最強カードで意思表示 翁長知事、辺野古承認取り消し(2015年10月14日中日新聞)

2015-10-14 07:53:54 | 桜ヶ丘9条の会
最強カードで意思表示 翁長知事、辺野古承認取り消し 

2015/10/14 紙面から

沖縄県の翁長知事が埋め立て承認を正式に取り消した名護市辺野古沿岸部=本社機「おおたか二世」から
 沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事は十三日、米軍普天間飛行場(宜野湾市)移設問題をめぐり、新基地建設予定地である名護市辺野古沖の埋め立て承認を取り消すという最も強い「カード」を切った。安倍政権との全面対決を選択し、法廷闘争まで視野に入れた長期戦を見据える。新基地反対の民意と、基地負担を強いられている現状への理解を国内外に広げ、幅広い世論の力によって計画撤回に追い込むシナリオを描く。

■民意支えに

 翁長氏は十三日の会見で「県民に寄り添って問題を解決していきたいという姿勢が大変、薄いのではないか」と、安倍政権の姿勢を批判した。翁長氏が承認取り消しに踏み切ったのは、政府が今秋に新基地の本体工事を始める方針を堅持し、ほかに待ったをかける手段がなかったためだ。翁長氏としては、最も強い反対の意思を示したことになり「県民、国民の理解をいただけるように、あらためて出発していく」と強調した。

 翁長氏を支えるのは、選挙で示された沖縄の民意だ。普天間の県外移設を主張していた仲井真弘多前知事が二〇一三年十二月、方針転換して埋め立てを承認して以降、一四年一月の名護市長選では移設反対を掲げた稲嶺進市長が再選され、十一月の知事選で翁長氏が仲井真氏に圧勝した。十二月の衆院選では、自民党候補が県内四小選挙区すべてで敗北している。

 翁長氏の決定を受け、稲嶺市長は即座に全面的な支持を表明。共産、社民など野党系の沖縄選出国会議員五人も、政府に計画の断念と普天間の閉鎖・撤去を要求する声明を出し、政府と沖縄の対決構図は一段と鮮明になった。

■既成事実化

 だが、翁長氏は「政府を相手にするのは簡単ではない」とも認める。菅義偉(すがよしひで)官房長官は十三日の記者会見で新基地計画に関し「行政の継続性の観点から工事を進めるのは当然だ」と重ねて強調した。

 事業者の沖縄防衛局は十四日にも、埋め立ての根拠法を所管する石井啓一国土交通相に行政不服審査を請求。合わせて翁長氏の処分の効力を一時停止するよう申し立てる。埋め立て承認に「瑕疵(かし)はない」(菅氏)と主張する政府内の手続きだけに、認められる公算が大きく、そうなれば政府は作業を再開する。

 最終的には、県側が効力停止の取り消しを求める訴訟を起こすことになりそうだが、法廷闘争で結論が出るには年単位の時間がかかるとみられ、政府側は工事を進めることによって新基地の「既成事実化」を狙っている。

 就任以来、内外で計画撤回を訴えてきた翁長氏。「新基地は造れないだろう。法律的にも政治的にも理解してもらえるよう、沖縄の主張をしていきたい。県民や国民、国際社会に訴える中で問題を解決できればいい」と力説した。

 (政治部・生島章弘)

言葉の戦中回帰(2015年9月29日中日新聞夕刊)

2015-10-12 12:41:04 | 桜ヶ丘9条の会
<こちら編集委員室> 言葉の戦中回帰 

2015/9/29 中日新聞夕刊
 武藤貴也衆院議員が七月末、ネットで発信した「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」の主張は「『戦争に行くのは嫌だ』との極端な利己的考え」という批判が、脳裏から消えない。安全保障関連法案に反対した若者の考えのどこが利己的なのか。国会議員という上から目線の傲慢(ごうまん)さしか感じられない。

 武藤議員が若者たちの抗議にネットで反論しても、説得力は感じない。この批判は、先の大戦で「戦争に協力しない者は非国民」とレッテル貼りして脅した歴史を連想する言葉だ。

 武藤発言を許したり、曖昧なままにすると、次々と戦争を肯定する発言につながりかねない。三月には、国会で、日本のあるべき姿として「八紘一宇(はっこういちう)」という言葉まで飛び出し、論議を呼んだ。広辞苑には「太平洋戦争期、日本の海外進出を正当化するために用いた標語」とある。

 安倍晋三首相になって、憲法九条の軽視に加え、本来なら議員辞職につながりそうな問題発言にまでも寛容になった感がある。

 同法案に反対したのはシールズだけではない。知識人、多くの憲法学者、元法制局長官、元最高裁長官らが違憲と指摘し、何度も市民による法案反対の数千、数万人のデモや集会があった。国民の多くは反対だ。

