大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

坂本龍馬の寺田屋と黄桜記念館 Teradaya-inn in Fushimi, Kyoto

2017年11月28日 11時25分23秒 | 行く秋の京都探訪
Teradaya is a long-established inn where, toward the end of the Edo period, Ryoma SAKAMOTO stayed regularly; it was also the scene of the Teradaya Incident.

京都滞在の最終日(2017年11月25日)、賑やかな京都市内を避けて伏見へやってきました。伏見と言えば「酒造」を思い浮かべますが、酒を飲まない私にとっては酒蔵めぐりは二の次で、まずは坂本龍馬さんゆかりの寺田屋の訪問を優先しました。

伏見寺田屋外観

京阪本線の伏見桃山駅で下車すると、それこそ駅前から立派なアーケード街が始まります。アーケード街は「伏見大手筋商店街」と呼ばれており、活気に溢れた商店街です。雰囲気的に観光客相手ではなく住民の方々が利用するための商店街のようです。

この伏見大手筋商店街のアーケードが途切れると角に三菱UFJがあるので、この角を左に曲がります。すると別のアーケード商店街が始まります。このアーケードは納屋町商店街と呼ばれています。さきほどの大手町商店街に比べると、すこし地味な感じのするアーケード商店街です。

この納屋町商店街のアーケードが途切れると、この先で龍馬通り商店街と名前を変えます。龍馬通り商店街はアーケード様式ではなく、ほんの少し古さを感じる商家が並んでいます。

龍馬通りの看板

龍馬通り商店街はそれほど長い道筋ではなく、あっという間に終わってしまいます。この龍馬通りが途切れた場所を右へ折れると、旅籠寺田屋が姿を現します。

そもそも寺田屋とは江戸時代に京都と大阪の間の通船である「三十石船」の京都側の発着地に寺田屋浜という船着き場を持つ大きな船宿でした。そんな寺田屋は江戸末期の維新前夜の頃、薩摩藩の定宿に指定されたことで、西国雄藩の志士たちの「溜り場」になっていました。

時は幕末の文久2年(1862)4月23日、ここ寺田屋に討幕の急先鋒であった薩摩藩急進派と他藩の志士たちが集合しました。これを知った薩摩藩主・島津久光は「そのような暴挙はことを誤る」として、薩摩藩の鎮撫使を寺田屋に差し向けるも、急先鋒派の志士の考えを断念させることができず、斬り合いとなり急進派9名の志士がここで犠牲になったのです。
この事件で犠牲となった9名の志士を記念する「薩摩九烈士碑」が寺田屋の右手の小さな広場に置かれています。

薩摩九烈士碑

そしてこの寺田屋と深いかかわりをもつ人物として、維新の立役者である坂本龍馬さんがいます。
龍馬さんは薩摩藩の紹介で寺田屋を京都における定宿として利用していました。

そんな龍馬さんはここ寺田屋に投宿中に最大の危機を迎えています。時は明治維新の2年前の慶応2年(1866)1月24日のことです。
龍馬さんは寺田屋の梅ノ間に投宿中、伏見奉行所の幕府役人に襲撃されました。龍馬さんは愛用のピストルで応戦しつつも、重傷を負いながら、からくも脱出に成功し、隣家の雨戸を蹴破り裏通りに逃れ、材木納屋で救援を待ち、最終的に薩摩藩に保護されています。
そんな襲撃をいち早く龍馬さんに知らせたのが「お龍さん」です。お龍さんは入浴中に襲撃を察知し、素っ裸で龍馬さんの居る2階の梅ノ間に駆け込み急を知らせたといいます。

幕末を彩る事件の舞台となった寺田屋さんは現在は伏見の史跡となっており、内部の見学もできるようになっています。

◆見学の案内
見学の時間:10:00~16:00
入館料:大人400円



入館券

それでは寺田屋さんの見学とまいりましょう。

上り框からみた入口
2階へつづく階段
階段脇の龍馬さんの写真
2階の客室
2階の客室
2階客室
柱に残る弾痕
柱に残る刀跡
旅籠の看板

さて次の部屋は龍馬さんが当寺田屋さんで愛用した「梅ノ間」です。龍馬さんがこの部屋で新しい時代への構想を練り、愛しいお龍さんと将来を語り合ったことを思うと感慨深いものがあります。脇息が置かれていたので、ちょっとお借りして記念撮影をしてみました。

