜
伏見の見学も終わり、そろそろ昼食の時間となりました。ここ黄桜のカッパカントリーには食事処が併設されているので、昼食をいただくことにしました。
黄桜カッパカントリー
伏見に行かれたら是非、黄桜カッパカントリーでお食事をお勧めいたします。お店の雰囲気も格調高く、ゆったりとした気分で食事を楽しむことができます。ご予算的にも非常にリーズナブルで、もちろん味も良し。私はアルコールドリンクについては詳しくないのですが、このレストランには黄桜オリジナルビールの飲み比べセットなるものがあります。連れが申すには、なかなか美味しいビールとのこと。
◆キザクラカッパカントリー 黄桜酒場
http://kizakura.co.jp/restaurant/country/index.html
◆電話:075-611-9919
◆住所:〒612-8046 京都府京都市伏見区塩屋町228
◆営業時間
月~金 11:30~14:30 (L.O.14:00)、17:00~22:00 (L.O.21:00)
土・日・祝 ランチ 11:00~14:30 (L.O.14:00)、17:00~22:00 (L.O.21:00)
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