大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

東京スカイツリーの麓に築城か?

2012年09月09日 20時01分22秒 | 墨田区・歴史散策
スカイツリーへは毎度同じ道を辿って行くのですが、今日に限ってこれまで通ったことがない路地をくねくねと進んでいったのです。

スカイツリー直下を走る浅草通りから錦糸町側へほんの少し入った路地を進むうち、前方になにやら奇妙な姿の建造物を発見!

お城?

遠目からは大きな銭湯か、はたまた新興宗教の本部の建物かと思うような外観です。近づくうちにその外観は銭湯でも、新興宗教の寺院建築でもなく、まさしく住宅街にそそり立つ城郭、すなわち天守そのものではありませんか。

まさしく天守閣?

今までスカイツリーには何度となく通っているのですが、まさかこんな場所に「お城」があるだなんて予想もつきませんでした。おそらく知らなかったのは私だけかもしれませんが?

本日のスカイツリー

こうなるとスカイツリーどころではありません。いったいこの「お城」がなんの目的で建っているのか、を知りたくなりました。

東京にはこの手の風変わりな建物をラブホテルとして使っていることが多いのですが、このお城には「城門」まで備わっています。そして天守にあたる建物には「�貯(うだつ)」らしきものが置かれ、それには「お城・森八」と「御菓子司」と書かれているではありませんか。

商号
城門

実はこのお城は墨田区業平に店を構える和菓子「森八本舗」の本店の建物だったのです。創業は戦前の昭和8年(1933)ですから、今から80年余り前のことです。この城の築城年は定かではありませんが、スカイツリーもさることながらここ業平のもう一つの名物建物になっているのではないでしょうか。とはいっても森八城の城下はそれほどの賑わいがないのが不思議です。

本日のスカイツリー

さて森八城の城主が推奨するお菓子はなんといっても「大粒栗入最中」のようです。栗の形をした最中で大きな栗が1個丸ごと入ったもので、こし餡と白餡の二種類の味を楽しめるようです。詳しくは「お城 森八」のHPをご覧になってください。

スカイツリーにお越しの際に、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

お城 森八
住所:東京都墨田区業平1-3-6
電話:03-3622-0006
営業時間:9:00~18:00
定休日:毎月第3月曜日 ※ただし、3月・9月・12月は第3月曜日も営業します。
http://morihati.co.jp/





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開業2日目のスカイツリータウン~何処も彼処も人、人、人~

2012年05月23日 15時58分13秒 | 墨田区・歴史散策
昨日の雨模様の開業日とはうって変って、真夏の陽射しと暑さのもとスカイツリータウンは人、人、人の大混雑の様相を呈しています。



野次馬根性丸出しでどれほどの賑わいなのかを確かめたくて一っ走り行ってきました。まずは十間川沿いのプロムナードのそぞろ歩きを楽しみました。以前の薄汚れた川が、小魚が泳いでいるのを目視できるくらいに澄んだ流れになっているのには驚きました。おそらく浄化装置を設置したのではないかと思われます。

十間川
十間川

人影もまばらな河岸のプロムナードからスロープを利用して「そらまち」入口へと進んで行くと、平日とは思えないほどの人の波。

せっかく来たので「そらまち」の東側1階へと進むと、一見すると浅草の仲見世風の街並みが一直線につづきます。それほど広くない通路の両脇に並ぶ店の雰囲気は下町のイメージをことさら強調するような造りになっています。ゆっくりと眺めたいといった気持の余裕も吹き飛ぶくらいの人混みなので早々に1階から上層階へと移動することにしました。

「そらまち」前の広場
「そらまち」入口
「そらまち」入口
そらまち商店街

各階ともにたくさんの店が軒を連ね、今はやりのショッピングモールといった感じです。お店巡りはあまり興味がないので、東側の5階テラスへと向かいました。テラスから眺めるスカイツリーはそれこそ「塔の真下」にいることを感じさせてくれるアングルを楽しむことができます。

