ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

平荘町・上荘町をゆく(49) 平之荘神社(1) 平荘神社での一件

2024-05-05 07:34:56 | 加古川市歴史探訪 平荘町・上荘町編

      平荘町・上荘町をゆく(49) 平之荘神社(1) 平荘神社での一件

 きょうのブログは以前「東神吉町をゆく(15) 益気神社建設・平之荘神社での諍いの一件」として取り上げた記事の再掲です。
      平之荘神社での一軒 
 升田に益気神社(ますきじんじゃ)があり、神社の入り口にその由緒を刻んだ石碑があります。
 その石碑に「・・・・文禄三年(西暦1594)九月二十一日、秋季例祭の故ありて(平之荘神社)から分離すに至り・・・」とあります。

 その「故ありて・・・」の理由を記していません。その理由は次のようです。
 ・・・・事件は、文禄3年(1594)、平之荘神社16ヵ村の代表者の参詣の時におきました。*(16ヵ村:益気郷3ヵ村、平之荘13ヵ村)
 益気・・・平の面々、益気の中にも御歴々(おれきれき)がいるのだが、毎年益田の者は下座に座っている。座を改めて我々を上座にすればどうか。
 平之荘・・・御歴々であることは承知しているが、益気の人の中には、殺生を仕事とする者がいる。・・・穢しい。(益田の者に川漁の権利が認められていることを指す=秀吉の免状)
 売り言葉に買い言葉、日ごろの不満が燃え上がりました。その勢いは、すさまじいものでした。
 この時、近郷からこの喧嘩を見ようと数万の人が押しかけたといいます。
 この事件のあと、慶長四年(1599)益気郷は益田山(加古川市東神吉町)に益気神社(ますきじんじゃ)を創建しました。
 その後、池尻村も平之荘の氏子から抜け、池尻村・益田新村(出河原村)も益気神社が創建され、3つの益気神社が誕生しました。
 益気神社という名称から、奈良時代の創建を想像してしまいますが、升田村の益気神社は慶長四年に、平之荘神社から分かれた比較的新しい神社です。
 *写真:平之荘神社

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