ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

鬼さんこちら、乳出るの方へ♪

2014-09-20 | ~ 出 産 ~
後日、二週間健診でも順調に体重が増えていた。
「元気ですね、将来楽しみだ」
小児科の先生がそう仰って下さるくらい、とても活発な娘である。
先生の言葉に安堵するものの、その頃から娘に異変が起きていた。
“おんぎゃぁ~”
夜泣きである。
皆が「おやすみぃ~」と床に就く頃、泣き地獄が始まる。
オムツを替えて、お乳を飲ませて、ゆらゆら抱っこで寝かしつけて、
うとうと…、さぁ、お布団の中に入りましょうね…と、
“う゛ッ。うぎゃぁ~、うえッ、うえッ、ぎゃぁー”
パチッとした二皮目、くりくりの大きな目を見開いた。そして、顔が豹変、鬼瓦と化す。
泣き出した赤鬼さんをあの手、この手で、いろいろ宥めすかすが、やっぱり、鬼だった。
“ぎゃぁー、ぎゃぁッ、ギャッ”
鬼さんは、さらにエキサイティング。
夜泣きはヒートアップ、バージョンアップ。アップアップで涙を流してまで泣く始末。
「紗ちゃん、どうしたの?何泣いているの?」
生後二週間日本語を知らない。こりゃ、エーリアン(異星人)だ。
なるべく早く、このエーリアンちゃんに日本語を叩き込もう…。
「お乳が足りないの?」
さっき飲んだばかりだが、再びお乳をやってみる。
すると、ベッと吐き出し、おっぱいを引っ掻いた。
まさか、お乳の出が悪いから?そうなの?そうなんだ。
お乳が足りないんだ。お乳…私のお乳、お乳がぁ…、あ、あ…、あぁ、
お乳ノイローゼである。
健診では、順調に体重を増えて、健康状態にも問題は無い。
娘に何の問題がない、とすれば…、
「私のせいだ。私に問題があるんだぁ、お乳も、あやし方も悪い。私のせいだぁ、あ~」
こうなったら病気である、深刻化する前に手を打とう。
「はい、母乳外来にお繋ぎします」
母乳外来に予約して、助産婦さんに救いを求めた。

初めてのことだらけ

2014-09-19 | ~ 出 産 ~
「すごい、頑張りましたね。お母さん」
娘は順調に体重を増やし、退院時2460gだった娘は、2680g。
一日55gずつ増えていった。
これで再入院は無くなった。
まずは一安心。
しかし、娘の体重を増やせばいい、というモノではない。
もう一つの課題は…、
「じゃ今度、母乳をあげてみましょう」
十分に飲ませる事が出来るか、である。
授乳クッションを装着、クッションに娘を乗せて、
「お腹とお腹をぴったんこ、あぁんと大きなお口を開けて…紗ちゃん」
娘の鼻に胸を近づけて、大きなお口を開けさせ、パクッと乳輪丸ごと銜えさせる。
ちゅば、ちゅばと音が出たら、やり直し。
(ちゅー、ちゅー)
乳房の中の小さいストローからお乳を吸い上げるような音と、感覚を感じたら、OK。
しかし、
「あ…」
お口から乳房をすぐに外す。
娘にとって初めての運動が吸うこと、私もお乳を出して吸ってもらうことは初めてで、まだまだ下手クソである。
「上手くいかないんです…」
最初から上手な人はいない、そう分かっていても、娘に十分に飲んで貰えないと、
自分を責めてしまう。
ダメなお母さんでごめんね、ごめんね…、
申し訳ない気持ちなる。
「十分に(お乳)出てるから、自信持って下さい」
助産師さんに手伝ってもらって、
「ほら、こく、こく、こく…、飲んでいるでしょ、大丈夫ですよ」
育児に母乳と初めてのことだらけで自信が持てなかった。けど、
初めての母乳外来で、少し、ほんの少しだけ、お乳に自信が付いた。