梅ノ間

床の間に懸けられた絵像はまぎれもなく龍馬さんです。この絵は風雲急を告げる幕末に東奔西走する龍馬さんの身に忍び寄る殺気を感じた女将のお登勢が町の絵師に描かせたものです。

そして1階の風呂場へとつながる階段です。この階段を降りると小さな風呂場があり、お龍さんがこの風呂場から着の身着のままの姿で飛出して2階にいる龍馬さんに危険を伝えたのです。

風呂場へつづく階段
風呂場

寺田屋さんでの感動的なひと時を過ごした後、せっかく伏見に来たので酒造・黄桜に立ち寄ってみることにしました。寺田屋さんから龍馬通りに戻り最初の角を右に曲がると黄桜があります。

黄桜
黄桜
黄桜

伏見の見学も終わり、そろそろ昼食の時間となりました。ここ黄桜のカッパカントリーには食事処が併設されているので、昼食をいただくことにしました。

黄桜カッパカントリー

伏見に行かれたら是非、黄桜カッパカントリーでお食事をお勧めいたします。お店の雰囲気も格調高く、ゆったりとした気分で食事を楽しむことができます。ご予算的にも非常にリーズナブルで、もちろん味も良し。私はアルコールドリンクについては詳しくないのですが、このレストランには黄桜オリジナルビールの飲み比べセットなるものがあります。連れが申すには、なかなか美味しいビールとのこと。

◆キザクラカッパカントリー 黄桜酒場
 http://kizakura.co.jp/restaurant/country/index.html
◆電話:075-611-9919
◆住所:〒612-8046 京都府京都市伏見区塩屋町228
◆営業時間
月~金 11:30~14:30 (L.O.14:00)、17:00~22:00 (L.O.21:00)
土・日・祝 ランチ 11:00~14:30 (L.O.14:00)、17:00~22:00 (L.O.21:00)





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御室御所・仁和寺の秋景 The Highest Ranking Monzen Temple, Ninna-ji in Autumn

2017年11月28日 07時52分24秒 | 行く秋の京都探訪
The first day of my stay in Kyoto this year starts from Ninna-ji Temple, a famous temple in Rakuhoku area.
If you are visiting Ninna-ji Temple, starting from Kinkaku-ji temple, we recommend the route leading to Ninna-ji temple via Ryoanji temple, walking through
the Kinukake-no-michi Rd
.

秋深まる京都滞在の第一日目(2017年11月23日)は洛北の名刹である仁和寺から始まります。実は昨年、大徳寺、今宮神社、金閣寺、龍安寺を辿り、最後に仁和寺を詣でたのですが、仁和寺到着後、にわかに雨が降り始めたため、境内の散策や御殿なども見ず、早々に退出していました。
今回の仁和寺訪問は天候に恵まれ、さらに紅葉の真っ盛りの時期ということで絶好の機会を得ることができました。

仁和寺の巨大な山門は仁王門(重要文化財)と呼ばれ、左右に阿吽の二王像が置かれています。石段を上り仁王門をくぐり境内へと進んでいきます。

仁王門

境内図

仁和寺は平安時代に第58代光孝天皇(884年)が西山御願寺として創建されたのが始まりで、その後、仁和4年(888)に宇多天皇が先帝の遺志を継いで、仁和寺を完成した歴史があります。宇多天皇は退位後に出家し仁和寺に住まわれました。これ以降、明治維新まで仁和寺は皇子皇孫が門跡となったことで御室御所(おむろごしょ)と呼ばれるようになりました。現在、仁和寺は真言宗御室派の総本山です。もちろん世界遺産に登録されています。

前述のように天皇家の皇子皇孫が仁和寺の門跡を務めたことから、境内には塀で囲われた御殿(宸殿)が備わっています。てっとりばやく言えばお寺の境内に「御所」が置かれているといった感じです。

私たちはまずは「御殿(宸殿)」の見学から始めることにします。御殿(宸殿)入口の受付で拝観料を納めます。
拝観料は御殿(庭園)は500円です。

入口を入ると、右手に白洲御門が現れ、その先に立派な大玄関が構えています。

白洲と御門
大玄関

大玄関で靴を脱ぎますが、靴はビニール袋に入れて持ち歩かなければなりません。

御殿(宸殿)へ一歩足を踏み入れるとすぐに「宸殿南庭」が眼前に現れます。この南庭は白砂が敷き詰められた簡素なものですが、御所の前庭といった感じです。庭の左側に宸殿が配置され、右近の桜と左近の橘が置かれています。

