昔、職場の先輩が数十年にわたる菊作りのベテランで、休憩中にたびたびうんちくを聞かされていた。まだ30代前半だった私は、これは良い趣味だ、これこそ私の生涯の趣味とすべきだと、もうすっかりその気になってしまった。
菊作りはまさに磨き抜かれた伝統技術であり、時期に合わせ所定の決まった作業を積み重ねていけば、素人でも驚くほど大輪の菊の花を咲かせることができるのだ。もちろん展覧会に出品するような出来栄えは高度で粘り強い技が必要で奥深い世界なのだが、素人を驚かせる位の直径20cm程度の花は誰でも咲かせることができるのだ。
私は小学生の時、年寄り同士が和やかに碁を打っているのを見て、碁は年取ってからでもできる趣味で、いいんじゃないかと浅はかに考え、碁を学び始めた。といっても、父親が打っているのを見て、自然に覚えてしまったのだがから、子供は恐ろしい。結局、2,3級で一応打てると言える段階にはなったが、碁がうてる友達がいなくて、中学で止めてしまったのだが。
また、大学でテニスを始めたのも、年寄りがテニスを優雅に楽しんでいるのを見て、年取ってもできるスポーツとしてテニスを始めたのだった。これも結局、非常に上手に成れば年とっても十分楽しめるが、そうでなければ年取ると余計苦しいだけということで、まもなくテニスはTV観戦専門となった。
どうも私は、簡単にわかった心づもりになってしまうおちょこちょいであり、辛抱強く続けることができない性格の恐れがあることが齢80を迎えてようやく自覚できた。
菊つくりの話に戻ると、もっとも大切なのは土作りだ。ケヤキなどの固い落葉を集め、油粕と水を加え、水やりと切り返しを怠らずに手間暇かけて腐葉土を作る。冬など腐葉土に成りかけの山を切り返していると、湯気があがって、中はけっこう高温になっていることがわかる。
腐葉土は直接養分となるわけではないが、菊の基盤となる根にとってもっとも大切なものなのだ。菊自慢はつまるところ土自慢になる。ベテランは菊の展覧会で、まず、鉢の土を見て、許されるなら触って、摘まんでみると聞いた。
当時私は4階建ての社宅住まいだったので、実家の庭で腐葉土を作り、袋に入れて電車で1時間以上かけて社宅のベランダまで運んだ。これを何回か繰り返すのだから、ご苦労なことだったが、苦労していると、それがいかにも精進しているように感じられ、満足していた。
菊は種からでなく差し芽から育てる。前年の株から出た芽を使っても良いのだが、茎から遠いところに出た芽を使わなければならない。観賞用に異様に大きな花を持つように育成された菊は、自然の摂理から離れた品種なのであるから、根から出た芽はもともとの自然に帰ろうと小さな花に戻ろうとするのだ。もっとも良いのは、業者から名のある苗を郵送で買うのが一番だ。
年寄りの趣味は、金に糸目をつけてはいけない。道具に凝るゴルフ、カメラ、釣りのように。
根が出やすくなる薬を塗るのがお勧めだが、購入した芽を土にさし芽する。根が出たら小鉢に植え、伸びてきたら先端の芽を摘み、下に出てくる芽を三本だけ伸ばして、茎3本(三本立て)にする。さらに大きくなるにつれ、五号、七号、最後に菊鉢へ植え替える。この間、わき芽も、余分な蕾も、迷わずどんとん取ってしまう。摘み取られる立場が分かりすぎるので、心傷むところではあるが。
毎日、朝と晩に水やりがかかせない。困るのは長期不在の時の水やりだ。当時、ロングステイと称して、毎年1,2か月外国に滞在することがあったが、こんなときには、日の入らない風呂場に数個の菊鉢を持ち込んで、より大きな皿に水を張って、その中に鉢を入れて置いた。菊は本当に丈夫な植物なので、帰宅して、皿の水が無くなっていても、元気に成長し続けていた。しかし、この間、暗くて水たっぷりの環境にあったので、葉と葉の間隔が徒長してしまい、見る人が見ると無残な姿になってしまった。それでも花は立派に大きく咲いた。
まだまだ書ききれない丹念な作業があるが、手間暇かければ、かけるほど、より立派な花となり、それにより、より一層愛着が湧いてくる。思うようにいかない子育てより、熱中しやすい。
何週間も咲き続ける大輪の菊の花を外からも見えるようにベランダの柵のそばに置いて一人悦に入っていた。結局、自宅を持ち、庭で野菜作りを始めるまで10年近く続いた私の菊作りだった。