hiyamizu's blog

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上野千鶴子「ひとりの午後に」を読む

2010年06月01日 | 読書2

バンクーバー報告が長くなり、読んだ本が溜まっているので、ときどき読書感想文を割り込ませる。

上野千鶴子著「ひとりの午後に」2010年4月、日本放送出版協会発行を読んだ。

上野さんの心境を率直に語ったエッセイ集だ。
思い出すこと/好きなもの/年齢を重ねて/ひとりのいま と、父母のこと、子どもの頃のことから、おんがくなど趣味の話、そして最後はやはり、ひとり住まいの話になる。

わたしは一途に「母のようになるまい」と思いつづけ、母は娘が自分の手の届かないところに行ってしまうことを恨んだ。愚痴の多い母の人生は、少しも幸せそうには見えず、かと言ってその生活から脱けだそうとはしない母を、わたしは悪んだ。


このようなお母さんがいて、きっぱりした上野さんが出来上がったのだろう。
母は不治の病になり、自分が長年医者をしてきたのはこのためだったと主張する開業医である父親に看取られて亡くなる。「母はもしかしたら幸福だったのかもしれない」と思い始めて、上野さんは母親の遺品の香水をつけ始めた。

上野さんは、過去が澱のように溜まって、変化を拒む金沢で高校を過ごし、母のような人生を送るのはいやだと思い・・・何をしたいかわからなかったが、何がイヤかだけははっきりわかった。

上野さんは俳句に親しむ。
咲き切って薔薇の容(かたち)を超えけるも  草田男
折れたまま咲いて見せたる百合の花   25歳で妻子を置いて自死した北村透谷の辞世の句

ボケたからといって、感情までなくなるわけではない。認知障害は、認知の障害であって、感情の障害でないことは、すでに知られている。


初出は、「おしゃれ工房」など。一部書き下ろし。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

絶対に容赦せず厳しいだけの女性という印象のある上野さんに意外な一面があることは著書を読んで知っていた。しかしそれは年齢を重ねたためだと思っていた。この本を読むと、子どものころから地味でおとなしく、もともと女性的なやさしさを十分持った人だとわかる。

それにしても、一日でいちばんの楽しみがお風呂の時間だなんて、わたしの楽しみはなんてささやかなんだろう、と思ってしまう。そして100リットルにするか、120リットルにするけ、で迷う自分の気の小ささが、きらいではない。


(ケチな私は一人で風呂に入るときは、バスタブに寝転んで体の半分まで浸かるくらいしかお湯を入れない。体の上のタオルにときどきお湯をかければ寒くはない。お湯代を別に取られることもないホテルでもそんなふうにして風呂に入っているのだから、私は本物のケチ?)

昔から、どちらかと言えばペシミストだった。世の中はこんなものか、と醒めるのが早いし、他人に多くを期待しない。・・・アタマがプラクティカル(実践的)にはたらくので、できることとできないこととの腑分けを一瞬のうちにおこなう。そして願ってもできないことについては、あきらめが早い。だからあんまり失望しないし、執着も強くない。


(私も昔、判断力が抜群と言われたことがある。一方、欲がないと言われることもある。両者は一対の関係にある。)

上野さんが紹介している精神科医の斉藤学(さとる)さんの本に、「友達がつくれない」という相談に対する彼の答えが引用されている。

「あなたの一人でいられる能力は立派なものです。・・・みんなでわいわいやれる人っていうのは、浅いレベルでいつも自己表現ができてしまっていますから、『表現したい』ということを考えずにすんでしまいます。・・・『表現』には代償として孤独を支払わなくてはなりません。・・・」


(最近、メル友が数百人いると自慢する人や、メールが少ないので不安という若い人が多いらしい。薄く広く付き合う人もいれば、数少ない人と深く付き合う人もいる。一人で本とお付き合いする人もいる。いろんな人でこの社会は出来上がっている。)


上野千鶴子の略歴と既読本リスト








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