南庭を望む
南庭
南庭と宸殿

廊下を進むとすぐ左側に白書院が現れます。

白書院

白書院から黒書院のある棟へと移動していきます。

黒書院の棟

黒書院の棟のさらに奥には霊明殿(れいめいでん)が置かれています。霊明殿には歴代門跡の位牌が安置されています。

霊明殿

霊明殿から宸殿棟へと移動していきます。

霊明殿から宸殿を望む

宸殿棟の廊下からは御殿の中で最も美しいとされる北庭を望むことができます。北庭は池を配し変化に富んだ景色を楽しむことができます。御殿のお庭は錦繍の彩りがそれほど目立ちませんが、木々越しに見える五重塔の姿は絶景です。

北庭
北庭
北庭
北庭

御殿の見学を終え、仁和寺境内の散策を始めることにします。

まずは境内を貫く参道を進み中門(重文)へと進んで行きます。

中門
中門

中門をくぐり、御殿の北庭から眺めた五重塔へ向かいます。楓の色づきが少ない仁和寺境内にあって、僅かながら紅葉を楽しめるのが五重塔の周辺です。

五重塔
五重塔
五重塔
五重塔

五重塔から緩やかな石段をのぼり国宝の金堂正面へ進みます。金堂は仁和寺の御本尊である阿弥陀三尊を安置しているお堂です。この建物は江戸時代の寛永年間に京都御所内の裏紫宸殿を移築したもので、宮殿建築様式を今に伝える貴重なものです。

金堂への石段
金堂

金堂へとつづく石段周辺にも美しく色づいた紅葉が境内に彩りを添えています。





1年ぶりの仁和寺訪問を終えて、それほど離れていない場所に堂宇を構える臨済宗大本山・妙心寺へと向かいます。





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錦繍織りなす東福寺の紅葉 A Grand Zen Temple And Beautiful Ravine, Tofuku-ji Temple

2017年11月27日 17時38分55秒 | 行く秋の京都探訪
I went to Tofuku-ji temple, one of the most famous autumn leaves spot in Kyoto.
The gate opened at 8:30 am and I arrived in front of Tofuku-ji gate in time for this time.
To my surprise, there was a long line of visitors waiting for entry along the way to the gate. But don't worry. You can enter smoothly after opening the gate.

京都の紅葉スポットとして一二を争う東福寺へ朝一番で出かけました。開門が午前8時30分ということで、この時間に合わせて東福寺門前に到着したところ、すでに長蛇の列。さすが京都の紅葉の名所だけのことはあります。

東福寺は京都五山の一寺で臨済宗東福寺派の大本山であると共に、日本最古にして最大級の伽藍を誇る大寺院です。
約7万坪の境内に約2000本の楓の木があり、紅葉の季節には全山錦繍の彩となり、京都の紅葉絶景スポットとして人気があります。

境内の通天橋は東福寺のシンボル的存在で、橋上から眺める紅葉はまさに絶景です。
東福寺の拝観時間は11月から12月初旬は08:30~16:00、12月初旬から3月末までは09:00~15:30です・
拝観料は通天橋・開山堂は400円、東福寺本坊庭園は400円

さあ!それでは東福寺の紅葉を紹介いたします。(2017年11月25日)









































見事な東福寺の紅葉はいかがでしたか?私たちの今回の京都旅行では東寺の紅葉ライトアップとここ東福寺の紅葉見物の二か所を楽しみました。このほか京都にはたくさんの紅葉スポットがありますが、これ以上の紅葉見物は体力的に限界があります。
来年、同じ時期に京都を訪れることがあれば、別の紅葉スポットへ出かけてみたいと考えています。





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漆黒の夜空に浮かび上がる東寺の塔と紅葉 A Dynamic Temple in The Nara-period Style, Toji Temple

2017年11月27日 16時17分44秒 | 行く秋の京都探訪
The trip to Kyoto this time is the end of November, the city's famous temples and shrines are crowded with people who love autumn leaves.
Toji, one of the famous places of autumn leaves, has gained explosive popularity with JR Tokai posters and TV commercials.

Let's introduce the beautiful light up of Toji Temple.
In particular, the five-story pagoda that appears in the dark of jet black is a masterpiece.

今回の京都旅行は11月下旬ということで、市内の名だたる寺社は紅葉を愛でる人たちでごったがえしています。そんな紅葉の名所の一つである東寺はJR東海のポスターやTVのCMで爆発的な人気を博しています。

その人気の理由が東寺のライトアップです。これまで何回も京都を訪れているのですが、どういうわけか東寺には訪れる機会がありませんでした。おそらく京都駅に近いので、いつでも行けると思い込んでいたふしがあります。
今回、前述のJR東海のポスターやTVのCMのお蔭で、やっと東寺を訪れてみようという気持ちになったのです。

本来であれば昼間の明るい時間帯に訪れて境内をゆっくり散策するほうがいいのですが、今回は東寺のライトアップを目的としての訪問です。ライトアップの時間帯が午後6時30分からということで、その時間に東寺に着いたのですが、すでに長蛇の列ができており、その列の長さは軽く400mを超えています。おそらく1000人以上がすでに並んでいる感じです。並ばなければ入れないので、仕方なく列の最後尾へと進んでいきました。行けども、行けども最後尾に到達しません。

さすがJR東海の宣伝の効果大といったところです。最後尾に並ぶと同時に、列は動きだし、それほど待つことなく入場することができました。入場前に塀の外から東寺の五重塔を写真に収めてみました。入場料は一人1000円です。

東寺のパンフレット
拝観券
東寺の五重塔

入場料を納めて境内へと入るや、そこはまったくの別世界が私たちを迎えてくれます。境内全体がライトアップされているといった感じです。電球のイルミネーションではないので点滅はしませんが、木々の紅葉に照射された光の色によって色合いが異なって見えます。
境内の池に光に照らされた紅葉が浮かびあがる様は幽玄そのものです。









そして圧巻は漆黒の闇に浮かび上がる黄金色に輝く五重塔です。雲一つない夜の空にひときわ光り輝く五重塔はイリュージョンの世界です。間近にみる光り輝く五重塔に一瞬、言葉を失います。現在の五重塔(国宝)は江戸時代の正保元年(1644)に三代将軍家光公の寄進によって建立されたものです。











この時期、京都市内の名だたる寺社ではライトアップが行われているようです。すべてを見て歩くにはいきませんが、ここ東寺のライトアップはおそらく一二を争うくらいの出来栄えではないでしょうか。





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京都洛北・玉の輿神社「今宮神社」とあぶり餅

2016年11月01日 14時12分37秒 | 行く秋の京都探訪
2016年10月28日(金)
今にも雨が降り出しそうな雲行きの下、この日は京都洛北を中心に観光をします。朝一番で一休さんと千利休ゆかりの大徳寺の境内を散策し、隣接する今宮神社へ向かいました。

平日の朝の8時半、人通りも少ない今宮神社への参道を進んで朱色も鮮やかな楼門へ。

今宮神社楼門

ここ今宮神社は病気・厄除けの御利益があるという「あぶり餅」で有名です。あぶり餅を売る店は今宮神社の東門前の参道を挟んで仲良く2軒が向い合せで店を構えています。朝早い時間のため、まだ開店していません。どうしても食したいので、いったん別の場所を回ってから再び戻ってくることにしました。

神社の東門に向かって右側の店が「一和(一文字和輔)」、左側が「かざりや」です。ちなみに「一和」は創業なんと1000年、「かざりや」はそれでも600年の歴史を刻んでいる老舗です。

かざりや
一和

あぶり餅とは、きな粉をまぶした親指ほどの大きなの餅を竹串の先端に刺し、若干焦げがつくくらいに炭火であぶり、白みそ仕立ての甘い味噌を塗ったお菓子です。

あぶり餅
かざりや

私たちは特に理由もなく「かざりや」であぶり餅をいただきました。食べ比べていないので、その違いはわかりません。一人前7本で500円。7本ではちょっと物足らない量ですが、ちょっとしたおやつにはいいのではないでしょうか。
「かざりや」さんで「一和」との違いを聞くも、「それぞれ好みがちがいますので……」と答えにならない答えが返ってきました。思うに形状や味付けもほとんど変わらないので、味は同じかもしれません。

大きな楼門をくぐると広い境内が現れます。社殿はかなり奥に構えています。今宮神社の歴史は古く、平安遷都以前にこの場所には今宮神社の前身である疫神社(祭神はスサノオ)が置かれていたそうです。

