香山リカ著『女性の「定年後」 何をして、何をしないか』(2018年7月1日大和書房発行)を読んだ。
表紙裏にはこうある。
老い方がわからない
57歳はまだ若いのか、それとももう年寄り?
振り回されず、軽やかに迎えたい「定年後」の心がまえ。
57歳の香山さんが、定年後、そして老い方についてパラパラと思ったことをつづる。
「いつまで働くか?」、「あまりにも若く、老いから逃げる」、「定年後の恋愛」など、など。
50代から60代あたりで……、まわりからも自分でも「女かどうかなんて、いまさらあまり関係ない」と思われたり思ったりする、……
…「80歳になっても女らしさ……もうそういうのから卒業させてよ」という気持ちになる。
(信じられないことに、)1969(昭和44)年には、定年が「男子55歳、女子30歳」の企業が裁判に訴えられていた。
女性が職場で定年まで仕事をする。それは申し訳ないことでも恥ずかしいことでもなく、あたりまえのことだ。
50代を超えたら異性よりも同姓の友だちが大切。
とくに女性の場合、50代になると「親の介護や看取り」……同時に「更年期を迎える自分の体調やメンタルの調子」も次第に気がかりになってくる。そうなったときに頼れるのは、なんといってもそれを経験した「ちょっと年上の先輩」と力を貸してくれる「同世代の同姓の友だち」ということになる。
私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
おじいさんの私でも、「そうなんだよな」と思うことが並ぶ。大方の高齢者予備軍の女性の共感を呼ぶだろうことが書かれている。
しかし、友達とおしゃべりするように、パラパラとまとまらないうちに話題は移る。こうゆう考えも、またこうゆう考えもあると、並べるだけで、香山さんも迷ったまま。押しつけがましくないので、良いと言えばよいのだが、並列でなく、どちらかに振って欲しかった。
香山さんはp196で、こう言っている。
私は、日本の社会にいまも根づいている「終の棲処」という価値観が、あまり好きではない。
私にも終の棲家(IMEではこう変換される)はない。子供から成人まで30年住んだ家も借家で既に跡形もないし、以後、7回くらい引越していて、実家、故郷はなく、拘泥する住処はない。最後は多分どこかの施設になるだろう。施設から、病院から、家族に負担をかける自宅に戻りたいとも思わないだろう。
また、p199では、
「キャンピングカーに積める荷物以外は捨てる」という片づけ法の実践を宣言した女性がいた。
私も、施設の多分6畳くらいの部屋で最後を迎えられるように、ほとんどの荷物は捨てて、日常必ず使う物だけにした。長年のコレクションも寄付など整理し、思い出のアルバムなどはスキャナーで読み込んでDVDにした。