山遊びの日々

山スキー、沢登り、クライミングの備忘録

金木戸川 打込谷~笠ヶ岳

2012-08-27 20:31:50 |  沢登り

■2012年8月25日(土)~26日(日)
■同行メンバー:ようさん
■ルート:
(25日)金木戸川林道第1ゲート3:45~広河原7:10~打込谷出合9:25~仙ノ淵12:59~標高1800m付近幕営地16:30
(26日)幕営地5:08~奥の二俣7:15~主稜線9:30~笠ヶ岳10:27~新穂高温泉16:30

【概要】
・今週末は少し手応えのあるハードクライムを求めて、北アルプスの笠ヶ岳に突き上げる金木戸川打込谷を遡行しました。
・金木戸林道第1ゲートから打込谷出合までのアプローチが約5時間半、さらに笠ヶ岳から笠新道の下山が約6時間と非常に長く、通常は2泊~3泊コースのようですが、我々は連日12時間行動の末、1泊で抜けてきました。
・打込谷は、中流部までのゴルジュとエメラルドグリーンの深い釜をもった水量の多い滝、そして上流部の見事なナメ滝連瀑帯と変化に富んだ楽しい沢ですが、アプローチの長さ故か意外に遡行者は少ない感じがしました。



【アプローチ】
24日(金)夜に集合場所を車2台で出発。下山口の新穂高温泉に1台デポし、金木戸林道に入る。
1998年に中ノ俣川を遡行したときは第2ゲートまで入れたのだが、やはり第1ゲートでクローズとなっていた。
星空の中テントを張ってビールを飲んで就寝。

【25日(土)】
朝4時前にヘッデンを点けて出発。
長い林道歩きが始まった。


広河原手前。
発電所のあるところまで2時間強、ここで中ノ俣方面の林道を分け、1時間で取水施設のある広河原に到着する。


広河原で林道は終わり、金木戸川右岸の50m程高いところに付けられた旧「双六・金木戸森林鉄道」の軌道跡を利用する。
この軌道は双六川に発電所を建設する際、建設資材運搬鉄道線として使用されていたのだが、昭和30年ころに廃線となったそうだ。
(98年に中ノ俣川を遡行した帰り道、この軌道の運転手をしていたという地元のお父さんに話を聞いたことがある。)
基本的には写真のようなしっかりとした道で隧道もあらわれたりするが、数か所崩壊箇所(トラロープあり)があるので通行には注意が必要だ。
枕木やレールの残骸を見て、往時の状況に思いを馳せながら歩く。


軌道跡が終わり、本流に降りるとネットでよく見る壊れた吊り橋がある。
ここから右岸沿いに巨岩を乗り越えながら双六谷本流を遡行する。

そういえば双六谷は20歳の頃、途中まで遡行しているのだった。
あの時は、メンバーの一人が渡渉に失敗し、ザックを流失してしまい、結果敗退してしまった。水量の多い沢の厳しさを思い知った、苦い思い出のある沢だ。

双六谷を少しの遡行で左岸から打込谷が入り込む。
打込谷出合へは本流を渡渉するのだが、水量が多いときはこの渡渉で敗退してしまうパーティーも多いようだ。
今日は膝上程度の水深で一安心する。


打込谷の遡行を開始する。
水はご覧のようなエメラルドグリーン。
こんなきれいな色は他の沢では見たことがない。


まず最初にあらわれる大きな滝はF2の18m直瀑。
右岸からさっくり高巻く。


ゴルジュの瀞にスポットライトのような一条の光が差し込む。
奥は5mチョックストーン滝


仙ノ淵滝に到着。
直登ルートは、釜を泳いで右側のカンテを左上したあと、反対側へ懸垂下降するのだが、過去に何度か滑落事故が起きているところでもある。
我々は時間もないのでパスして右岸を高巻く。


ナメ2条の滝。
ここは右岸を腰上まで水に浸かり、階段状を登ってクリアする。



この先、この谷で一番の大きな釜をもつ15m滝が出てくる。
こちらも右岸から高巻くが上部に岩壁帯があり上へ上へと押し上げられる。
1回の懸垂下降を交えて流れに降り立つと間もなくゴルジュは終わり、明るく開けたゴーロ帯の歩きとなる。

時間はすでに15時を回っている。疲れも出てきてペースが上がらないが、そろそろ幕営地を探さなければならない。
なかなかよい場所が見つからなかったが、標高1800m付近の左岸に砂地の快適な場所を見つけてタープを張る。

夜、たき火をしてビールを飲んでいると、パラパラと雨が降ってきてタープに避難。
幸いたいした降りにはならず、すぐに止みきれいな星空が見えてきた。
明日の快晴を信じて早めに就寝する。

