ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

真意

2010-06-13 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
大姫の細く美しく文字を見て、
郷「もしかしたら…」いろはの意味を知っているのではと思った。それは、文の墨が所々にじんでいるからだ。

『色は匂い香り立つ、そんな美しき若花もやがて散ってゆく。
なんと、この世の諸行は無常なのでしょうか。
世に生きる誰しもが向える死…いつまでも生き続けられるものではない。
必ず滅する命の定め…それが訪れる日はいつであるか…誰も知らない。
人生…迷い谷に入っては這い上がり、険しい山を登っては乗り越えつつ、生を全うする。

悟りの世界は、儚く消えることの無い世界なのでしょうか?
夢の世界は、安らかに暮らして生ける世界なのでしょうか?』

夢の世界に行けたなら、安らかになれるのだろうか。
生まれた時代が違えば、穏やかに過ごるのだろうか。
源氏平家の勢力争いのない時代が平和なのだろうか。
病に侵されなければ、それが「幸せ」なのだろうか。
しかし、考えても仕方のないことだった。
現に頼朝の子として生まれた大姫は病に侵され、訪れる死を待つだけの体。それが命の定め…寿命だった。生まれ落ちた瞬間に与えられる命の定めと出生は変らない。
しかし、変えられるものがある。
変えなければ…
静が頼朝に問うた言葉“昔を今に成す良しもがな(繰り返すのですか?)”で逆に問われる立場になる。
大姫は無実、頼朝に誅殺された義高も郷の父 河越 重頼も、海に投げ落とされた静の子も、何も罪はない。
生まれてきたことが「罪」となるなら、なぜ命を与えられるのだろう。
最初から生まれてこなければ「悲劇」にならないなら、なぜこの世に生を受けるのだろう。
郷「変えられるはず…」と、強い決意で臨む[歴史裏街道義経逃亡]なのだが、郷の思いなど露知らず、義経ら男三人は温泉旅行に浮かれに浮かれていた。


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