大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

御三家水戸三十五万石の城下町~水戸東照宮と弘道館と黄門様~

2012年02月20日 14時23分12秒 | 地方の歴史散策・茨城県水戸市
思い起こせば水戸を訪れるのはかれこれ30数年ぶりのこと。東京からさほど離れていない距離にあるのですが、とんと訪れる機会はありませんでした。この度、某旅行会社の旅行説明会での講師役として久しぶりに水戸を訪れる機会を得ることができました。説明会終了後のほんの僅かな時間を利用して市内に残る水戸藩ゆかりの旧跡を巡りましたが、日没が早い冬のため午後4時を回ってからの散策のため、画像によっては若干鮮明さに欠けてしまいました。

水戸東照宮

2月に入って厳しい寒気に覆われている北関東は晴れてはいるものの肌をさす寒風のもと、例年ではそろそろ開花する梅の花もほとんど蕾の状態で、水戸の梅林で有名な偕楽園の梅の木もほとんど開花していない状況です。

そんな寒空の下で、私を迎えてくれたのがJR水戸駅の北口に立つあの有名な水戸のご老公こと黄門様と助さん、格さんの石像です。やはり水戸徳川家を代表する人物といえば、この方、水戸藩第二代藩主である光圀公ではないでしょうか。テレビのドラマ「水戸黄門」で常に勧善懲悪を貫き通し、ドラマの各回の最後に「この印籠が目に入らぬか。ここにおわすは先の副将軍である水戸光圀公にあらせられるぞ。頭が高い。控えおろう。」という名台詞が頭によぎってきます。

ご老公と助さん、格さん

ここ水戸は徳川御三家の一つである水戸徳川家の城下町で、遡ること慶長14年(1609)に家康公の十一男である頼房公が初代藩主となってから幕末の慶応4年に就任した十一代の昭武公までの260年間の長きに渡って治められてきた土地です。

そんな土地柄ゆえ、古い家並みや歴史的建造物がふんだんに残っているかというと、あにはからんやそれほどでもないのです。

まずは御三家の水戸藩お膝元に鎮座する神君家康公を祀る「東照宮」へ向かうことにしました。水戸駅からわずか数分の距離に社殿へと通じる表参道があります。その参道入口に朱の大きな鳥居が迎えてくれます。

東照宮表参道鳥居

鳥居をくぐり参道を進むと、左手には古くから建っていたような佇まいの商店街がつづいています。ちょうど商店街の中ほどあたりに小高い山の上につづく石段が現れます。この山が「常盤山」と呼ばれ、権現様が鎮座している場所なのです。

山頂へつづく石段

御三家の城下に鎮座する東照宮ということで、壮麗な社殿群を想像していたのですが、石段を登りきったところから眺める社殿は歴史的な古さをあまり感じさせない姿で若干興ざめかなといった風情を漂わせています。

というのももともとの水戸東照宮の創建は元和7年(1621)に遡りますが、江戸時代には常盤山全体に絢爛豪華な社殿群や歴代将軍の霊を祀る霊屋や相殿が並んでいたようです。大正時代には創建当時の社殿群が国宝に指定されていたのですが、昭和20年の米軍による空襲ですべて焼失してしまったのです。現在見る社殿は昭和37年(1962)に再建されたものです。

石段を登り境内に足を踏み入れると、すぐ左手に見えるのが「常盤山時鐘」と呼ばれる鐘楼堂です。この鐘はあの黄門様で知られる光圀公が城内の時報を知らせる太鼓の代わりに造らせたものでたいそう貴重なもののようです。いわゆる水戸御城下の「時の鐘」だったのです。

常盤山時鐘

境内を進んでいくと赤い柵の中になにやら基壇らしきものが置かれています。おそらく燈籠とおぼしきものなのですが上部がありません。境内の見取り図をみると、社殿前に対で置かれていたものは「銅燈籠」なのですが、ちょうど1年前の東日本大震災で燈籠の上部があの激震で折れてしまったのではないでしょうか。説明によるとこの銅燈籠は慶安4年(1651)に水戸徳川初代藩主の頼房公が奉納したものだそうです。2基の燈籠ともに上部がなくなっていました。

銅燈籠の基壇部分

社殿は前述のように昭和の時代に再建され、コンクリート造りになってしまいました。拝殿入口には水戸徳川家の葵の紋が嵌め込まれています。かつては水戸藩が藩の威信をかけて造った壮麗な姿の御社殿でこの場所にあったのでしょうが、時代の変遷の中で被った戦災により創建当時の姿が失われてしまったのは誠に残念です。