楼門
境内
拝殿

そして西暦1001年に都で疫病が流行ったことから、疫神社に神殿、玉垣、神輿を造らせて「今宮社」と名付け、大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)の三柱が祀られました。

その後、京都は応仁・文明の乱で今宮神社は消失し、さらには戦国の戦火にまみれ、今宮神社は荒廃していきます。そして戦国の世が一段落した文禄2年(1593)に秀吉が今宮社を再興し、神輿1基を寄進したと伝えられています。

さて、今宮神社が別名「玉の輿神社」と呼ばれている由縁ですが、実は五代将軍綱吉公の生母である桂昌院と関係があるのです。桂昌院は京都西陣の八百屋の家に生まれた「お玉」なのですが、あの春日局の計らいで三代将軍家光の側室となって綱吉を生み、最終的には官位従一位まで上り詰めた女性です。

桂昌院は京都の寺社の復興に並々ならぬ力を注ぎ、特にここ今宮神社に対してはことのほか崇敬の念が強かったといいます。今宮神社への桂昌院の崇敬の念と将軍生母にまでなったお玉の出世があいまって、当社が「玉の輿神社」と呼ばれるようになったのです。とはいっても、昼前に私たちが訪れた時には、参拝客はほとんどおらず、玉の輿願望の若い女性はいませんでした。

本社
本社
透塀

念願の「あぶり餅」も食し、洛北めぐりをつづけることにします。





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行秋の京都 金閣寺

2016年10月31日 13時18分11秒 | 行く秋の京都探訪
2016年10月28日
この日、私たちは洛北を中心に寺社巡りを楽しむことにしました。天気予報によると午前中はなんとか曇り空ということなので、洛北の主要な見どころを精力的に回ることにしました。
まずは大徳寺から今宮神社、そして最大の見どころの金閣寺さらには竜安寺、仁和寺、北野天満宮へと辿る洛北の旅です。

朝早い大徳寺は訪れる人もなく、深閑とした広い境内を抜けて今宮神社へ。有名な「あぶり餅」の店も早い時間のためまだ開店していません。
「あぶり餅」はあきらめきれないので、本日中に今宮神社へ戻る予定です。

さて、このあと私たちは金閣寺(鹿苑寺)へと向かったのですが、なんと午前8時15分に金閣寺の総門前に到着してしまいました。開門は午前9時ということで45分ほど待つことになりました。
周辺の土産屋さんも開店前、手ごろな喫茶店もなし、ということで30分ほど散策したのち、総門前へ戻ってきました。

世界遺産の石碑

開門15分前には小学生の団体、一般観光客の長蛇の列ができあがっていました。さすが洛北の最大名所「金閣寺」です。
9時ちょうどに開門。なだれこむように受付に進んでいきます。

受付を済ませ、いよいよ有料見学エリアへ入っていきます。入口からほんの僅かな距離で金閣のベストビューポイントにでてきます。

入場券代わりのお札
金閣寺のパンフレット

金閣

さすが最高の見学場所ということで、さきほど入場した見学者が一気に集まったという感じで、狭いスペースはまさにイモ洗い状態。金閣を背景にゆっくり写真も撮れないほど込み合っています。
池を挟んで美しい姿を見せる金閣をゆっくり眺めていたい、なんて希望は無残にも砕け散りました。
朝一番でもこのような状態ならば、修学旅行の団体が大挙して押し寄せる日中はどんな状態になるのでしょうか?
風情に浸るなんて夢のまた夢のようです。

その後も押し寄せる観光客に押し出されるように、境内に穿かれた歩道へと進んでいくことにしました。
進むにつれた金閣に近づき、その姿が大きくなってきます。やや観光客が途切れたあたりで記念撮影。



先ほどのベストビューポイントに比べると、若干見劣りするアングルなのですが、いたしかたありません。
金閣を背景にした写真をさきほどのポイントで撮りそびれてしまったのですから……。

この後、歩道は金閣の間近を通っていきます。ちょうど金閣の裏側を辿ることになるのですが、さすが金閣だけに「バックシャン」。どの角度から見てもうっとりする姿です。

金閣
金閣
金閣
金閣
金閣
金閣

金閣の裏側に回り込むと、歩道は少し勾配を上げながら裏山へと入っていきます。ちょっとした高台からは梢越に金閣の屋根がちらっと見えてきます。

梢越の金閣
梢越の金閣

京都の中で一二を争う人気の金閣寺は修学旅行生の団体と外人旅行客で埋め尽くされているといっても過言ではありません。人ごみの喧噪から逃れるように金閣寺を辞して、次の竜安寺へ向かう道筋から「大文字」の山を仰ぎみることができました。それでも私にとっての半世紀ぶりの金閣訪問はそれなりに満足しました。

