本丸御殿と三芳野神社のある場所から再び小江戸巡回バスに乗って、川越の街を代表する景観を楽しめる蔵の街へと進みます。
バスは氷川神社前そしてかつての川越城の大手門があった場所を経由して、時の鐘の塔の真下を通って蔵の街バス停に到着します。
蔵の街の通りは南の仲町交差点から北の札の辻交差点までの間に昔懐かしい蔵造りの家並みがつづくことで知られています。特に景観が優れているのはこの通りには電柱と電線が地下に埋設されているため、空がものすごく広く感じられ、蔵造りの家々が青空を背景にくっきりと浮かびあがるのです。
川越時の鐘
まずは蔵の街のシンボル的存在の「時の鐘」に向かうことにします。平日に訪れたこの日、日本人もさることながらどういうわけか中国人とおぼしき人たちが結構多いことに驚きました。その中国人とおぼしき人たちが時の鐘の下に大勢たむろしている姿に、川越の歴史景観地区もかなり国際化してきたんだなあ、と一人つぶやいた次第です。
川越時の鐘
川越の時の鐘の始まりは江戸時代の寛永年間(1624~44)に川越城主酒井忠勝が城下多賀町 (いまの幸町)に建てたものが最初といわれています。オリジナルの時の鐘の塔は明治26年(1893)の川越の大火で焼失してしまい、翌年の明治27年に再建されたものです。
とはいえ蔵の街にひときわ高くそびえる時の鐘の塔は歴史景観に色を添えるばかりか、現在でも1日に4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)に時を告げてくれています。
川越時の鐘
時の鐘の周辺にも蔵造りの家々が並んでいますが、やはり通りに面して建つ蔵造りの美しい景観を見なければここに来た甲斐がありません。通りにはひっきりなしに車が行き交い、ここぞと思う場所で写真を撮ろうとすると車が入り込み、蔵造りの家を邪魔してしまうのです。
鐘つき通りの道標
車の流れが途切れた瞬間にシャッターチャンスが訪れます。とはいってもゆっくり三脚を使って撮ったものではないので、若干不満の残る画像ですがご覧ください。また、逆光にならないように撮ったため、方角がすべて同じになってしまいました。
蔵造りの家
蔵造りの家並み
それでも東京都心ではまったく見ることができない町家の姿に、かつて日本橋本町界隈にはこのような蔵造りの町家が軒を連ねていたことを頭に浮かべながらそぞろ歩きを楽しみました。
蔵造りの家並み
路地裏から見た蔵造り
蔵造りの家
この蔵造りの家並みの裏側の路地にも興味が沸いたので行ってみることにしました。江戸の町づくりを思い返すと、通りに面して店(たな)が並び、店の裏側には長屋が軒を連ねているなんて光景を江戸の町のイラストで見た覚えがあります。だからといって平成の世に江戸の町と同じように、店(たな)の裏手に長屋が並んでいるなんてことはありません。
養寿院山門
その路地を進んでいくと由緒ありげなお寺の山門が現れました。ほんとうに見事な山門です。寺名を確認すると「曹洞宗養寿院」とあります。山門は扉を固く閉じているため、右手に回り境内へと進みます。正面にご本堂、右手に客殿とおぼしき古めかしい建物がたっています。境内は綺麗に整備され、緑濃い木々が境内に彩りを添えています。
ご本堂
客殿
境内の裏手に板東八平氏の一つで秩父氏の出の川越太郎重頼の墓があると看板がでていました。川越氏のなんたるかは存じ上げなかったのですが、興味本位に行ってみることにしました。本堂の左手の細い道を進んで行くと左前方にほんの少し土をもったような場所が現れます。その盛り土の奥に小さな五輪塔が立っています。
川越太郎重頼墓所
これが川越太郎重頼の墓なのだそうですが、一応、言い伝えということらしいのです。重頼のことを調べてみると、時代は源平の頃に遡ります。源頼朝が挙兵した当時、川越氏は平家方だったようです。しかし重頼の妻が頼朝の乳母である比企禅尼の娘だったことで、ついには頼朝方について平氏追悼に加わり、鎌倉幕府に尽力した方と言われています。
尚、重頼の娘はなんと義経の正妻に選ばれ、そして上洛することとなったのですが、頼朝と義経の仲たがいでどういうわけか重頼は誅殺され、所領まで没収されてしまったのです。そんな悲運の重頼の五輪塔は木漏れ日の中に静かに佇んでいました。
川越太郎重頼の五輪塔
養寿院をあとに、さらに路地を進むと川越の観光名所の一つである「菓子屋横丁」の入口に辿りつきます。平日の午後ということで人影もまばらで、お店も開店休業状態のようです。
菓子屋横丁
菓子屋横丁
今回の川越の旅は一人旅のため、どこかで美味しいものを食べるにしても一人では心もとないので、菓子屋横丁のバス停から小江戸巡回バスに乗り川越駅へと戻ることにしました。夏の陽射しで火照った体にバス車内の冷房はなんとも心地よいものです。炎天下の川越観光には是非、小江戸巡回バスをご利用されることをお勧めいたします。
真夏の小江戸・川越の歴史散策(其の壱)~天台宗別格本山・中院~
