半藤一利さん没後1年 語録からの警鐘
「近現代史の語り部」として、歴史を学ぶ重要性を説き続けてきた半藤一利さん=写真=が亡くなって十二日で一年。少年時代、戦火と焦土を目の当たりにし、再び招かぬための史的教訓を探究し続けた生涯だった。過去の検証は未来への警鐘につながる。そんな思いが凝縮した「半藤語録」を本紙での対談などから顧みた。 (稲熊均)
半藤さんは、史実をゆがめる「神話」の正体を暴く「歴史探偵」でもあった。日本の近現代史で、とりわけ重要だと指摘した「神話」がある。
「日露戦争後、軍が公表したのは、日本が世界の強国である帝政ロシアをいかに倒したかという『物語』『神話』としての戦史でした。海軍、陸軍大学校の生徒にすら本当のことを教えていなかった」
この「神話」は軍を肥大化させ大戦で国を破滅の道に追い込む遠因になったばかりではない。戦後も「明るい明治、暗い昭和」という歴史観を広く根付かせる下地になった。日清、日露までは国家も軍も合理的判断ができ、その後は無謀な戦争の時代に突き進んだという歴史観だ。日露戦争までの明治を描いた司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」も大きな影響を与えている。
半藤さんは編集者として司馬さんと深く交流してきたが「司馬さんが『坂の上の雲』を書いた当時は、物語(神話)の海戦史しかなく、司馬さんはそれを資料として使うしかなかったんです」と明かした。
海軍は公表されたのとは別の正しい「戦史」も残していた。一部は皇室に献上され、昭和天皇が亡くなる直前、半藤さんは閲覧できる機会に恵まれた。
「(公表されていたのとは)全然違うことが書いてある。日本海海戦で東郷平八郎(連合艦隊司令長官)がバルチック艦隊を迎え撃つときに(戦いの趨勢(すうせい)を決することになる決断を示す合図の)右手を上げたとか微動だにしなかったとか、秋山真之(さねゆき)(作戦参謀)の作戦通りにバルチック艦隊が来たとかは大うそでした。あやうく大失敗するところだった」
昭和の自滅は、さらに原因を突き詰めれば明治維新後の近代国家づくりにたどり着くと半藤さんは考えていた。
「国づくりを始めたとき、プロシア(ドイツ)かぶれの山県有朋(やまがたありとも)や周りの官僚が軍事国家体制をつくる。明治憲法が発布されるより十年も先にです。もし大久保利通が暗殺されていなければ、こうならなかった。英米仏を歴訪し、軍事を政治の統制下におくシビリアンコントロールを大久保は学んでいましたから」
だからこそ、半藤さんは権力を縛る現行憲法には近現代史の教訓が集約されていると評価してきた。「前文には日本が生きていくための理想が描かれ、条文は理想を実現するための手段」。九条については、自衛隊が存在する現実との矛盾を認識しつつ「変えると国家の全部が変わってしまう。失うものがすごく大きい」と危惧し、こう説いた。
「大事になるのは『(国民の)軍隊からの安全』。クーデターを起こせるのはどこの国でも武器を持つ軍隊だけでしょ。そういう問題を抜きにして九条を改正し、強力な軍隊を持って国際社会のイニシアチブを取りたいなんて日本民族の悲劇ですよ」
半藤さんが終戦を迎えたのは十五歳の時だ。東京大空襲では家を焼かれ死にかけた。近くで赤ん坊を抱いた女性が火をかぶり焼けていく光景も目にしている。「間もなく戦争体験者は皆死んでいく。うそも書ける時代がすぐそこまで来ているということです。せめて、なるべくうそが交じらないものを残しておかないと。歴史は書かれない限り、歴史にはならないんです」
正しい歴史が伝えられない限り、新たな「神話」も生まれる。亡くなる直前まで次世代に向けての気掛かりを表した言葉がある。「反省しないのではない。知らないんですよ」