hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

「武士の娘」を読む

2009年08月06日 | 読書2

杉本鉞子(えつこ)著、大岩美代訳「武士の娘」を読んだ。ちくま文庫版もあるはずだが、たまたま図書館で借りられた世界ノンフィクション全集/8、1960年10月、筑摩書房編集部発行、の中の一編として収められているものを読んだ。

原文は英語で、“A Daughter of the Samurai” として1925年に米国で出版されて、高い評価を受け、諸外国で翻訳された。しかし、アジア太平洋戦争があり日本では長く出版されなかった。日本語訳は、訳者大岩美代が日本に帰国していた著者杉本鉞子の自宅に伺いながら日本語に訳していったもののようだ。


私は、先にこの本を簡単に紹介した絵本、 「サムライの娘」を読んだのだが、ものたらず、今回、全集の中に集録された原文の翻訳を読んだのだ。


杉本鉞子は、1873年(明治6年)に旧長岡藩家老家の娘として生まれ、厳しいしつけを受け、漢籍を学ぶなど武士の教養を身に着ける。当時、例えば牛乳を飲むと、ひたいに小さい角が生えるとか、手の指が牛のようになるとか噂するような地方で、また時代だった。
在米の実業家で兄の友人、杉本松雄と結婚することになる。このため14歳で東京のミッション系女学校に入学する。そこで、謹厳な日本人教師と違い、生徒に親しく接し、活発に活動する外国人教師に隠れた気品を感じるなど新鮮な経験をする。彼女は身に着けた日本の古い伝統をそのままに、変わりつつある時代の新しい文化、外国の考え方を積極的に理解していった。

24歳の頃、結婚のため渡米する。そして、当時日本からははるかに遠いアメリカで暮らし、やがて自立した女性となる。夫が毎夜遅く、彼女の体調が悪い時期があって、アメリカ人の母親代わりの人は寝るべきだと言い、夫が働いているのに妻が休んでいては女子の恥だと日本の母の教えを思い出すなど、文化のはざまで悩むことも多かった。

この本には書いてないのだが、彼女はコロンビア大学で日本語と日本文化史の講義をするようになり、日本についての質問に答えるために、 “A Daughter of the Samurai” を自伝的に書き、全米でベストセラーとなった。
杉本鉞子は、異国にあっても、和服でとおし、明治の女性のたしなみを身につけ、そして武士の娘として誇り高く生きた。


私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

位の高い武士の娘として長岡で育ち、明治初めの東京に出て、結婚のためはるばる米国へ渡る。あまりにも激しい環境変化の中で、自分を見失うことなく、凛として武士の娘として、同時に進歩的女性として生きた彼女の生き方は、変わるべきものと、変わってはならないものを考えさせる。

官軍の攻撃を受けて負ける長岡藩の家老の妻である母の当時の肝の据わりぐあいを具体的に読むと、当時の高級武士の妻が、お家、そして、夫第一で常に覚悟し、立派に行動したのかがわかる。一方、米国では当時から女性も一人の人間として生きていたかのようであり、そのギャップは大きい。

こんな現在とは隔絶して昔の話に興味を持つ人は少ないと思うので、評価は二つ星にした。この本は日記的に書かれているので、著者の悩み、疑問などが、抽象論でなく具体的で、分かりやすく、考えることができる。







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