 政治家の発言は重い。一言一言に責任が付きまとうことを忘れないでほしい。

 (植木幹雄)

[1億」に違和感 1億総活躍社会(2015年10月9日中日新聞)

2015-10-09 08:27:38 | 桜ヶ丘9条の会
「1億」に違和感 1億総活躍社会 

2015/10/9 朝刊

自民党の総裁再選が決まり、記者会見する安倍晋三首相=先月24日、東京・永田町で
 第三次安倍改造内閣が始動した。掲げたスローガンは「一億総活躍社会」。新たな経済政策の総称というが、ネット上では「大きなお世話」「上から目線」という批判の声も。「一億○×」で思い浮かぶのは、戦争にちなんだ標語が多い。多様な生き方の時代に、「なぜ一億なのか」と疑問も膨らむ。

◆にじむ政権の思想

 「一億総活躍社会」は先月二十四日、自民党の両院議員総会で、安倍晋三首相が党総裁に再選された後の記者会見で飛び出した。「少子高齢化に歯止めをかけ、五十年後も人口一億人を維持する」ことだという。

 アベノミクス第二弾はこれを目指すもので、国内総生産(GDP)を六百兆円にするなど新たな「三本の矢」を打ち出した。だが、想定する二〇二〇年度に達成するためには、名目でバブル末期程度の年3%前後の経済成長が必要。残りの「子育て支援」「社会保障」も巨額の借金を抱え、支出増が困難な政府にとって容易ではない。

 老若男女を問わず、「活躍」を強いるような標語の響きに、ネット上では「国民はもう頑張っている」「自分のことをしたい」という声があふれている。安保関連法が成立した直後だけに、戦時中に使われた「一億総玉砕」「国家総動員」といった言葉を連想してしまうと、不安視する指摘も相次いだ。

 「一億」が日本国民全体を意味することは間違いない。「一億総中流」といった言葉もあるが、「一億○×」は戦前、戦時中の標語や軍歌に集中している。

 「黙つて働き 笑つて納税」の著書がある里中哲彦さんによると、日中戦争が始まった一九三七(昭和十二)年、軍が関与する東京標語研究会が「一億日本 心の動員」との戦意高揚スローガンを発表した。

 総力戦を想定して四〇年に組織された官製国民統制組織・大政翼賛会はその翌年、「進め一億 火の玉だ」を打ち出した。次の年、同名の歌が出た。新聞も「聖戦へ 民一億の 体当たり」(三九年、読売)、「一億が 国の手となれ 足となれ」(四〇年、東京日日)といった言葉を掲げている。本紙の前身の新愛知新聞、名古屋新聞も「一億一心乱すな足並」などのスローガンに企業名を付けた「献納広告」を掲載した。

 里中さんは「最初のうちは勇躍する日本をアピールしていた標語が、敗色が濃くなるにつれ、過激になっていく。『一億抜刀』という標語もあり、もはや念力に頼るといった感じだ」と分析する。「標語は時代の気分を反映する。それは呪文にも似ていて、時代の空気をつくり、人々の意識を束縛していく」

 当時、標語とともに歌のタイトルや歌詞にも「一億」は頻繁に登場した。近現代史研究者の辻田真佐憲さんによると、四〇年発売の「起(た)てよ一億」をはじめ、「出せ一億の底力」(四一年)、「一億特攻隊の歌」(四五年)などめじろ押し。

 辻田さんは「三〇年代に人口が約一億人になり、戦争に突入していく四〇年代ごろから、国民を一致団結させるため盛んに使われた」と説明する。「こうした歌はラジオで流されたほか、学校や勤労動員先で繰り返し歌われ、当時の国民に刷り込まれていった」

◆戦争を連想…なぜ?

 ただ、「一億」という数字は歴史的な問題を抱えている。当時、現在の日本に当たる部分の人口は約七千万人。「一億」人は朝鮮半島や中国の租借地、南洋諸島など「大日本帝国」全体の人口だった。

 辻田さんは「戦前から『一億何とか』は単なる数字ではなく、多様性を無視したスローガンだった。戦後まもなく、政権が『一億総懺悔(ざんげ)』を唱えたが、それも植民地の人々まで含めた数字で実態とずれている」。

 現在の人口の一億二千七百万人との開きも無視できない。「首相が歴史的な経緯を顧みず、現在も『一億』を標語に使うのは乱暴。言葉を軽んじているととられても仕方がない」と批判する。