5階テラスからみるスカイツリー

5階テラスからは十間川の流れとその河岸の景色を眺めることができます。

5階テラスから見る十間川
5階テラスからみるスカイツリー

開業2日目のスカイツリータウンの賑わいは予想できるものの、周辺の町の飲食店はそれほどこのお祭り騒ぎの恩恵を受けていないような気がします。それもそのはずで観光客は最寄りの駅から一目散に「そらまち」を目指し、「そらまち」に吸い込まれていきます。そして「そらまち」の中のお洒落な飲食店でスカイツリータウンの雰囲気を満喫した後、そのまま帰路についてしまうのでしょう。

頑張れ! 押上商店街、錦糸町。



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お江戸墨堤花の雲~春爛漫の隅田川堤~

2012年04月09日 14時50分32秒 | 墨田区・歴史散策
観音の甍みやりつ花の雲

俳聖芭蕉が隅田川の対岸に咲き誇る満開の桜越しに浅草観音の甍を眺めている様子を詠ったものです。
江戸時代は浅草観音の対岸である向島の墨堤から浅草観音のお堂の屋根がおそらく見えていたのでしょう。

先週末からつづく最良のお日和でほぼ満開となったお江戸の桜は、どこもたいそうな花見客で賑わっています。今日9日(月)は初夏を思わせる陽気となり、平日にもかかわらず桜の名所は花見の観光客でごった返しています。

墨田区側墨堤の桜
桜とスカイツリー

とりわけお江戸の桜の最大の名所の一つ、墨堤(隅田川)の桜は今を盛りに咲き誇っています。本格的な春の訪れを告げる桜の開花は日本文化を象徴するもので、上品な淡い彩りの花弁がまるで花の雲のように木全体を纏う姿は風雅、風流、風情を重んずる日本人にはまさにぴったりです。

墨田区側墨堤の桜

墨堤の桜は川を挟んで台東区側と墨田区側の両方に広がっていますが、個人的には墨田区側の堤を歩くことが好きなのです。というのも墨田区側は堤に沿って一直線に桜の木が植えられ、それこそ桜の花のトンネルを歩いているかのような楽しみ方ができるからです。

青空を背景に花の雲
墨堤桜並木
墨堤桜並木
墨堤桜並木

また、堤に沿って牛嶋神社、三囲神社、弘福寺、長命寺などの古社、古刹が現れ境内の桜も併せて楽しむことができます。そして花見の時期には欠かせない長命寺の桜もち、言問団子の老舗の味も同時に楽しめるのが隅田区側の花見なのです。

弘福寺側の桜
常夜灯と桜
墨堤の桜並木
長命寺桜もちの店脇の桜

そして向島の花街も近いことから、墨田区側には向島の可愛らしい芸姑さんがいる茶店まであるんです。つい誘われて「きびだんごとお茶」のセット(500円)を注文してしまいました。

茶店の芸姑さん
茶店のきびだんご
対岸台東区側の桜堤

咲き誇る桜から散り行く桜へとほんのわずかな花の生涯を惜しむように、今日そして明日が満開の桜の見納めになるのではないでしょうか。

お江戸墨堤・三囲神社は三井越後屋の守護神を祀る
お江戸・墨堤三囲の神~三越三井グループのご守神を祀る~【墨堤・向島三囲神社】
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青空に映える東京スカイツリー七景

2012年03月14日 17時30分11秒 | 墨田区・歴史散策
開業まであと2ヶ月に迫ったスカイツリーは先日、「完成宣言」を終え、現在は足元を流れる十間川の河岸工事が着々と進められています。スカイツリー直下の建造物もほぼ出来上がり、以前のように工事車両やトラックがひっきりなしに行きかう姿は見られなくなり、開業を待つ静かな空気に覆われています。

其の壱

工事期間中はその工事現場見学の観光客でごった返していた十間川沿いの道は、あの騒ぎが嘘のように見物客もまばらになっています。以前は日々成長していくスカイツリーを間近で見る楽しみがあったのですが、出来上がってしまうと、なんとも冷たいもので見向きもしなくなってしまうのでしょうか?