【26日(日)】
快晴の朝、今日も長い1日が始まる。
まずは稜線まで標高差1000mの登りだ。


幕場を出てすぐにナメ滝のオンパレードとなる。


目指す稜線が遠くに見えてきて俄然モチベーションが高まる。


昨日のような水量の多いゴルジュや大滝はなく、穏やかなナメがどこまでも続く。


どの滝も快適に直登できて楽しい。


奥の二俣を左に入る。


奥の二俣を過ぎてもまだまだナメは続く。


ナメナメ。


稜線も間近に見えてきて傾斜がきつくなる。


水流も終わり、いよいよ最後のガレ場に突入する。
急登で苦しい登りだ。


振り返ると黒部五郎の端正な姿に励まされる。 my favorite mountain
薬師、水晶、三俣蓮華、双六もよく見えた。


眼下にはたどってきた打込谷の流れが続いている。


稜線直下、歩きにくい砂地のザレに足をとられながら登ると、笠ヶ岳山荘の少し東側のあたりの登山道に飛び出した。
結局、ヤブ漕ぎはなかった。
抜戸岳へと続く稜線の向こうにくっきりと槍ヶ岳が見える、急登の疲れが癒される素晴らしい展望だ。
たまたま稜線を縦走してきた単独の山ガールに「すごいとこ登ってきましたね~。何という沢ですか?」と話しかけられ、さらに気を良くする。


空身で山頂を往復後、笠新道の長い長い下山に入る。
ようさんは2週連続の笠ヶ岳と笠新道である。(お疲れ様です。)
暑さと疲れでスピードが上がらず、よろよろ歩きながら新穂高温泉の駐車地に到着した。

新穂高温泉の「ホテルニューホタカ」で温泉後、ビールを飲みたいのをグッとこらえて、平湯で飛騨牛焼肉で打ち上げした。

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針ノ木谷~不動岳~野口五郎岳~湯俣

2012-08-17 22:21:55 |  山歩き

■平成24年8月11日~14日
■同行メンバー:中隆、M松さん
■ルート:
(11日)扇沢~黒四ダム6:55~平の渡9:56~針ノ木谷~針ノ木谷BP14:30(晴れ時々曇り)
(12日)BP6:49~船窪乗越8:20~船窪岳8:50~不動岳12:50~南沢岳~烏帽子小屋16:12(晴れのち霧)
(13日)烏帽子小屋6:10~野口五郎岳8:55~竹村新道~湯俣岳12:15~湯俣14:06(雨・強風)
(14日)湯俣8:30~高瀬ダム11:00~七倉(小雨)

【概要】
〇8月11日から始まるお盆ウイークはあいにくの天候不安定の予報で、計画中止やルート変更となったパーティーが多かったようです。
〇我々も当初は、東沢谷を登って伊藤新道を下降する計画でしたが、沢ルートは極力避けて、針ノ木谷から船窪新道で稜線に上がり、野口五郎まで縦走してから竹村新道を湯俣に下山するルートに変更しました。
〇しかし、天候は当初の予報とは異なり、初日と2日目は概ね晴れ、この結果に気象庁を恨んだパーティーも多かったことでしょう。難しいことですが自分で天候判断できる実力をつけることが大切と思い知りました。そういえば、最近はあまり見なくなりましたが、昔のテン場は16時となれば気象通報を聞きながら天気図を書き、各々で天気予測をしていたものです。
〇個人的には船窪乗越から烏帽子岳の間と竹村新道は北アの未踏ルートだったので、今回トレースできたのはよかったです。

〇8月11日(土)
早朝、下山地の七倉に車をデポして扇沢に向う。今年から扇沢上部の舗装駐車場はすべて有料になっているため、その下の無料駐車場のちょっとイレギュラーな場所に停める。
混雑する6時半の始発トロリーでダムに向かい、湖岸の登山道に入るとようやく静かな世界に入る。
昨年同様、10時の平の渡しに乗りたいのでがんばって歩く。
なんとかぎりぎり5分前に渡しの船着き場に到着。
やはり天気予報のせいか、乗船は我々の他に、上の廊下に行く1パーティーと単独のみ。
天気は上々。針ノ木谷に入り、渓の恵みと戯れながらのんびりと遡っていく。
南沢出合を過ぎ、さてこれから本番!というときに上流からパーティーがじゃぶじゃぶと降りてきた。
残念ながら渓の恵みとのふれあいはこれにて終了。ビバーク地を目指す。


昨年8月と10月に泊まったビバーク適地に到着。
テントとタープを設営し、各自宴の準備に忙しく動く。


早速、沢で冷やしたビールで乾杯!
中隆シェフ(見習い)による本日のメニューは、豚肉の塩麹漬と野菜の豪快バーベキュー。
無口なおやじ3名は、火を見つめ、甲州ワインをチビチビ飲みながら、ときおり思い出したようにボソボソと会話を交わす程度。
締めの野菜タンメンをいただいて宴はお開きに。
沢音を聞きながらタープの下で心地よく眠るが、夜中に寒さで目覚め、燠になったたき火を起こしてしばし温まる。

