hiyamizu's blog

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佐野洋子『死ぬ気まんまん』を読む

2012年02月04日 | 読書2

佐野洋子著『死ぬ気まんまん』2011年6月光文社発行、を読んだ。

佐野さんの遺作となったエッセイ「死ぬ気まんまん」、医師との対談、10年以上前のエッセイ「知らなかった」と関川夏央の寄稿よりなる。

死ぬ気まんまん
このエッセイを書いたとき、佐野さんは68歳。乳がんが骨転移し、余命2年の告知を受けたその足で、車屋に行き、「それ下さい」とジャガーを買った。そして、「あたしもうすぐ死ぬわよ」とふれ回ったら、みんな急に裏返したように、親切になった。ところが、なかなか死なないのである。

抗がん剤の注射によって一日でツルッパゲになった。私の頭の形がいいことが解った。

そして気がついた。私は顔だけブスなのだ。・・・今度生まれたら「バカな美人」になりたい。

骨が痛くて、寝っ転がっているのに、私の口は実に達者である、元気の上に達者である。それに声がでかい。
「洋子さんしなないよ」初めは劇的に優しかった友達が言いだし、そのうち「あんたが一番長生きするよ」と同情のかけらさえも示さなくなった。



最初のほうに登場する変人の古道具屋「ニコニコ堂」は、作家長嶋有の父親だそうだ。
タイトルは息子の画家の広瀬弦の「おフクロ、なんかこの頃、死ぬ気まんまんなんですよね」から。

築地神経科クリニックの平井辰夫理事長との対談」2008年12月収録
日本で一番すごい検診は、国立がんセンター中央病院、検診センターでやっている。20万円だが、それぞれの分野の癌の専門医が全身を検診する。

55歳までは種族保存のために遺伝子が守ってくれる。しかし、それ以上では生活習慣などにより個人差が大きくなる。

肉体的制御は脳幹や間脳など周辺の脳がやる。中心の大脳皮質の複雑な神経回路は自我そのものであるが体の調節はできない。自分と身体は別物だ。

知らなかった 黄金の谷のホスピスで考えたこと」1998年
当時、佐野さんは欝(多分)を病んでいて全身に症状が出て苦しんでいた。友達があこがれているとても素敵な先生のいる病院(ホスピス)に入院する。そこでであった人たちを語る入院日記だ。

旅先の人 佐野洋子の思い出」関川夏央

豪放でいて繊細であった佐野洋子から立ちのぼる「よるべなさ」の空気は、「引揚で者」のそれだった。・・・彼女は、正統な、そして最後の「大陸出身者文学」の作家であった。そんな彼女は、日本での暮らしが「旅先」にすぎないという感覚から、ついに自由ではなかったのではないか。



初出:「知らなかった」婦人公論1998年10月22日号、11月7日号
「死ぬ気まんまん」小説宝石2008年5~7月号、2009年4,5月号(途中中断のままで遺作となった)

  

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

最初のエッセイ「死ぬ気まんまん」は、話の流れがバラバラで読みにくい。しかし、佐野さんの人柄そのものと、豪快な語り口が面白い。「知らなかった」は、辛い症状に悩まされながら、さすが作家、入院しているユニークな人々をしっかり観察している。

佐野さんは言う。

私は一生のほとんどを地球と平行に生きてきた。寝っころがって本を読むか、テレビを見るか、借りて来たビデオを見ている。


私もまったく同様に常にゴロゴロしている。寝転がって使うため、ノートパソコンを横にして寝たまま眺めたり、入力したこともある。意外と見難くてやめたが。



佐野洋子
1938年北京生れ。武蔵野美術大学デザイン科卒。ベルリン造形大学に留学。
1977年絵本に『100万回生きたねこ』、1980年離婚
エッセイ集『神も仏もありませぬ』で小林秀雄賞受賞。
『シズコさん』(自伝的作品、母親をずっと愛せずにきた娘の告白)
2010年11月ガンで死去。
2011年2月『佐野洋子対談集 人生の基本
谷川俊太郎は二度目の元夫。




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