其の弐
其の参
其の四

まあ、開業ともなれば展望台に行かずとも、直下のショッピングモールでの買い物にわんさと人が押し寄せるのではないでしょうか。そんな様子が訪れることを期待しているかのように、押上、業平地区は「嵐の前の静けさ」といった具合です。

其の五 河津桜とスカイツリー
其の六

スカイツリーから浅草へと向かい、吾妻橋からいつものアングルでスカイツリーを遠望し、シャッターを落としました。

其の七




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江戸東京博物館常設展見学

2012年02月16日 11時35分28秒 | 墨田区・歴史散策
今にも冷たい雨が降り出しそうな空模様を見ながら、今日のお江戸散策はあきらめ久しぶりに両国の「江戸東京博物館」見学へそそくさと出掛けた次第です。

今日の江戸博は特別展示の催しはなく、通常の常設展示なのですが平日にもかかわらず小学生の課外授業や東京見学の団体客でかなり混雑していました。

当ブログではこれまで江戸博の内部の様子や展示物を紹介したことがありません。個人的には何度も訪れている場所なのですが、お江戸に関する展示物は何度見ても見飽きることがないんです。その展示物の多くは複製や模型なのですが、江戸時代の雰囲気や暮らしぶりなどを垣間見る場所としてはかなり充実していると思います。

常設展は6階が入口となっています。エレベーターを降りると薄暗い館内に浮かび上がるのがお江戸のシンボルとして誰もが知る「日本橋」です。お上である幕府が造った官製橋を示す宝珠が欄干に取り付けられています。展示されている「日本橋」は幕末期のものを再現したもので、当時と同じケヤキと檜を使って復元されています。

日本橋の宝珠

日本橋から左手を眺めると復元された歌舞伎の芝居小屋「中村座」の官許を示す「櫓」が目に飛び込んできます。小屋の正面には役者の名前や絵看板が掲げられ、顔見世興行らしい華やかさを感じとることができます。

橋上から見た中村座

日本橋を渡りきるとそこは江戸ゾーンと呼ばれるエリアに入ります。そこには江戸初期の寛永時代の江戸城大手門前の大名小路にあった越前福井藩主・松平伊予守忠昌の上屋敷を30分の1の縮尺で復元した模型が置かれています。

松平伊予守忠昌の上屋敷模型
屋敷門
屋敷の御成門かな?

江戸ゾーンにあるもう一つの見どころは神君家康公の「寿像(複製)」です。この寿像は家康公が60歳のころの等身大の像で徳川家菩提寺である芝増上寺敷地内にある安国殿に祀ってあったものなのです。「安国」とは家康公の法名である「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」によるもので、安国殿は家康公没後の元和 3年(1617)に竣工しました。オリジナルの寿像は増上寺脇にある芝東照宮に祀られているといいますが、私はそのお姿を見たことはありません。

寿像

江戸ゾーンのある6階から5階の江戸ゾーンへと場所を移しましょう。まずは江戸ゾーンの中心的な復元展示物である「芝居小屋・中村座」の前に行ってみることにしました。

芝居小屋の櫓
芝居小屋看板

説明書きによると19世紀初期の中村座を復元したものとあります。江戸時代の歌舞伎の芝居小屋は幕府の改革の中で風俗取締りの憂き目に会い、その所在地が目まぐるしく変わった歴史があります。19世紀初頭ということはちょうど天保の改革が断行された時期で、それまで木挽町にあった中村座・市村座・森田座が浅草寺裏手の浅草聖天町へと強制的に移されています。聖天町はその後、猿若勘三郎の名に因んで「猿若町」と改名され、江戸における一大芝居町へと発展していくことになります。

復元された芝居小屋は毎年11月に行われていた顔見世大歌舞伎興行の芝居小屋を表したもので、顔見世興行のときにだけあがる「櫓」が取り付けられています。「櫓」とは籠のような骨組みに2本の梵天と5本の槍を組み合わせ、これに座の定紋を染め抜いた幕で囲ったものです。この櫓をあげていることが官許の芝居小屋である証だったのです。

