「過去」を支配させるな 週のはじめに考える
2022年1月23日
ナチス・ドイツによるユダヤ人らの大虐殺は、人類史に刻まれる悲惨な事件です。
七十七年前の一月二十七日は「アウシュビッツ(ポーランド)解放の日」として、欧米人らに記憶されています。ガス室送りを免れた生存者は戦後、恐怖の体験を証言してきました。
社会から「のけ者」に
イタリアのリリアナ・セグレさん(91)もその一人です。二〇二〇年には三十年間の活動を締めくくる「最後の証言」をしました。イタリア国営放送は生中継で放送し、ある全国紙は証言の概要を冊子にし、付録としたそうです。
日本でも「アウシュヴィッツ生還者からあなたへ」(中村秀明訳、岩波ブックレット)として出版されました。そこから、リリアナさんの体験を紹介します。
ユダヤ人ゆえ社会から「のけ者」にされた最初の記憶は一九三八年です。「人種法」ができ、小学校に通えなくなったのです。「誰からも電話がかかってこなくなり、パーティーやお祝いの席に招かれることもなくなりました」
戦争が始まると、父とスイスへ亡命しようとしますが、失敗。父と引き離され、貨車で「行き先のわからない旅」に…。わずか十三歳の少女でした。
四四年二月。雪に覆われた平原が見え、聞いたこともない言語が飛び交っていたそうです。アウシュビッツの入り口でした。
「若いイタリア人女性たちと一緒にされました。(中略)この三十人以外の女性たちは、年寄りも若い人も子どもも、みんなガス室に送られました」
腕には「75190」の入れ墨を彫られます。ドイツ語で呼ばれる番号に返事ができるかどうかが生と死の境目だったそうです。
「軍需品の工場での強制労働を割り当てられたのは幸運でした。(中略)収容所を包む恐怖とおびえの空気からも、少しの間は背を向けることができたから」
でも、解放の日が来る前にリリアナさんたちは数百キロの距離を何カ月間も歩かされました。「死の行進」と呼ばれています。収容所での残虐行為を隠蔽(いんぺい)するため、ナチス・ドイツは「囚人」をドイツ国内に移動させたわけです。
栄養失調で骨と皮だけ。力尽きれば、拳銃で撃たれます。生還できたのが不思議なほどです。
相次ぐ虐殺否定論
疑いようのないリリアナさんの体験です。しかし、恐ろしいのは人類史に刻まれる大虐殺でも、過去に何度も「ホロコーストはなかった」という言説が飛び交ったことです。歴史を書き換えようとする人々が存在するのです。
「歴史修正主義」(武井彩佳著、中公新書)によれば、七〇年代に米国の大学教授や英国のネオナチ、ドイツの元親衛隊員らが次々にホロコースト否定のパンフレットや本を出版します。犠牲者数の下方修正や毒ガスによる殺害自体を否定したのです。
極右の人々には消し去りたい歴史なのでしょう。八〇年には米国で裁判がありましたが、裁判所は「ホロコーストは『公知の事実』」と認定しました。二〇〇〇年にも米国の歴史家を否定論者の英国人が訴えた裁判がありました。むろん否定論者の負けです。
要するに、どんな否定論も夜空に三日月が浮かんでいれば、「円くない」と理屈をつけ「月は球体ではない」と結論を出すような論法なのです。でも、繰り返される歴史改ざんの狙いは何でしょう。
「否定論の目的は絶対的な信者を獲得することではない。むしろ、史実に対して認識の揺らぎを呼び覚ますことである。(中略)事実ではないかもしれないと人が疑念を抱いた時点で、目的は達成される」(前掲書)
つまりは人々の歴史認識も不安定化します。日本でも思い当たることが数々あります。為政者らが戦後日本を「自虐史観」と笑い飛ばすのも一例でしょう。
教育勅語の再評価の動きも同様でしょう。南京大虐殺や従軍慰安婦の歴史にも「認識の揺らぎ」が起きているかもしれません。
極めて危険です。作家のジョージ・オーウェルの「1984」に有名な警句があります。
<過去を支配する者は、未来を支配する>
差別とヘイトが社会に
冒頭のリリアナさんには近年、ネットでの脅迫や中傷が相次いだそうです。今は一九三〇年代と似た状況なのでしょう。社会に差別やヘイトが満ちているのです。
オーウェルの言葉は「現在を支配する者は、過去を支配する」と続きます。歴史改ざんなどで、戦後の平和主義が壊れる恐れさえ覚えます。セピア色だった軍国主義の「過去」に生々しい原色を取り戻させてはなりません。