大文字山





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行秋の京都・宇治平等院

2015年11月14日 10時23分53秒 | 行く秋の京都探訪
紅葉の季節にはちょっと早い京都滞在ですが、それでも行く秋の風情が漂う古都の佇まいです。そんな古都京都の郊外にある平等院へ行ってきました。

平等院

京都発7時42分のJR奈良線の列車に乗って宇治駅についたのは8時10分です。30分弱の列車の旅ですが、車窓には京都のベッドタウンらしい住宅街がつづきます。宇治といえば「茶所」で有名ですが、車窓にはほとんど茶畑が現れません。

JR宇治駅前に降り立って感じるのが、それほどの賑わいもなく静かな雰囲気が漂っています。ロータリー脇の歩道には茶所の宇治らしい「茶壺」型の郵便ポストが置かれています。
駅周辺には高層の建物がないので空が広く見えます。

茶壺型の郵便ポスト

駅前から宇治のメインストリートである「宇治橋通り商店街」へと入っていきます。商店街へ入るT字路に面して古めかしい商家が現れます。創業150年を誇る宇治の茶商「中村藤吉本店」です。軒先に渋い色の暖簾が掛けられています。さすが茶所・宇治を感じさせるような絵になる光景です。

中村藤吉本店

このような古い商家が商店街に沿って軒を連ねているのかと期待をしたのですが、宇治橋通り商店街はどこでもあるような家並みがつづくだけです。朝の8時過ぎということで、ほとんどの商店はまだ開店前で、通りは静かな雰囲気を漂わせています。

そんな通りを歩いていると、右手に立派な長屋門のような門構えが現れます。門柱には「上林記念館」の看板と門の上部には「上林茶舗」の立派な看板が掲げられています。

上林記念館の門
上林記念館の看板
上林茶舗の看板
門燈
上林春松の看板

私にとって宇治の上林家という名称は東海道五十三次街道めぐりのガイドをしている際に、幾度も登場します。というのも上林家は江戸時代には将軍家より特別の待遇を賜ったお家柄で、宇治の代官職でもあり、且つ御茶師の頭取であったのです。

将軍家より特別な待遇を受けた理由は、家康公が今川義元没後、岡崎に戻ったころの若き時代に上林竹庵が家康に出仕し、武家でもないのに軍功を挙げ、最終的には関ヶ原の戦いの折には、東軍の最前線であった伏見城で家康の部下とともに戦死したことで、家康公から上林家に特別な待遇を与えたと言われています。

そして幕府から御茶師の頭取職を拝命した上林家は毎年将軍に献上する宇治のお茶を江戸へ運ぶための「茶壺道中」をすべて任されていた名家なのです。

創業が永禄年間といいますから450年の歴史を誇っています。そして当家は「上林春松本店」をいう商号を持って茶師の伝統を受け継いでいるのですが、「上林春松」の名はあのペットボトルの「綾鷹」を誕生させたことで知られています。

宇治にはここ上林春松本店以外に「上林」の名を冠する店舗がいくつかあるようです。その関係は定かではありませんが、一般消費者にとっては「まぎらわしい」と感じざるを得ません。
あくまでも素人考えですが、本家と分家の違いなのか、はたまた茶師としての本家と茶問屋としての分家なのかという違いなのか、よくわかりませんが、歴史的見地からは宇治の上林家はここ「上林春松本店」が正統ではないでしょうか。

さて、宇治橋通り商店街は宇治橋手前で終わります。その場所で道筋は三叉路に別れています。大きな鳥居が立つ道筋は「あがた神社」へとのびています。その一つの道筋が平等院への参道となっています。

あがた神社の鳥居
平等院への案内

それでは平等院へつづく参道へと進んでいきます。電信柱がないすっきりした参道の両側には「お茶」を扱うお店が軒を連ねています。そんなお店が途切れるといよいよ平等院の正門に到着です。