そして芝居小屋のすぐ側に展示されているもう一つの展示物が高さが数メートルもある大きな山車です。この山車が江戸三大祭の一つである神田明神の神田祭で使われたものなのです。

神田祭の山車
山車と日本橋

「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」と言われているように、明神様の山車は江戸一番の壮麗さを誇っていたのです。現代の神田祭ではこのような山車が繰り出すことはありませんが、お江戸の時代にはこの山車が江戸城内まで繰り出し、将軍上覧の栄誉を得ていたといいます。

それでは江戸ゾーンの展示エリアへと進んでいきましょう。まず目につくのが建築物の大きな模型なのですが、これがあの三越の前身である江戸時代の「三井越後屋」の様子を表したものです。

三井越後屋模型
三井越後屋模型

この縮尺模型からでも、さすがお江戸一番の大店であったことが覗えます。江戸時代の三井越後屋は現在の日本橋三越本店がある場所なのですが、今から200年前の日本橋が克明に描かれた絵巻物『熈代勝覧(きだいしょうらん)』を見ると、三井越後屋はちょうど中央三井信託銀行がある場所ではないかと思います。平成の世でも三越百貨店の建物が日本橋の袂から始まり中央三井信託銀行までのワンブロックを占めていることを考えると、お江戸を代表する老舗の偉大な歴史を感じざるを得ません。

熈代勝覧の三井越後屋部分

5階の江戸ゾーンには江戸の暮らしに関しての数多くの展示がありますが、当ブログではこの程度で写真紹介このくらいで終わらせていただきます。尚、当博物館の展示は江戸時代だけでなく、明治以降の東京を紹介する展示を見ることができます。そんな展示の中で幾つかを写真でご紹介いたしましょう。

国立第一銀行模型
浅草十二階模型

寒い冬の一日、暖房の効いた快適な博物館で思い存分楽しんだひとときでした。





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お江戸墨堤・三囲神社は三井越後屋の守護神を祀る

2012年01月26日 11時51分04秒 | 墨田区・歴史散策
隅田墨堤下を走る通称「検番通り」のちょうど中ほどに鎮座するのが今日のお題の「三囲神社」です。当ブログでも以前取り上げたことがある神社なのですが今回は三井越後屋(現三井グループの三越百貨店)と浅からぬ関係にあることを紹介いたします。

三囲神社鳥居の扁額

漢字表記で「三囲神社」となっているのですが、つい読み方として「みい」、「さんい」とかはたまた「さんかこい」などと読みたくなってしまうのですが、なんと「みめぐり」と読ませるのです。

三囲神社のご社殿

「みめぐり」と読ませる由来は文和年間の頃(1353-1355)、近江三井寺の僧源慶が東国遍歴のとき、牛島と呼ばれていたこのあたりに壊社があることを知り、その社が弘法大師ゆかりのことを聞いて、荒れ果てた社を改築しようとしたところ、土中より白狐にまたがる老翁の像が現れました。そして白狐が現れ神像を三回まわったところから「三囲(みめぐり)」の名を付したといいます。

さてこの三囲神社と三井越後屋が関係持つようになった時代というと江戸時代の初期の頃まで遡ります。神君家康公の開幕後、70年ほどたった延宝元年(1673)に上方の伊勢で呉服商を営んでいた三井家の三井高利が江戸本町一丁目(現在の日本銀行本店あたり)に越後屋の江戸店を開業したのが、現在の三越の始まりです。

そして開業から10年後に駿河町(現在の三越本店がある場所)に移転し商売を拡大していったのです。江戸時代には駿河町の越後屋本店と通りを挟んだ向かい側に「向店(むこうだな)」があり、越後屋はお江戸の中心地で押しも押されぬ大店(おおだな)として発展していたのです。