〇8月12日(日)
翌朝、快晴の天気のなか船窪乗越に上がる。
ここからアップダウンを繰り返しながら不動沢側の浸食により崩落の激しい登山道を進む。
不動岳まで距離はさほどではないが、暑さと重荷でペースが上がらず時間がかかる。




針ノ木谷の上流と針ノ木岳(左)


南沢岳を越えて烏帽子が近づいてきた。


烏帽子の直下は池とお花畑の癒しスポット。


烏帽子小屋到着。思ったよりハードな行程だった。
テン場は満員で一番下の池の近くに張ったが虫が多くて不快だった。

〇8月13日(月)
朝から本格的に天気が崩れた。
雨はそれほど強くないが、稜線上は強風地獄。
たまに耐風姿勢をとらないと体がもっていかれそうになる。


よろよろと歩いて野口五郎、真砂岳を越えてから竹村新道に入る。
標高を落とすにつれて風も弱まり樹林帯に入って一安心。


湯股岳


展望台から湯俣川の地獄を見下ろす。噴湯丘が見えた。

【山ガールとマッチ売りの少女(オヤジ)】
湯俣晴嵐荘でビールを飲みながら一休みした後、湯俣川の地獄に遊びに行く。
河原の野湯で一風呂浴びて戻ると、原色の派手なウエア&短パン姿の山ガールパーティー5~6人がテントを張っていた。
最近の若者の傾向で一人1テントだ。
その傍らに引率者風のおじさんが一人。あとで分かったのだが、このおじさん、今日の撮影はどうのこうのと話していたので、どうやらカメラマンらしい。
といううことはアウトドア関係の雑誌の撮影で彼女たちはモデルということか?「山ガール・初めてのテント泊」みたいな。
シトラスミントの香りでも漂っていそうな雰囲気だったが、強烈なイオウ臭&体臭のオヤジは近づくことすらできず、タープの影からチラチラ盗み見をしているのであった。
薄暗くなると山ガールたちは小屋へ移動し始めた。なんと夕食は小屋で食べるようだ。
たまたま小屋にビールを買いに行った中隆くんは、その華やかな夕食の光景に釘づけとなり、窓の外からしばらくじっと眺めていたそうです。
マッチ売りの少女のように・・・(笑)。

〇8月14日(火)
下山日。
未明から強い雨が降っていたが、朝には小降りになった。
ゆっくり撤収して高瀬ダムに向けて下山。
温泉は七倉の「かじかの湯」

コメント (2)
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T先輩の思い出

2012-08-16 21:44:37 |  番外編

一昨日、北アルプスの湯俣に下山後、水俣川の吊り橋の上から北鎌尾根の末端を眺めた時、大学時代の先輩Tさんのことを思い出した。 

高校時代山岳部だった私は大学でも山を続けたいと思っていたが、3Kの象徴のような泥臭い山岳部に入部する気は毛頭なく、適当に学生生活を楽しみながら山を続けられればいいやという軽い気持ちで某登山サークルに入部することにした。
サークルの3年先輩だったTさんは、元サーファーで、日焼けした肌と筋肉質な身体に口髭が似合う80年代のちょっと遊び人風のルックスだったが、実は某社会人山岳会でバリバリ登っているクライマー。
そんなT先輩から話を聞くうちに、いつしか自分の知らないクライミングの世界に強烈な憧れをもつようになった。
入部から1年が経ち、サークルの登山活動に物足りなさを感じていて私は、T先輩の誘いもあって同じ山岳会に入会することになり、共に山行を重ねていった。

GWに登った穂高屏風岩東稜~前穂東壁~滝谷ドーム北壁~北鎌尾根下降の継続登攀の最後の最後、雪解けで増水した水俣川に足を滑らせ転落し流されてしまった私を命からがら救い出してくれたのはT先輩だった。

大学4年の夏、実力もないのに青臭い夢や希望だけで臨んだヒマラヤ登山は、雪崩遭難事故という結末で見事に失敗した。
ヒマラヤのため会社を辞めたT先輩は、事故の怪我から復帰後も、山岳会を変えながら先鋭的なクライミングを続けていった。
その一方、私は将来への不安という現実問題に直面することになり、結局「就職」という安定した人生を選び、死の臭いがプンプンする登山からは身を引いた。

T先輩の自由で夢を追う生き方にあこがれを抱きつつも、安定した社会生活を捨てきれない私は日々の仕事に流され、いつしかT先輩とも疎遠になってしまった。
多分、そんな私はT先輩にとって「軟弱な奴」だったのだと思う。

今日、8月15日は、6年前に飯豊の沢で命を落とされたT先輩の命日に当たる。

信州に移住して、無理なく自分なりのスタイルで登山(山遊び)を楽しめるようになった。
T先輩なら今の私の登山を認めてくれると思う。

きっとあっちでも元気に登っていることでしょうね。
もっとゆっくり話ができればよかった。


1985年5月 北鎌尾根下降 (photo by T先輩)

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