平等院石柱

宇治駅からそぞろ歩きをしながら平等院正門についたのが8時半前です。入場時間は8時半からなのでグッドタイミングです。
正門前のチケット売り場で拝観料を納めます。

チケット
パンフレット
境内図

私にとっては平等院参拝は初めてのことです。チケットを購入する際に知ったことですが、なんと鳳凰堂の内部に入ることができるということです。ただし時間を決めて、且つ1回の入場人数を40名に限定しているということです。
そして鳳凰堂の特別拝観の受付は境内に入ってから別の場所で受付を行っているということです。

そうであれば鳳凰堂の内部の見学は絶対にはずせない、ということで境内に入るやいなや、特別拝観の受付場所へと向かいました。
朝一番の入場ということで、鳳凰堂の入場は最初の回の9時30分のチケットを購入することができました。

鳳凰堂の入場券

券面には入場時間の9時30分が入っています。この入場券を入手しておけば、9時30分までは境内を散策できるということでまずは平等院の美しい姿を眺めながら散策することにしました。

鳳凰堂
鳳凰堂
鳳凰堂
鳳凰堂
鳳凰堂

御存じのように10円硬貨に描かれている鳳凰堂ですが、言われているようにまるで鳳凰が地上に舞い降りたように翼を左右に広げた優美な姿を見せています。お堂の前面に広がる阿字池に美しい姿を映す様子は10円玉硬貨の図柄からは想像できません。
また平等院の周辺には高層の建物がないため、木々の緑が借景となって、空とお堂と池が一体になっています。

末法思想がはびこった平安時代にこの世に浄土世界をと願い造られたのがこの平等院です。千年の長きにわたってこの地に在り続け、今なお美しい姿を見せている鳳凰堂は現代の私たちにとっても心が癒されます。

そして堂内に鎮座する黄金に輝く阿弥陀如来坐像は浄土世界に私たちを誘うように柔和なお顔で私たちを迎えてくれました。

パンフレット

阿弥陀様と対面後、お堂側から眺める阿字池と境内の様子はまた違った趣があります。







今回は平等院鳳凰堂だけをゆっくりと参拝しました。周辺にはあがた神社、宇治川先陣の碑、橘橋、橘島、宇治十帖モニュメントなど見どころがあるのですが、次回に回すこととし、すぐに京都市内へと戻りました。



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行秋の京都 知恩院から京都三条大橋へ

2015年11月09日 08時10分23秒 | 行く秋の京都探訪
平等院のある宇治から京阪電車に乗って京都の鴨川畔の祇園四条駅に戻ってきました。
この日は午後3時の新幹線で東京に帰るため、観光のための十分な時間がとれないので、祇園界隈でそそくさと昼食をとったあと、至近にある浄土宗総本山の知恩院に参拝したあと、徒歩で三条通りを進み三条大橋へ向かうルートにしました。

祇園界隈からは八坂神社が一番近いのですが、八坂さんから清水寺までは昨年歩いているので、今回は知恩院へ向かうことにしました。

知恩院三門

これまで何度も知恩院新門の前は通っていたのですが、どういうわけか境内に入ったことがありませんでした。
新門から眺めると、はるか彼方に構える三門までかなり距離があるなあ、という理由だけでこれまで参拝に訪れなかったような気がします。

法然上人所縁の名刹・古刹である知恩院は京都の寺社巡りでは「はずせない寺院」の一つということで三門へとつづく「知恩院道」を進んでいきます。
およそ340mの知恩院道が途切れると、眼前に現れるのが「知恩院三門」です。

知恩院三門

石段の上に聳えるがごとく建つ三門の姿はさすが浄土宗大本山の威厳と格式を備えています。
この三門は江戸時代の元和7年(1621)に二代将軍秀忠公の命によって建立されたものです。そして平成14年に国宝に指定されています。
「三門」の「三」は三解脱門を意味しています。三解脱門といわれる山門を持っている寺院はいくつもありますが、ここ知恩院の三門は「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」のことを指し、これらの門は悟りに通ずる三つの解脱の境地を表しているといいます。

ここ浄土宗総本山の知恩院は家康公によって永代菩提所に定められた格式ある寺院です。そもそも家康公の宗門は浄土宗です。
家康公が誕生した岡崎の地には松平家と徳川将軍と深い関係のある「大樹寺(だいじゅじ)」がありますが、この寺も浄土宗です。
そして家康公が天正18年(1590)に江戸に初入府後、江戸における徳川家の菩提寺としたのが浄土宗派の増上寺です。
こんな背景から江戸時代を通じて、徳川将軍家からは厚い庇護を受けていたと思われます。