母乳外来

2014-09-18 | ~ 出 産 ~
母の、思い出ぼろぼろ。涙のお披露目から二日後8月26日、母乳外来の日が訪れた。
この日は母乳チェックと、ドキドキの娘の体重測定がある。
これで体重が減っていれば…、再入院だ。
予約は二時半。
丁度授乳時間だが、飲むっぷりも診たいから、と
「母乳を飲ませず、お越し下さい」
産科婦人科の診療が終わった午後、静まり返った二階の待合室で、これから何が起こるか知らされていない娘はおくるみに包まれて、すやすや眠っていた。
「金田さん、まず、体重から測りますね」
娘は一瞬ビクッとなった。
当然、おくるみをはがされ、びっくりしたのだ。
「あ、ごめんごめん…」
10ヶ月あまり羊水に守られて過ごした娘には、ちょっとしたことでも大きな刺激なのだろう。
看護師さんに、ひょいと軽々と持ち上げられ、一人部屋の中へと連れて行かれた。
パタンッと大きな扉が閉まり、娘の体重測定…、私は急に不安が押し寄せた。
「増えているかな…」
授乳するたびに実感する命の重み…それが錯覚でないことを祈りつつ、娘を待つ。
「お母さんの方は、こちらの部屋へ」
娘が体重測定している隣の部屋に連れられ、私の母乳チェックが行われた。
むぎゅッと掴まれた胸が、
「イタッ」
右胸の奥に大きな塊があって、それに触れると痛い。
「搾乳する時も痛くて痛くて…これって、乳腺が詰まってる、ってことですか?」
詰まっているまではいかないが、流れが滞っているらしい。
つまり、お乳の渋滞だ。
押すと痛い。しかし、押して出して、解してマッサージしないと、詰まるらしい。
「授乳中も、ここ(右胸の塊)を押して、あげて」
授乳しないと、お乳は詰まる(止まる)。痛くても搾乳しないと、乳腺炎になる。
兎に角、痛くても、お乳を出すこと。
それが、お乳の出を良くする、最善策のようだ。

育児奮闘中

2014-09-17 | ~ 出 産 ~
生まれて一ヶ月が経ちました。

小さいのに、元気いっぱいです。

夜泣きはしなくなったものの、
日中、大わらわです。

愚図って、
乳やって、
乳くわえながら寝て、

「寝ちゃった…」
とベッドに寝かすと、
「うぎゃー」
突如、泣き出して、

胎動聞かせて、寝かせて、

やれやれ寝たわ、と思ったら、

「なんで、アンタまで…」

猫まで甘えてくる…。



三日の団子、母たちの思い

2014-09-16 | ~ 出 産 ~
「まあ、そんな大変だったの…」
授乳を終えた嫁を義理の母は労った。
母乳への思いは、一入。
私も主人も母乳で育っていない。
実母は母乳が出なかった。義理の母は留まることなく流れ続け、与えられなかったそうだ。
二人の母の、出ない辛さと出るのに吸わせられない悲しみを聞いていたので、私は出来れば母乳で育てたいと思っていた。
妊娠発覚から胸が張って「これなら…」と、妊娠発覚から乳マッサージをしていた。
妊娠中期に入って、お乳が出るようなって、もう「大丈夫だ」と安心しきっていた。
しかし、現実はそんな甘いモノでは無かった。
空腹を満たせる量か?
栄養が足りているか?
子の心満たせる量か?
総合的に、満たせるかどうか…大きな壁と、見えない不安にぶつかっていた。
“お乳が出るように…”
出産から三日目、主人は水筒を持って面会に来た。
中身は、義理の母手作りの三日の団子(米粉団子の味噌汁)だった。
これを食べると乳が出る…こちらの方の昔からの言い伝えである。
遠い昔から母の思いや願いは、一つ。
母の乳を飲み終え、満たされた寝顔の我が子、我が孫を見ること、それだけ。
「義母様の三日の団子のお蔭です…はい」
私は義理の母の腕に、娘を置いた。
愛おしそうに、大事に孫を膝の上に寝かせていた。
義理の母は、ずっと、ずっと、女の子が欲しかったらしい。
“次は、絶対女の子…”
家に女児用の服が40年も前からタンスに眠っていた。
それを引っ張り出して、着せてやって、と持って来た。
それに、娘と一緒にやりたかったであろう、縮緬細工が至る所に飾られている。
しかし現実に産まれた第二子が、今の私の主人。
女の気持ちも、母の思いも、からっきしで、大変苦労したであろう。

命って、そんなに簡単ですか?

2014-09-15 | ~ 出 産 ~
少々強引ではあったが母子ともに退院。
母がこのような強行に及んだ第一の理由は、七日帰りを避けるためである。
出産日を0ゼロ日として、1、2、3…と7日目の退院に退院する事は、七日帰り(なのかがえり)と言われ、初七日を連想させ、古くから忌み嫌われている。
「今じゃ、そういうこと言う人も少ないんですけど…」
そう看護師さんは言っていたが、私はこういう迷信や謂れをとても気にする。
二つ目の理由は、お披露目会の日取りにあった。
すでに食事の予約を取ってしまっていたのだ。お盆を過ぎた24日吉日大安。慶事が多いとされ「お食事の予約はお早目に…」というわけで、私の入院中に予約を入れたらしい。
「最悪、アンタら居らんでもいいかな…って」
主役と準主役が不在で宴が盛り上がるのか…、疑問である。
さて、退院二日目のお披露目会。久しぶりの対面で、主人は私から大目玉を喰らい、母からは「母乳ってね、ちょっとのストレスで出なくなるのよ」チクリ、チクリと説教されていた。
お説教が利いたかどうか、今後の行動、態度が楽しみである。
「ちょっと、退席します」
授乳の時間である。娘を連れて、壁一枚向こう側の自室の授乳ルームへ急いだ。
個室に籠って、さて授乳…と胸を晒して…。
よほど初孫が嬉しかったのだろう、義父様の普段以上に大きな声が響いてきた。
「早かった、早かった。あっという間だった、これなら次も、」
次という、遠い未来の話をしていた。
正直、出産したばかりであの激痛の記憶が鮮明に残っている中、次という未来は考えたくなかった。しかも、年齢的にも、身体的にも、精神的にも…次は、考えられないと思った。
「孫は、将来ピアニスト…」と生まれたばかりの子に遠い未来の期待を掛け、次も「大丈夫、大丈夫、ポンと」簡単に妊娠、出産が出来ると思っている。
この年齢で結婚出来たことだけでも嬉しいと言っていたのに、結婚したら、今度は子供…、
命を宿しただけでも奇跡だったのに…。次から次へと欲求が増えて…。
私は、妊娠出産育児の辛さを、男性に分かって貰えないもどかしさと、入院中のストレス、睡眠不足で、参っていた。そんな時、
「私、母乳経験ちゃないから分からんけど…」
見かねた実母が私の入院中の苦労話を言って聞かせていた。

ここまでは、そして、ここからは、

2014-09-14 | ~ 出 産 ~
「確実じゃないだけど、今日こそは退院できる、かもしれない」
翌朝、私は母に退院報告をした。
「でも…義母様には、まだ連絡せんでね」
昨日は義母の所にまで連絡して、糠喜びさせてしまった。
確実に退院と決まるまで、母には連絡を待ってもらった。
退院前の沐浴タイム、そして、その直後の授乳。
これを飲まないと…、
「やっぱり駄目みたい…」
退院できない。
この日は母も沐浴を見学、授乳に付き添った。
「甘いッ。あんた、甘いのよ、こういう時は…」
私の生みの親は強かった。
娘の小さな口にグイッと哺乳瓶の口を銜えさせ、
「飲みなさいッ、飲むの、紗花ッ」
ぐいぐい、
「ちょ、ちょっとぉ、お母さん…」
哺乳瓶に入っている搾乳を無理やり飲ませた。
空になった哺乳瓶を誇らしく机の上に置いて、
「退院の準備、しなさい」
私は病衣を脱いで、
娘を着替えさせて、
コンコン、
「あら、今日は飲めましたねぇ」
空の哺乳瓶を下げてもらい、退院…となった。
この時、母となるには、ここまで強く在らねばならぬのだと分かった。
少々強引な退院であったが、
「次は、四日後の母乳外来で、」
その日までに体重が増えてないと、それこそ再入院…。
ここまでは、看護師さんや助産婦さんの助けでなんとかやって来られたが、
明日から母と娘の頑張りだけが頼りで、本当の育児はここから始まるのだ。

生きるということ、その現実

2014-09-13 | ~ 出 産 ~
お乳を、吸う、という運動は小さい娘にとって重労働なのだろう。
飲んだら、コテッと寝てしまう。
鬼瓦みたいな顔で泣いていたのがウソのよう…。
このまま目を覚まさなかったらと心配になって、
「紗花(さやか)…紗ちゃん」
娘の名前を呼ぶと、
「うぅ…ん、きゅぅ~」
娘が手足を伸ばして、私に応えて、また、眠った。
減り続けた体重は5日目にして2445gまで戻った。
私の体調は万全。このまま順調にいけば…、退院。
「あっと、退院前の沐浴タイムだ」
退院前に沐浴して、きれいになって、
「あ~ぁ」
沐浴も小さい体には、堪えるらしい。
コテッと寝てしまった。
「紗花…お願い。飲んでぇ、飲んでくれないと…」
沐浴後の水分補給にお乳を飲まないと脱水症状になると言われ、
…駄目だった。母の願いはすやすや眠る娘には、届かなかった。
この小さな体で退院させて、この夏の暑さを乗り切れるか?
そんな不安を看護師さんは、私に突き付けた。
「定期的に水分(お乳)を飲まないと、また低血糖になりますよ」
生後間もなく、娘は低血糖に陥った。
糖水を与え、数値は正常になったが、
「もし、この暑さで脱水症状に陥ったら…」
再入院である。
正直、私は退院したい。疲れた。ゆっくり眠りたい…でも、
「今日、シャワーって使えますか?今日、退院って思って…予約してなかったんです」
シャワーを浴びて、リフレッシュ。
退院を伸ばして、母乳の状態を整え、娘の状態を整えようと、頭を切り替えた。
自分のことより、誰より、何より、我が娘が最優先だった。

