hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

公開講座「もっと知りたい! 歌舞伎十八番」を聴く

2019年07月03日 | リタイヤ生活

 

「東京女子大学杉並区内大学公開講座」で「もっと知りたい! 歌舞伎十八番」の講義を受けた。5月から6月にかけて、VTR鑑賞を含め約1時間半の講義を6回にわたり受講した。

 

歌舞伎十八番は、天保3年(1832)、七代目市川団十郎が名跡を八代目に譲った時に、得意にした芸を制定した。

この講座では、『勧進帳』『毛抜』『鳴神』『助六』『暫』と、今日しばしば上演される作品を採り上げた。概要、背景の説明、台本の分析などを行い、必要に応じVTRで実際の歌舞伎を鑑賞しながら、ポイントの解説があった。

 

めったに歌舞伎を見ない私には新鮮だった。光延先生の話はポイントをついていて、全くの素人にも解り易かった。

歌舞伎の脚本、演出には同じ演目でもさまざまあることを知った。ところどころでVTRを停止させてのポイント解説はなるほどと感心するばかりだった。逆に言うと、解説なしでは細かいことは解らないなと思わされた。また、舞台衣装の派手さには改めてこれが日本なのかと驚いた。まさにカブクだ。舞台の流れの中で見ると、「にらみ」「見得」もわざとらしいとは感じずに、「決まった」と思わされた。

 

『女暫』のVTRで見た玉三郎はきれいだった。背も高く映えるし、ずぬけて美しい。体力的に演じられない役が増えているとTVで語っていたが、無念だ。

 

それにしても、いつも思うのだが、歌舞伎では、皆がよく知っている人を、時代も、場所もまったく違い、そぐわないのにかまわず登場させてしまう。「おい、おい」と思うけど、「いいんじゃない!」

まえから困っているのだが、役者が襲名するたびに名前を変えるので、昔のことの方がはっきり覚えている身にはややこしくて混乱する。

 

 

光延真哉(みつのぶ・しんや)
1979年東京生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院人文社会系研究科修士・博士課程修了。博士(文学)。

日本学術振興会特別研究員(PD)、白百合女子大学文学部講師を経て、東京女子大学准教授。

研究テーマは江戸時代中後期の歌舞伎。

 

 

以下、メモ

 

第1回『勧進帳』 -能と何が違うのか?-

原形は元禄15年(1702)初代市川団十郎が演じた『星合十二段』。これを五代目市川海老蔵(七代目団十郎)が能『安宅』を取り入れて(実質的に新作)天保11年(1840)に初演した。

 

富樫はなぜ関を通したか?

 能:山伏たちが義経主従であることに気づいていない。

   弁慶たちの迫力に圧倒されて通す。宗教的背景→中世的

 歌舞伎:山伏たちが義経主従であることに気づく。

     弁慶の忠義心に胸を打たれて通す。忠義・人情→近世的

 

第2回『毛抜』 -元ネタに軍師あり。-

都が日照り続きで、天皇の使者が小野家に来て、雨乞いの歌が記された「ことわりやの短冊」を納めるよう命ずる。短冊は小野家の横領を企む家老・八剣玄蕃(はちつるぎ・げんば)が盗み出していた。また、小野家の息女・錦の前は髪が逆立つ奇病で文屋家へ嫁ぐのが先延ばしになっていた。文屋家の家臣・粂寺弾正(くめでら・だんじょう)は、鉄でできた毛抜が独りでに動きだすのを目撃する。玄蕃の息のかかった偽万兵衛が脅しに来たのをやり込めた弾正は、懐から「ことわりやの短冊」を取り戻す。また、弾正は天井裏に磁石を持った忍びの者がいると種明かしをして、悠然と帰っていく。

 

武田信玄の軍師・山本勘助が五徳を踊らせたインチキを見破ったという怪談話をもとにしている。

 

第3回『鳴神』 -雲の絶間姫に学ぶ誘惑術-

約束を破った帝に怒った鳴神上人は滝壺に八代竜王を封じ込めてしまい、都は干ばつとなる。帝は、宮中一の美女・雲の絶間姫を送り、上人を女色に迷わせ、行法を破らせようとする。

上人は警戒するが、亡き夫とのなれそめを語り、肌を接触させ、上人は不邪淫戒を破る。さらに、結婚と盃事を要求して、不飲酒戒を破らせる。絶間姫は酒に酔った上人の隙をついて滝の注連縄を切って竜王を解き放つ。上人は怒りのあまり「雷(鳴神)」と変じて絶間姫の後を追う。

 

第4回『助六』その1 -河東節(かとうぶし)は何と言っている?-

曽我五郎(弟)は花川戸助六に身をやつし、契った傾城(けいせい)・揚巻の吉原に通う。遊客に喧嘩をしかけ刀を抜かせ、仇の持つ宝刀・友切丸を探す目的だった。揚巻に嫌われても通いつめり髭の意休が友切丸を持つと睨んだ助六は斬り、刀を奪って吉原から逃れる。

河東節は、豊後系の浄瑠璃(常磐津・富本・清元)に押され、現行では「助六」に河東節連中(十寸見会連中)が出演するのみ。なお、アマも参加する。(解説を聞かなければ、歌っている内容は皆目わからなかった)

 

第5回『助六』その2 -カットされたシーンで見る揚巻-

現行では90分程度だが、江戸時代のように全部やると3時間位かかる。

カットされたシーン1:揚巻はすでに助六の母・満江と会っていて、実は初対面ではなかった。

カットされたシーン2:助六と揚巻の痴話喧嘩(現代の夫婦でもありそう)

カットされたシーン3:助六の水入りと揚巻の啖呵。舞台で実際に助六は天水桶の中に入り水浸しになる。

 

第6回『暫(しばらく)』-こんなバージョン、あんなバージョン-

「顔見世狂言」:江戸時代、役者は劇場と1年ごとに出演契約を結ぶ。新年度の始まりの11月に、向こう1年間の一座の「顔」を披露するための興行が行われた。

 

『暫』のバリエーション2―『女暫』―

時折女形としても恥じらいを見せるのが趣向で、幕切れの引っ込みの際には、舞台番役として登場したベテランの立役から六方を教わるという演出で観客を喜ばせる。

 

 以上

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする