hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

不便で楽しかった横須賀生活 

2021年06月22日 | 個人的記録

東京で育って30年、近辺に住んで数年、職場移転でまさかの横須賀住まいになってしまった。今から45年前のことだ。

先発隊として山の上にある新しい職場に行ったとき、窓の外の溢れる緑、絵のような富士山や眼下の東京湾にニンマリした。これじゃまるでリゾートじゃないか。しかし、夜になり、東京では考えられないほどまったく明かりが見えない真っ暗な光景に「ああここは田舎なんだ」と唖然とした。

 

社宅の最寄り駅も、改札口はあるのだが、乗客はみな線路をまたいで直接ホームにあがっていく。寂れた駅前にはよろずやが一軒あるだけだった。電車も良く見れば単線でびっくり。20分に一本しかこない。駅に行けばすぐ電車が来るものと思っていた私には、家に時刻表を貼っておいて、時間を見て駅に行く生活になかなかなじめなかった。

 

それでも10分も歩けばハイキングコースがあり、季節がくれば、筍掘り、みかん狩りなどが楽しめる。なんといっても海辺の町だ。散歩や子供を遊ばせるのによい海岸も歩いて数分の距離にある。

ジョギングを始めたのも横須賀だった。海岸線のまっすぐな道路を海風に吹かれながら走るのは心地よいものだし、浦賀や、走水、城ケ島の景色を眺めながらちょっぴり孤独を味わうのも乙なものだった。

 

これらの環境は自然に親しむ楽しみを教えてくれた。広々としてスイカ畑の一角を借りて野菜つくりも始めた。三浦富士など近くの山歩きも自然を身近なものにしてくれた。自宅や傍にある林にやってくる小鳥たちのさえずりも季節を教えてくれた。
一方で、デパートや美術館などへ行くのは不便でおっくうになった。まさに、「自然が近くなると文化が遠くなる」である。

 

排ガスをまき散らし、エコに反する車というものが大嫌いで、東京近辺では車の必要性も感じず、免許を持たなかった。しかし、横須賀では通勤や買物などどこに行くにも車がなくては生活が成り立たたず、30歳半ばで怒鳴られながら教習場に通うはめになった。ようやく車を持つと行動範囲がいっぺんに広くなり、あちらこちらと、行楽へ足をのばした。

10分ほど車で行くと、三浦海岸や、油壺マリンパークがあり、夏の土日には東京から子どもたちを連れた親戚が入れ代わり立ち代わりやってきて、大忙しだった。

今ではかってのような猥雑さはないが横須賀には独特の雰囲気を持つ商店街「どぶ板通り」がある。また、猿島、記念艦三笠、ペリー公園など歴史を感じさせる場所も多い。

 

海辺の別荘を持つのが夢だったが、自宅となると、潮風や干した魚網のにおいなど悩まされることも多かった。数年に一度の海からの強烈な潮風で、ガラス窓には塩がこびりつき、庭に作った畑の作物が一夜にしてまっ黒に枯れてしまうこともあった。車の塗装は10年ももたなかった。

 

不便なことも多く、不満もあったが、都会では味わえなかった18年の横須賀暮らしは、生活というものを見直すこととなり、私と家族にとって貴重な宝物になった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 王谷晶『ババヤガの夜』を読む | トップ | 高野秀行『世にも奇妙なマラ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

個人的記録」カテゴリの最新記事