 「一億」の標語が増加したのは、三八年に大日本帝国憲法を上回る力を持つ「国家総動員法」が制定された前後からだ。同法は日中戦争が長びく中、会社の合併・分割、物資の生産・所持・配給などの制約、軍需工場への徴用、労働時間や賃金の統制など「総力戦体制」構築のために施行された。戦争遂行のための「超憲法的」な法律といえる。

 国家総動員体制に詳しい山口大の纐纈厚教授(政治学)は「当時と現在の政治は似ているというよりも同質だ」と指摘。国家総動員法と安保関連法を比べると、政権の目的遂行のために憲法を超える法律を制定する点で、手法が相似しているという。そして「『一億』という言葉には、異端者や異なる意見を排除し、一つの価値観で動く国民という意味が込められている」と懸念する。

 名古屋外国語大の高瀬淳一教授(情報政治学)は「深く考えずに使ったのではないか」とみる。国民の目を安保法から経済に向けさせるためのもので、明るい未来をイメージして「一億総活躍」を押し出したのではないかと推測する。

 「ここでいう『活躍』とは、つまり『働け』という意味。前回、『女性活躍』という言い方で女性の反発を受けたため、『一億総』に言い換えたのでは」

 とはいえ、経済の話ではあっても政権の思想はにじむ。「外国人労働者の受け入れ議論も避けて通れないはずだが、安倍首相的なナショナリズムには相いれない。『一億総活躍』は外国人労働者を多く受け入れずに済むように、高齢者も含めた日本人全員ががむしゃらに働けという世界観で使われている」

 国民を挑発するような表現を選ぶ点に安倍政権の不安が出ているとみるのは精神科医の香山リカさん。「安保法に対する反対運動が予想外に盛り上がったため、あえて強気の発言で自己確認をしている。おびえのあらわれではないか」

 (木村留美、中山洋子)

日本の司法は敗北した 名張・奥西死刑囚が獄死(2015年10月5日中日新聞)

2015-10-05 08:36:10 | 桜ヶ丘9条の会
日本の司法は敗北した 名張・奥西死刑囚が獄死 

2015/10/5 中日新聞
 裁判に翻弄(ほんろう)されたまま、老死刑囚は獄死した。冤罪(えんざい)の疑いを消せぬまま閉じ込めておくばかりとなった長い年月は、司法の敗北と言わざるを得まい。

 冤罪が国家の罪であることは言うまでもない。

 冤罪の可能性を消せぬまま、二転三転する司法判断の末に八十九歳の奥西勝死刑囚を獄死させてしまった名張毒ぶどう酒事件は、冤罪と同じほど罪深い司法の自殺的行為ではないだろうか。

 「十人の真犯人を逃しても、一人の無辜(むこ)の人間を罰してはならない」という法格言の通り、一人の冤罪者も出さぬことが刑事司法に求められる最大の使命である。

白鳥決定無視の過ち


 日本の司法は過去、死刑囚に冤罪を認めたことがある。つまり重大な誤判の歴史を持っている。その経験は生かされたのか。

 名張事件の運命の分かれ道ともいえる第七次再審請求は、十一年もの時を経て、二〇一三年に最高裁で最終的に退けられた。

 迷走した名張事件の最も大きな問題は「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が無視され続けてきたことだろう。最高裁が「白鳥決定」で、この鉄則は再審でも適用されることを確認したのではなかったか。

 そもそも、津地裁の一審が無罪だった。冤罪を訴える長い歳月を経て、一度は高裁が再審開始を認めもした。つまり、有罪の立証ができていないと判断した裁判官が少なからずいたわけである。

 それなのに最高裁は、判決を見直す姿勢は見せなかった。

 逸した機会の第一は、第五次再審請求である。逆転死刑判決の根拠だったぶどう酒の王冠の歯形鑑定の信用性が崩れたのに、最高裁は再審請求を棄却した。

 第七次請求では、凶器とされた農薬が実際に使われたかどうか疑わしいとして名古屋高裁が再審開始を決めたにもかかわらず、検察の異議の後、最高裁は高裁に差し戻してしまった。まさに白鳥決定の無視である。

 弁護団は「弁護団が判決の誤りを実証すると、裁判所は別の理屈を持ち出してくる。『疑わしきは被告人の利益に』の原則の逆だ」と訴えていた。再審の扉を重くしてきた裁判官や検察官は、明快に反論できるであろうか。

誤判への真摯な恐れは


 特に高裁が一二年五月、再審を開始しないとした決定では、弁護側に本来必要ないはずの「無罪の証明」まで求めた。

 刑事司法の基本的な考えは、こうである。つまり「被告人が有罪であることの立証責任は検察官の側にあるのだから、『合理的な疑いを超える程度の証明』がなされていないと思えば、無罪判決をすれば足りる」。