前述の江戸に初めて進出した越後屋ができた延宝元年(1673)の頃は、先の明暦の大火からすでに20年近く経過し、御府内と対岸を結ぶ両国橋が隅田川に架かっています。両国橋ができたことでかつては下総の国と呼ばれていた隅田左岸は府内の一部に組み込まれ開発が進んでいました。特に三囲神社のある地域は「牛島」と呼ばれ風光明媚な土地が広がり、江戸庶民の日帰りの遊楽地として人気が高まっていました。ご府内のごみごみした風景と異なり、春夏秋冬のどの季節でも静かな雰囲気の中でのんびり過ごせる場所だったのです。時代は下りますが、そんな風光明媚な土地柄を活用した文化2年(1805)に開園した「向島百花園」は化政文化華やかりし頃、当時の文人墨客のサロンとして利用されていたことは有名な話です。そんな雰囲気を漂わしていたこの地域には江戸市中の大店の主人がセカンドハウスを構え、妾を囲う場所として最適だったと言われています。

あくまでも想像ですが江戸の大店である三井越後屋の主人もここ牛島に立派な別宅を建て、大川端から猪牙舟にのってしばしば訪れていたのではないでしょうか。そんな折に牛島に社を構える「三囲神社」を訪れ、「三囲(みめぐり)」は「三井(みつい)」に通じると考え、この社を三井家の守護神として崇めさまざまなものを寄進したと考えます。

ライオン像

鳥居をくぐり本社殿の手前左手に置かれているのが三越百貨店のシンボルである「ライオン像」です。このライオン像は新しいもので2009年に三越から奉納されたものです。かつて三越池袋店の店頭に置かれていたものなのですが、同店の閉店に伴い当社に移設された経緯があります。そもそもライオンは紆余曲折を経て神社の神前を守る狛犬に変化したものなので、三越のライオン像がここ三囲神社に置かれても不思議ではないのですが…。やはり三囲神社と三越との浅からぬ関係を感じざるを得ません。

さらにこのライオン像の傍らに置かれているのが三越の商標が前面にど~んと刻まれた大きな石台なのですが、これは明治時代から昭和初期にかけて店にやってきた客にだす茶の湯の銅壷を置く台として使われていたものだそうです。さすが越後屋ならではのお客様へのサービス、と感心します。

石台

そして社殿前に置かれた狐像もこれまた三井越後屋の寄進によるものです。目が垂れた愛らしい顔立ちの狐さんは「三囲のコンコンさん」と呼ばれ親しまれているのですが、台座には「向店」と文字が刻まれています。この向店は冒頭で書いたように越後屋本店の真向かいで綿織物関係を主に取り扱う商売をしていたのです。その関係者が寄進したのがこの「三囲のコンコンさん」なのです。

三囲のコンコンさん
台座

社殿裏手に面白い形の鳥居が置かれています。三角を形どる珍しい鳥居なのですが、この三角鳥居もかつて三井家にあったものがここに移設されています。この鳥居の「三角」も三井に通じるものなかかはわかりませんが、大店らしい気配りを感じます。

三角鳥居

さらに境内の一番奥に鎮座するのが三井家の祖先の霊ををお祀りしている顕名神社です。それほど大きくはない祠なのですが、その居ずまいから三井家の威厳を感じます。四方を柵で囲まれて側に近づくことはできないのですが、祠の外壁を飾る繊細な彫刻が金にいとめをつけない大店の心意気を表しているようです。

顕名神社の祠
祠を飾る彫刻

ここ牛島の三囲神社からはほぼ見上げるようにスカイツリーがそそり立っています。現代の技術の粋を集めて建てられた巨大建造物の足元で三囲の神はどのような思いで鎮座しているのでしょうか?