東照宮拝殿
拝殿入口の葵御紋
東照大権現の扁額
末社の天満宮

とは言っても、大好きな家康公を祀る東照宮にお参りできたことを感謝しつつ、市内に残るもう一つの歴史的建造物であるとともに、幕末期における水戸藩の藩政改革の重要な施設であり、現在国指定特別史跡・国指定文化財に指定されている「弘道館」へと進むことにしました。

冬の陽射しが西へ傾きはじめ、ビルの狭間に入ると陽射しが遮られ肌寒さを感じます。東照宮からはちょうど反対側に位置する方向に「弘道館」があります。

弘道館へと通じる銀杏坂と名付けられている坂道を進み、登りきったところに現れるのが三の丸小学校の入口門ですが、当時の面影を残すような門構えが洒落ています。

小学校の門

実はこの小学校がある敷地はかつての弘道館が有していたもので、この一画はかつての面影を残すように瓦屋根がついた塀で囲まれています。

弘道館を囲む塀

その塀に沿って進んでいくと弘道館の正面入口へと到着します。弘道館は幕末期である天保12年(1841)に水戸九代藩主である斉昭公が創設した藩校です。幕末期において外国勢力が日本に迫りくる中で、それまでの藩是とは異なる先進的な構想をもって、優れた人材を養成する目的で造られたのが弘道館です。

弘道館の正門

幕末期を代表する長州藩の萩、明倫館や幕府の昌平校に勝る規模で建設された弘道館は斉昭公のなみなみならぬ情熱を感じさせてくれます。

そんな弘道館の入口である正門が威厳をもって迎えてくれるのですが、ここ弘道館の主要建造物である正庁(学校御殿)と至善堂も東日本大震災で多大な被害を被り、現在これらの施設内部の見学はできなくなっています。そのため敷地内の見学のみとなっていることで、入場料は無料で入ることができました。建物の外観を見る限りでも、かなりのダメージを負っているようで、完全修復までにはかなりの時間がかかるのではないかと思います。そんな被害状況はYou Tubeで動画を見ることができますので、参考までに下記にURLをお知らせいたします。

http://www.youtube.com/watch?v=erwVenFnBTc

重要文化財の正門の脇の入口から敷地内へと進むと、正面に現れるのが「正庁」の建物です。無残にも正庁入口の脇の白壁が剥げ落ち痛々しい姿になっています。内部の見学ができないため、正庁の建物をぐるりと回りこむように敷地内を歩いてみました。

正庁玄関
正庁外観
正庁外観
正庁外観

正庁に付属する至善堂も外から眺めるだけでも地震によるダメージが処々に見ることができます。もし、もう一度来る機会があればこの貴重な歴史的建造物の内部を見学したいと思います。

至善堂外観
至善堂外観

後ろ髪を引かれる気持ちで弘道館を辞すると、歩道の脇に「徳川慶喜向学の地」と刻まれた石碑が置かれています。徳川最後の将軍となってしまった慶喜公が若き頃、まだ七郎麿と呼ばれていた時代にお城からほど近いこの弘道館に通い勉学に勤しんだことを記念する石碑です。また慶喜公は薩長の策略によって、はからずも朝敵の汚名をきせられ江戸の寛永寺での謹慎から水戸に下った後、ここ弘道館の一室でも謹慎をした経緯があります。

徳川慶喜向学の地碑

徳川御三家でもあり、最後の将軍である慶喜公の出身藩である水戸徳川家は尊王を藩是としていたにもかかわらず、維新政府からは冷遇され、新政府には誰一人として取り立てられなかったことを思うと、その悔しさや口惜しさは耐え難いものがあったのではないでしょうか。

そんなことを考えながら、弘道館の正門からお城へとつづく大手橋へと進んでいくと、その道の傍らに九代藩主の斉昭公の像が立っています。

斉昭公像

かつてはこの大手橋を渡ったところに大手門の櫓が置かれていたようですが、現在は門も櫓もなくお城へとむかう道が大きく蛇行している姿が登城の道を示しているだけです。

大手橋
大手橋

大手橋から下をみるとかつてはお濠があったのではないかと思われる場所が現在は道路になっています。急な石段を下って道路におりて、水戸駅へと戻ることにしました。その途中、義公生誕之地の道標を見つけたので立ち寄ることにしました。

水戸黄門神社
水戸黄門神社

現在、その場所には「水戸黄門神社」なるものがお社を構えていますが、このお社も震災の被害を受け、祠前に置かれた石碑、石版などが崩れ、いまだそのままになっている姿をみるにつけ、黄門様も被害の甚大さに心を痛めておられるのではないかと思うばかりです。

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