さあ!石段をのぼり三門をくぐり、境内へと入っていきます。

境内地図

三門をくぐると、その先には急な石段が控えており、これを上りきるとやっと平坦な場所にでていきます。その平坦な場所にあるのが「御影堂(みえいどう)」なのですが、修理中のためかお堂全体が建屋の中にすっぽりと納まり、見ることができません。
この修理は平成30年末まで行われるとのこと。3年後に再び訪れることにします。

その御影堂の南東に置かれているのが「経蔵」です。この建物も三門と同じ時代の元和7年(1621)に建立されたもので、重要文化財に指定されています。

経蔵
経蔵
経蔵

経蔵から左手奥の鬱蒼とした木々が茂る林へと進むと、法然上人の遺骨を安置する廟堂へつづく長い石段の入口に達します。

御廟への石段
御廟への石段入口

今回は廟堂への参拝は割愛して境内へと戻りました。

再び修理中の御影堂の前を通り、御影堂の西側に立つ阿弥陀堂へと進みます。阿弥陀堂ですからここに祀られているのは「阿弥陀如来」です。この阿弥陀堂は江戸時代の建物ではなく、明治43年に再建されたものです。

阿弥陀堂

私たちは阿弥陀堂から集会堂、新玄関の前の道を辿り、境内北側のいわゆる女坂のゆるやかな坂道を下り三条通りを目指すことにしました。

ゆるやかな坂道を下りきると「神宮通り」に出てきます。この神宮通りは平安神宮へとつづく道です。
道の右側には知恩院の境内の森がつづきます。その途中、右手奥へ細い道筋が延びています。その道筋の入口に「花園天皇御陵」の案内板が置かれています。

京都には歴代の天皇の御陵が数多く点在しています。せっかくなので御陵の参拝へと向かいました。なだらかな坂道を150mほど登っていくと御陵の玉垣が現れます。知恩院裏手の木々に覆われた一画に御陵があるようですが、森閑とした空気が漂う中で、白い石造りの玉垣と鳥居が静かに佇んでいます。

花園天皇御陵
花園天皇御陵

花園天皇は鎌倉時代の第95代天皇です。わずか12歳で即位された天皇で在位期間は約10年です。即位後、まだ年が若かったため、前半は父である伏見上皇、後半は兄である後伏見上皇が院政を敷きました。22歳で後醍醐天皇に譲位しています。

花園天皇御陵を辞して、再び神宮通りへ戻ります。神宮通りを三条通りへ向かうと、すぐ右手に現れるのが「青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)」です。

青蓮院門跡

参道入り口には枝振りが見事な楠木があります。青蓮院には5本の楠木がありますが、すべて天然記念物に指定されています。

門跡とは門主(住職)が皇室又は摂関家によって受け継がれてきた格式あるお寺のことですが、当寺は天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つです。天台宗の三門跡寺院とは青蓮院、三千院、妙法院のことをいいます。

拝観ができるようですが、先を急がなければならない事情から門前だけで失礼しました。

この後、三条通りに出て地下鉄東西線の東山駅を通り三条大橋へ向かいます。神宮通りから三条通りに入って140mほど歩いた左側の「パーク・ウォーク京都東山」という賃貸マンションの角に「坂本龍馬 お龍結婚式場跡」の石柱が置かれています。

坂本龍馬 お龍結婚式場跡

石柱が置かれているあたりには、以前は青蓮院の塔頭である金蔵寺が堂宇を構えていたといいます。そしてお龍の父である楢崎将作は金蔵寺に仕える医師だったことで、お龍の家族は身を寄せていたようです。そんな縁で龍馬とお龍はこの金蔵寺で祝言をあげたそうです。ちなみに祝言は元治元年(1864)のことです。

賑やかな三条通りは御存じ江戸と京都を結ぶ旧東海道の道筋です。その旧東海道の西の起点でもあり終点になっているのが京都三条大橋です。
江戸から126里に位置する京都三条大橋にはこれまで何度も訪れていますが、橋を背景にした記念写真をとったことがありません。
今回は記念に一枚!

三条大橋にて

毎年の恒例である秋の京都観光の旅はここ三条大橋で終わります。また来年の京都旅行を楽しみにしながら東京へ戻ります。




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