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隅田墨堤の晩秋の彩りを探して…

2011年12月06日 12時26分57秒 | 墨田区・歴史散策
雲一つない穏やかなこの日(12月5日)、師走の隅田墨堤の「秋色」を探しに出掛けました。朝夕の冷え込みが厳しくなってきたこの頃ではあるのですが、都内の黄葉、紅葉の時期は12月初旬まで楽しむことができます。

そんなことでまずは墨田区側の墨堤の名所の一つである「三囲神社」へと急ぎました。三囲神社はお江戸の花町で有名な「向島」の料亭街を貫く「検番通り」に面して鎮座する神社です。

三囲神社の秋模様

神社の由緒を見ると、その昔、この神社を建てるときに土の中から壷がでてきたので中を開けてみると、白狐にまたがった老翁の像が入っていました。その時、突然「白狐」が現れ、その像の周りを三度回ったことで「三囲(みめぐり)神社」と呼ばれるようになったと伝えられています。隅田川七福神の大國神と恵比寿神を祀っています。

また境内には元禄時代に活躍した芭蕉の弟子である宝井其角が詠んだ「雨乞いの一句」の碑が置かれています。
「ゆうだちや田のみめぐりの神ならば」

検番通りから斜めにのびる参道の入口には鳥居が構え、その鳥居の脇に黄色く色付いた銀杏の大木が立っています。参道を進むと境内にはまるで黄色い絨毯を敷き詰めたように銀杏の葉が土面を覆っています。

三囲神社の鳥居
境内の落葉
三囲神社本殿

ご本堂右手に鎮座する稲荷祠前の赤鳥居には鮮やかに紅葉したもみじの葉が晩秋の木漏れ日の中で鳥居の赤と競演していました。

稲荷祠前の赤鳥居

三囲の社を後に、検番通りを進み墨堤にひときわ目立つ存在でその姿を見せるお江戸の黄檗派寺院である「牛頭山弘福寺」に向かいます。当寺の境内にはご本堂裏手の小さなお庭以外には目立った木々がありません。ご本堂の黒々とした甍が真っ青な晩秋の空の下で輝いていました。

牛頭山弘福寺本堂

弘福寺に隣接して山門を構える長命寺から名物の言問団子の店先を通り隅田川堤へとあがっていきます。有名な堤の桜並木はわずかばかりの葉の彩りを残し、そのほとんどが散っていました。江戸時代から隅田川を行きかう舟の目印となっていた「常夜灯」の脇の紅葉が川面をなでる風に寂しく揺れていました。

常夜灯と紅葉

この後、桜橋をわたり台東区側へと向かうことにしました。橋を渡るとそこはかつて隅田川の渡しで有名な「竹屋の渡し」があったところです。この竹屋の渡しは吉原へとつづく山谷掘りに架かる今戸橋の袂から対岸の三囲神社あたりに店を構えていた船宿「竹家」を結んでいました。

桜橋を渡りきり、堤を下るとすぐに「幟」が並び立つ一画が見えてきます。近づいてみると幟には「平成中村座」の文字が染め上げられています。「あ~、ここがあの中村勘三郎が主宰する平成の歌舞伎小屋なんだ」と初めて知りました。

平成中村座芝居小屋

桜橋を渡りきった今戸から言問橋へ向かうと、江戸時代の天保以降に江戸三座である中村座・市村座・森田座が芝居小屋を連ねた猿若町があった場所です。そんな猿若町に近い場所に平成の芝居小屋を建てた勘三郎さんの「粋」を感じます。

芝居小屋越しに見えるスカイツリー

この平成中村座の小屋と道を挟んで建つのが「大根」と「巾着」をシンボルとし、「大聖歓喜天」を祀る待乳山聖天様です。

待乳山聖天山門

隅田川岸の小高い丘の上にお堂を構える待乳山聖天は遠目からでも境内の銀杏の葉の色付きを見ることができます。山門脇からつづく石段を見上げると、そこには黄葉を纏った銀杏の大木が聳え立っています。石段の縁につづく江戸時代から残る「築地塀」の瓦屋根に降り積もった落ち葉が一段を秋の深まりを感じさせてくれます。

