八幡町をゆく 亀の井堰と亀の井用水
国包は上荘町ですがここでは八幡町として話を住めます。
国包は、5日も日照が続くと、ツルベで朝夕灌漑をしなければならず、他の村から嫁入りが嫌われていたといいます。
そんな窮状を救うため、文化13年(1816)、畑平左衛門が美嚢川(みのがわ・三木市)が加古川に出る手前から取水するための堰をつくりました。
この用水は、国包村、船町それに宗佐村の畑地(図の赤く塗りつぶした場所)を潤し、水田化するためのものでした。
井堰の構造が割石を亀の背中のように丸く積み上げたことから、堰は「亀の井堰」、用水は「亀の井用水」と呼ばれるようになりました。
現在、石組みはなくなり、写真のようなコンクリートの堰に変わっています。
取水方法も、「水がいる時期に風船が膨らみ川をせき止め水をためる」ように変わりました。
田畑に水が必要な田植え時期や、今の時期にゴム風船を膨らませたような堰を見ることができます。お出かけください。
*写真と図:亀の井堰と亀の井用水の受益地域(赤く塗った所)