平荘町・上荘町をゆく(58) 村名二題、上原村と養老村
〈上原・かみはら〉
天文元年(1532)の報恩寺の文書に「薬師堂、鎮守伊和明神、原村有之」とあります。
ここに見える原村は、現在の上原(かみはら)です。
志方町に原村があり何かと混乱があったようです。
平荘の原は、これと区別するために、明治11年、村名を原から上原に変えました。
この時、志方町の原村は下原(しもはら)と変わりましたが、昭和29年、西志方町原は志方町と合併時に元の「原」に戻しています。
それにしても、この時(明治11年)「どちらの村を上とするか」について、おそらく議論が沸騰したことと想像されます。上と下では上下関係があるように思われます。詳細はわかりません。
「上原」は、そのまま今日にいたっています。
〈養老村・ようろうむら)
もうひとつの村名「養老村」のことです
明治10年12月、印南郡芝村と同中村が合併して新しく設定された村名です。
ちなみに、平荘村の初代から五代までの村長を記しておきましょう。
初代 滝 右左治 二代 滝 信二
三代 前川 昌三 四代 滝 一二
五代 滝 悦一
「養老」村の有力の滝から、養老の滝を連想し、そこから村名を「養老」をしたといいます。