26日(土)朝早く家を出て、京都へ。京都から湖西線で大津京駅へ。駅前は意外とにぎやか。ここで息子一家と待ち合わせて、近江神宮へ。
天智天皇は大化の改新の理想実現のために、人心を一新しようと近江大津京を作った。近江神宮はこの天智天皇を祭る神社。
朱塗りの楼門をくぐり、外拝殿へ。写真右端の枝垂れサクラも見事だが、その左のサクラの
花がモコモコとしてカワイイじゃない。
外拝殿を通り抜けると内拝殿がある。
アセビ(馬酔木)の巨木。どんな馬でも酔っぱらいそう。
天智聖徳文教財団による「近江勧学館」へ。孫娘が目下熱中の百人一首の殿堂らしい。
途中、天智天皇御製碑があり、百人一首1番の歌「秋の田の刈穂の庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」と刻んであった。
「近江勧学館」は、競技かるた題材の少女漫画、末次由紀作「ちはやふる」一色で、グッズに少女たちが群がる。漫画「ちはやふる」がはやる前は、競技かるたおたくだけが集まる場所で、閑古鳥が鳴いていただろうと思わせる。
畳が敷いてあって、百人一首が並べられているので、競技でも始まるのかと思っていたら、「なりきり写真撮影場所」とあった。なりきって写真を撮る場所らしい。振りだけとはさすが漫画ファン。
この後は、京都のホテルで一泊し、翌日清水寺へ。
両側に清水焼の茶碗などお土産屋が並ぶ「ちゃわん坂」を登る。
急坂の上の階段。これで最後だと自らを励ましながら仁王門への階段を登る。
さらに西門とその向こうに三重塔が見える。やれやれ。
三重塔
鐘楼
桜に癒される。満開だ!
本堂の舞台を横から見ると、前にかなり傾いている。後ろに人も景色が見やすいような配慮だろう。
本堂の舞台は、166枚の桧板が貼られ、床面積は約200平方メートル、崖下の礎石からの高さは約13メートル。下の写真のように大勢の人が集まっても当然びくともしない。
写真に写っている顔を塗りつぶす作業をしながら、あまりに多いので2度と前向きの姿は撮るまいと思う。ざっと見て、アジア系以外の外人客は2割弱だろうか。
左に阿弥陀堂と奥の院が見える。
谷の向かい側には子安観音(千手観音)を内部にお祀りする檜皮葺の三重塔(子安塔)
奥の院の真下に音羽の瀧。清水寺の開創の起源となった清めの水で、3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲んで祈願しようと行列ができている。
舞台を横から見る。
眼下に京都の町が見下ろせるおなじみの光景。
ぐるっと回りこんで、下から舞台を見る。
床下に建てられた18本の柱は、樹齢400年余の欅(けやき)。釘は使っていない。
江戸時代、願掛けで舞台から飛び降りた人は234人、そのうち亡くなったのは34人という。意外と無事な人が多い印象だが、当時は舞台の下に木々が多く茂り、地面も柔らかかったためだという。
満開の桜に見送られて、清水寺をあとにする。