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バスは氷川神社前そしてかつての川越城の大手門があった場所を経由して、時の鐘の塔の真下を通って蔵の街バス停に到着します。
蔵の街の通りは南の仲町交差点から北の札の辻交差点までの間に昔懐かしい蔵造りの家並みがつづくことで知られています。特に景観が優れているのはこの通りには電柱と電線が地下に埋設されているため、空がものすごく広く感じられ、蔵造りの家々が青空を背景にくっきりと浮かびあがるのです。
川越時の鐘
まずは蔵の街のシンボル的存在の「時の鐘」に向かうことにします。平日に訪れたこの日、日本人もさることながらどういうわけか中国人とおぼしき人たちが結構多いことに驚きました。その中国人とおぼしき人たちが時の鐘の下に大勢たむろしている姿に、川越の歴史景観地区もかなり国際化してきたんだなあ、と一人つぶやいた次第です。
川越時の鐘
川越の時の鐘の始まりは江戸時代の寛永年間(1624~44)に川越城主酒井忠勝が城下多賀町 (いまの幸町)に建てたものが最初といわれています。オリジナルの時の鐘の塔は明治26年(1893)の川越の大火で焼失してしまい、翌年の明治27年に再建されたものです。
とはいえ蔵の街にひときわ高くそびえる時の鐘の塔は歴史景観に色を添えるばかりか、現在でも1日に4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)に時を告げてくれています。
川越時の鐘
時の鐘の周辺にも蔵造りの家々が並んでいますが、やはり通りに面して建つ蔵造りの美しい景観を見なければここに来た甲斐がありません。通りにはひっきりなしに車が行き交い、ここぞと思う場所で写真を撮ろうとすると車が入り込み、蔵造りの家を邪魔してしまうのです。
鐘つき通りの道標
車の流れが途切れた瞬間にシャッターチャンスが訪れます。とはいってもゆっくり三脚を使って撮ったものではないので、若干不満の残る画像ですがご覧ください。また、逆光にならないように撮ったため、方角がすべて同じになってしまいました。
蔵造りの家
蔵造りの家並み
それでも東京都心ではまったく見ることができない町家の姿に、かつて日本橋本町界隈にはこのような蔵造りの町家が軒を連ねていたことを頭に浮かべながらそぞろ歩きを楽しみました。
蔵造りの家並み
路地裏から見た蔵造り
蔵造りの家
この蔵造りの家並みの裏側の路地にも興味が沸いたので行ってみることにしました。江戸の町づくりを思い返すと、通りに面して店(たな)が並び、店の裏側には長屋が軒を連ねているなんて光景を江戸の町のイラストで見た覚えがあります。だからといって平成の世に江戸の町と同じように、店(たな)の裏手に長屋が並んでいるなんてことはありません。
養寿院山門
その路地を進んでいくと由緒ありげなお寺の山門が現れました。ほんとうに見事な山門です。寺名を確認すると「曹洞宗養寿院」とあります。山門は扉を固く閉じているため、右手に回り境内へと進みます。正面にご本堂、右手に客殿とおぼしき古めかしい建物がたっています。境内は綺麗に整備され、緑濃い木々が境内に彩りを添えています。
ご本堂
客殿
境内の裏手に板東八平氏の一つで秩父氏の出の川越太郎重頼の墓があると看板がでていました。川越氏のなんたるかは存じ上げなかったのですが、興味本位に行ってみることにしました。本堂の左手の細い道を進んで行くと左前方にほんの少し土をもったような場所が現れます。その盛り土の奥に小さな五輪塔が立っています。
川越太郎重頼墓所
これが川越太郎重頼の墓なのだそうですが、一応、言い伝えということらしいのです。重頼のことを調べてみると、時代は源平の頃に遡ります。源頼朝が挙兵した当時、川越氏は平家方だったようです。しかし重頼の妻が頼朝の乳母である比企禅尼の娘だったことで、ついには頼朝方について平氏追悼に加わり、鎌倉幕府に尽力した方と言われています。
尚、重頼の娘はなんと義経の正妻に選ばれ、そして上洛することとなったのですが、頼朝と義経の仲たがいでどういうわけか重頼は誅殺され、所領まで没収されてしまったのです。そんな悲運の重頼の五輪塔は木漏れ日の中に静かに佇んでいました。
川越太郎重頼の五輪塔
養寿院をあとに、さらに路地を進むと川越の観光名所の一つである「菓子屋横丁」の入口に辿りつきます。平日の午後ということで人影もまばらで、お店も開店休業状態のようです。
菓子屋横丁
菓子屋横丁
今回の川越の旅は一人旅のため、どこかで美味しいものを食べるにしても一人では心もとないので、菓子屋横丁のバス停から小江戸巡回バスに乗り川越駅へと戻ることにしました。夏の陽射しで火照った体にバス車内の冷房はなんとも心地よいものです。炎天下の川越観光には是非、小江戸巡回バスをご利用されることをお勧めいたします。
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