石段から見る銀杏の黄葉
築地塀

石段を登りきり境内へと進むと、そこは一面の秋景色が広がっています。境内の水屋、舞殿、そしてご本堂が黄金色に染まる銀杏の木々と絶妙なコントラストを描いています。

境内の黄葉
境内の黄葉
舞殿と黄葉
黄葉越しの本堂

境内からは紅葉に染まる木々の向こうにスカイツリーの雄姿を眺めることができます。

境内から見るスカイツリー

待乳山聖天様の見事な秋色を堪能した後、近くに鎮座する今戸神社へと足を延ばしました。今戸神社は新撰組の沖田総司終焉之地として知られています。広々とした境内にはそれほど多くの木々はありませんが、鳥居脇と境内の真ん中に立つ銀杏の木は満身の黄金の衣を纏っていました。

今戸神社
今戸神社境内の大銀杏

台東区側の秋景色を堪能し、再び桜橋を渡り墨田区側へと戻り、水戸街道を東向島方向へと歩を進め隅田川七福神の寿老人を祀る「白髭神社」へと向かいました。

白髭神社

水戸街道脇に鎮座する白髭神社も参道を飾る大銀杏が黄金の衣装を纏い、静かな境内は黄色い絨毯を敷き詰めたような彩りを見せていました。

白髭神社
白髭神社本殿

ここ白髭神社までくると、残すところは「向島百花苑」です。事前に東京都の公園案内のホームページで苑内の色付き具合を調べたところ「これから」となっていました。せっかくなので入苑してみましたが、苑内にはモミジの木はわずか9本しかなく、その色付きは盛りとはいえませんでした。

向島百花苑の秋景色

とはいえ、すでに師走も初旬。都内の紅葉、黄葉は峠を越え季節は寒風が吹く冬が早足でやってきます。お江戸散策も寒空の下ではその風景はなんとも寂しく、寒々とした画像がしばらく続いてしまうことご容赦いただきたく存じます。





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亀戸天神の菊祭りと秋雲の下でひときわ輝く東京スカイツリー

2011年11月24日 10時52分26秒 | 墨田区・歴史散策
秋晴れの23日(勤労感謝の日)、ちょっと盛りを越えた亀戸天神の菊祭りへと出掛けてみました。毎年恒例の菊祭りも終盤を迎え、展示されている懸崖づくりの菊も心なしかしぼんでしまっているような感じでしたが、それでも境内には色とりどりの菊の花の芳しい香りが漂っています。

東京スカイツリー

今年の大型の展示はやはり「東京スカイツリー」を模したタワー型の懸崖づくりです。境内からは社殿越しに完成間近のスカイツリーが秋の日差しに映えてキラキラと輝いています。

社殿越しのスカイツリー
懸崖つくりの菊
菊のタワー
菊と社殿

亀戸天神の菊祭りが終わると、お江戸も本格的に寒い冬が到来し、次に天神様が賑わうのはお正月の初詣となります。来年の梅祭りそして藤祭りを心待ちにしながら、久しぶりに業平の東京スカイツリーへと向かいます。

すでに第一展望台に据え付けられたいたクレーンが取り払われ、白いレースを纏った貴婦人のように優雅な姿を見せているスカイツリーは来年5月の営業開始に向け工事も最終段階に入っているようです。

スカイツリー

ほぼ完成に近いタワー本体の真下では、付属の商業施設の建設工事が急ピッチで進められています。スカイツリーの工事現場にこれまで何度も訪れていますが、祝日にもかかわらず以前の工事最盛期に比べるとそれほどの人手ではありません。面白いもので建設途上の活気に満ちた現場の息遣いや躍動感は今は鳴りをひそめ、今は静かに完成の時を待っているといった雰囲気がタワー周辺に漂っています。

スカイツリー
直下から見るスカイツリー

そんなタワーの表情をカメラに収めました。秋雲を背景に白磁のような上品な白さが秋の日差しに映えています。

お江戸の二大天神様の梅はちょうど見ごろ~亀戸天神と湯島天神~
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お江戸向島の百花園の梅はどんな具合かな?ついでにスカイツリーも!

