hiyamizu's blog

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ジュンパ・ラヒリ「見知らぬ場所」を読む

2010年06月29日 | 読書2
ジュンパ・ラヒリ著、小川高義訳「見知らぬ場所」Unaccustomed Earth、2008年8月、新潮クレスト・ブックス、新潮社発行を読んだ。

表紙裏にはこうある。(改行を追加した)
母を亡くしたあと、旅先から葉書をよこすようになった父。仄見える恋人の姿。ひとつの家族だった父娘がそれぞれの人生を歩む切なさ(「見知らぬ場所」)。
母が「叔父」に寄せていた激しい思いとその幕切れ(「地獄/天国」)。
道を逸れてゆく弟への、姉の失望と愛惜(「よいところだけ」)。
子ども時代をともにすごし、やがて遠のき、ふたたび巡りあった二人。その三十年を三つの短編に巧みに切り取り、大長編のような余韻を残す初の連作「ヘーマとカウシク」。
――名手ラヒリがさまざまな愛を描いて、深さ鮮やかさの極まる、最新短編集。フランク・オコナー国際短篇賞受賞作。


ニューヨーカー等に書きつがれた全8編の短篇集。


私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

ストーリー展開の面白さや、感動的な話に惹かれる人にはお勧めできない地味な小説だ。
ラヒリの小説は、とくに大きなドラマがあるわけではない。ただ、丹念に普通の人の細かい事柄が書き継がれ、静かな世界が築かれていく。米国にあって、故国インドへの里帰りを繰り返し、異文化の狭間で苦しむ一世世代。そこから成長しインドから遠くなっていく二世世代。両者の差異と微妙なあつれきなどを丹念に描く。

視点ががらりと変わることが多い。例えば、父の視点から見ていたのが、次に娘の視点に変わったりする。連作で主人公が変わる小説は最近多いが、一つの短編の中で何回か主人公、視点が変わるのは珍しい。しかし、人の気持ちがしっかり描けているので、混乱することなく、多面的に人間関係が浮かび上がる。
表紙裏のヘラルド・トリビューンの書評はいう。
ラヒリが造型する人物には、作家の指紋が残らない。作家は人物の動きに立ち会っているだけのようだ。人物はまったく自然に成長する。


『停電の夜に』は、米国でのインド人のとまどいを哀切とユーモアをもって描いて、魅せられた。この作品では、さらに次の世代の話になってそのおもむきは薄れ、舞台もヨーロッパなど世界にひろがりつつある。

「ベンガル系の人は、・・・医師や弁護士、科学者になってあたりまえ」とあるように、出てくる人が皆、勉強ができてエリートだ。だからこそ、脱落者が話題になるという世界は正直狭すぎると思う。ラヒリの小説は全部、といっても3冊、読んできたが、次の新たな展開はあるのだろうか。



ジュンパ・ラヒリJhumpa Lahiri は、1967年ロンドン生れ。両親はカルカッタ出身のベンガル人。幼少時に渡米し、ロードアイランド州で育つ。大学・大学院卒。
1999年「病気の通訳」でO・ヘンリー賞受賞。
同作収録のデビュー短篇集『停電の夜に』でPEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞、さらに新人としてはきわめて異例のピュリツァー賞ほかを独占。
2004年、初の長篇小説『その名にちなんで』、映画化。
『見知らぬ場所』は『停電の夜に』以来9年ぶり、待望の第二短篇集。第四回フランク・オコナー国際短篇賞を満場一致で受賞する。
現在、夫と二人の子どもとともにNY在住。




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