紗ちゃん、吸うて、吸うて、吸うて

2014-09-12 | ~ 出 産 ~
数分後、看護婦さんが哺乳瓶にミルク30㏄を持って駆け付けてくれた。
初めての哺乳瓶でも、よほどお腹が空いていたのだろう、上手に吸って、
ジュバ、ジュバ、ジュバッ
「上手に飲めたね」
あっという間に30㏄は空になった。
ミルクを飲み終わって、満たされたのだろう、その後、娘はぐっすり眠っていた。
顔をくしゃくしゃに鬼瓦のように泣いていた娘がたったあれだけのミルクで天使に変わった。
満たされた天使の寝顔を見て、私は、ホッとした。
安らかな寝顔をみて、ぽっと、胸が熱くなり、
びくんッ、びくんッ、胸が弾けるのを感じた。
「あれ?金田さん…ちょっといいですか?」
私の胸の変化にいち早く気が付いた看護師さんはビニール手袋を装着し、胸を触診し始めた。
「張ってる…」
四日目にしてようやく…遅咲きの花は実った。
数滴、私のお乳を採取、成分を計ってくれた。
測定結果、分泌も申し分なく、母乳状態良好。
「頑張って吸ってくれてたもんね」
三日三晩、不眠不休で私のお乳タンクを吸い続けてくれたおかげで、胸は刺激され、出る、ようになったのだ。
「小さいのにガッツがあるわ…この子」
看護師さんたちは、うちの子を見てくれていたんだと思った。
私たち親子を、見守って下さって、
「本当に、ありがとう…ありがとうございます」
何より嬉しかった。娘を褒められるとこんなにも誇らしいのか、と思った。
自分が褒められるより、何十倍も何百倍も、嬉しいと思った。
娘の頑張りによって、ミルクは取り止め。
そして、改めて、完母となった。
ちゅー、ちゅー、ちゅー。
お乳を吸う娘を見る度に、母娘の乳のみ戦争が思い出され、じんわり、涙が浮かんで来る。
「紗ちゃん、吸うてくれて…ありがとうね」

大丈夫って…何が?

2014-09-11 | ~ 出 産 ~
「ちょっと…しばらく、来んでよ」
入院してから主人は仕事帰りに必ず顔を出し、父に借りたK4ビデオを回し続けた。
娘の体重が減って…、集中して授乳をしたい。
そして、主人との面会よりも休息を取りたい。
しかし、主人は娘が生まれた悦びでいっぱいで…。
私の苦悩、言葉なんか、まるで届いてなかった。
「なにが?」
まるで、分かってない。
結局、
「大丈夫、大丈夫。元気だにか」
どんどん、体重が減っているのに、
何が、大丈夫なの?
実際に乳のみ戦争を目の当たりにしていないと…、
実際に体験しないと…、
女の辛さ、母の苦しみ…って、全く分かって貰えないことが、分かった。
そんな軽い調子で、生まれたての小さな体とこの大きな命が守れるのか?
いつまでも状況が呑み込めない夫に私も堪忍袋の緒が、ぶちッ、切れた。
「明日から、来なくていいからッ」
主人に病外退去命令を出し、
主人からの電話も遮断した。
電話を遮断したら、メール攻撃が始まったが、それらも完全無視。
「とにかく、体重を増やしてあげないと…」
私は完母を諦めた。
それでも、看護婦さんたちは、母の、私の母乳を信じてくれていた。
「お母さんが、もう(母乳育児が)ダメだと思ったら、これ、押して下さい」
授乳タイムが来て、
ぴッ、
私は迷わず、ナースコールのボタンを押した。
「すみません、ミルク…下さい」
そして、ミルクを温めてもらった。