2011年02月16日 16時37分15秒 | 墨田区・歴史散策
昨日は亀戸天満宮境内の観梅、さてはてお江戸庶民の庭園「向島百花園」の梅もそろそろ見ごろを迎えているころではないか、と思い立ち早速いってきました。

春を思わせる陽気にさすが多くの方々が観梅に訪れていました。おそらく江戸時代にも「通」をきどる多くの江戸庶民が冷たい川風を袂に入れながら隅田川を舟で渡り、風向明媚な向島の百花園で観梅を楽しんだのでしょう。そして男衆は観梅にかこつけて、川縁竹屋の渡しから向うは今戸の山谷堀。あとは決まりの「土手八丁」。勇んでめざすは吉原桃源郷、なんてね。

こんな無粋な噺はともかくとして、まずは園内の観梅散策とまいりましょう。入口で開花状況を尋ねると、早咲きの梅が咲きはじめました、とのこと。ということはまだ見ごろではないのかと訝りながら園内へ。



園内の梅の木は紅梅と白梅がバランスよく配置され、本数としてもかなりあるように思えます。すべての梅の木が満開状態ではないのですが、早咲きの梅の木には可愛らしい花弁と大きく膨らんだ蕾が枝についています。

 

 



そしてふと足元を見ると、水仙、春の七草、鮮やかな黄色の花弁が愛らしい「ふくじゅそう」が土から顔をだしています。池の水も少しは温んできたようで、こんな様子を見るにつけ、春は確実に近づいているようです。

水仙
春の七草
ふくじゅそう
園内の池

百花園で江戸の風情を堪能し、目と鼻の先に聳えるスカイツリーへと足をのばしました。今日の高さは584m。隣接して建つ高層ビルもおおかた出来上がってきたようです。3月を思わせる日和となった今日、相も変わらずスカイツリー詣での観光客で業平側、押上側とも大盛況でした。

 



スカイツリー直下の十間川の水面にも「逆さスカイツリー」が…。右の台船がちょっと邪魔かな?



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2010年スカイツリー撮り納め~今日の高さは539m~

2010年12月30日 12時27分36秒 | 墨田区・歴史散策
今年も残すところ2日、年の瀬の賑わいを求めて淺草界隈をぶらり一人旅を愉しんできました。北風が首筋にほんの少し冷たさを感じさせる今日、隅田川の水面には低い太陽の陽射しに反射して小さな波がキラキラと輝いていました。

淺草は年の瀬だから、という訳ではなく、いつものように観音様、山社詣のたくさんの参拝客で賑わっていました。淺草仲見世の喧噪からそそくさと離れ、吾妻橋の袂へと向かいます。
相変わらず、東京観光汽船の乗り場周辺は対岸のスペクタクルを見物する人たちでいっぱいです。
この場所にくるとやはり思わずカメラを構えたくなります。墨田区役所とアサヒビール社屋の間に聳えるスカイツリーの雄姿がひときわ目立っています。やはり少し背丈が伸びているようです。



吾妻橋を渡り、対岸墨田区側へと進み、そのまま淺草通りを東進しスカイツリー直下へと向かいます。年末休暇に入ったことで、淺草通りの歩道はスカイツリー見物の人たちでたいへんな賑やかさです。

東武線業平駅周辺はいつものようにカメラを真上方向に構える人たちでいっぱいです。人のことは言えませんが、私も今年のスカイツリー撮り納めと思い、何度もシャッターを落としました。



本日(29日)のスカイツリーの高さは539mです。
外観から塔体部分の組み立てがほぼ終ったように思えます。このあとはゲイン塔を塔頂に引き上げ634mの世界最高の高さを目指します。スカイツリーの東側に隣接して建築中の「東京スカイツリーイーストタワー」も外壁がほぼ出来上がり、31階の高さに達しています。



最終的にタワーを中心とする附属施設がすべて完成するのは2012年の春なので、まだ1年以上の工期を残していますが、来年も今年以上にスカイツリーフィーバーが更に盛り上がる事を祈念し、ことし最後のスカイツリーの撮り納めとさせていただきます。




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