 こうした原理に照らせば、司法が原則を大きく踏み外していたように見えてしまうのである。

 高齢の死刑囚が最後の判断を仰いだ最高裁に、私たちは「自ら速やかに判示を」(一二年五月三十一日社説)と求めた。しかし、返ってきたものは、説得的理由のない棄却決定であった。

 再審無罪となった東京電力女性社員殺害事件や静岡地裁が再審開始を決定した袴田事件では、裁判所に促されて検察側が未開示証拠の開示に踏み切り、冤罪の疑いが深まる大きな要因となった。市民の常識を反映させようという裁判員裁判の時代となったのに、冤罪の疑いがぬぐえぬ名張の事件で、司法は一体、何をしてきたのだろう。

 元最高裁判事の故・団藤重光氏は退官後、死刑廃止の立場を鮮明にし、「無実の人を処刑することがいかにひどい不正義であり、どんなことがあろうとも許されるべきでない不正義であるか」と指摘している。

 この碩学(せきがく)がなぜ、死刑廃止論に転じたのか。それは、法律家として、また一人の人間としての誤判への真摯(しんし)な恐れであろう。

 奥西死刑囚は冤罪だったのか、否か。迷走した司法判断は、いわば有罪を維持した状態で幕を引くことになったが、大方の国民の感覚に照らしてみると、どうであろう。彼の獄死は裁判の権威を守ったのか、それとも損ねたのか。

法の正義と言えるのか


 多くの謎が残ったままの事件である。その謎に迫る可能性を秘めた未開示証拠を検察側が独占したまま二転三転した死刑判決を維持し、冤罪を訴え続けた一人の人間を獄死に追い込んでしまったことは、果たして国民の目に、司法の正義と映るだろうか。

 いったんは開かれた重い再審の扉は、「疑わしき」を覆い隠すように閉ざされた。獄中で老いることを強いられた死刑囚には、どんな軋(きし)み音が聞こえただろう。

 その獄死の無念を、社会は胸に刻みつけねばならぬ。未来のために、日本の裁判史に汚点として、深く刻みつけねばなるまい。

名古屋ウイルあいちで10月24日リニア問題シンポ開催

2015-10-04 10:29:31 | 桜ヶ丘9条の会
10月24日(土)午後1時30分から 名古屋 ウイルあいち、でリニア問題のシンポジュウムと運動の交流会が開かれます。リニア問題で各地で運動をされている皆さん、是非参加しましょう。



         「リニア中央新幹線問題」を考えるつどい
              ~シンポジュウムと運動の交流~


                                                                主催:日本共産党中央委員会

リニア中央新幹線は、南アルプスや大深度地下など86%がトンネルと いう経験したことのない、今世紀最大、9兆円超にのぼる巨大開発事業です。
水枯れ、膨大な発生残土処理など自然・生活環境への悪影響が懸念され、 沿線住民の不安や疑問が高まっています.
 リニア建設による動植物、生態系に及ぼす影響、電磁波、騒音、振動、水枯れ、膨大な発生残土処理など自然・生活環境への悪影響が懸念され、沿線住民の不安や疑問が高まっています。
 
 しかし、JR東海は、工事実施計画の認可後、不十分な事業説明会、用 地買収に向けた測量の実施など、傲慢で不誠実な態度をとり続けています。

 これに対し、工事実施計画認可取り消しを求める異議申し立てや、立木 トラストなど、市民・住民の運動がひろがっています。
 こうした取り組み を交流・共有し、今後の課題を明らかにするため、「つどい」を開催するこ とにしました。ぜひご参加ください。
 
 日時  2015年10月24日(土)
        開場 13:00  開会 13:30~17:00
 場所  ウイルあいち大会議室

   主催者あいさつ  小池 晃  日本共産党副委員長・参議院議員

☆ 第1部  シンポジュウム  ―――交通政策・経済性などリニア新幹線はそもそも必要なのか、自然・生活環境に
                   どのような影響を及ぼすのかーーー

       橋山禮次郎  千葉商科大学院客員教授、アラバマ大名誉教授
       辻村千尋   日本自然保護協会 自然保護部 保護室主任
       長田好弘   日本科学者会議リニア研究連絡委員会代表

☆ 第2部  運動の交流  ーリニア新幹線ルート沿線各地の住民運動や地方議員などから運動の経験交流

      ・沿線自治体・JR職場・環境保全の視点から ・中間駅・車両基地、非常口・残土搬出ルート周辺の地域住民の取り組みなど

*参加者の意見交換会 18:30~(つどい終了後同一会場にて、参加者の意見交換会)